1. 魔女の家
これまで、いろんな小説をこちらのサイトに投稿させていただいていますが、わたしは総じてファンタジーモノには触れないようにしてきました。(何故なのかは、活動報告にて)
と、いうことで満を持して(?)ファンタジー小説に挑戦することにしました!
いろいろとツッコミどころが出てくるかと思いますが、それらも含めて、是非最後までお付き合いいただけたら、幸いかと存じます。よろしくお願いいたします。
「今日から、ここが俺たちの住まいだ!!」
お父さんが突然、爆発した。
わたしのお父さんは公務員らしく、口数も少なくて、まじめだけが取り得のような人で、決して娘のわたしを驚かせるような行動をするような人じゃなかった。それが、ある日突然家を売り払うと、郊外に引っ越すと言いはじめたのだ。
引越しというのは、十三歳のわたしにとって、大問題だった。生まれて十三年の間、見慣れてきた街を離れることはもちろん、転校もしなきゃいけないし、仲のいい友達とも離れ離れになってしまう。それを仕方ないと言ってしまえばそれまでなんだけど、父のわがままで引っ越すことになるのは、ちょっとだけ納得できなかった。
「どうだ、すごくいい家だと思わないか、東子! 父さんな、こういう家に住むのが、ガキのころから夢だったんだようっ!」
と、言ってお父さんは新しい住まいを指差した。新しい住まい、といえばとても聞こえがいいけれど、わたしの目の前にあるのは中古住宅。しかも、ただの中古じゃないから、これまた問題だったりする。
繁華街からも、住宅地からも遠く離れた郊外の森の奥。あたりは、初夏の青空がさわやかに広がり、悠然と雲が流れているというのに、そこだけはうっそうとして、じめじめして、薄暗い。そんな森の奥に伸びる、舗装もされていない小径を歩いた先に、ひっそりとその中古住宅は佇んでいた。
「これが、新しい家なの?」
思わず尋ね返さずにはいられない。だって、目の前にあるのは、まるで魔女でも住み着いていそうなくらい、気味の悪い、ボロボロの洋館なのだ。あらかじめ、確認しておくと、わたしは日本人。お父さんも日本人で、そんでもって、ここは日本。だけど、その暗い森と洋館だけが、綺麗に切り取られたように、別世界に見える。
レンガ造りの塀も、ワシのレリーフが飾り付けられた格子の門扉も、ツタのまとわりついた家の壁も、これがヨーロッパの童話なら、ホントに魔女のおばあさんが「イッヒッヒッ」と笑いながら、巨大なツボの中に入れられた紫色の液体をぐらぐら、かき混ぜていそうな気がする。
百歩譲って、引越しするのは我慢するとしても、この薄気味悪いお化け屋敷には、住みたくない。わたしは魔女じゃないし、お化けでもなくて、ごくごく普通の小学生なんだもん。わたしには、わたしの理想ってものがあるんだ。
「まさか、お化けとか、出てきたりしないよね?」
「出るかな!? 出てきてほしいなぁ! そうしたら、俺と東子とお化けで、夜な夜なダンスパーティするんだ。ホーンテッド・マンションみたいで、きっと楽しいぞ!」
「やっ、それは嫌だよっ、お父さん! わたしがお化け嫌いなの、知ってるでしょ?」
「おや、そうだったのか? 慣れだよ、慣れ。何事も、慣れれば楽しいって昔から言うじゃないか」
お父さんは、子どもみたいに眼をキラキラ輝かせていた。わたしはといえば、新しい住まいと、お化けにうんざりしながら、肩を落とすほかなかった。お父さんが頑固者だって知っているから、もうどうにもならないんだって分かる。こうなったら、腹をくくらなきゃダメなのかな……。
「荷物は、もう運び込まれてる。前に住んでいたドイツ人の夫婦は、十年ぐらい昔に出て行ったらしくて、あちこちホコリとクモの巣が張ってたんだけど、全部綺麗に掃除して置いたから」
レリーフつきの門扉を開いて、玄関へのコンコースを歩きながら、お父さんが言う。わたしの落胆なんて、お構いなしって感じだ。
「どうせ、十和田さんをこき使ったんでしょ?」
