第32話
「…………」
「…………」
静かな──しかし一触即発の空気が漂う中で、カインとサラが無表情に見つめ合う。
エリザとドルトンは冷たい視線をサラに向け、他の面々はいつでも逃げ出せるようそっと腰を浮かせた。
沈黙は数十秒ほども続いただろうか。
「──なんてね」
先に沈黙を破ったのはカイン。フラーラに化け自分たちを騙していたサラを責めていた筈の彼は、淡く苦笑する。
「別に僕らはフラーラを責めるつもりはないんだ。いや正直に言えば、例の一件の直後ははらわたが煮えくりかえってたよ? だけど冷静になってみれば、フラーラがいてもいなくても僕らはあの件に首を突っ込んでただろうし、彼女がいなけりゃもっと後味の悪い結末を迎えてたかもしれない──ま、止め方については文句しかないけどね」
「全くだわ」
「ほんにの」
カインの言葉に同調して、エリザとドルトンがそれぞれヴェルム、キコを睨みつける。睨まれた二人はひゅ~ひゅ~と下手な口笛を吹いて誤魔化した。
「色々あったけど、少し高い授業料を払ったと思って割り切ることにするよ」
「あら? 皆さんには口止め料込みで相場の五割増しの報酬が支払われた筈でしょう? まるで損をしたかのような物言いはどうかと思いますよ」
『────』
いけしゃあしゃあと言ってのけるサラにカイン一党は顔を見合わせ、苦笑。
「訂正する。いい勉強をさせてもらった。うかつにローグを信用するもんじゃないってね」
カインの言葉にその場にいた全員が頷き、これで手打ちとばかり和やかな空気が流れた。
そうこうしていると追加注文した彼ら四人分のエールが届き、改めて乾杯。ジョッキに口をつけたところで、ジグはふとカインたちがまだ何か言いたげな様子であることに気づく。
「? そういやお前ら、今日はわざわざ文句言うために来たのか?」
「ああいや──」
口ごもるカインの脇腹をエリザが肘でつつく。
彼はサラたちに一瞬気まずそうな視線を向け、大きく息を吐いてジグに向き直った。
「今日は君を誘いに来たんだ、ジグ」
「…………は?」
意味が分からず──いや分かるが何の冗談だろう、と呆気にとられる。だがカインは真面目な表情で続けた。
「あんなことを言っておいて今更と思うかもしれないが、今回の一件で改めて分かった。僕らには君が必要だ。君の要望にも可能な限り応える。だから戻ってきてくれ、ジグ」
「────」
カインに頭を下げられ、ジグは困惑して周囲を見回す。
だがエリザ、ドルトン、セフィアは真剣な表情でこちらを見ていて冗談だと言い出す気配はなく、サラたちも興味深そうにするばかりで「ちょっと待った!」と引き留めてくれることもなかった。
──そりゃまぁ、俺の役目ってもう終わってるし、引き留める理由もねぇけどさ……
もはやジグが抜けてもミモザ商会は何の問題もなく回っていくだろう。実務はミモザ、交渉事はサラ、薬関係はヴェルム、あとキコは……マスコット? ゴトーとの揉め事に片が付いた今、ジグにはこれといった役割もない。
一方でカインたちはジグを必要としていた。以前提言した負担の問題を解消してくれるというのも嘘ではないだろう。
元々、冒険者が嫌になったとか不仲でパーティーを抜けたわけではないのだ。問題が解消されるのであれば、冒険者に戻るのも悪い選択肢ではない、が──
「────」
冒険者を辞めた理由。そして辞めた後も商売に対して投げやりで本気になれなかった理由。
その根本を思い出し、ジグはほろ苦く笑った。
「──悪い。行けねーわ」
反応は四者四様だった。エリザはショックを受けた表情で、ドルトンは顔を顰めている。セフィアは答えを予想していたように苦笑い。そしてカインは──
「理由を、聞いてもいいかい?」
理由──そもそもジグが冒険者を辞めた本当の理由は、成功して、日が当たる場所へ行くことへの罪悪感だった。
どんな理由があれ自ら選んで人を殺して生きてきた自分が、成功して幸福になることが怖くなった。
ミモザの商会を手伝うとなった時、どこか本気になれずにいたのも同じ理由だ。
カインに煽られ、自分の詰まらない感傷にミモザたちを巻き込むわけにはいかないと一度は覚悟を決めたが、それで罪悪感が晴れたわけでも、吹っ切れたわけでもない。今もそれはジグの胸の中心に消えることなく残っている。
「……今回の一件、火種はまだ残ってる。ゴトーも完全に諦めたわけじゃないだろうし、ローグギルドの中にも色々企んでる奴はいる。俺みたいなのでも抑止力にはなるからな」
建前にもならないバレバレの嘘を吐いて苦笑し、本音を付け加える。
「──俺にはまだ、言い訳が必要なんだ」
「僕らはその言い訳にならないかい?」
「……お前らは少し眩しすぎる。同じ場所には立てねぇよ」
「そうか」
カインは静かに頷くと、残っていたエールのジョッキを一気に呷り、ドンとテーブルに置いて立ち上がった。
「──僕らは明日、辺境に向かう。あっちは蛮族との戦いで手が足りてないからね。ローグ抜きでも受けれる仕事はいくらでもある」
カインは去り際に微笑んで、付け加えた。
「最後にちゃんと話せてよかったよ」
カインたちがその場を去り、暫し無言で飲んでいた四人。
その湿っぽい空気を嫌ったのだろう。ヴェルムがふと思いついたように口を開いた。
