第5話
「ふむ……このリストにある原料は今後も安定して入手可能なのか? 量の不足や値上がりのリスクを含めての話だ」
「えっと、はい! た、多分大丈夫だと思います」
ヴェルムとミモザが商会備え付けの調剤室で薬とその原料のリストを覗き込み、真剣な表情で何やら話し合っていた。
ミモザとサラからこの商会のおかれた状況を伝えられた一行は、まず三組に分かれて現状把握と課題整理のために動き出した。まだこの商会に出資し再建すると決めたわけではなくあくまで事前調査。とは言えヴェルムもジグも、そしてキコでさえ『嫌だと言ってもサラに無理やり巻き込まれるんだろうなぁ……』と半ば諦めの境地にあり、調査には出資前提でかなり真剣に取り組んでいた。
「多分ではいかん。不確実な期待に頼っていては遠からず破綻する。確実に、自信を持って大丈夫だと断言できるものだけをリストアップするのだ」
「…………」
「何だ? 言いたいことがあるならば言うがよい。貴様ら命短き者の取るに足らぬ疑念を解消してやるのも、吾輩のような偉大な研究者の務めよ」
美形揃いで知られるエルフの中でも更に傑出した美貌を持つヴェルム。その口から吐き出されるアクの強い言葉にミモザは驚き戸惑っていたが、気を取り直して口を開く。
「その、さっきの皆さんの話だと、当面ウチの商会で取り扱う商品は薬に絞るという話でしたよね?」
「うむ。貴様の両親がやっていたように日用品と薬を同じ店舗とで取り扱うスタイルは、集客力という点では理にかなった方法だが、吾輩たちが実行するには人手が足らん。ゴトーとやらの妨害を考えれば仕入れも不安定にならざるを得んだろうしな。であれば経営資源を薬に集中した方が良い。薬は利益率が良いので少量からでも十分商売として成り立つだろう」
ヴェルムはさも自分の意見のように語っているが、発言内容は先ほどサラが全員の前で語った方針の丸パクリである。
ミモザはそのことにはツッコまずスルーして続けた。
「集客ツールとしての日用品の取り扱いを見送る以上、その分お薬のラインナップは充実させる必要があると思うんです。やっぱりお客様からすればどんな病気や怪我にも対応できるっていう安心感が一番大切じゃないですか。元々ウチのお店は東方群島の薬草を取り扱ってるってことが売りでしたけど、それだって基本的なお薬が一通り揃ってることが前提にあったんじゃないかなって」
「うむうむ。愚民どもは自分にどんな薬が相応しいかなど判断できぬからな。ほとんどの者は医者や薬師に勧められたものを言われるがままに買う。だからこそ奴らは実際に自分が選ぶわけではなくとも、多くの選択肢があり、その中から選ばれたという事実に安心感を得る。貴様のその考えは正しいぞ」
ヴェルムは年齢の割にしっかりした意見を持っているミモザの言葉を、腕組みしながら満足げに肯定する。
「ですよね? だとしたら多少無理をしてでも薬のラインナップは充実させなきゃ駄目なんじゃないんじゃないかと思うんです、けど……」
言いながらミモザの語尾は自信なさげに掠れた。
彼女の主張したかったことはつまり、仕入れに制限のかかったこの状況で安定して作れることを前提とした商品ラインナップではニーズに応えられず顧客が離れてしまうのではないか、というもの。
だが一方で原料の仕入れが滞れば商品は作れなくなるし、一度ラインナップに上げあると期待させておいて提供できなくなってしまえば顧客により強い落胆を抱かせることになる。ミモザは口にしながら、自分でもどちらの選択が正しいのか分からなくなっていた。
「安心しろ」
それに対するヴェルムの言葉はシンプルで自信に満ちていた。
