第4話
結局、ミモザからの呼び方は「ジグさん」「先生」「キコちゃん」で落ち着いた。
一人だけ毛色が違うのは、薬師の勉強中だと発言したミモザに、調子に乗った馬鹿がそう呼ぶよう言った結果だ。
ジグたちが出資を持ち掛けられているアラン商会──正確には“元”アラン商会の現状とそこに至った経緯については、サラではなくミモザの口から語られた。それはミモザこそが亡くなったアラン商会経営者夫妻の一人娘であり、全ての権利を継いだ存在だから。
ミモザは現在十三歳。ストレートの長い金髪と碧い瞳を持つ、清らかな、という形容詞がこの上なく似合う美少女だった。
彼女の両親が営むアラン商会は、母親の伝手で東方群島に独自の仕入れルートを持ち、規模こそ小さいが多くの固定客を抱え安定した商売を続けていた。そして薬品を取り扱う商家の一人娘として生まれた彼女は、若くして自発的に薬師の勉強を始め、一日も早く両親の手伝いが出来る日を夢見ていたのだとか。
そんな夢と両親の商売に影が差したのは今から約二年前。
医療関係の商いとしてはこの辺りで最大手、治療院なども複数経営しているゴトー商会が、自分たちの傘下に入るよう要求してきたことに端を発する。
ゴトー商会の狙いはアラン商会が持つ東方群島からの仕入れルートだった。東方群島は閉鎖的な土地柄で、交易などはほとんど行われていない。だが“カンポウ”や“タチ”など群島内で独自に発展した数々の物品は他国の商人にとって喉から手が出るほど魅力的で、それを扱うアラン商会はゴトー商会にとって目の上のたん瘤のような存在だった。
ゴトー商会の要求をミモザの両親は一顧だにせず拒絶した。
「──ちょっと待った。話を遮って悪いが、君のご両親は何でそんな決断をしたんだ? 後ろ盾のない個人商店が大店に睨まれたらどうなるかなんて考えなくても分かることだろう。傘下に入ったところで商売が出来なくなるわけじゃない。仕入れルートってボールは自分たちが持ってるんだ。話の持って行き方次第で自分たちの商売を守ることは十分可能だったろうし、大店の後ろ盾を利用すればもっと店を大きくすることもできたかもしれない。そんな理不尽な条件を突きつけられたのか?」
「それは……」
ジグは口にしてから両親を失って間もない少女には酷な質問だったと気づいたが、ミモザは一瞬顔を歪めたのみで、しっかりとそれに答えた。
「私が把握している限りの話にはなりますが、条件自体はそれほど厳しいものではなかったと認識しています。ゴトー商会の要求は東方との取引窓口の譲渡──まぁ、実際にはそれが先方の問題もあって不可能だったんですけど」
「? それはどういう──」
「まぁまぁ、ジグ。聞きたいことは色々あるだろうけど、まずはミモザの話を最後まで聞いてよ」
「──と、そうだな。悪い」
「いえ。それでは説明を続けますね?」
要求を拒絶したアラン商会に対し、ゴトー商会は当然のように様々な形で圧力をかけてきた。
ゴトー商会の息のかかった仕入れ先に圧力をかけられ商品を卸してもらえなくなり、販売先からは取引を打ち切られる。直接的な暴力こそ少なかったがゴロツキを雇って嫌がらせをされることはザラだったし、彼らを恐れて従業員たちも次々と辞めてしまった。残ってくれたのは高齢で身寄りもなく、他に行き場のなかったアイシャだけ。
それでもミモザの両親は懸命に働き副業までして耐えていたものの、つい二月程前に過労が祟って事故を起こし、帰らぬ人となってしまった。
「……その両親の事故にゴトー商会とやらが関わってる可能性は?」
「それに関してはあたしも気になって調べてみたけど、結論はシロね。ゴトー商会の連中にとってもアランさんとフラビアさんの死は予想外だったみたい」
ヴェルムの疑問にミモザに代わってサラが答える。断言しているあたり、彼女も疑って相当詳しく調べた後なのだろう。
「その証拠って訳じゃないけど、アランさんたちが亡くなって以降、ゴトーは嫌がらせどころかちょっかい一つかけてきてないわ」
「ふむ? それは単に邪魔者を排除して用が済んだということではないのか?」
「ヴェルム。言い方」
ジグに窘められて、ヴェルムがミモザに向き直り気まずそうに謝罪する。
「む……いや、すまん」
「いえ、大丈夫です」
本心かどうか健気に微笑むミモザ。空気を切り替えるようにサラはパンパンと手を叩いた。
「続けるわよ? ゴトーがアランさんたちを殺したんだとしたら、それに乗じて仕入れルートごと商会の基盤を乗っ取ろうとするのが自然でしょう? でも連中はアランさんたちの死と同時に突然ここから手を引いた」
「……確かにリスクを負って彼女の両親を殺したにしては中途半端な対応だな。自分たちが利権目当てに殺しまでやったと疑われたくなかった?」
ジグの推測にサラは頷きを返し肯定した。
