第28話
「セフィア!!?」
仲間が二階の窓から外に投げ飛ばされ悲鳴を上げるカイン。
すぐさま壊れた窓に駆け寄り仲間の安否を確認したかったが、立ちふさがる侵入者の存在がそれを思いとどまらせる。
「やあ。ケジメを、つけに来たよ」
「ジグ……!!」
かつて冒険者としてパーティーを組んでいた頃からは想像できないほど冷たい目をした男。
カインは怒りと信じられないといった思いで飛び掛かりそうになるが、無防備に姿を晒すジグの姿に罠の可能性が脳裏をよぎり、踏みとどまった。
「小僧! よくもノコノコとぉぉっ!!」
カインとは対照的に、ゴトーの秘書であり護衛でもあるエルスマンは一切の躊躇なく飛び掛かる。
その判断自体は決して間違いではない。ローグ相手に受けに回るのは悪手だし、再び身を隠されてでもしたら厄介なことこの上ない。正面きっての戦闘能力では自分たちの方が勝っているのだ。リスクはあっても小細工を弄する余裕を与えることなく叩き潰す──それも一つの考え方だった。
ただしそれは、押し付けられた二択の中での話。
「────」
突進してくるエルスマンに対し、ジグは無言でバックステップ。セフィアを投げ飛ばし破壊された窓へと近づく。
「逃がすかぁぁっ!!」
エルスマンはジグが窓から逃亡しようとしていると判断し、床を蹴りつけ更に加速。その巨躯で左右の逃げ道を塞ぎつつ、拳鍔を嵌めた拳を振りかぶった。
後退よりエルスマンの突進の方が速く、ジグは仮にその拳を回避できてもエルスマンの巨躯に押し潰されてしまうだろう──が、しかし。
「────!?」
ジグの身体が左右に不自然に揺れる。ステップによるフェイント。相手の反射的な眼球移動を利用して一瞬だけ視界を惑わす高等技術だ。
それ自体は相手を戸惑わせる程度のものでしかなく、目の前から消えたり、加速したりといった物理法則を無視したものではない。しかし、ジグにはそれで十分だった。
ジグの姿があやふやとなり、エルスマンの身体が突撃の最中、驚きに一瞬だけ硬直する。ジグはその一瞬の隙を突き、エルスマンの股の下をくぐって突進を回避。背後に回るとエルスマンの尻を思い切り蹴りつけた。
「おお──っ!!?」
巨躯のエルスマンの突進は彼自身にも容易には止められない。ジグの蹴りで勢いをさらに加速させられた身体はそのまま壊れた窓を突き破り、二階から屋敷の外へと飛び出していった。
──ガシャァァァン!!
「……二人」
「ひぃっ!」
最も頼りにしていた部下があっさり無力化され、ゴトーの喉から思わず悲鳴が漏れる。
この時、カインの頭にはほんの少しの油断と──甘えがあった。
一目見て人外の血を引いていると分かるエルスマンの生命力であれば、二階から無防備に落下したとて死ぬことはあるまい。
セフィアは魔術師であり、落とし穴に落ちた時などに備え、落下時には反射的に【降下制御】の呪文を使用するよう訓練を受けている。
どちらもすぐに戦線復帰は難しいだろうが命に別状はない、筈だ。
ジグは自分たちを殺さないよう立ち回っている。少なくとも必要でない殺しをするつもりはないのだ、と。
そんなカインの心の隙を、ジグは見逃さなかった。
「うわぁぁぁぁぁっ!!?」
──ヒュン!!
恐怖から反射的に逃走しようとしたゴトー目掛けて、ジグがナイフを投擲する。
だがむざむざそれを許すほどカインは温くない。素早く射線に割って入り、剣でナイフを弾き飛ばす。
「落ち着いて! 僕から離れないで下さい!!」
「────っ」
力強い声と背中。ゴトーは辛うじて冷静さを取り戻し、その場に踏みとどまる。
この状況で一人逃げ出すのは却って危険だ。動き回ることでカインが彼を守りづらくなるというのもあるし、他に伏兵がいないとも限らない。
しかしそんなゴトーを囮にして、その場から離れようとする影が一つ。
──ダッ!!
