16. C組のソフィ
綾ちゃんと阿南くんが幼なじみじゃない!? 突然和歌ちゃんから突きつけられた話に、わたしは戸惑いを隠せなかった。でも、二人とも幼なじみだって言ってたし……でも、去年知り合ったばかりの人のことを「幼なじみ」と呼んだりなんかしない。どうなってるの? 和歌ちゃんの勘違い?
ナゾがナゾを呼ぶ。名探偵なら、「簡単なことさ」なんて、気取った科白を吐いて、すばやく答えを見つけ出してくれそうだけど、あいにくわたしは名探偵じゃなくて、魔女見習いの中学生。魔法じゃ、このナゾは解けそうにもない。でも、クエスチョンマークが、頭の上をグルグルしてくれたおかげで、その後、五限目の諏訪先生の授業も、六限目の理科の授業も、ちっとも眠くならずに済んだ。
「えー。このように、生まれたてのヒヨコが、はじめて見たもののことを母親だと勘違いするような行動のことを、インプリンティングといいます。えー、日本語で言えば、刷り込み現象ですな」
教科書を片手に、理科の先生が小気味良いリズムを奏でながら、チョークで黒板に板書を書いていく。いつもなら、眠たくなるような授業だけど、わたしはノートに板書を書き写す片手間に、何度も両隣の席を交互に見た。
綾ちゃんは、五限目からずっと舟を漕ぎっぱなし。ともすれば、眠りの世界へゴーの体勢。一方阿南くんは、いつもどおりの仏頂面で、授業に耳を傾けている。
まだ、わたしが転校して一ヶ月ほどしか経っていない。でも、阿南くんや綾ちゃん、和歌ちゃんが嘘を言ったりするような人じゃないことは、分かってるつもり。うわー、ダメだ! 考えれば考えるほど、頭の中がぐにゃぐにゃになっちゃうよ!
「えー、先生も皆さんに『もっと勉強が好きになる』というインプリンティングをしたいところです」
板書の手を止めた先生は、ジョークのつもりで言ったらしいけど、教室の誰もウケてはいなかった。
『何だよ。何こっち見てんだよ』
不意にその隙を見たのか、阿南くんの手が伸びてきて、わたしのノートの隅に走り書く。語調まで伝わってきそうな、棘のある文字。「別に」と返そうと思ったわたしは、ふと、直接本人に問いただしてみることを思いついた。
『和歌ちゃんが、キミと綾ちゃんが幼なじみじゃないって言ってたけど、それってどういうこと? キミたち幼なじみじゃなかったの?』
そうわたしが書くと、阿南くんは、少しだけ和歌ちゃんの方を見た。和歌ちゃんの席はわたしたちの席から少し離れているためか、彼女は、阿南君の視線に気付くことはなかった。
『秋元の勘違い』
と、素っ気無い返答。
『でも、和歌ちゃんは間違いないって言ってたよ。綾ちゃんが転校してきたのは、小六の時だって』
『秋元の勘違い』
同じ文字を同じように書いてよこす。それと一緒に「くどいぞ」と言わんばかりの冷たい視線。それっきり、わたしが何を尋ねても、阿南くんは何も答えてはくれなかった。むしろ、聞いてくれるなと、その横顔が言っているようにしか見えない。
こんがらがって、わだかまった気持ちはそのまま、放課後まで持ち越す羽目になった。ようやく目が冴えたのか、元気いっぱいの笑顔を浮かべる綾ちゃんは、クラスメイトたちがみんな部活や帰宅のために、教室を出て行く後姿を見ながら、
「今日も頑張ろうね! 今夜こそ、ゲシュペンストを見つけなきゃ。魔法書が奪われる前に」
と、わたしに言う。その笑顔に裏があるとか、とても思えないし、思いたくない。
「そ、そうだね」
何だかぎこちない返事になってしまう。詳しい話を聞こうにも、和歌ちゃんはすでに放送部のミーティングへ出かけてしまっているし、帰宅部のはずの阿南くんの姿はどこにもない。そんなことばかり気にしているから、わたしのぎこちない返事は、綾ちゃんを訝らせた。
「どうしたの、トーコちゃん」
「えっ? あ、うん、なんでもないよ、ちょっと眠いだけ……。そうだ、和歌ちゃんからきいたんだけどさ」
和歌ちゃんも阿南くんもいないなら、綾ちゃんに直接問いただしてみよう。わたしは息を強く吸い込んだ。すると、綾ちゃんが更に怪訝そうに、
「秋元さんから?」
と、下からわたしの顔を覗き込んでくる。パッチリした目も、ちょっと紅を差したような頬も、わたしが男の子なら放っておかないくらい可愛い顔に、吸い込んだ息が頭のてっぺんから抜けていくような感覚を憶えた。もちろん、そんなところから空気は抜けないから、要するにわたしの意気込みと勇気は、綾ちゃんに挫かれたということだ。