「多分ね。ゴトーは性質の悪い私兵を抱えちゃいるけど、一応表の商人だから。本人なりに超えちゃいけないラインってのがあるんでしょ。このタイミングでミモザに近づいてきたら、事実がどうあれ周りからは『ゴトーが東方群島の利権目当てにアランさんたちを殺した』って見えちゃうもの」
「…………」
サラの横で無表情を取り繕うミモザを視界の端に捉えながら、ジグはこの話の問題点を確認していく。
「でも完全に手を引いたってわけじゃないんだろう? 多分、東方とのルートに関しては今も裏で探ってる筈だ。突然取引がなくなれば向こうも期待していた収益がなくなるし、商品だってだぶつくことになる。取り込む余地がないわけじゃない──ってゴトーの立場なら考えるんじゃないか?」
「みたいね。まぁ実際は言うほど簡単な話じゃないし、ゴトーとしては最悪そこは諦めてもいいと考えてると思うわよ? 東方群島の商品が幾ら稀少とは言え、ゴトーの商いからすれば微々たる量ものだもの。そこまで執着するほどのものじゃあない」
「む? その理屈で言えば、そもそも妨害までしてこの商会にちょっかいをかける必要があったのか? 傘下に組み入れても大した利益はないのだろう?」
ヴェルムが今度は言葉を選びながら疑問を投げかける。
「そこはブランドの問題よ」
「ブランド?」
「そう、この都市一番の大店であるゴトー商会でも扱いの無い稀少な商品を、同じ都市の小さな個人商店が取り扱ってる。金に糸目をつけない富豪連中からガッポリ搾り取りたいゴトーからしたら、こんな鼻につく話はないわよねぇ」
「……なるほど。それでブランドか。理想はその商品を取り込むことだが、この都市から排除できれば自分たちのブランド力は回復できる、と」
「ええ。時間が経てば、いずれこの街の人間はそんな商品は手に入らないことが当たり前になるわ」
ヴェルムの疑問の解決は、新たな疑問を生じさせるものでもあった。話を引き継ぎそれを口にしたのはジグ。
「……それがゴトー商会の考えだとしたら、だ。折角潰れてくれた厄介なアラン商会を復興させようなんて話になったら、当然妨害を再開しようってことになる筈だよな?」
「ええ。だからミモザがそのまま後を継ぐことは難しいし、他の商会もゴトーを恐れて手出しすることを躊躇ってるの」
出資話がとんでもない毒饅頭だったという事実を、悪びれもせず肯定するサラ。
『…………』
ジグ、ヴェルム、キコは顔を見合わせ、この話を最初に持ち掛けられた時、酒場でサラが言っていた言葉を思い返した。
──経営者が死んで継げる人間のいない商会にアテがある。
うん、これは嘘じゃない。
──従業員も残ってる。
まぁこれも、“全員”残ってるとは言ってないし、嘘ではないか。
──その商会は大っぴらに買い手を募集してるわけじゃない。
大っぴらにというかそもそも募集をしてなくて、募集したところで誰も手を挙げてくれないというのが正確だが、これも決して嘘ではない。
『…………』
腹が立つことに、この女、嘘は一つもついていなかった。
ただこの出資話がとんでもないリスクを孕んだ厄ネタであるということを隠して、ジグたちを強制的に巻き込もうとしていただけで。
「……あのな──」
「あの──!」
一言文句を言ってやろうと口を開いたジグの言葉を遮り、ミモザが口を挟んできた。
「正直……私はもう店をたたむしかないと諦めてたんです。両親の思い出のこもったお店ですけど、妨害を受けてから両親どれだけ大変な思いをしていたかもこの目で見てきました。無理をしてお店を残しても、結局苦しい思いをするだけじゃないかなって……」
彼女はチラとサラに視線をやり、言葉を続ける。
「でも、サラ姉さんが相談に乗ってくれて──自分たちならゴトーの妨害なんて問題じゃないって言ってくれたんです」
──自分たち?
「私もアランさんやフラビアさんにはお世話になってたからね。こんな形で二人の店が無くなるなんて黙ってられないわ」
「姉さん……」
見目麗しい女同士、感動的な雰囲気で見つめ合っているが正直ジグたちは置いてけぼりだ。
サラは改めてジグたちに向き直り、続けた。
「サラ姉さんから、皆さんはその道のスペシャリストだとお伺いしています。皆さんのお力添えがあればゴトーなんて怖くないって──お願いします! どうか私に力を貸してください!!」
「……おらからもどうぞ、お願いしますだ」
ミモザが深々と頭を下げ、またそれまで黙って話を聞いていたアイシャもそれに追随して頭を下げる。
その横でサラは労わるように二人の背に手を当てていて──まるで旧知の少女の危機を救うためになりふり構わずジグたちを巻き込んだ情の厚い女のように見えた。
『…………』
そんな一見美しい光景を見せられたジグたちの想いは一つ。
──この女、こんないたいけな少女を騙して抱き込んで、一体何を企んでやがる?




