12. おとり作戦!
「宍道先輩の言ってたのって、トイフェルなんじゃないかな?」
放課後になって、突然綾ちゃんが言った。
「わたし、あれからずーっと考えてたんだけど、先輩の言った夢の中に現れる魔物って何となく、あのアルラウネと架って言う魔物に似てるような気がするの」
午後の授業中、綾ちゃんがずっと上の空だったのはその所為か。綾ちゃんの授業態度は、いたって勤勉で、成績もいい。わたしとは大違いなのだ。だけど、午後からずっとぼんやりして、時折はっとなっては、またぼーっとするの繰り返し。何があったのかと思えば、二時間以上ずっとそんなことを考えていたのかと、思わずツッコミを入れたくなるけれど、綾ちゃんらしいといえばらしいのかもしれない。
「それでね、わたしたちで何とかできないかな。もしも、トイフェルならきっと、例の魔法書を手に入れようとしているはずだし、放っておくわけには行かないでしょ」
と、わたしに言う綾ちゃんの瞳はキラキラしていた。なんだか、期待に胸を膨らませる子どもみたい。不意に、わたしの頭に阿南くんの言葉がよみがえる。余計なことに首を突っ込んで、失敗して嫌われる……。そこに、好奇心や興味はあっても、絶対に悪意は存在していない。ただ、必死に誰かの助けになりたいと思う純真な綾ちゃんの瞳に、わたしは何もいえなかった。
とりあえず、ヴェステンにトイフェルかどうか訊いてみる。それで、トイフェルじゃなかったら、お医者さんじゃなくてただの中学生に過ぎないわたしたちは、かかわらない。という付帯条件をつけて、綾ちゃんの頼みを聞き届けた。もしも、綾ちゃんが無駄な責任感を感じているのだとしたら、友達としてわたしに出来ることは、失敗しないことだと、内心に思いながら。
綾ちゃんと別れて、家に帰ると、ヴェステンはいつもどおり、リビングのソファでくつろいでいた。夕方に放映される時代劇の再放送なんて見ながら。
「悪代官、よもや予の顔を見忘れたのではあるまいな」
『ええい、このようなところに、殿がおられるはずがない! 殿の名を騙る悪党め! 者どもクセものじゃ、出あえ、出あえ!』
「止むをえん。不埒な悪を退治手くれようぞ。いざ、成敗!」
主人公の科白を復唱しながら、ヴェステンは主人公になりきっている。テレビでは派手な音楽が流れ始め、チャバラが始まった。
「ただいま、ヴェステン。時代劇で盛り上がれる猫なんて、たぶん、世界ひろしといえども、キミくらいだよ」
「だって、面白いよ。トーコも見てごらんよ『アバレンボー殿様』」
「遠慮します。そんなことよりさ、訊きたいことがあるんだけど」
「訊きたいこと? なあに? この時代劇のことなら何でも訊いてよ」
ヴェステンのニコニコ顔は、テレビ画面に釘付けだ。わたしは、ため息混じりに「時代劇のことじゃなくって」と前置いて、宍道先輩の話を聞かせた。夢の中に現れるトイフェル、そんなものがいるのかと。話し終わったときには、ちょうど時代劇のエンドロールが流れていた。ヴェステンは、満足げに鼻を鳴らしつつ、テレビの電源を切る。
「いるよ、夢の中に現れるトイフェル」
静かになったリビングに、ヴェステンの声が響く。
「名前はアルプ。コボルトやアルラウネと同じく、低級のトイフェルだけど、たちが悪いのは、姿を隠して現れ、そして人の夢の中に入り込んで、その人の生気を奪う。きっと、その先輩って人はアルプに取り付かれてる」
「でも、祝福されしものが呼び出したトイフェルなら、ここに来るはずでしょ? だって、あいつらは魔法書がここにあるって思ってるんだから」
わたしが、疑問を投げかけると、ヴェステンは少しだけ難しい顔をした。
「たしかに、トイフェルは祝福されしものの命令で、生命の魔法書をさがしてる。だけど、地下室に魔法書がないことをあいつらは知らない。それは、アルラウネが言ってたから、間違いない。でも、アルプってバカなんだ」
「は? バカ?」
