表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/57

13. 祝福されしもの

 綾ちゃんがうなされ始めたのは、それから間もなくだった。それまで、幸せそうな顔で眠っていたはずが、小さくうめき声を上げ始める。苦しそうな綾ちゃんを見ているのは辛い。でも、ここは我慢しなきゃ。姿の見えないアルプの位置も掴めないまま、魔法をぶっ放すわけには行かない。

 このまま、耐え続ける時間が流れるのかと思われた矢先、綾ちゃんのお腹の辺りの空間が、一瞬だけぐにゃりと(ひず)む。そして、綾ちゃんのものでも、わたしたちのものでも、まして先輩のものでもない声が聞こえた。

「ゲゲっ、このワシが夢からはじき出されるとは。まさか、この娘……!」

 男の人の声。だけど、それはひどくしゃがれている。アルプの声に間違いない、と確信を持った瞬間、わたしの肩口でヴェステンがブルーグレーの尻尾を振った。尻尾の先から光の紋章が現れる。紋章は、ドアの隙間をすり抜けて、さっき歪んだ空間の辺りに、目印をつける。

「今だ、トーコ! あの目印めがけて、風の矢を最弱で放って!!」

「う、うん!」

 わたしは、部屋のドアを勢い良く全開にすると、右手のこうもり傘を、光の紋章に向けた。

「緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、疾風の矢となれ……ヴィント・プファイル!」

 傘の先端に、窓から吹き込む夜風が集まる。そして、それは風の矢となり、鋭く歪んだ空間を切り裂いた。部屋中のあらゆるものが、疾風にあおられる。机の隅のゴミ箱が倒れ、カレンダーがばたばたと音を立て、壁にかけられた先輩の制服がハンガーごと落ちる。そして、風の矢は、壁にぶつかると四散して消滅した。

 かなり力を抑えてヴィントの魔法を放ったつもりだけど、部屋の中は荒れ放題。でも、その代わり、歪んだ空間は消え去った。残されたのは綾ちゃんのお腹の辺りに座る、トイフェルだけ。

 子どもくらいの大きさ、真っ赤なギョロ眼、大きな耳、緑の体毛に覆われた全身。宍道先輩の夢の中に現れたと言う魔物と同じ姿。アルプだ。

「ゲ、ゲゲ! お前は、ゲゲっ……ヴァイス・ツァオベリン!」

 そうでなくても大きな瞳を見開き、驚きを口にするアルプ。その足元には、赤い箱型の帽子が落ちていた。それが、姿を消すことのできる魔法の帽子「トランスパレンツ・フート」に違いない。

「綾ちゃんから離れて! アルプっ!」

 わたしはお腹から声を張り上げた。

「ゲゲっ。ワシの姿が見えるのか、ゲゲっ!?」

 どうやら、魔法の帽子が落ちている事に気付いていないみたい。アルプは慌てて右往左往する。そして、キョロキョロと部屋の中を見渡すと、お猿さんみたいに身軽に窓辺へひとっ跳び。さらに、窓枠をけり込むと、外へと飛び出した。

「アルプのやつ逃げ出した! 追うよトーコ!」

「どうっやて!?」

 窓に駆け寄って、夜の町並みを見れば、軽業師もびっくりな跳躍で、住宅の屋根から屋根をぴょいひょいとんで、どこかへ逃げて行くアルプの姿があった。

「この前おしえたやつ。『フリューゲン・フェアファーレン』だ!」

「分かった。やってみる」

 わたしは肩に乗っかるヴェステンに頷き返すと、こうもり傘を拡げて、窓枠に足をかけた。不意にモソモソっと背後で物音がする。

「ふあ? トーコちゃん、どこか行くの?」

 とろんと寝ぼけた、綾ちゃんの声。わたしは振り返って、すこしだけ微笑みながらうそぶいた。

「うん。ちょっとアルプと夜の散歩。綾ちゃんは気にしないで寝てていいよ」

「はあい。お休み、トーコちゃん……」

 むにゃむにゃといいながら、綾ちゃんは幸せそうな顔で再び眠りにつく。わたしは、囮になってくれた親友に、心の中で感謝を述べながら、窓から飛び出した。ここは二階の窓。飛び出せばそのまま、先輩の家の庭に落下してしまう。でも、わたしの体は、まるで地面から吹き上げる上昇気流に乗せられたように、ふわりと星の瞬く夜空へと浮かび上がった。

