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14. 幽霊の噂

 夜風が少しだけ冷たい。きっと、雨が降ったせいで、空気が冷えているんだ。お昼ごろから降り始めた雨は、すっかり上がって、夜空には星の瞬きを邪魔するほど、煌々と満月が輝いていた。わたしは、月明かりに照らされて、キラキラと輝く民家の瓦を下に見つつ、屋根伝いに空を跳んだ。あたりの物音、光、風の向き、あらゆるものに神経を尖らせながら。

 不意に、制服の胸ポケットで、携帯電話が鳴る。手ごろな屋根に着地して、こうもり傘をたたむと、ポケットから電話を取り出した。ディスプレイに光る文字は、綾ちゃんからの着信を知らせている。

『トーコ! ゲシュペンストは見つかった?』

 電話口に現れたのは、綾ちゃんじゃなくて、ヴェステンだった。わたしからの連絡がないことに、やきもきして痛んだと思う。ヴェステンの声は少し焦っていた。

「ううん、だめ。全然見つからないよ。そっちは?」

『こっちも、だめ。ゲシュペンストどころか、イルリヒトもみつからない。ねえ、トーコ。そこからなら、イルリヒトの灯りだけでも見えないかな』

「うーん、どうだろ? ちょっと待って」

 わたしは、携帯電話の受話器を耳に当てたまま、辺りを見回した。住宅街の屋根の隙間、街灯が並ぶ住宅地の路地、繁華へと繋がる大通り。振り返って、田園へ向かう、灯り一つない真っ暗な小道。そこに、一点のオレンジ色の淡い光。

「いた! 田園の方っ」

 受話器の向こうに見えるわけじゃないのに、わたしはそれを指差した。

『イルリヒトは、ゲシュペンストのカンテラの光。そいつを追いかけるんだ、トーコ! ぼくも、綾と一緒にすぐ向かうから!』

「うん、よろしく!!」

 そう言って、わたしは携帯電話を閉じ、再びこうもり傘を開いた。眼を瞑って、「フリューゲン・フェアファーレン」の魔法を唱える。すっと体を風が包み込んだかと思うと、羽根のように軽くなり、足元が宙に浮く。わたしは、強く蹴りだして、夜空に向かって高く飛び跳ねた。

 田園の道をくねくねと辿るように、オレンジ色の光が揺らめく。何度か、屋根を蹴るうちにその光は少しずつはっきりとしてきた。間違いない、ヴェステンの言ったとおりイルリヒトの光だ、と確信したころには、青白い月光に照らされた田園の道に、白い人影が浮かび上がってくる。

 かしゃん、かしゃん。

 人影が一歩歩くたびに、まるで、金属が擦れあうような音がする。真っ白な髪。真っ白な肌。真っ白なドレス。右手には、オレンジ色に燃える炎の入れられたガラスのカンテラ。女の人にそっくりな輪郭だけど、総てが白くぼやけて透き通り、それが人間じゃないってことは、誰の眼にも明らかだった。

「止まってっ! ゲシュペンスト!」

 白い人影……ゲシュペンストの前方に着地したわたしは、こうもり傘を構えて叫んだ。ゲシュペンストは、少しだけ驚いたようにビクッとなり、そして、金属のような足音を止めた。

(わらわ)の行く手を阻むのは、ヨハネスさまの仰っていた、ヴァイス・ツァオベリンの娘」

 かすれてよく聞き取れないような、女の人の声。口元は動いていないけれど、それがゲシュペンストの声だと分かる。

「そうだよ! あなたに恨みはないけど、魔界に帰ってもらう!」

 こうもり傘を夜空に向かって掲げ、わたしは魔法の呪文を唱えた。

「黄の精霊と契約の名の下に、具現せよ……」

「妾の邪魔は、させない」

 ゲシュペンストは呟くような声で言うと、すかさず、右手のガラスのカンテラをわたしの方に突き出した。ぱかっと、カンテラの蓋が開く。すると、中に閉じ込められていたオレンジ色の炎が、ゆらゆらと夜風に吹かれて、青くなっていき、間を置かず、まるで火炎放射器のように、カンテラから青い炎の柱が噴出した。

 イルリヒト。わたしたちに分かる言葉で言えば、火の玉とか鬼火ってやつ。魔界の炎の切れ端が結晶して、トイフェルとなった姿。常にゲシュペンストとともに行動し、ゲシュペンストを援ける。トイフェルの(しもべ)となっている珍しいトイフェルだと、ヴェステンが言ってた。

「そう来ると思ってたよっ。解放(フライセン)! ヴァッサー・バックラー!!」

 傘に刻まれた魔法の文字が輝くと同時に、わたしの目の前に上空から水のヴェールが現れる。ごうごうと音を立てて迫り来るイルリヒトは、あっさりと水の盾にはじかれた。

「無詠唱魔法……」

 ゲシュペンストが、シュルシュルとカンテラの中に戻ってくるイルリヒトを迎え入れながら、再び呟く。

「あれから、必死に練習したんだもん。あなたに逃げ場はないよ、観念して! 赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の剣となれ……フランメ・シュヴェーアト!」