「そう。アルプはかつて、妖精に近い存在だったんだ。童話の本で、エルフとかドワーフって聞いたことあるでしょ? アルプは彼らと同じ種族で、金属細工に長けた一族だった。ところが、ある日、悪魔に魅入られて、魔界に堕ちた。そのときから、知能を捨てて、人間の夢の中に忍び込み、その人の生きる気力を餌にするようになったんだ。楽な道を選んだんだね。考えるよりも、本能で生きる方が楽だから」
「じゃあ、もしかして、アルプは魔法書のことを忘れてるの?」
「多分。怠惰こそ、アルプの本質で、もともと召喚者の命令に従うようなやつじゃない。どうやら、祝福されしものは、まだ本当の力を取り戻していないみたいだ。チャンスかもしれない」
ヴェステンが思慮をめぐらせる。なにかよからぬ作戦を思いついたらしい。横顔がにやりとする。わたしは、ヴェステンが口を開く前に、綾ちゃんが信じ先輩を助けたがっていることを話した。
「綾がそんなことを? 良いかもしれない。綾に囮になってもらおう」
「だめだよ! 危険に巻き込むことは出来ないよ」
わたしが大声で言うと、ヴェステンは少しだけ笑って、
「大丈夫、一度夢に取り付かれたくらいで、その先輩みたくなったりしないよ。何度も取り付かれるうちに、生きる気力を奪われていくんだ。それに、アルプが好むのは女の子の夢なんだ。綾は、囮に最適だ」
と、事も無げに言ってのける。
「そんな綾ちゃんを囮にするなんて……。前言撤回! ヴェステンってヒドイやつだったんだね!」
「聞きなよ、トーコ! 肝心なのはこの先。アルプは、バカで軟弱なヤツ。綾の夢から引き剥がし、ある程度痛めつけたら、必ず、召喚者のもとに逃げ帰る。ぼくたちはそれを追いかける。そして、まだ本当の力を取り戻してない、祝福されしものを見つけて倒すんだ」
ヴェステンのエメラルドグリーン色をした瞳が、まっすぐわたしを捉える。
「これは、チャンスだよ。上手くいけば、綾を二度と危ない目にあわせることもないし、永きにわたる因縁にも決着がつけられる」
確かに、一理ある。とわたしの心が言う。これで、カタがつくなら、それに越したことはない。だけど、不確かな要素も多い。アルプが本当におバカさんなのか、祝福されしものが本当の力を取り戻していないといえるのか。それに、綾ちゃんが囮になることを了承してくれるかどうかも分からない。あまりにも危険すぎる。ヴェステンは「その危険を排除するために、魔法があるんだ」とわたしに決断を促した。
翌日の学校で、わたしは綾ちゃんに、囮の話を聞かせた。綾ちゃんは嬉しそうに二つ返事で了承してくれる。それは分かっていたのだけど、わたしとしては、友達を危険な目に合わせるのは、やっぱり気が引けた。
「ホントにいいの?」
何度そう尋ね返したか分からない。仕舞には、「くどいよっ!!」と、綾ちゃんに怒られる始末。仕方ないといえば、聞こえは良くないかもしれないけど、綾ちゃんのやる気とヴェステンの言葉を信じて、作戦を決行するしかないと、わたしは腹をくくった。
作戦はこうだ。宍道先輩の家に泊まり、綾ちゃんが宍道先輩に成りすまして、ベッドに横たわる。窓は開け放しておく。アルプがやってきて、綾ちゃんの夢の中に入ったら、隠れていたわたしとヴェステンで綾ちゃんの夢からアルプを引き離す。そして、魔法である程度痛めつける。そうすれば、アルプは召喚者てある祝福されしものを頼って、逃げていくはず。わたしたちは、それを追いかけて、アルプと祝福されしものをやっつける。
口で言うのは簡単だけど、わたしは心のどこかで不安を隠せないでいた……。
その日の放課後、わたしと綾ちゃんは早速、宍道先輩を訪ねた。先輩は、人のいなくなった教室の隅っこで、真っ青な顔をしてうずくまっていた。わたしたちが教室のドアをくぐって、先輩に声をかけると、先輩は何かにおびえるような瞳でビクっと震えた。
「あなたたちは、たしか昨日、中禅寺の占いに」