「貴様の両親の店で取り扱っていた薬のラインナップは確認したが、東方由来のモノを除けば特殊なものはない。原料は代用が利くものが多いし、最悪ローグギルドを通じて仕入れを行えば九割方カバーできるだろう。ただその場合、仕入れ値が正規のルートより二割ほど割高になるからあまり望ましくはないがな。いずれにせよ以前と同水準以上の品揃えは吾輩が保証しよう」
「…………」
「何だ、その間抜けな顔は?」
「あ、いえ……えっと……」
まだ何か言いたいことがありそうなミモザの様子に、ヴェルムはその態度から内容を察し、目を細めて鼻から息を吐く。
「ああ、言いたいことは分かった。ローグギルドで扱っているのはあくまで毒であって薬ではない。また吾輩は毒の研究者であって薬は専門外。どこまで信用していいものか──そう疑念を持っておるのだろう?」
「いや、その…………はい」
本人を目の前に言いづらいことではあるが、ミモザはヴェルムへの懸念を認めた。
ヴェルムは特に気を悪くした様子もなく、当然のことと頷きながら続けた。
「まず貴様の愚昧な勘違いから正しておくが、毒とは万象に通じる学問だ──おっと、これは毒と薬は表裏一体などといったありきたりなことを言っているのはないぞ? 真実この世に毒でないものは存在しないのだ」
「毒でないものは、存在しない……?」
「うむ。そもそも人体にとってあらゆるものは本質的に毒なのだ。薬や酒は言うに及ばず、日常的な食事でさえ摂り過ぎれば人体にとっては有害だ。生命維持に必要不可欠な水でさえ飲みすぎれば命を落とすことがあるし、呼吸により取り込んだ空気は人体を少しずつ錆びつかせていく。つまり毒の探究とは人体とこの世の関りを知る学問なのだ」
「…………」
「そして薬とは、その毒の中から人体よりも病魔にとって有害であるよう選別され調合されたモノを言う。吾輩にとっては毒も薬も違いはない。人を害する毒を作るにはその逆を理解していなくてはならぬからな。薬と名のつくものにも当然一通り習熟しておる」
ヴェルムの発言には嘘も誇張もない。齢百十三歳──エルフとしてはまだ若輩だが、その人生のほとんどを毒の探究に費やしてきた彼にとって、ヒューマンの薬学知識など遥か昔に通り過ぎた一般教養に過ぎない。
「だから安心しろ。想像力の貧相な短命種が欲する程度のモノは吾輩がいかようにも作ってやるし、貴様にもその知識を叩きこんでやる」
「──はい、先生!」
素直に、力強く返事をするミモザにヴェルムは満足げに頷き、そしてふと付け加えた。
「それと、下らん些事は他の連中に任せてこちらに集中しろ。さっきから気もそぞろなのがまるわかりだぞ」
「えっと……」
「ゴトーとやらの出方が気になる気持ちは分からんでもないが、荒事は下賤な連中に任せておけばいい」
「…………」
図星を突かれたミモザだが、実際にゴトー商会の妨害で両親の店を潰された立場としては、素直に頷けない。
「ゴトーとやらの振る舞いは商人としての道を外れている。貴様の両親は商人としてゴトーに敗れたわけではない。外れた者の相手など同じく外れた者に任せておけと、そう言っておるのだ。──それとも貴様は商人でも薬師でもなく、吾輩たちようなならず者になりたいのか?」
「……いえ」
「ならば集中しろ。貴様が目指すものは、短命種の貴様がわき見をしていて辿り着けるほど安いものではあるまい」
「……はい!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あれあれ、どこいくだ?」
「ワフッ!」
ヴェルムとミモザが今後新たな商会に並べる商品について検討していた頃、キコは使用人の老婆アイシャを引き連れて店舗敷地とその周辺を探検──あるいは散歩していた。
アイシャの視点で語るならば、話し合いに飽きたキコが建物を飛び出し、コボルト一人で動き回らせるわけにもいくまいとそれに付き添っている形だ。