 呪文を唱え終わると同時に、わたしは炎をまとい、剣となったこうもり傘を構えて駆け出した。「やあっ!」と気合の掛け声とともに、強く地面を蹴って剣を上段から振り下ろす。一刀両断のコース。ヴェステンが大好きな時代劇のヒーローがやってた必殺技のマネ。でも、太刀筋はまっすぐゲシュペンストの頭を捉えていた。……はずだった。だけど、何かを斬った感触が手を伝わってこない。

「すり抜けた!」

 わたしは顔を上げて、ゲシュペンストの薄笑いを見た。実体のないトイフェル。だから、幽霊(ゲシュペンスト)と呼ばれる。今更になって、そのことを思い出す。

「愚かな娘。魔法で妾は傷つけられぬ」

 突然、ゲシュペンストの声が背後から聞こえる。見れば、目の前にゲシュペンストの姿がない。はっとなって、振り返るとゲシュペンストの白い手がわたしの首筋を、わしづかみにした。わたしの魔法は、すり抜けたのに、どうして、わたしの首を掴むことができるのか、それは良く分からない。ただ、とても苦しい。

「愚かな娘」

 繰り返し、ゲシュペンストはわたしを罵った。その時だった。薄く透けるゲシュペンストの体越しに、誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。方角からして、綾ちゃんとヴェステンじゃない……。

 来ちゃダメ! 声にだして叫びたいけれど、のどを強く押さえられて、声も空気も口から漏れ出さない。やがて人影は、わたしたちを見つけて、一瞬呆然として、手に持っていた紙袋をポロリと落としてしまった。

「中野……? 何やってるんだよ」

 人影が月明かりに照らされる。眼を丸くする見覚えのある顔。いつもわたしの隣の席で、仏頂面している男の子。

「あ、阿南くん、来ちゃだめ、逃げて……っ」

 やっと出た声は、ひどく上擦っていて、阿南くんに届いたかどうかも分からないまま、わたしの意識は一気に真っ暗になってしまった。


 学校で「幽霊騒ぎ」が起きたのは、三日前のこと。

 ちょうど、わたしが祝福されしもの、ことヨハネスに敗北してから一週間が過ぎていた。ヨハネスの圧倒的な強さに、わたしは愕然とし、打ちひしがれた。もちろん、最初から勝てると思っていたわけじゃない。でも、手出し一つ出来ないとまでは、想像もしていなかった。

 それから丸一日は、気が抜けたみたいになった。学校もサボり、綾ちゃんと二人で、いや、正確にはヴェステンを含めた三人で、わたしの家のリビングでぼんやりしていた。とりあえず、先輩には悪霊を退治したことと、部屋を散らかしてしまったことは謝った。先輩は、久々にぐっすりと眠ることが出来たのが嬉しかったのか「気にしないで」と笑顔で言ってくれたのが、せめてもの救い。

「だからって、くよくよしてても始まらない!」最初にそう言ったのは、綾ちゃんだった。確かに、負けはしたけれど、何故かヨハネスはわたしに留めを刺さなかった。裏を返せば、そのことを後悔させてやるチャンスを得たということだ。ポジティブ・シンキング?

 翌日から、わたしとヴェステンは、無詠唱(ニヒツ・アーリエ)の特訓をはじめた。とても難しく、一つ魔法を唱えて固定(フェストレーグング)するだけで、体がずっしりと重くなる。だけど、いつまた、ヨハネスが現れるか分からない。それに、今までよりもっと強いトイフェルが現れるかも分からない。少しでもそれらに対抗するためには、避けて通れない道だと、ヴェステンが言った。綾ちゃんも、わたしのことをサポートしてくれる。頑張ってと、優しく応援してくれる。泣き言なんて、言ってられない。

 そして、三日前。いつもの教室に、いつもと違う話題が囁かれた。

「ねえねえ、中野さん、知ってる? 深夜十二時すぎると、住宅街から田園のあたりを、白い服を着た女の幽霊がうろついてるんだって。その幽霊は、ガラスのカンテラを持って、道を照らしながら、出会う人に『魔法書をしりませんか?』って尋ねるの。知らないって答えたら、首を絞められて、知ってるって答えたら、カンテラの中から火の玉が飛び出して襲い掛かるんだって。怖いよねー!」

