第31話
「ぷはぁ……っ! ようやく一息付けたわね~」
サラはキンキンに冷やされたエールを一気に飲み干すと、ジョッキをテーブルに置いて深々と息を吐いた。
ミモザ商会が予定通りオープンし、一週間後。
四人のローグたちは普段彼らが通っている店よりグレードが二つほど上の酒場で、少し時期遅れの打ち上げを行っていた。
「いや~、店の営業もゴトーの取り込みも幹部への説明も思った以上にギリギリでどうなることかと思ったわ~」
「フン。他人事のように言いおって。何もかも貴様が企んだことだろうが」
「ワフ」
大変だったと愚痴を吐くサラに、ヴェルムとキコが半眼で冷たくツッコむ。
ヴェルムが毒を吐くのはいつものことだが、キコの塩対応は珍しい。それだけ今回の一件はご立腹ということだ。
だがサラは全く悪びれた様子もなくケラケラと笑う。
「や~ね~。悪かったって言ってるじゃない。だから今日はこうしてちょっとお高い店で奢ってるんでしょ~?」
「これぐらいで許されると思うな、阿呆が! 吾輩たちがどれだけ貴様に振り回されて苦労したと思っておる!」
「ワッフ」
「だいたい貴様が最初からきちんと事情を説明しておれば、吾輩たちもあんな苦労をせずとも良かったんだぞ!?」
「そこはあれよ。敵を騙すには味方から、ってやつ」
「誰が貴様の味方かっ!? 失礼なことを言うな!!」
「……あれ~?」
憤慨収まらぬ様子のヴェルムは、一人黙ったままテーブルに突っ伏しているもう一人に矛先を向けた。
「小僧! 貴様も黙っておらんで何か──」
そして向けたところで、死人のような顔をしたジグに気づいて首を傾げる。
「──どうした小僧? 吾輩の薬を盗んでキメたか?」
「…………」
無反応。ヴェルムはキコと顔を見合わせ、つまみを追加注文していたサラに視線をやる。
「おい、小娘。小僧はどうした? いつにもまして死んだようなツラをしておるが」
「あ~。ジグはね~、面倒な幹部周りの説明と折衝を全部一人で担当してたから、ちょ~っと疲れてるのかもね~」
「担当してたからって……」
それを割り振ったのは貴様だろうという言葉を呑み込み、ヴェルムとキコは絶句する。
ローグギルドの幹部陣は化け物ぞろいだ。今回の一件はサラが無茶苦茶をした上、取り分ける獲物も大きい。その折衝がどれだけ神経と寿命を擦り減らす作業か。他に適任がいないとは言え、そんな地獄のような役目を押し付けられたジグに、ヴェルムとキコは『自分じゃなくて良かった』と安堵まじりの黙祷を捧げた。
「ま、お陰でゴトーも無事ギルドの影響下に組み込めたし、うちが狙われることもない。苦労はしたけど、全部丸く収まったんだから文句言いっこなしよ」
「……加害者側が言っていいことじゃねー」
ボソリと反論したジグに、サラが目を瞬かせる。
「あ、生き返った」
「死んでねー」
ジグは死体のような青白い顔でムクリと起き上がると、そのまま勢いよく自分のエールを呷る。
サラたちはその体調でその飲み方はマズいのではと思ったが、いっそ倒れた方が本人の為かもと思い止めなかった。
「…………ぶは~っ」
酒の赤みで多少血行が相殺されたジグ。それを見てヴェルムはふと気になったことを尋ねた。
「それにしても随分と疲れておるな。そんなに揉めるような内容だったか?」
「……ああ。東方絡みの利権はボスが押さえてくれたから問題なかったんだけど、ゴトーの方がな」
「ゴトー? そんなもの欲しい連中で好きに奪い合わせておけば良いだろう」
「……そういうわけにもいかねぇだろ。連中はあくまで俺らに庇護を求めてきたんだ。あんまり無体なことをすると話自体ご破算になりかねねぇし、表の商売にも影響が出る」
あの夜、サラとの話し合いを経て敗北を認めたゴトーはローグギルドに庇護を求めてきた。要は敵意がない証にみかじめ料を納めるので、自分たちを敵視せず攻撃しないで欲しいという申し出だ。