わたしは、コンコース脇の庭を見回しながら言った。庭はかつて、綺麗な花畑だった名残を少しだけ残している。だけど、十年の間、ほったらかしにされた所為か、雑草にまみれてしまい、綺麗な花なんて見つかりっこなかった。
「こき使ったとは失敬な! 十和田は俺の大学時代の後輩だ。ヤツは、喜んで手伝ってくれたぞ」
どうだか……といいたい気持ちをぐっと抑える。こんな魔女の館かお化け屋敷みたいな家の前で、お父さんと口論なんてしたくない。お父さんの後輩の十和田さんには悪いけど。
コンコースを進むと、玄関にたどり着く。玄関の扉は、ライオンのノブが取り付けられ、年代を感じさせる重苦しいつくりだった。それをお父さんが嬉しそうに開くと、悲鳴のような扉の開く音ともに、ムッとしたカビの臭いが鼻を突く。
「住んでれば、カビの臭いなんて、生活の臭いに追いやられてしまうものだ」
と、お父さんは言うけれど、きっとしばらくは大掃除しなければならないんだろうな、とわたしは思った。
玄関ホールは吹き抜けになっていて、広々としている。洋館といっても、日本で建てられた家屋だから「上がりかまち」っていうものがあって、靴を脱がなくちゃいけない。スリッパはすでに用意されていて、わたしとお父さんはそれに履き替えると、家の中に上がった。
まだあちこちに、前の家から運んできたばかりの荷物が山積みになっている。引っ越す前、あのダンボールに食器や衣類を詰め込む手伝いをしていたときには、まさかこんな洋館に住むことになるなんて、これっぽっちも思ってなかった。
そんなダンボール箱を横目に、お父さんはわたしに家の中を案内してくれた。一階は、応接間、書斎、リビングとダイニング、それにお風呂場と洗面所。外観とは打って変わって、とても綺麗で、洋風のたたずまいが落ち着いた感じ。ちょっとステキだな、なんて思ってしまう。だけど、どの部屋もかなり広々としていて、父娘二人で暮らすには、もてあましてしまいそう。
「次は二階だ! もう、お前の部屋にもお前の荷物を運び込んであるからな」
お父さんは、かなり興奮気味に鼻を鳴らす。引越しのことも、この家のことも、部屋割りのことさえも、たった一人の娘に何の相談もなく、お父さんは決めてしまった。今更反対しても、お父さんの機嫌を損ねるだけだと、分かっているわたしは、「しかたがない」という気持ちをありありとさせて、お父さんに続いて、玄関ホールから伸びる階段を昇った。
その途中、わたしは階段脇のスペースに、ひと一人が通るのがやっとという大きさの、小さな扉があることに気づいた。他の部屋の扉みたく、装飾もなければ、あまりにも貧相な扉。あの奥には何があるんだろう。何故だか、わたしの心はその扉に釘付けになった。
「お父さん、あれはなあに?」
「ん? ああ、あれは、地下室のドアだ」
お父さんは、階段を昇る足を止めて、手すりから身を乗り出すようにして、わたしの指差した方を見る。
「物置にしたいんだが、前の住人の荷物がそのままになっているんだ。危ないから、片付けが終わるまで、入っちゃダメだぞ!」
と、わたしの小さな好奇心を押しつぶすように忠告すると、お父さんはつかつかと階段を上がっていってしまった。わたしも慌てて、お父さんの後を追いかけて、階段を昇った。
二階は、小部屋が五つ。わたしに与えられたのは、西側の一番奥の部屋。部屋のドアには、前の家で使っていたネームプレートが取り付けてあった。
「一番見晴らしのいい部屋だ!」
と言って、お父さんはわたしを部屋に案内した。確かに、見晴らしはいい。部屋の西側と南側に窓があり、薄暗いはずの森に差し込む太陽の光を取り込んだ、明るい部屋。少し、壁紙や調度が古臭いのは、あとで手直しすればいい。ぬいぐるみを置いたり、可愛いじゅうたんを引けば、きっとマシになるよ。
「ね、お父さん。わたしのタンスがないよ」
ふと、部屋の中に服を仕舞うタンスがないことに気づく。そんなにたくさん洋服を持ってるわけじゃないけれど、服を仕舞うタンスがなくちゃ困る!