 フリューゲン・フェアファーレン。風の魔法ヴィントを応用して、空を飛ぶ魔法。わたしが地下室にもぐりこんだあの日、手に取った魔法書に書いてあった魔法だ。魔女にとっては、応用編の基礎とも言うべき魔法だけど、練習を始めて間もないわたしは、せいぜい数十メートル飛ぶのかやっと。さした傘は、羽というより、落下傘(パラシュート)。だから、住宅の屋根づたいに、ふわりふわりと跳躍して、アルプの後を追いかける。

逃亡と追撃は、十キロちかく続いた。あたりの景色はすっかり変わり、わたしの家がどの方角にあるかも分からない。ただ目の前に立ちはだかるのは、満天の星空を覆い隠す、四角いビル。アルプは、ビルの壁面を蹴りながら、召喚者の下へ走る。

「逃がすな! 袋小路に追い込むんだ!」

「うん!」

 ヴェステンの指示に従って、わたしは一度路地に着地すると、傘をたたんで呪文を唱える。

「青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水流の槍となれ……ヴァッサー・ランツェ!」

 今度は、出力を落としたりなんかしない。こうもり傘の先端から、長い水の槍が現れる。プファイルの魔法とは違い、ランツェの魔法には飛距離と追尾性がある。プファイルを魔法の鉄砲に例えるなら、ランツェは魔法のミサイルと言った方がいいのかもしれない。

「行っけぇ!!」

 わたしの掛け声とともに、水の槍は、数百メートル先を逃げていく目標を捉えた。そして、槍はわたしの意志に従って、アルプを追い越すと、その向かいにあるビルの壁にぶつかって、はじける。

「ゲヤっ!!」

 アルプは奇妙な悲鳴を上げると、身を翻しながら針路を変えた。わたしは路地を走ってアルプを追いかけながら、立て続けに、水の槍を撃った。わざと狙いをはずしつつ、アルプを路地の深くへと誘導していく。その針路を逐一ヴェステンがサポートしてくれたおかげで、それほど時間も掛からず、わたしたちは、アルプをビルと高い塀に算法を囲まれた、路地裏の行き止まりに追い込むことに成功した。

「観念しろ。女の子の夢に取り付く、変態トイフェル!」

 こうもり傘を突き出して、わたしは塀を背にするアルプに怒鳴った。アルプは赤いぎょろ眼を、僅かに潤ませながらうろたえている。

「本当はもっと痛めつけてやろうかと思ったけど、手間が省けた。さて、お前の主人の下に案内してもらおうか……」

 ヴェステンが爪を伸ばして、低めの声を作った。と言っても、男の子の可愛らしい声だから迫力はないのだけど、ギラつく爪と笑顔のギャップが、少しだ怖い。

「ゲッゲゲ! 主人? 何のことだ?」

「あんたを呼び出した、黒の魔法使いのことよ! まさか、そんなことも忘れたんじゃないでしょうね?」

 きっと、アルプはホントに自分を魔界から呼び寄せた人のことを忘れているに違いない。呆れるほど、間の抜けたトイフェルだ。

「こ、怖い娘じゃ! 怖い猫じゃ! ゲゲ、ワシはただ、娘子の夢を食いたかっただけじゃ」

「バクならまだ可愛気があるけど、あんたに夢をあらされて、生きる気力を吸い取られたんじゃ、いい迷惑だよ!」

「ホントじゃ。娘子の夢は、甘くて旨いでの……生気を吸い取るのは、夢を食う以上仕方のないことなのじゃ。すまぬことなのじゃ」

「この変態!」

 わたしが力いっぱい罵ると、アルプはシュンとなってしまった。そんな姿を見ていると、なんだか悪者に見えなくて、むしろ路地裏に追い詰めて、狂気をちらつかせて脅してるわたしたちの方が、悪者に思えてくる。

