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18. 眠りから目覚めて

 目を覚ますと、天井があった。色褪せたチェック模様の壁紙。天井の中心には、丸い電灯があって、窓から差し込む夕刻の落ち着いた陽の光に、陰を薄く伸ばしている。ここは、わたしの部屋だ、と認識できたのは、陽の光とともに窓から舞い込む風の匂いのおかげだった。深い森の木々の香り。夏の匂いが微かなアクセント。時折、虫の鳴く音も聞こえてくる。

 どのくらい眠っていたんだろう。わたしは、もそりもそりと枕の上で頭を動かして、時計を探した。わたしの部屋には二つ時計がある。一つは、入り口付近の壁にかけられた古い掛け時計。だけど、今は秒針さえ動いていない。もうひとつは、ベッドの傍に置いた目覚まし時計。あと、机の上に放り出した、通学用の腕時計もあるけれど、ベッドからではその小さな文字盤を見ることは出来ない。仕方なく、手を伸ばしてベッド脇のレストに手を伸ばし目覚まし時計を手に取った。

「四時……わたし、あれから半日以上寝てたんだ」

 羊の形を模した目覚まし時計は、ちょうど午後四時前を指していた。ゲシュペンストと戦って、力を使い果たしたわたしは、阿南くんの呼びかけにも、綾ちゃんやヴェステンの呼びかけにも応じることなく、眠りの世界に落ちていった。

 無茶はするもんじゃないよね、と思ってみても、どうしてあの時、身の丈もわきまえずに「結合応用」の魔法を使ったのか、良く分からなかった。そんなことをすれば、こうして半日以上眠りこけてしまうことは分かっていた。眠るだけならまだマシで、もしも、自分のキャパ以上の魔力を放出すれば、命だって危うかった。でも、阿南くんが殺されたと思った瞬間、わたしは自分のことなんてどうでもよくなった。目の前にいる仇が許せない気持ちでいっぱいだった。その気持ちが「憎悪」というのなら、わたしはきっと憎しみに心を奪われていたんだと思う。あの時みたいに……どうして、わたしはあんなに悔しく思ったんだろう。やっぱり、良く分からない。

 わたしは、そっと目覚まし時計をレストに戻した。その物音に、枕の傍で小さく丸くなっていた黒猫のヴェステンが、俄かに目を覚ました。

「気がついたんだね、トーコ。良かった」

 ヴェステンの声はとても穏やかで、でも安堵に包まれていた。

「どうして無茶したの? みんな心配してたんだよ。綾も、あの男の子も、それにお父さんも」

「ごめん、ヴェステンにも心配掛けちゃったね。お父さんは?」

「お仕事。休むわけには行かないからって、後ろ髪引かれながら出かけたよ」

 そう言って、ヴェステンが視線を送った。部屋の中央に陣取る、白いちゃぶ台の上には、ラップに包まれたお昼ごはんが置いてある。ベッドから起き上がって、そっとちゃぶ台に近づくと、おかずの載せられたお皿の下に小さなメモ。 

『何があったかは訊かない。お前も十三歳だ、話したくないことの一つや二つはあるだろう。だから、今日のところは無理をせず、ゆっくり休みなさい。仕事が終わったら早く帰るから。父より』

 と、多少角ばった神経質そうな文字に、少しだけお父さんの優しさを感じた。きっと、このお昼ご飯もお父さんが作ってくれたんだと思う。だけど、どう見ても、焦げの目立つ料理は、お世辞にも美味しそうとはいえない。

「無茶しないで。ぼくも綾もいるんだ。独りで無茶しないで」

 ヴェステンがわたしの背中に言う。

「うん。分かってる。ありがと、ヴェステン……。そうだ! 阿南くんは? ゲシュペンストは!? イルリヒトもどうなったの?」

「それは……」

 と、ヴェステンが言いかけたその時、階下でジリリと呼び鈴がなる。おもむろに、ベッドから飛び降りたヴェステンは、「きっと、綾たちだよ」と言って、尻尾を振って付いて来いとわたしに指示した。

 パジャマを着替える余裕はないけど、スリッパを履いて、ヴェステンの後を追って、階段を降り、玄関ホールへと向かう。扉ののぞき窓からのぞくと、玄関先には、ヴェステンの言ったとおり、制服姿の綾ちゃんが立っていた。きっと、学校帰りにその脚で、お見舞いに来てくれたんだ。

「トーコちゃん! 大丈夫? 怪我してない? どこか痛いところない? 気分は?」

 玄関扉を開くなり、への字に眉を曲げた綾ちゃんが、矢継ぎ早に言いながら、わたしのことを強く抱きしめた。女の子に抱きつかれるのは初めてだったし、綾ちゃんがそれだけ心配していてくれたんだと思うと、何だか照れと嬉しさが混同した気持ちがこみ上げてくる。