この茶色の毛並みを持つコボルトは丸めた尻尾をふりふり揺らしながら興味津々に敷地内を見回り、あちこち匂いを嗅いでいる。コボルトというよりただの犬にしか見えないその仕草に、アイシャは『何故、こんな普通のコボルトがローグなんて怪しげな連中と一緒にいるのだろう』と首を傾げた。
「……まぁ、そんなに悪い人たちじゃなそうだったけどねぇ」
「ワフ?」
アイシャは先ほどまで一緒にいたローグたちを思い返しながらキコの頭を撫でる。
不思議そうにこちらを見上げるキコの表情は、本当にどこにでもいる無害で幸福なペットにしか見えなかった。
「ふふ、何でもないだ」
「???」
「それより、もう探検はいいだか? お腹が空いたならおやつでも出したげるだよ」
「ン~~」
アイシャの言葉にキコは一瞬迷うような素振りを見せ、それからピンと耳を立て、鼻を鳴らして何かを探る様な素振りをする。そして──
「──マダ! ココ、マッテテ!」
「!」
片言の共通語。コボルトは人類とは声帯の構造が異なるため、共通語の発音は得意ではなく、全く喋れないものも珍しくない。そしてキコは今の今まで吠えることしかしなかったので、アイシャはてっきりキコが共通語を喋れないものだと思い込んでいた。
キコは驚くアイシャを置き去りに、トテトテ擬音がつきそうな足取りで裏から回り込むように敷地の外へと出る。
そして店舗の東側──最初にジグたちが気づいた建物を監視している二人組のところへ無防備に近づいて行った。
「ワンッ」
「ん? 何だこの犬っころ」
「しっしっ! 邪魔だ、あっち行け!」
キコの接近に気づいた二人組は顔を顰め、手を振って追い払おうとした。
対してキコは、まるでそれを遊んでもらっていると勘違いしている風に、嬉しそうに舌を出し尻尾を大きく振る。
「ワッフ~」
これを二人組は嫌がった。いやこれがプライベートなら顎の下を撫でて餌の一つも与えてやったかもしれないが、今は監視の任務中。先ほど怪しげな連中が店の中に入っていったばかりで、あまり目立つわけにはいかない。
遊んで欲しいのか中々その場を離れないキコに困惑する二人組。一瞬、蹴り飛ばすなりして追い払ってやろうかとも考えたが、キコの見た目の愛くるしさと、この状況で騒ぎを起こすのはどうなのかとの思いで実行を躊躇う。
そうこうしている間にキコは二人組に更に近づき、彼らの足に身体を擦りつけクンクンと臭いを嗅ぎ出してしまった。
「あ~もうっ、やめろ! あっち行け!」
「ん? このコボルト、中に入っていった連中が連れてた奴じゃねぇか?」
「……あ!」
ここにきてようやく、彼らはキコが監視中の店舗に先ほど入っていった四人組の一人であることに気づいた。だが──
「……どうするよ?」
「いや、どうするって……」
気づいたところでどうすればいいのか。
入っていった連中が何者で何のためにあの店に入っていったのか、情報を引き出そうにもこのコボルトは見るからに知能が低く話が通じそうにない。
また店に入っていった連中の正体も分からない状況では下手に刺激するのは避けた方がいいだろう。
攫って人質?──いや、コボルトごときにそんな価値があるものか。
二人は更に困り果て──
「……ちっ。仕事になんねぇ。行こうぜ」
「いいのか?」
「どうせ外から見張ってるだけじゃこれ以上何もわかりゃしねぇっての。上には『おかしな連中が入っていったが、それ以上の動きはなかった』とでも報告しときゃいいだろ」
「……そうだな」
彼らはまとわりつくキコを振り払い、悪態をつきながらその場を離れていく。
「…………」
キコはしばし厳しい表情でジッと彼らが向かった方向を見つめていたが──
「お~い! ワンちゃ~ん! どこ行っただか~?」
「──ワフッ!」
アイシャの呼び声に大きく吠えて返事をし、すぐにいつもの無害で可愛らしいコボルトに戻った。