「えっと、げ、ゲシュペンストの新情報。なんでも、昨日の深夜、二年生の先輩がゲシュペンストとお話してる女の子を目撃したって」
わたしは、誤魔化すみたいに言った。だけど、それにはさすがの綾ちゃんも気付いていないらしく、
「それって、もしかしなくても、祝福されしものかな?」
と、目をぱちくりさせて驚く。
「多分そうだと思う。ただ……その女の子っていうのが、C組の、えっとなんだっけ、そ、そー」
「ソフィさん?」
「そう、それ! ソフィ・ノルデンって子だったらしいの!」
ぽんと、手を打ってわたしが言うと、綾ちゃんはしばらく腕を組んで考え込むようなポーズを見せると、
「たぶん……それ、違うと思うよ」
ぽつりと言った。
「どうして?」
「あってみれば分かるよ。ソフィさんは、ヴェスくんの話してくれたような、祝福されしものとは全然違うって分かるから。そうだ、今から会いに行ってみようよ!」
張り切り声でそう言うと、綾ちゃんはわたしの手を掴んでぐいっと引っ張った。綾ちゃんに強く手を引かれながら、C組の教室へ向かううち、わたしは綾ちゃんと阿南くんのことを訊くチャンスを失ってしまったと悟った。
西日の差し込むC組は、廊下をまっすぐ行った突き当りにある。以前、中禅寺さんに占ってもらうため、B組には行ったことがあるけれど、C組のドアをくぐるのはこれが初めてだった。でも何のことはない。A組だろうと、B組だろうと、C組だろうと、教室の風景はまったく一緒。黒板があって、その前に教壇が据えられ、生徒の人数分の机がずらりと列を成しているだけ。
「あの、ノルデンさんってもう帰っちゃった?」
教室の片隅で、談笑するC組の子を捕まえて、綾ちゃんが尋ねると、
「ノルデン? あいつだったら、青木さんたちとどこかへ行ったみたいだけど……」
「鞄もあるし、まだ学校にいるんじゃない?」
と、やや面倒くさそうに、素っ気無い返事が返ってくる。見れば、ノルデンさんのと思しき机には、鞄がかけられ、机の上にはノートと教科書が並べられていた。ふと、わたしはその教科書が、やたらボロボロなのに気がついた。まだ、一学期も終わっていないというに、どうしてこんなにボロボロなんだろう。もしかして、ノルデンんって乱暴者?
「ありがとう。探してみるね」
わたしと綾ちゃんは、C組の子にお礼を言って、教室を後にした。再び廊下に出ると、背後から談笑の続きが聞こえてくる。
さて、ノルデンさんはどこへ行ったのか。青木さんって人と一緒なのは分かったけど。とりあえず、わたしたちは適当に学校内をうろついてみる。図書室、体育館、部室棟、階段の踊り場……。生徒が放課後にいそうな場所をしらみつぶしに探した。もっとも、わたしはノルデンさんの顔を知らない。でも、ソフィなんて外国人っぽい名前から察するに、きっと外見も外国人っぽいんだと、勝手に想像してしまう。
そういえば、わたしの前世のトーコは、一体何処の生まれの人だったんだろう。前世のトーコは祝福されしものと、世界を渡り歩き戦い続けていた、ワルブルガの魔女。だとしたら、日本人じゃないのかな。ヴェステンは、転生についても前世のトーコについても詳しく教えてくれないけれど、「転生するのは魂で、肉体じゃない。だから、人種も性別も関係ない。もしかすると、キミの前世のトーコのそのまた前世の前世のずーっと前世は、アフリカ人の男の人だったかもしれないよ」と、言っていた。それを聞いたとき、わたしには冗談のようにしか聞こえなかった。だって、わたしは生まれたときから女の子だったから。
祝福されしもの……ヨハネスは? わたしの会ったヨハネスは女の子だった。同い年だって言ってた。日本語を流暢に話していたけれど、その素顔はまるで「オペラ座の怪人」みたいな仮面で覆い隠されていて分からなかった。そもそも、ヨハネスという名前も本名かどうか分からない。でも多分日本人じゃないと思うのも、これもわたしの勝手な想像。たとえ、ヨハネスが何処の人であっても、今はソフィ・ノルデンという同級生の女の子が、本当にヨハネスなのかそれとも違うのかを確かめる方が先決だ。
そんなことを考えながら、ノルデンさんを探していると、いつの間にか、校舎の中でも、先生も生徒も寄り付かない場所にまで足を伸ばしていた。
世の中が少子高齢化と言われるようになって、この中学校にも空き教室がたくさん出来た。たとえば一年生は十年前まで、H組まであったらしいけど、今はD組までしかない。そうした空き教室は、学校の隅っこに追いやられて、余った教材や机、椅子、それに文化祭やイベントの看板などが押し込まれた倉庫になっている。
