第6話
時は少し遡り、ヴェルムとミモザ、キコとアイシャが出て行った直後の応接室。
商会の方針について詳細を詰めるという名目でサラにこの場に残るよう言われたジグだが、彼はどうにも心ここにあらずといった様子だった。
「毒エルフとあの純粋無垢そうなお嬢さんを二人にして大丈夫か? 悪い影響でも受けたらマズいだろ」
「ヴェルムにそんな影響力──っていうか、コミュ力があるわけないじゃない。むしろ、ミモザの空気にあてられて真面目に先生やってると思うわよ、私は」
「…………」
承認欲求に飢えている根暗エルフが張り切っている様が容易く想像でき、ジグは口を噤んで天井を見上げた。
だがまた直ぐにポツリ。
「……見回りをキコ一人に任せるのは──」
「むしろキコ以上の適任はないでしょ。知性の無い魔物相手は別として、対人戦においてあの子の弱さは武器よ。本人も自分の使い方を良く心得てる。情報収集も含めて、あたしたちが手伝ってもむしろ邪魔になるだけだわ」
「…………」
知ってる。裏社会にどっぷり浸かって長く、数多くの強者や曲者を知るジグだが、その中でも特に誰を敵に回したくないかと問われれば一番にキコの名を挙げるだろう。
師でもあるローグギルドの長などは分かりやすい化け物だが、それは通じるかどうかは別にして対策の出来る“強さ”だ。だが強さには対策できても、弱さにはそれができない。したつもりでも、意味をなさないと言うべきか。
キコが一人で大丈夫だと判断したなら余計な手出しをすべきではなかった。
「じゃあ具体的に今後の方針について話をしましょうか」
「……そーだねー」
「といっても、表の方針はさっきみんなの前で説明した通りよ。経営資源を薬舗に集中して、まずは小規模から経営を立て直す。元々ゴトーの妨害が入るまでは固定ファンも多かったからね。ローグギルド経由のルートと妨害の及ばない東方群島の伝手を使えば最低限の仕入れは確保できる。ヴェルムの腕があれば最低限見栄えは整うでしょ」
商品を薬に絞ったのは、薬であればローグギルドの伝手でゴトーの妨害を受けない仕入れルートを確保できるというのも大きかった。
だがそれは、裏を返せば医療業界最大手のゴトーに真っ向から喧嘩を売るということでもある。
「……間違いなく、ゴトー商会はキレてちょっかいかけてくるだろうな」
「でしょうね」
「でしょうねって……」
あっけらかんとしたサラの態度にジグは絶句する。
「ゴトーは慎重な男よ。手を出す前に誰がバックに付いたかぐらいは必ず確認するだろうし、相手がローグだと分かれば無理な力攻めはしてこないと思うわ」
ジグはゴトーという人物については何も知らないが、サラがその辺りの人物鑑定を誤ると思わない。彼女がそう読むのなら、それは恐らく正しいのだろう。
「だとしても、だ。裏にローグギルドがいるからって素直に引くようなタマなら、最初からあんなゴロツキどもを使ったりしねぇだろ。搦め手での妨害はあるだろうし俺らに直接接触してくる可能性も──ああ。ひょっとしてそれが狙いか? 店の価値を吊り上げた上で、ゴトーに高値で吹っ掛けて丸ごと売っ払う」
であればサラがこんな儲けになるかどうかも怪しい話に付き合っていることにも説明がつく──
「ハハハ──次、そんなふざけたこと言ったら潰すよ?」
「…………」
──のだが、絶対零度の眼差しでサラに射竦められ、ジグは口を閉じた。
どう考えてもそういう話の流れだったのに……解せぬ。
黙り込んだジグにサラは表情を緩めて話を続けた。
「でもまぁ、ゴトーが大人しく引くようなタマじゃないってのは同感。必ず妨害はあるでしょうし、それこそ今あんたが言ったみたいに金でカタをつけようと交渉を持ち掛けてくる可能性は高いわ」
「だよな?──でも、お前はそれに応じるつもりはない、と」
「ええ」
「…………」
キッパリと言い切られて、ジグは頭を掻きながら天井を見上げる。
サラの目的や動機は気にはなったが、質問しても恐らく答えてはくれないだろう。だから別の問題を提起する。
「……俺らがゴトーのとこと揉めるのは問題ないのか?」
「それはウチのギルドとの絡み?」
「ああ。幹部連中を敵に回すようなことになれば俺は尻まくって逃げるぞ」
一部の商人はローグと繋がりを持っており、場合によっては同業者と敵対する可能性もあった。
一応、ギルド員同士の揉め事はご法度とされているが、ちょっとした衝突や小競り合いまではコントロールできず黙認状態。もしゴトーがギルドの幹部あたりと繋がりを持っていたら、自分たちでは分が悪い。
「そこは安心していいわ。ゴトーはウチと直接の繋がりはないから」
「ほ? 荒事好きみたいだけど全く誰とも?」
「荒事好きだからこそ、じゃない? ゴトーの規模とやり口じゃ、自前で戦力抱えた方が安くつくもの。勿論、情報源としての伝手はいくつか持ってるみたいだけど、繋がりって言えるほどのものじゃないわ」