「大丈夫だよ、綾ちゃん。心配掛けてごめんね。たっぷり眠ったから、もう元気!」

「ホント?」

 すっ、と顔を上げる綾ちゃん。大きな瞳が、潤んでいる。わたしは、綾ちゃんのぬくもりを感じながら、にっこりと微笑んで、頷き返した。

「イチャイチャするのは良いけれど、そんなことより、あの男の子は?」

 ヴェステンが、抱き合うわたしたちに少しだけ呆れ眼を向けながら尋ねた。

「イチャイチャなんかしてないわよ。もしかして、ヴェステン。キミが綾ちゃんを呼んだの?」

「うん、そうだよ。今後の方策のための作戦会議と、あの男の子にいろいろ説明しなきゃいけないと思って、学校が終わったら、来て欲しいってお願いしてたの」

 そういいながら、ヴェステンはキョロキョロと玄関先を見回した。だけど、そこに阿南くんの姿はない。

「結宇だったら、今日の朝メールがあったの」

 綾ちゃんはわたしから離れると、肩に掛けた鞄から携帯電話を取り出した。そして、阿南くんからのメールの文面をヴェステンに見せる。

『今日は休む。野暮用とでも言っといてくれ』

 実にぶっきらぼうで、阿南くんらしいメール。 

『それから、後で中野の様子を教えて欲しい』

「結宇ったら、あの後すごくトーコちゃんのこと心配しててね、お家までトーコちゃんを担いで運んだのも、結宇なんだよ。おじさんは怒ってなかったけど、結宇、何度もおじさんに『ごめんなさい』って謝ってた」

 携帯電話を仕舞いながら、綾ちゃんが言う。

「阿南くんが……『ありがとう』をまた言いそびれちゃった」

 わたしの呟きが、ヴェステンや綾ちゃんに聞こえたかどうかは分からない。ただ、わたしの胸の奥は、もっと暖かい気持ちでいっぱいになった。

 とりあえず、立ち話も何だから、といった具合に、わたしたちは連れ立って、地下室へと向かった。地下室は一切光を通さない密閉された暗い空間。だから、いつもは電気をつけなきゃ足元も見えない。なのに、地下室の階段を降りきると、いつもとちがい、ぼんやりと灯りがともっている。その灯りは、立ち並ぶ本棚の一番奥の方にあった。

「イルリヒト!」

 ガラスのカンテラに入れられた、炎の塊を見たわたしは、思わず声に出してその名を叫んだ。小さな書架閲覧台の上に、置かれたガラスのカンテラは、ちょうど街灯ランプくらいの大きさがある。その中で、イルリヒトはメラメラと炎を上げていた。

「持って帰ったのは良いけど、置いておくところが見つからなくて。お父さんに見つかると説明しなきゃいけないでしょ? だから、ここに置いておいたんだ。どうせ、ゲシュペンスト……ザントメンヒェンとの契約の所為で、イルリヒトはカンテラから逃れられない」

 と、ヴェステンは言いながら、わたしの肩から台の上に飛び移った。そして、カンテラの扉を前足で軽くノックする。

「起きろ。ふて寝してるのか、イルリヒト!」

「なんや、黒毛玉。ワイはふて寝なんかしてへんわ!」

 炎がくるりと廻って振り向いた。そこには、炎の中心に大きな口とつぶらな瞳がある。

「しゃ、しゃべった!!」

 わたしと綾ちゃんが同時にユニゾンして悲鳴を上げる。すると、イルリヒトは、キっとわたしたちのことを睨みつけて、

「なんや、白の魔女! ワイかてこんな成りしてるけどな、一応泣く子も黙るトイフェルや! しゃべって何が悪いんや。むしろ、そこの魔法生物の黒毛玉がしゃべる方がおかしいやろ!」

 と、罵声を上げる。確かに、トイフェルがしゃべるのはこれが初めてじゃない。でも、ザントメンヒェンといたときには、一度もしゃべらなかったのに。

「それは、ザントの兄貴が、しゃべるな言ったからや。黒毛玉は、ワイらのことをよう知らんかったみたいやから、ワイが黙っていれば黒毛玉を欺けるってな。まさか、ゲシュペンストの正体が幽霊やなくって、ワイの幻術だとは思いもせぇへんかったやろ。どや? 黒毛玉とちがって、ワイらは賢いやろ?」

 わたしの疑問を見透かしたように、イルリヒトが答える。その横では、ヴェステンの顔に怒りマークが浮かび、全身の毛を逆立たせていた。

「さっきから聞いてりゃ、ひとのこと毛玉、毛玉って! ぼくは毛玉なんかじゃない! 由緒正しい魔女が魔法の力によって生み出してくれた、ワルブルガの使いだよっ! それに、ぼくの専門はあらゆる魔法術の知識! 魔界の生き物、トイフェルのことなんて、詳しいわけないだろっ!」