「どうする? ヴェステン」

 困ってしまったわたしは、肩のヴェステンに判断を譲った。ヴェステンも、少し拍子抜けしてしまったのか、爪を収めている。

「どうするって……このまま放っておくわけにも行かないし。なんとか、祝福されしものの居場所を思い出してもらわなきゃ、作戦は失敗だよ」

「そうだよね」

 わたしは、傘を下ろすとゆっくりとアルプに近づいた。

「ねえ、アルプ。思い出して、キミをこの世界に呼び出した人のこと。わたしたち、その人に用があるの」

「ゲ、ゲ? おもいだす?」

 ピコピコと長くて大きな耳を動かしながら、アルプは腕組みをして記憶の回路を辿る。どうやら素直なところがあるらしい。大人しくしていれば、ちょっと気味の悪いメガネザルのように思えてきた。と、その時……。

「思い出す必要なんかないよ、アルプ」

 突然、別の方向から声が響き、ビルの壁に反射する。

「冥府の煉獄に鍛えられし鉄よ、我が名と魔界の王の名において、結晶せよ! アイゼン・レーゲン!」

 それが呪文の言葉だと思ったときには、もうすでに遅かった。アルプの頭上に、漆黒の切れ間が生じて、そこから、鉄の(やじり)が雨のように降り注ぐ。一瞬のうちに、アルプの体は鉄の鏃に串刺しとなり、灰に変わった。

「アルプめ。少しばかり、間の抜けたやつだと思ってたけど、まさかここまでバカだとは思わなかった。使えないヤツ」

 吐き捨てるような冷酷な科白。そして、背後に忍び寄る気配と足音。あたりの空気が、ピリピリと張り詰める。ヴェステンの髭は震えていない。トイフェルじゃない……。

 わたしは風に吹かれていくアルプの灰を見送りながらも、きつくこうもり傘を握り締めて、振り返った。視界に、路地をこちらに向かってゆっくりと歩み寄ってくる、人影がひとつ。黒いローブ。顔の上半分を覆い隠すフード。そこから除く顎は、仮面に覆われている。そして、右手に持つのは、先端に野球ボール大の紫色をした宝石がはめ込まれた、(ケイン)

「はじめまして、トーコ。名乗るまでもないと思うけど、わたしの名はヨハネス。あなたたちにとっては、祝福されしものと言った方がいいのかしら……」

 とても丁寧な口ぶりだけど、言葉に温度はなかった。だけど、それよりも驚くべきなのは、その声が想像していた祝福されしものの声とはまったく違うことだった。ヨハネスと言う名前から、勝手にお爺さんっぽい姿を想像していたのは間違いだとしても、男の人の声じゃない。もっと若い。わたしと大して歳のかわらない、女の子の声。

「祝福されしもの……あなたが?」

「ええ、そうよ。前の体から転生して十三年。だから、あなたと同い年。驚いた?」

 祝福されしものが微かに笑った。仮面の下からもれてくるのは、確かな余裕。緊迫した空気と、敵の大ボスが現れたことに、身構えるわたしとは大違いだよ。

「ヴェステンも十三年前と変わらず元気そうね。でも、主であるトーコが、前世の記憶を持たず、転生したのは、あなたにとって不幸だった」

 そう言うと、祝福されしものは、杖を高く振りかざした。淡い月光に紫色の宝石が透き通る。やばい、魔法を唱える気だ! わたしの脳裏で警報機がわんわんと鳴り響く。

「先手必勝! 赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。なんじ……」

 とっさに傘を構えて、魔法の呪文を唱える。ところが、祝福されしものの仮面から余裕の笑みが、零れ落ちる。

「フライセン! アイゼン・レーゲン!」

 え? とおもう暇もなかった。わたしの頭上にぽっかりと闇の切れ間が生まれる。さっき、アルプを葬った魔法と同じ。でも、今度は呪文を唱えなかった。愕然とするわたしの耳に、「避けて!」とヴェステンの声が響く。はじかれたわたしは、慌てて地面に転がって、鉄の鏃から逃れた。間一髪。鉄の鏃は、雨のように降り注ぎ、アスファルトを傷つけた。