それ自体は双方にメリットのあることなのですぐに受け入れられたが、問題はその条件。
ゴトー商会はこの都市の医業分野における一番の大店だ。みかじめ料と言っても動く金額は大きく、具体的な金額交渉や誰がその管理者となるかなどで話し合いは揉めに揉めた。
さらにゴトーが私兵を多く抱えていることも一部の者たちの欲心を刺激した。その私兵を傘下に取り込み、戦力を増強しようと考える者たちがいたのだ。
そうした幹部たちの欲に塗れた話し合いの間に入り、あの手この手で要求を抑え、ゴトーにとってもギリギリ損が出る程度の条件で話をまとめたのだから、ジグの苦労たるやどれほどのものだったか──実は幹部たちは最初から欲張るつもりはなく、裏で手を組みジグを揶揄って遊んでいたのだが、そのことには気づかぬままでいた方が誰にとっても幸せだろう。
「ゴトーを追い詰めすぎてもいいことなんて何もない。自棄になって暴走したら元も子もないし、万一潰れるようなことがあれば表の連中の生活に影響がでるからな。向こうにはちょっと痛い目見たな、って思わせる程度で収めとくのが一番なのさ。連中は生まれやなんやでまともな仕事に就けない連中の受け皿でもあるわけだし」
「……ふむ。それもそうか」
ヴェルムはジグの説明に頷き、改めてサラに皮肉気な視線を向ける。
「ゴトーは取引利権をギルドに押さえられ、弟子の商会に手を出す動機と牙を失った、と。小娘。吾輩たちを謀って随分回りくどいことをしていたが、これが貴様の狙っていた決着か?」
「まぁね~。資本力のある相手にダラダラ我慢比べをするのは分が悪いでしょ? 私たちも未来永劫ミモザを守れるわけじゃないもの。多少強引でも向こうから手を出して貰った方が後腐れなくて確実だったのよ」
「当たり屋の理屈だな」
「オホホ。私、ならず者ですから」
呆れるヴェルムに、サラはすまし顔で答えた。
今回サラが仕組んだ計画の大枠自体はシンプルなものだ。
それは問題の構図を『ゴトー商会VSミモザ商会』ではなく『ゴトー商会&フラーラVSローグギルド(&乗っ取られたミモザ商会)』にすり替え、ゴトー商会に因縁を吹っ掛けるというもの。
最初からローグギルドを前面に出さなかったのは、そうするとゴトーが一旦この問題から手を引く可能性が高く、その後どんな行動に出るか読めなかったからだ。
公的な立場からミモザ商会を潰しにくる可能性は十分にあったし、それ自体はローグギルドとしても問題にできない。
また腰を据えて探りを入れられれば、ローグギルドが東方群島との取引利権を押さえていないという事実に感付かれる可能性もあった。
加えてただゴトー商会を排除するだけでは何をもってローグギルドの利益とするのかという問題がある。ギルド員であっても、ギルドに何の利益も還元せず組織の名前だけ利用することは認められない。
「吾輩たちにも計画を黙っていたのは、万が一にも企みが露見するわけにはいかんかったからだろう。それは分かるが、小僧が腑抜けたままだったらどうするつもりだったのだ? 吾輩たちはともかく、小僧が動かなければ貴様の計画は破綻しておっただろう?」
「その時はフラーラとしてゴトーの懐に潜り込んでセカンドプランを進めてたよ。ゴトーはギルドと必要以上に揉めることは望んでなかった。あいつと繋がりのあるローグには裏で手を回して距離を置くよう手配してたし、仲裁役は必要でしょ」
二重三重の悪だくみを進めていたサラに三人が呆れた表情になる、と──
「面白そうな話をしてるね」
聞き覚えのある声と共に、ジグたちのテーブルに近づいてくる四人組──カイン一党だ。
「相席いいかい?」
カインはそう言うと、返事も待たず六人掛けのテーブルに強引に隣から椅子を二つくっつけた。
「……おい」