 とクラスでも、一番の噂好きの子が、丁寧に教えてくれたおかげで、アルプの時とは違って、すぐに幽霊の正体がトイフェルだと、ぴんときた。

 放課後、わたしと綾ちゃんとヴェステンは、家の地下室に集合した。本当は、綾ちゃんをこれ以上巻き込みたくはない。アルラウネに捕まったり、アルプに夢の中に入り込まれたりと、一歩間違えば命の危険に二度も晒されている。親友をそんな危険に巻き込むのはいやだ。だけど、今更「綾ちゃんには関係ない」と言ってしまえば、きっと彼女は怒ってしまう。せめて、危険からは一歩でも遠い場所にいてもらうよう、わたしが頑張らなくちゃ。

「きっと、ゲシュペンストはヨハネスの命令に従って、魔法書を探してるんだ」

 幽霊の話をわたしたちの口から聞いたヴェステンは、尻尾の先で空中にトイフェルの名前を書いた。光の粒が集まって出来上がる魔法の文字は、くるりと反転して、わたしたちにも良く分かる文字になる。トイフェルの名前は、ゲシュペンスト。わたしたちが、絵本や童話の中で想像する、幽霊の姿とそれほど変わりない。

「ゲシュペンストには、ぼくの髭と同じように、強い魔力を察知する力があるんだ。正確には、ゲシュペンストの僕と成り果てた、イルリヒトという火の玉のトイフェルにその力がある」

「じゃあ、もしかしたら、その幽霊さんが先に、魔法書を見つけちゃうかもしれないってこと?」

 と、質問したのは綾ちゃん。ヴェステンは無言で頷いて、その質問に答えた。

「大変! そうしたら、祝福されしものは、きっとその魔法書を使うよね」

「その通りだよ、トーコ。それは、自然の摂理を壊すこと。即ち、世界を混沌に変えるということ……。トーコの生まれ変わりであるキミが、止めなくちゃいけないことだよ」

 ヴェステンのエメラルドグリーンの瞳が、じっとわたしの眼を見つめる。わたしは胸の中がチクリとした。魔法書の話を聞いたとき、一度だけ使ってみたいと思ったのはわたし。ううん、今でも少し思っている。もしも、一度だけなら許されるんじゃないか、そんな風に思っている。そのことを、ヴェステンの瞳は見透かしているようだった。

「わ、わかってるよ。とにかく、ゲシュペンストが魔法書を見つける前に、わたしたちが魔法書を取り戻さないといけないんでしょ? っていうか、いま気がついたんだけど。どうして、十三年前に魔法書をヨハネスから奪ったときに、わたしの前世はそれを燃やしてしまわなかったの? 本なら、燃やしてしまえば良いのに」

 わたしは、内心を隠すように、あえて関係のない質問で覆い隠すことにした。

「たしかに、燃やしてしまえばいいんだけど、強い思念と魔力で書かれた魔法書は火をつけたくらいじゃ燃えないんだ。実際、ぼくと前世のトーコも一度は試した。結果はだめだった。だから、この地下室に魔法の鍵をかけて保管していたんだ」

「なるほどね……」

「とにかく、絶対にヨハネスの手に魔法書を渡しちゃいけない。今現在、魔法書を誰が持っているのか分からないのは、向こうも同じ。そこで……」

 ヴェステンはそこで一拍おくと、更に続けた。

「所在の分からない魔法書を、いきなり探すよりまず、ゲシュペンストを見つけてやっつける方が楽だ。特に、憶えたての、ニヒツ・アーリエを試す実地訓練にもなるからね。それから、ゲシュペンストからイルリヒトの入ったカンテラを奪う」

「え? どうして?」

 と、綾ちゃん。同じ問いをわたしも投げかけたかった。

「さっきも言ったとおり、ぼくの髭と同じように、イルリヒトは強い魔力を感じ取ることができる。しかも、ぼくの髭よりずっと高性能。だから、ゲシュペンストからイルリヒトを奪って、カンテラに鍵をかけて、魔法書を探し出すレーダーになってもらうんだ」

「でた、サド・ヴェス!」

 思わず口をついて、悪態が飛び出してしまう。時々、ヴェステンは怖いことを平気で言う。その辺が、魔法で作られた生き物だからなのかどうかは、分からないけれど、要はイルリヒトを捕まえて、カンテラの中に閉じ込めて、囚人のように、捕虜のように、こき使おうとしているんだ。

「なにそれ?」

「サディスト・ヴェステンの略だよ」

 と、わたしが説明すると、ヴェステンは頬を膨らませて、ぷんすかする。その横で、綾ちゃんが楽しそうに笑った。

 ともかく、こうして幽霊話に端を発して、わたしたちはゲシュペンストの捜索を開始した。ゲシュペンストの活動時間は、午前十二時以降。こっそりと家を抜け出し、住宅街で綾ちゃんと合流した後、捜索の効率を上げるため、二手に分かれる。わたしは、「フリューゲン・フェアファーレン」という空を跳ぶ魔法を使って、上空から、綾ちゃんとヴェステンは、携帯電話片手に地上から、ゲシュペンストを探す。

 だけど、一向にゲシュペンストは見つからないまま、二日が無駄にすぎて行った……。

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