「……そう言えば弟子はどうした? てっきり呼んでいるものかと思ったが……」
「声はかけたんだけど、今日はアイシャのところに行くってさ。オープンからバタバタしてたし、ゆっくり話したかったみたいよ?」
サラの答えにヴェルムは納得した様子で頷く。
「……貴様の悪だくみの片棒を掴まされて疲弊していたからな。弟子が心配するのも無理はあるまい」
アイシャはゴトーとサラの間で二重スパイをしていた。
サラの指示の下、ゴトーの目がミモザ個人に向かないよう思考を誘導し、ミモザを守るのがアイシャの役割。彼女は東方群島との取引ルートはミモザ個人に引き継がれた属人的なものであることを隠し、ミモザ抜きでも取引が可能であるとゴトーに誤認させることで、直接ミモザに危害が及ぶことを防いでいた。
「いい歳の婆さんに無理させやがって。俺はあの後様子見に行けてねぇけど、大丈夫なのか?」
「ワッフ……」
心配と非難の混じった視線がサラに刺さる。
「うん。あの後二、三日疲労で寝込んでたけど、今はすっかり回復してるわ。一応弁解しておくと、アイシャのことはあたしも止めたのよ? だけど本人がお嬢様のために何かさせてくれって懇願してくるもんだからさぁ……」
「あ~、先代に拾われた恩があるんだっけか?」
「そう。血のせいで迫害されて誰にも手を差し伸べてもらえず餓え死ぬしかなかった時、アランさんたちに救ってもらったんですって。その恩は忘れられないって、ゴトーにどんな条件出されてもアランさんやミモザを裏切ることはなかったんだから大した忠誠心よね。二重スパイにしたって、あたしが言い出したわけじゃなくて、元々アイシャがやってたことなんだから」
「ほ~ん。そりゃすげぇ、覚悟ガンギマリじゃんか」
改めて説明されてアイシャの覚悟に関心するやら呆れるやら。
「まあ、アイシャのことは心配いらないわ。裏切ってたことがバレたら報復のリスクもあるし、流石にもう店で働いてもらうわけにはいかないけど、今後は監視の名目でギルドの施設でのんびりしてもらうつもり。元々体力的に店番も限界だったしね。ミモザからはいつでも会いに行けるからお互い寂しいってこともない筈よ」
何十年と苦労し続けてきた女性だ。せめて余生は穏やかに過ごして欲しいと、サラの説明にホッと息を吐く。
まあそのアイシャが抜けた分、臨時で人を雇わなくてはならなかったり色々苦労はあったわけだが、それは大変ではあってもどうにかなる前向きな苦労だ。
ミモザ、アイシャ、カイン一党、ゴトー商会、ローグギルド。
色々と問題はあったが一先ず争いは収まり、誰かが大きな損をしたということもなく無事決着──
「──んん?」
そこでジグはあることに気づいておかしな声を出した。
「どうした小僧? いきなり奇声を発して。飲みすぎなら吾輩が良い薬をくれてやるぞ?」
「いや、酒はまだいけるんだけどそうじゃなくて──」
ジグは眉根を寄せ、何とも言えない表情でサラを見つめて続ける。
「ふと思ったんだが」
「何よ?」
「今回、お前色々と暗躍してかなり無茶もしてたわけだけど」
「うん」
「結局、お前のメリットって何だったの?」
『…………あ(ワフ)』
ジグの言葉にヴェルムとキコが目を丸くしてサラを見つめる。
彼らは当初からサラが何か企んでいることは察していたし、実際その通り全てはサラの掌の上だった。
問題は、これだけ多くの人間を巻き込んで、無茶苦茶な策謀を巡らせて、結局サラが何を得たのか。
東方群島との取引ルートはミモザ個人に帰属するもので、サラを含めローグギルドも手出ししないことをギルド長の名で約束している。
ゴトー商会関連の利権は幹部を黙らせるために献上していて、サラには一銭も入ってこない。
ミモザ商会の立ち上げに成功し、今後幾ばくかの上りは見込めるだろうが、今回かかった労力に比して微々たるものだ。
あれだけ苦労していて、結局サラは利益らしい利益を何も得ていない。
『…………』
「…………」
三人の疑念の視線が突き刺さり、サラは無言で居心地悪そうに身じろぎする。
この期に及んで黙秘を許してくれる雰囲気ではない。しばし適当な言い訳を探していたものの、結局何も思いつかなかったようだ。
瞬きしながら視線を彷徨わせ、躊躇い、顔を紅くしそっぽ向きながら口を開く。
「……といっしょ」
「は?」
「……だから! アイシャと一緒よ!」
声が小さくて聞き返したジグに、サラは怒ったように続けた。
「あたしもミモザの両親にはやさぐれてた時に救ってもらった恩があるの! その恩を返したいと思っただけ! 何か悪い!?」
『…………』
ヤケクソ気味に吠えるサラに、三人は顔を見合わせる。そして──
『まさかの善意っ(ワフゥ)!?』
ここ最近で一番の驚愕の叫びを発したジグたちに、顔を真っ赤にしたサラが無言でジョッキを投げつける。
直撃を受けたジグがよろけて隣のテーブルに突っ込み、さらにジョッキは大きく跳ねて別の強面男性の頭部をアルコールで濡らした。
瞬く間に乱闘騒ぎが店全体に広がっていく。
喧噪、揉み合い、取っ組み合いの乱痴気騒ぎ。
その中心で、ローグたちは今日もしぶとく笑っていた。
本話をもってこの話は完結となります。
拙い文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。




