第29話
カインの斬撃は斬月ではなく、どちらかと言うと旋空弧月のイメージです。
「うぉぉぉぉっ!!!」
「!」
轟音を立てて放たれるカインの斬撃をギリギリで回避しながらジグは暗い屋敷の廊下を疾走する。
単純な脚力ならジグにほんの少し分があるが、回避を意識している以上、幾分速度は落とさざるを得ず、二人はつかず離れずの距離で追いかけっこを続けていた。
「どうした! 逃げてばかりか!!?」
「ははっ『捕まって下さい』の間違いだろ?」
「減らず口を!!」
──轟ッ!!!
横薙ぎの斬撃を廊下を曲がって回避。表面つらは余裕を装っているが、実際のところジグの心臓は早鐘のように激しく脈打っていた。
改めて言うまでもないことだが、戦士であるカインとローグであるジグが正面きって戦えば、有利なのは“戦闘”の専門家である前者だ。
そもそもジグ──ローグの戦いは不意打ち奇襲が大前提。正面きっての戦いには向いていない。
勿論、戦闘においてローグが戦士と比べて全ての面で劣っているわけではない。
例えば回避能力では軽装のローグの方が勝っていることもままあるし、攻撃を敵に当てる能力──所謂命中力も戦士とローグでは大差ない。
戦士がローグに明確に勝っているのは重い武器を振るい、頑丈な鎧を身に纏うフィジカルと技術だけ──だがこれこそが戦闘では決定的な差を生む。
よく誤解されがちだが、鎧──特に金属鎧は受けるダメージを減らすための物ではなく、攻撃そのものを弾く全身盾とでも言うべき要素が強い防具だ。生半可な攻撃では鎧を通してダメージを与えることはできず、特に斬撃は少し斬線がズレただけで簡単に弾かれ、逸らされてしまう。また鎧の隙間を狙うにしても、守る側はそこだけ守っていればいいのだから防ぐことは容易い。そのため鎧をまとった敵を相手にする場合には鎧を貫く一撃の威力が最も重要となってくるのだが、ローグは手数や速度はあっても肝心の攻撃力が低かった。
その結果、戦士とローグが戦う場合、一撃でも当てれば敵に致命傷を与え得る戦士に対し、ローグは運よく鎧の隙間に攻撃が当たることを願う他なく、しかもほとんどの急所は鎧に守られているため当たっても致命の一撃が発生する可能性は限りなく低いという鬼畜ゲーを強いられることになる。
この単純な戦士とローグの差に加え、ジグを追い詰めていたのはカインの固有技能だ。
──糞ッ! 敵に回すと想像以上に厄介だな! 何だよあの拡張斬撃って!? 間合いも武器の有利不利もあったもんじゃねぇだろ!! 剣士のプライドとかねぇのか!?
カインは戦士の中でも“氣”を操り、斬撃の威力や間合いを拡張する技術の持ち主だった。
この内、特に厄介なのが威力ではなく間合いの拡張。
カインは片手半剣を振るう剣士だが、大前提として剣は取り回しが良く場所を選ばず使える反面、槍と比べて間合いが短く、拓けた場所では圧倒的に弱い武器だ。リーチの長さは威力にも影響するので、余程の技量差や戦術的工夫がない限りこの差を埋めることは難しい。
その剣の不利を帳消しにし、どこでも最高のポテンシャルを発揮する万能武器へと変貌させてしまうのが“氣”による拡張斬撃というとんでも技術。
“氣”により刀身が伸長された斬撃は槍以上の間合いと対応力を獲得し、更に斬撃の先端部分は間合いの長さによって攻撃速度と威力が増すというおまけつきだ。
唯一の欠点は“氣”の使用による体力消費だが、カインは元々体力おばけで、しかも使用を攻撃の瞬間だけに留めることで消費を最小限に抑える技術を備えている。このまま鬼ごっこを続け体力勝負となれば、先に力尽きるのは間違いなくジグの方だろう──いやそれより回避し損ねて倒される方が早いか。
──一瞬でいい。カインの視界から外れることが出来れば……!
真っ向から戦っても勝ち目がないことを理解しているジグは、逃走しながら身を隠し不意を討つ機会を探る。
屋敷内の地形や調度品を利用してカインの視界から外れようとする、が──
──轟ッ!!!