先輩は記憶の糸を手繰り寄せた。昨日の今日だから、わたしたちの顔をおぼろげに憶えていたんだと思う。
「はい。わたし、一年の中野東子です。で、こっちが、友達の」
「田澤綾です」
と、わたしたちはそろって自己紹介をする。ほぼ初対面の相手の突然の来訪に、先輩は少しだけ怪訝そうな顔をしていた。そんな先輩は、頬もげっそりとやせ、目もうつろ、とてもバレー部の主将という風格は見えなかった。
「なあに、なにかわたしに用?」
警戒心たっぷりな声も、心なしか元気がない。ともすれば、グラウンドから聞こえてくる運動部の掛け声にかき消されてしまいそうだ。わたしは、言葉を選んで先輩の警戒心を解きながら、二人で事情を説明した。だけど、いきなり、トイフェルだなんて言っても、理解してはくれないのは明白だ。だから、事実を少しばかり捻じ曲げる。そう、たとえばこんな風に、
「わたし、霊感が強いんです。だから、先輩の夢に取り付いた悪い幽霊を追い払うことができると思うんです」
って。こんなバレバレの嘘を信じてもらえるかどうかは、怪しいところだった。話を聞き終わった先輩は、なおさら怪訝な顔つきで、
「どうして、わたしを助けてくれるの?」
と、問いかけてくる。たしかに、わたしたちは部活の後輩でもなければ、昨日のお昼休みまで、顔も知らなかった。疑うのも無理はない。どう答えたら良いのか、わたしは思わず悩んでしまった。すると、横から綾ちゃんが、フォローを入れてくれる。
「それは、昨日先輩がものすごく困ってるみたいだったから、とても心配になったんです。わたしたちでお役に立てるなら、無視しちゃいけないって思ったから」
「そう……ありがとう。じゃあ、お願いしてみようかな、ダメもとで」
先輩は力なく笑って、わたしたちの作戦に乗ることを同意してくれた。きっと、藁にもすがりたい気持ちだったんだと思う。
ヴェステンとは校門で待ち合わせる、手はずになっていた。
「上手くいった?」
自宅へと案内してくれる先輩に聞こえないよう、小さな声でヴェステンが囁く。わたしは、夕日に陰を作る先輩の背中を見つめながら、無言で頷いて、右手のこうもり傘を、ぎゅっと握り締めた。
先輩の家は、住宅街の真ん中にあった。白い壁と青い屋根の、ごく普通の一軒家。ここからだと、わたしの家は学校の向こう側になる。かなり遠いこんな場所に、アルプは主の命令を忘れて出没しているというのだから、ヴェステンの言うとおり、おバカさんなのかもしれない。
「どうぞ、上がって二人とも、ウチ、お父さんもお母さんも仕事で忙しくしていて、留守がちなの。だから、遠慮しないで」
と、先輩は言って、わたしたちを家の中に通してくれた。
日が暮れるまで、ヴェステンと作戦の確認をしていて、わたしはお父さんに外泊することを伝えていないことを思い出した。心配しちゃいけないから、とわたしはすぐにメールを送った。
「今日、友達の家に泊まるから。夕飯は一人で食べてね。ごめんなさい」
なんだか、素っ気無い文章に、お父さんは「なんだよう。さびしいじゃないかよう」と、まるで駄々っ子みたいに拗ねた返事を返してきた。もちろん、それ以上は取り合わない。お父さんには悪いケド、今はトイフェルのことに集中したい。
夕飯は、三人で作った。わたしがヴェステンと打ち合わせている間に、綾ちゃんが買い出しに行ってきてくれたのだ。メニューはカレーライス。元気がないとき、食欲がないときには、カレーを食べるのが一番いい、とヴェステンかアドバイスしてくれたから。
でも、先輩はほとんど口につけなかった。カレーが不味かったわけじゃない。アルプに生気を吸い取られているからなのだけど、そのことを先輩は知らない。何度も「ごめんね」とか「迷惑かけて」と、落ち込んだワードが漏れる。綾ちゃんじゃなくても、真っ暗なオーラを背負った先輩を見ていると、心配になってくる。
「友達は、みんなわたしのこと気味悪がるの。あなたたちが、来てくれて嬉しいのよ、それだけはホント」