無詠唱(ニヒツ・アーリエ)固定(フェストレーグング)、そして解放(フライセン)は、魔法戦闘の基本。あれほど、あなたは魔法戦闘に長けていたはずなのに、それさえも、忘れてしまったみたいだね、トーコ」

「ニヒツ・アーリエ?」

 わたしは起き上がりながら、制服についた泥を払いのける。

「呪文を予め唱え、固定しておき、任意のタイミングで発動する、ニヒツアーリエは、相手よりも、ほんの一秒でも早く魔法を唱える必要がある、魔法戦闘では基本中の基本」

「そ、そんなのまだ習ってないわよ」

「そう……残念。十三年前のように、楽しませてくれるのかと期待していたのに。まあ、いいわ。そんなことよりも、クイズよ。わたしは、あといくつの魔法をニヒツ・アーリエしているでしょう?」

 一つじゃないの? わたしは問い返したい気持ちをぐっと抑えた。もしも、いくつもの魔法を先に唱えて固定されていたら、ことごとく、わたしが魔法を唱えるよりも早く祝福されしものの魔法が飛んでくることになる。ヴェステンは「ブラフだよ」と言ったけれど、祝福れしものに漂う余裕は、それがはったりではないことを、証明しているかのようだった。

「さあ、トーコ。十三年前わたしから奪った『生命の魔法書』を渡してもらおうかしら。あれはもともとわたしが書いたもの。あれさえ返してくれれば、あなたたちに危害を加えるつもりなんかないわ」

 祝福されしものが、左手を伸ばしてくる。

「ないよ。そんなもの、ウチの地下室にはなかった」

「えっ?」

 はじめて、祝福されしものに戸惑いが浮かぶ。

「十三年の間に、空き家になったあの家から、泥棒が持ち出したみたい。残念なのは、キミの方みたいだね、ヨハネス」

 ヴェステンがにやりとした。そして、何事か耳打ちする。わたしは、祝福されしものに気付かれないように頷いた。

「そう……誰かに奪われてしまったのね。じゃあ仕方がない、あなたたちが、先に取り返す前に魔法書を手に入れなくちゃいけない」

「そうはさせないよ! 行け、『奥義ヴェステン投げ』!!」

 わたしは、肩に乗っかるヴェステンの体を握り締めると、ボールを投げるようにヴェステンを祝福されしものに向かって投げつけた。

「うにゃあーっ!!」

 爪を突き出したヴェステンが、弾丸のように祝福されしものに迫る。その一瞬の隙に、わたしはこうもり傘を構えて、早口で魔法の呪文を唱えた。

「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の矢となれ……フランメ・プファイル!」

 傘の先から、炎の矢が放たれる。それは、あっという間にヴェステンを追い越していく。

「フライセン! アイゼン・シュパイク! アイン! ツヴァイ!」

 二度目の無詠唱。アスファルトを食い破って、地面から鉄のスパイクが隆起した。そして、アインの掛け声で、わたしの放った炎の矢が阻まれる。更に、ツヴァイの掛け声で隆起した鉄のスパイクに、ヴェステンがぶつかった。ヴェステンは「にゃあ」と悲鳴を上げて、そのままその場に昏倒してしまう。

「トーコ。今のあなたの力では、わたしの魔法に勝てない」

 まずい、このままじゃ負けちゃう……。不安が鎌首をもたげ、背筋に冷たいものが走った。次の魔法が飛んでくる前に、わたしは魔法を唱える自信がない。昨日、作戦を聞いたときに感じた不安が現実のものになろうとしている。

 ところが、わたしの不安を他所に、祝福されしものは、微かに笑うとくるりと踵を返した。

「わたしは、あなたより先に、生命の魔法書を取り戻してみせる。目的のためには、諦めない。その時まで、もっと強くなってることを期待しているわ。さようなら、現世のトーコ」

 街をすり抜けた風が、祝福されしものの体を包み込む。風は、ビルによって四角く切り取られた空に竜巻状に舞い上がった。そして風が通り過ぎると、もうそこに祝福されしものの姿はなかった。残されたのは、気を失ったヴェステンと、膝を突き愕然とするわたし。そして、夜更けの静寂だけだった。

ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