「あ~……まぁ、みかじめ料って感じじゃねぇもんなぁ」
先ほど一部の商人はローグと繋がりを持っていると言ったが、その多くは所謂用心棒契約。契約するローグを通じてギルドにみかじめ料──分配は原則ローグ個人とギルドで半々──を支払う代わり、ギルド員はその店に対する悪さを控え、また何か揉め事があった時はローグが仲裁に入るというものだ。
みかじめ料自体はさほど高額ではなく、酒場などトラブルの多い業種ではほとんどがこうした契約を結んでいる。
だがこれはあくまで受動的なものであり、ローグギルドを後ろ盾に好き勝手振る舞えるといったものではない。中にはギルド幹部とズブズブの関係となり質の悪い商売をしている商人もいないではないが、これは誰にとってもリスクが高く、滅多にあることではなかった。
「業種的にウチの世話にならなくてもおかしなことはないし、あの規模じゃみかじめ料も馬鹿にならない。一応、過去に誘いをかけた連中はいるけど、戦力は自前で揃えてるってんで全部断られたみたいよ」
「ふぅむ……てことは戦力は表にいたゴロツキだけ?」
「スポットで傭兵や冒険者を雇うことはあるみたいだけど、常備戦力はそんな感じ。そもそも医療業界自体が荒事とは無縁だし、あんなゴロツキでも過剰戦力なのよ」
「あの連中はあくまで威嚇用。本命はあくまで商取引上の圧力ってことか」
「そゆこと。荒事に関しては素人の域を出ないし、むしろそっちで攻めて来てくれた方があたしらにとっては楽かもね」
「…………」
そうサラの見解を説明され、ジグは改めて頭の中でその内容を精査した。
ゴトーはローグギルドと深い繋がりがない──これは知らべればすぐに分かることだし、確認は必要だがサラがそんな詰まらない嘘を吐くことはあるまい。
ゴトーは荒事好きではあるが抱えている戦力は大したことはない──これも確認は必要だが、まあ信じていいだろう。相応の能力を持っていて信頼できる人材というのはそこいらに転がっているものではないし、育成も維持も費用が馬鹿にならない。そこいらのゴロツキを雇うのとは根本的に事情が異なるのだ。
結論としてゴトーからの直接的な妨害はさほど気にしなくても良い。
勿論それは非合法な分野に限った話であって、商売の世界におけるゴトーの影響力がどの程度のもので、今回この商売の話が上手くいくかは別問題。素人であるジグには全く判断がつかなかった。サラもそれは同じことだろうが、百回やって百回成功する商売なんてのはこの世界のどこにも存在しないし、商売に手を出すならそういうものだと割り切るしかないのだろう。
後具体的に問題があるとすれば自分たちローグが商会の裏にいるという事実が、商取引に悪影響を及ぼすリスクぐらいだろうか? 一応隠蔽はするにせよ隠しきれるものではないし、ゴトーがリークする可能性もある。
──とは言え、そこはこいつがどうとでも誤魔化すんだろうなぁ。
サラはどうやらあくまで経営者はミモザ、というスタンスをとるらしい。
本来、ローグが商売に関わっているなどマイナスイメージしかないが、この商会はゴトーから妨害を受けていたという実績がある。ジグたちが商会に出入りしていても、周囲はゴトーの嫌がらせから身を護るためみかじめ料を払っている、としか認識しないだろう。そのあたりの情報操作はサラの得意分野だし、言わなくても上手くやる筈だ。
後は出資金。どの程度の額を求められるのか恐々としていたが、サラが本当に欲しかったのは実働戦力としてのジグたちだったようで、提示された最低額は控えめだった。勿論、今後の影響力を考えれば多く出すに越したことはないだろうが、どうあれ商売が失敗してもやり直せる程度の蓄えは十分に残せそうだ。
つまりサラが開示した情報が全てであるという前提の上ではあるが、この出資話はそれほど大きなリスクがあるものではない。
「…………」
「何? まだ何か気になることでも?」
「いや別に……」
「別に、って顔じゃないでしょ」
サラが呆れたように嘆息する。
言われてジグは、ようやく自分が今一つこの話に乗り気になれないことを自覚した。悪い話ではない。自分たち向きでもある。冒険者を辞めた以上、何か始めなくてはならないのは間違いない。にも拘らず、だ。
──冒険者に未練がある? いや……
それはない、と思う。その筈だ。
答えの無い思考を振り払うようにジグは無言で立ち上がった。
「どうするの?」
「……取り敢えず、そのゴトーとやらについてもうちょい調べる。お前も調べたんだろうけど、情報はいくらあっても困らないだろ?」
サラはジグの判断に対しては何も言わず、代わりにポツリ。
「あのさぁ……そうやって言い訳しながら生きんの、正直どうかと思うよ?」
「…………」
言っている意味が分からない──そう返そうとした言葉は声にならず、ジグは無言で応接を後にした。