先輩は悲しそうに目を伏せた。テーブルの隅で、ミルクを舐めていたヴェステンも、少しだけ心配したように、先輩の顔を覗き込む。
「キミもね、猫くん」
そっと、先輩の手がヴェステンの頭を撫でる。ヴェステンは猫になりきって、可愛く鳴いて見せた。きっと、慰めの言葉のつもりなのかもしれない。
「大丈夫です。きっと、トーコちゃんがまほ……じゃなかった、霊能力で悪い幽霊を追い払ってくれますよ」
ヴェステンの言葉を代弁するかのように、綾ちゃんが言った。神社の宮司さんがお払いの祈祷をするときのようなポーズまで加えて。それを見た先輩は少しだけ微笑んで、スプーンを置くと、後輩のわたしたちに「お願いします」と、深々とお辞儀した。
夕飯が終わった後、先輩には隣の部屋で寝てもらうことにした。先輩の部屋の隣は、狭い物置だけど、トイフェルが忍び込めるような窓はない。一方、綾ちゃんには、先輩に成りすまして、先輩の部屋のベッドで寝てもらう。そして、わたしは部屋の前に潜み、トイフェルが現れるのを待った。
夜は徐々に更けていく。そっと三センチくらいドアを開けて、部屋の中の様子を探るけれど中々、トイフェルが現れる様子はない。ただ、綾ちゃんの可愛い寝顔があるだけだ。
「もう、日付が変わるよ。今日は来ないのかな……それとも、ターゲットを変えたのかな」
声を殺して、いつもどおり肩にのっかるヴェステンに尋ねた。危うくウトウトしかけた頭を、はっきりさせたかったのもある。
「それはないよ。アルプは、取り付いた人間を殺すまで、生気を奪い続けるんだ。だから、今夜もヤツは絶対現れるよ」
「このままじゃ、わたしが寝ちゃうよ。わたし、徹夜苦手なんだよ」
「我慢してよ。眠くなったら、ぼくが爪でトーコの顔を引っかいてあげるから」
ニコッとして右手の爪を伸ばす、ヴェステンの笑顔がちょっと怖い。その爪で引っかかれたら、痛いだけで済まされそうにもない、と思ったわたしは眼をこすって、必死に「眠くなんかないよ」とアピールして見せた。そして、また時間が過ぎていく。
昔から「草木も眠る丑三つ時」っていうけれど、ちょうどあたりが静けさを増す時刻、ヴェステンの髭がビリビリと震えた。
「トイフェルだ!」
ヴェステンの声に、わたしの眠気が一気に吹き飛ぶ。わたしはすぐさま、傘を握り締めると、眼を凝らしてドアの隙間から、綾ちゃんの寝息が聞こえる部屋を覗き込んだ。
ゆっくりと窓の施錠は解かれ、窓が音もなく開いた。ところが、開いた窓から入ってくるのは、やや日中の熱を残した夜風だけ。だけど、偶然に窓が開いたわけじゃないし、ヴェステンの髭はビリビリしているままだ。
「どうなってるの?」
わたしが小声で尋ねると、ヴェステンは食い入るように窓辺を見つめ、はっとなる。
「たしか、美月はトイフェルが変な帽子をかぶってるって言ってたんだよね?」
「うん。そうだよ、昨日中善寺さんに、そう話してた」
「ぼくは、なんてうかつだったんだろう! きっと、それは『トランスパレンツ・フート』だ!」
舌を噛みそうな単語とともに、ヴェステンが、悔しそうに歯噛みする。
「トランス……?」
「トランスパレンツ・フート。姿を見えなくする、魔法の帽子。魔界に堕ちたアルプが手に入れたものなんだ」
「そんなっ!!」
作戦の出鼻をくじかれた! 相手の姿が見えなくちゃ、戦うことなんて出来ない。わたしは、慌てて部屋の中に乗り込もうと、立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
「待って、トーコ。チャンスはまだあるよ! アルプが綾の夢に取り付くまで、我慢するんだ!」
ヴェステンがわたしの勢いを押し留める。姿の見えない敵……、どうやってヴェステンはアルプ戦うつもりなのか、わたしには分からなかった。ただ、傘を握る手に力がこもる。
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