「堅いこと言うなよ。一杯奢ってもらったらすぐに退散する。僕らにもそれぐらいの権利はあるだろう?」
「…………」
カインがそう言ってチラと視線を向けると、サラは無言で肩を竦めた。それを同意と見たカインたちは席に着き、店員を呼んでエールを四つ注文する。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あはは~」
しばしテーブルに気まずい沈黙が流れる。特にヴェルム、キコ、エリザ、ドルトンは一週間前にやりあったこともあり、一際微妙な空気。一人セフィアだけは何か喋ろうとしていたが、結局なにも思いつかずに苦笑いを漏らしただけに終わった。
「……おい。用があるから来たんだろ。何か喋れよ」
「いや~、そのつもりだったんだけど、改めて対面すると何から話していいものか……」
ジグが文句を言うと、カインがたははと頭をかく。つい一週間前の夜、本気で殺し合ったとは思えない和やかな雰囲気だった。
「……そういやセフィア、あの時思い切り投げ飛ばしたけど大丈夫だったか?」
「あ、はい。ちゃんと【降下制御】の呪文が間に合ったのでこの通り」
元気をアピールするようにありもしない力こぶを作って見せるセフィア。
「そりゃ良かった。起き上がってこないから少し心配してたんだ」
「あはは。意識はあったんですけど、下手に首突っ込んでもアレなんで、気絶したフリしてただけ──あ」
『…………』
うっかり口を滑らせ、セフィアはエリザとドルトンから冷たい視線を向けられる。
そんな仲間たちのやり取りに苦笑して、カインは悪戯っぽくジグに話しかけた。
「ジグ。僕のことは心配してくれないのかい?」
「俺がやった訳じゃないからな。文句があるなら刺した奴に言えよ」
「ふむ……だってさ」
カインはそう言ってサラの顔を覗き込む。
「ちゃんと治療はしたじゃないですか。そもそもあの時、私たちは敵と味方だったんですから、文句を言うのも心配するのも筋違いでしょう?」
「おや、冷たいことを言うね? 一度は仲間と呼び合った仲なのに」
「…………」
『…………』
カインの言葉にサラは肯定も否定もせず、カイン一党はジトリとした視線を彼女に向けた。
改めて説明するまでもないことかもしれないが、カイン一党に加入していたローグのフラーラ──あれはサラが変装した姿である。
ジグとローグギルドの名を利用してゴトーを追い詰める計画を立てた時、サラはゴトーが打つであろう対抗策をコントロールしつつ、その懐に潜り込むことを考えた。そしてゴトーの立場に立って考えてみた時、どんな手が有効だろうかと。ローグキラーと呼ばれるジグに対しローグを雇っても役に立たない。そこいらの傭兵や私兵は言わずもがな。対抗策として一番有力なのはジグの手口を熟知しているだろう元パーティーメンバーを使うことだ。ゴトーの側から声をかけてくればよし、そうでなくても自分たちから売り込めば食いついてくる可能性は高い。サラはそう考え、名と姿を偽ってカイン一党に潜り込んだ。
そして実際にゴトーたちはサラの思惑通りに動く。
ジグがフラーラの正体に気づかずあのまま燻っていたなら、サラはフラーラとしてゴトーの懐に入り込み、多少時間はかかるが彼を別の罠にかけるつもりでいた。
しかしあの夜ジグが現れたことで、サラはフラーラという役が不要になったと判断。ワザと背を見せジグにフラーラを殺させ、その後はサラとしてカインを背後から刺し、ゴトーを追い詰めたというわけ。
そのことをカインたちに明かした覚えはないが──
ピリッとした空気か漂う中、ジグがセフィアに視線を向けると、彼女は曖昧な表情で苦笑する。
頭に血が上っていたカインや他二人の脳筋がそのことに気づけたと思えないし、恐らく意識のあった彼女が呪文か何かで様子を覗っていたのだろう。