「っ!」
その都度カインの拡張斬撃が放たれ、壁や障害物ごと辺りを薙ぎ払いジグの動きを牽制した。
「バカバカぶっ壊しやがって! 仮にも依頼人の屋敷だぞ! 後から修理代請求されたらとか考えねぇのか!?」
その脳筋戦法に、かつてパーティーを組んでいた時の苦労を思い出し、ついそんな言葉が口をついて出る。
「心配するな! 全部君がやったことにするさ!!」
「それは心配するだろ──っと!?」
理不尽な言葉と共に飛んできた斬撃を寸でのところで回避。壁が破壊され飛び散る木片が頬にぶつかり、反射的に片目を閉じる。
「はぁっ!!」
その隙を見逃すことなく突撃し距離を詰めてくるカイン──ジグは咄嗟に懐からポーションの瓶を取り出しカインに投げつけた。
「ちぃっ!?」
その中身が何か分からないカインは下手に迎撃もできず、横っ飛びして大きく回避。その隙に再びジグは距離を取る。
そして再びの追いかけっこ。
「粘るじゃないか!! あの腑抜けた君が、今さらどうして──っ!?」
「煽ったのはテメェだろ!!」
「だからって、こんな──」
「他にやり方があったんじゃないかって!?」
「そうだ!! 君が言ってくれれば僕らは君に手を貸すつもりでいた! その為にあの男の依頼を受けたんだ!! なのに──」
カインは悔しそうに、下唇を噛む。
「──何故、フラーラを殺した!? 彼女を殺す必要はなかっただろう!!?」
怒りよりも悲しみの籠った叫び。それを聞いてジグは『こいつらしい』と思わず笑みがこぼれそうになった。
「必要? あんま寝惚けたことを言うなよ」
「何を──」
「俺はならず者だ。目的のためなら手段を選ぶつもりはないぜ」
「っ!」
感情の見えないジグの答えにカインは奥歯を噛みしめる。
だがそれでも、彼は一縷の望みに縋る様に、重ねてジグを問いただした。
「ならその目的とは!? 何のために君はフラーラを殺したっ!!?」
その問いかけに走りながらジグは一瞬だけ考えるような素振りをし、一言。
「さあ?」
「…………は?」
カインは絶句する。何を言っているのか意味が分からない。だがそれでも何年も苦楽を共にしてきた仲間だ。嘘を言っているかどうかぐらい分かる。
だから分かってしまった。
はぐらかしている訳ではない。
ジグは本気で──
「仕事だしな。目的や理由なんてどうでも良くないか? まあ、強いて言うなら目についたからで──」
「──もういい。黙れ」
声から感情が消える。
だがジグはそれを無視し、薄ら笑いを浮かべて続けた。
「お前にゃ感謝してるんだぜ、カイン。お前が言った通りだ。俺は確かに腑抜けで、負け犬だった」
「…………」
「下んねぇことに拘って、周りの目を気にして。自分で自分の足を引っ張ってた」
「……黙れ」
「いや、馬鹿だったよ! やっぱ何だろうと勝たねぇことには始まらねぇもんなぁ!!」
「黙れと言っている!!!」
──轟ッ!!!
それまでの攻撃に倍する威力と速度の拡張斬撃が放たれ、ジグのいた場所を薙ぎ払う。
ジグはその攻撃を予期していたにも関わらずギリギリの回避となったことに冷や汗を流し、それまでカインがまだ手心を加えていたことを今さらながらに理解した。
「お~、こぇ~」
それでも軽口を叩き、少しでもカインの冷静さを削ごうとするジグだったが。
──ダッ!!
「問答無用かよっ!」
カインはもはやジグの言葉に付き合うつもりはないと、能面のような無表情で突撃。
先ほどまでより威力も速度も跳ね上がった斬撃がジグに襲い掛かる。
それでもジグは必死に逃走を続けたが、ほどなく逃げ場のない行き止まりへと追い詰められてしまった。
「…………」
静かに剣を構え、通路ごと薙ぎ払うべく刀身に最大級の“氣”を込めるカイン。
この状況に至ってもカインには一欠けらの油断もない。僅かでも隙を見せればやられるのは自分だと、ジグの一挙手一投足に全ての意識を集中させていた。
「ま、不意打ちでもなけりゃ、やっぱ俺に勝ち目はねぇか」
絶体絶命のジグは肩を竦めてあっさりと敗北を認め、両手を挙げる。
「……今更命乞いか?」
「すれば助けてくれんのか?」
「…………」
カインは構えを解かず、ジグから意識を逸らすことなく、更に“氣”を高める──それが答えだ。
ジグはそれに諦観ともとれる薄い笑みを浮かべて続けた。
「俺はならず者だ。戦士のお前と戦って勝てるなんて最初から考えちゃいねぇよ」
「何を──」
──ズブッ!
その瞬間、無防備なカインの鎧の隙間を縫って、彼の背を貫く熱い感触。
「言ったろ? 手段は選ばねぇって。一対一だなんて言った覚えはねぇよ」
「────」
驚愕と怒りを纏って、カインの意識は闇に落ちていった。