「フラーラ!?」
フラーラが自分たちに背を向けドアから逃走する。カインは困惑混じりの声を上げるが、ゴトーを庇っているこの状況では止めることもできない。
ジグのターゲットはゴトー。フラーラは護衛の役割を放棄し卑劣にもその場から離脱し──
「──逃がすかよ」
ボソリと囁き、ジグがフラーラを追いかける。
カインはジグの行動に不意を突かれ、ゴトーを庇っていることもあり、止めに入るどころかその場から動くことさえできなかった。
「きゃ──っ!!?」
フラーラが部屋を飛び出した直後、ジグが彼女に追いつき短く甲高い悲鳴が辺りに響き渡る。
──ドサッ
「フラーラッ!!?」
遅れて廊下に飛び出すカイン。
「…………」
そこで彼が見たものは、背中から血を流し廊下に倒れ伏すフラーラと床にできた大きな血だまり──出血量を見れば一目瞭然。致命傷だ。
「っ!?」
その傍らで血塗られたナイフを手に、ピクリとも動かないフラーラを見下ろしていた男は、ゆっくりと振り返ると口元を薄く嘲笑の形に歪めた。
「どうしたカイン? 随分と腑抜けた面だな。まさかと思うが殺されることはないなんて甘ったれたことを考えてわけじゃないだろう?」
「────」
仲間を殺された怒りと、図星を突かれた羞恥とで瞬時にカインの脳が沸騰する。
ジグはそんなカインの神経を更に逆撫でするように言った。
「まあいいや。俺も余計な手間は省きたい。昔のよしみだ。何なら今からでも見逃してやろうか?」
「────」
プツン──と、何かが切れる音が、聞こえた。いや──
──轟っ!!!
猛烈な“氣”を纏ったカインの斬撃が、屋敷の床を抉りながらジグを襲う。
その攻撃をジグは予期していたようにヒョイと横に跳んで回避。
「おいおい。どうした、いきなり暴れだして思春期か? 悩みがあるなら話聞くぜ?」
「ジグゥゥゥゥッ!!!」
これ以上の戯言を聞くつもりはない。カインは絶叫し、鬼のごとき形相でジグに突撃した。
それに対しジグは即座に踵を返して逃走。
破壊と轟音をまき散らしながら、命懸けの鬼ごっこが始まった。
「…………」
その場に残されたのはゴトー一人。
彼は襲撃者と護衛が揃ってその場からいなくなり、しばし呆然としていた。だが残念ながらいつまでもそうしていられるほど彼は愚鈍でも呑気でもない。思考力の回復に伴って孤独と恐怖が頭の中を埋めつくした。
部屋の外から時折聞こえてくる破壊音が更に恐怖心を煽る。
彼にはとにかく誰か──自分を守ってくれる者が必要だった。
「…………」
破壊された窓に駆け寄り庭を見下ろすが、暗がりで地面はぼんやりとしか見通せない。
「エルスマン……! エルスマン、無事か……!?」
恐怖に掠れた囁くような叫び。しばし耳をそばだて返答を待つ。
「…………ぅ」
「っ!」
だが返ってきたのは声にならない呻き声だけ。
どうやらエルスマンは生きてはいるが、少なくとも直ぐに動ける状態にはないようだ。屈強なエルスマンでそうなら、あの貧弱なハーフエルフの魔術師など余計にあてになるまいと、ゴトーは窓の外に見切りをつける。
──ドォォン!!
「ひっ!?」
屋敷のどこからか破壊音が鳴り響き、ゴトーの身が竦む。
──ど、どうする……? このままここに留まるべきなのか、それとも逃げるのが正解なのか。せめて警備の者が無事なら──そ、そうだ!
ゴトーの脳裏に閃きが走り、恐る恐る周囲を警戒しながら移動を開始する。
──ズルゥッ!!
「ひやぁっ!?」
執務室を出た直後、ゴトーは床一面に広がる血の海に足を取られ、尻もちをついて悲鳴を上げる。そして見たこともない大量の血に絶句。奥歯をガタガタ震わせながら、壁に手をつきヨタヨタとした動きで立ち上がり、生まれたての小鹿のような歩みでその場から離脱した。