そんな倉庫教室の最も奥。突き当たりに窓がなくて、少しだけ薄暗い場所に、お手洗いがある。もちろん、普段は誰も使用しない、忘れられたお手洗い。おりしも、ゲシュペンストという幽霊を追いかけているわたしたちは、そこから唐突に人の声がしたものだから、心臓が飛び出すほどびっくりした。
「そういう顔、ウザイっていってんのよっ!」
怒鳴り声。そして、何かを殴りつけるような鈍い音。
「何よその目は。そんなにウチらのことが嫌なら、学校辞めちゃえば? そんで、ウリでもやれば良いじゃん。きっとその金髪、変態オヤジどもにウケると思うよ」
別の声。「ウリ」の意味は良く分からなかったけど、相手を罵るような口調。そして、水を撒き散らすような音。
「何とか、言いなさいよっ、ニセドイツ人!」
次に聞こえたのはヒステリックな声。そして、小さなうめき声と「ごめんなさい」とやけに震えた言葉。
わたしと綾ちゃんは、足音を殺して、そっとお手洗いに近づいた。お手洗いの広さはそれほど広くない。出入り口に、手洗い場と鏡があって、その奥に個室が四つ並んでいる。だいたいどこのお手洗いも同じ構造だ。そして、個室の手前の空間に、四人の人影があった。正確に言えば、三人の女の子が一人を取り囲んでいる。
取り囲まれた女の子は下を向いていて表情はよく分からなかったけど、頭から水をかぶって、金色の髪が僅かにくすんで見えた。
水漏れ事故とか、四人で遊んでいるようにはとても見えない。これはイジメの現場だ。金髪の女の子は、三人にイジメられてるんだ、きっと、手洗い場から伸びるのゴムホースで、三人に水をかけられたんだ、と悟ったわたしの胸の内に怒りが、マグマのようにグラグラと沸き立つ。そんな怒りを覚えたのは、わたしだけじゃなかった。傍の綾ちゃんも、いつになく厳しい顔つきになっている。
わたしは、お手洗いに乗り込もうとする綾ちゃんを制して、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。今度は頭のてっぺんから抜けたりしない。
「先生! こっちです! 早く来てください!」
と、力いっぱい叫んだ。もちろん、嘘だ。でも、お手洗いの中が騒がしくなる。特に、イジメっ子三人組が右往左往し始めた。校舎一階のどん詰まりにあるこのお手洗いから逃げ出す術は一つしかない。イジメっ子の一人が、お手洗いの小さな窓を勢い良く開けると、そこから飛んで逃げた。残りの二人も後に続く。
「あいつら、行っちゃったみたい……トーコちゃん賢いね!」
三人が逃げていく、バタバタという足音が聞こえなくなったのを見計らって、綾ちゃんが感心したように言った。わたしは「まあね」と小さく笑ってから、お手洗いに踏み込んだ。
金髪の女の子が一人、お手洗いのあまり綺麗とはいいがたい床に座り込み、俯いている。泣いているのか、少しだけ肩が震えていた。
「この子が、ノルデンさんだよ」
小声で、綾ちゃんがわたしに耳打ちする。わたしは頷いてから、そっとノルデンさんの傍にしゃがんだ。
「大丈夫? 青木さんだっけ、あいつら行っちゃったよ」
「あ、ありがとう」
ほとんど聞こえるか聞こえないかのような、弱々しい声で、ノルデンさんがわたしたちにお礼を言う。
「はい、ハンカチ」
と、わたしは少しだけ微笑んでから、スカートのポケットからハンカチを差し出すと、ノルデンさんは、ようやく顔を上げて、わたしのハンカチを受け取った。ノルデンさんの指は細く、真っ白だった。ドイツ人のハーフという話だけど、どちらかと言えば、日本人にはとても見えない。
「あなたたちは、誰?」
「わたしは、A組の中野東子、それで、こっちは同じクラスで友達の田澤綾ちゃん。えっと……あなたは、C組のソフィ・ノルデンさんだよね? 訊きたいことがあるんだけど、良いかな?」
わたしが尋ねると、ノルデンさんはハンカチをぎゅっと握り締めて頷いた。その瞳は、フルフルと震えて、わたしの顔を見る。どこか、ダンボールに入れられて打ち捨てられた子犬のような、真っ青な顔色。
何もかもが怖くて、何もかもに怯えたノルデンさんの、小さく縮こまった姿を目の当たりにして、わたしは和歌ちゃんが「あのノルデンさん」と強調した意味も、綾ちゃんが「祝福されしものじゃない」と言った意味も、ようやく理解した。
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