「あれか、あれはお荷物になるからな、きっぱり棄てちまった!」
「ええっ! 何で!?」
お父の発言に、今日は何回びっくりさせられるのだろう。だけど、お父さんはニコニコしながら、「心配するな」と言って、部屋の置くにつかつかと歩み寄る。そして、壁に取り付けられた扉のようなものを開いた。
「みろ、大容量の押入れだ」
自慢するかのように、お父さんは言う。
「違うよ。それって、ウォーク・イン・クローゼットって言うんでしょ? でも、わたしそんなに服持ってないから、前の白いタンスの方が良いよう」
「それなら、服くらい買ってやるさ。女の子は、可愛い服で着飾りたいものだろう?」
「それは、そうだけど……そんな風に、ミもふたもない言い方されると、ちょっと腹立つよ」
「なんだ、身も蓋もないなんて、難しい言葉を使うんだな。東子は、もうすこしわがままを言いなさい」
なんという、ムチャクチャな命令なんだろ!
「東の一番奥の部屋が、父さんの部屋だ。他の部屋には、クロゼットがないからな、だから、お前の部屋をここにすることにしたんだ。どうだ、気に入ったか?」
「うーん。多分……。ね、ホントにここに住むの? 前の家じゃダメなの?」
わたしは、お父さんの目を見て、尋ねた。別に前の家に住むことに、何か問題があるわけじゃないハズだ。小さな一軒家だったけど、近所の人とも仲良くやっていたし、なによりも……。
「あそこには、思い出が詰まりすぎている。我が、中野家が新しい門出を迎えるためには、過去なんて振り返っちゃダメなんだ! わかるだろ、我が愛娘よっ!」
お父さんが明後日の方向を見据えて、わたしに言い放つ。だけど、その言葉はお父さんの本音なんかじゃない。だって、簡単に捨て去れるほど、前の家に詰まっているのは、ちっぽけな思い出じゃないから。それでも、お父さんの言うとおり、振り返っていたら多分、わたしたちは前に進めない。
だって、わたしたちは生きているんだから。
「転校の手続きは、十和田にやらせておいた。こういう時に、役所に勤めてて良かったと思うよ」
そう言って、お父さんがクローゼットの中から取り出したのは、新しい中学校の制服。赤いリボンが良く似合う、セーラー服だ。
「手際良いんだね。まったく、もう。これじゃ、ここに住むしかないじゃん!」
「うむ。観念したか? 東子」
新品の制服をわたしに突き出して、したり顔をするお父さん。半ば、諦めのため息を吐き出した。お父さんは、それにまったく気づいていなかった。
「カンネンしました」
「よし! 東子が聞き分けのいい子で助かったぞ」
そんなお褒めの言葉をもらっても、あんまり嬉しくないよ。せめて、ホントにお化けが出てこないことを願うだけ。そんな風に思いながら、わたしはそっとベッドの隅に腰を下ろした。
これから始まる、わたしとお父さんの暮らしが、とても波乱に満ちた船出になりそうな予感だけが、わたしの胸の辺りを通り過ぎていく。子どもだからって、やっぱり引越しに不安がないわけじゃない。
まして、あんなことがあって、まだ三ヶ月しか過ぎていないというのに……。
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