 ウーっ! とうなる姿は、猫が敵を威嚇する仕草に良く似ていた。わたしは、ヴェステンの背中を撫でながら、「まあまあ」と、なだめてやる。

「ザントの兄貴は、必ずワイを取り返しに来る。今日のうちにでもな。そのときほえ面かくんやないぞ、毛玉っ!」

「うるさい、火の玉っ! こき使った後は、水を掛けてカンテラごと魔界に返してやるっ」

 なんだか、イルリヒトとヴェステンの精神年齢は近いものがあるのかもしれない。売り言葉に買い言葉、わたしの仲裁も無視して、二人はしばらくの間罵りあい続けた。その喧騒を破ったのは、綾ちゃんだった。

「あの、火の玉さんは、どうして関西弁なの?」

 綾ちゃんの質問は、怒り罵りあう二人の空気をぶち壊すのに、十分な破壊力があった。

「なんや、人間の娘。もしも、あんたにワイの声がなまって聞こえるとしたら、ワイの訛りが魔界訛りってことやろな」

「どういうことですか?」

「せやから、ワイやこの毛玉は、翻訳の魔法を使って、あんたたちに分かる言葉でしゃべってるんや。ワイは、ザントの兄貴に拾われるまで、一度もこっちの世界に来た事がなかったからな、魔界(むこう)の訛りが体にしみついてるんや」

「翻訳の魔法……すごいですね、火の玉さん。そんなステキな魔法が使えるなんて!」

 綾ちゃんがニコニコしながら喜んでみせる。どうやら、その笑顔に、イルリヒトは怒りをそがれてしまったらしい。むしろ、「すごい」といわれて、すこし照れているみたい。

「ま、たいしたこっちゃないがな。魔界でも、優秀なもんだけんが知ってる魔法やさかい、誰でも使えるってわけにはいかんやろな」

 たぶん嘘だ。さっき、ヴェステンも翻訳の魔法を使ってるって言ってた。ということは、低級なトイフェルであるアルプやアルラウネも。きっと、それほど難しい魔法じゃないんだと思う。だけど、綾ちゃんはなおも嬉しそうに「すごい、すごい」と誉めそやすものだから、イルリヒトはふふんっ、とふんぞり返っている。

「ま、そんなことどうでもいいや。それよりも、問題は山積みだよ」

 呆れ眼をイルリヒトに向けたヴェステンは、わたしたちの方に向き直って、真剣な顔つきをする。

「ここにいない、あの男の子が魔法の存在をしってしまったことはさておいても、ぼくたちはザントメンヒェンを逃してしまった」

「ごめん」

「怒ってるんじゃないよ、トーコ。仕方なかったんだ。だけど、ザントメンヒェンは、老人のような姿をしているけど、手強い相手だ。もしも、イルリヒトを取り返されるようなことがあれば、作戦は水の泡だ。そうならないためには、トーコ自身が今より強くならなきゃいけない。でも、その時間がない」

「八方塞やな」

 と、イルリヒトがカンテラの中で嘲笑う。ヴェステンは、前足の爪を伸ばしてちらつかせ、鋭くにらみつけた。『サド・ヴェス』モードだ。

「トーコ、こいつに(ヴァッサー)を掛けてやろうよ。すこしは静かになるかもよ」

「まあまあ、落ち着いて。そんなことより、訊きたいことがあるの。ザントメンヒェンと戦ってるとき、どこかから声がして、わたしを助けてくれた人がいたの。ヴェステンは何か知らない?」

「これ?」

 わたしの問いかけに、ヴェステンは台の隅からカードを取り出した。あの時、阿南くんとわたしを助けてくれたカードだ。表面は、真っ白。たしか、魔法の力が消えるとともに、そこに書かれた絵柄も消えていた。反対に裏面は、折かさなるような幾何学模様が描かれている。

「ぼくたちが駆けつけたとき、辺りには誰もいなかった。でも、このカードだけが残されていたんだ。このカードは、魔法触媒と言って、魔力の小さい人がこれに魔法円と文字を書き込んで使う。例えるなら、鉄砲の弾丸と同じだよ。魔女の中には、こういった触媒を使って魔法を操る人もいる」

「じゃあ、わたし以外に魔女が居るってこと?」

「そこが問題なんだよ。前にも話したけど、十三年前に祝福されしもの、即ちヨハネスと戦って、たくさんの魔女が魔法空間『フェルド』の中で命落とした。生き残った人たちも全員、トーコとぼくを助けるために、フェルドの中に閉じ込められた。もう、この世界に魔女はキミ以外にいないはずなんだ」

「そんな……」

「カード使いが、誰なのか今は詮索のしようもないけれど、キミたちを援けてくれたところを見ると、当面敵じゃないと言うことだけは、確かだね……」

「フンっ! どうせ、魔法触媒を使う魔女なんて、いたところで、ザントの兄貴の敵やない。今から足掻いても、あんたらに勝機はあらへん!」

 話の隙に、イルリヒトが割り込む。

「しばらく口を閉じてないと、ホントに水掛けちゃうぞ! 大丈夫、トーコ! ザントをやっつける作戦はあるんだ。力不足は、これで補えばいい」

 イルリヒトを軽くにらみつけたヴェステンは、わたしに向かって、件の白いカードを見せた。

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