第27話
時は少しだけ遡る。
「セフィアよ。言われた通り倉庫の前に着いたが、コボルトなんぞどこにも見当たらんぞい?」
『あ~、確認するので少々お待ちを……コボルトちゃん、今はそこから少し西に移動してますね。歓楽街のある方向』
「歓楽街? 商会の施設を狙っておったんじゃないのか?」
ゴトー商会の資材倉庫前にやってきたドルトンは、周囲を見回してもコボルトの姿が見当たらなかったため、発動中の通信魔法でセフィアに現在の位置を確認。返ってきた意外な答えに思わず眉をひそめた。
『う~ん……ワンコだし単なる夜のお散歩、って可能性は否定できませんけど、倉庫に関しては何か騒ぎを起こそうとしたけど警備が厳重で諦めたとか、もうコトを済ませた後ってことも考えられますね』
「……まぁ、そうか。面倒じゃが本人を捕まえて確認するしかないの。近いのか?」
『移動速度はゆっくりだし、走ればすぐに見えてくると思います。あくまで任意なので、手荒なことはしちゃだめですよ?』
「分かっとるわい」
ドルトンは一旦セフィアとの通信を中断し、指示された通り倉庫前の通りを西に向かって駆け足で移動する。
ほどなくして歓楽街の灯りが視界に入り、それと同時に見覚えのあるコボルトの背中が見えてきた。
「──おった。おい、そこの! ちょっと止まれ!!」
「ワフッ!?」
大声で呼びかけると、ドルトンに気づいたコボルト──キコは一瞬振り返り、慌てて駆けだした。
いかにも疚しいところがありますと言っているような態度。
「おい! 待たんか!!」
キコは歓楽街の人ごみに紛れてドルトンを撒こうとしたのだろうが、いかんせんキコとドルトンでは身体能力が違う。歓楽街の手前でキコはドルトンに捕まり、首根っこを掴まれ摘まみ上げられてしまった。
「キャゥン!?」
「……全く、手間を取らせおって」
キコの悲鳴に一瞬、歓楽街を歩く者たちの視線が集まるが、彼らはすぐに興味を失った。
所詮はコボルト。コボルトが悪さをしたのか、ドワーフが一方的に絡んでいるのかは分からないが、自分たちが気にするようなことではない、と。
「キャンッ! ハナシテ!!」
「ええい、暴れるな。用事を済ませたらすぐに解放してやるわい」
「ヤーッ!!」
「だから暴れるなと言うとるじゃろうが!」
宙に吊るされた状態でキコはしばし暴れていたが、やがて逃げられないと諦めたのか、あるいは単に動き疲れたのか大人しくなる。
ドルトンは恨みがましく上目遣いでこちらを見るキコに溜め息を吐いて口を開いた。
「はぁ……ようやく大人しくなったか」
「…………」
「お前さん、こんなところで何をしておる? なぜ儂の顔を見て逃げ出した?」
「…………(プイッ)」
キコは問われても拗ねたような表情で目を逸らし、何も答えない。
「だんまりか。お前さんが、さっき倉庫の前で何ぞしとったことは分かっとる。相棒のエルフが従業員寮に向かったこともな。黙っておっても調べればすぐに分かる。シャキシャキ白状せい」
「…………」
「……はぁ。こんなことに手間をかけとる場合じゃないんじゃがのぅ」
ドルトンは面倒くさそうに頭を掻き、無造作にキコの身体に手を伸ばした。
「キャウンッ!?」
「ほれ、暴れるな。どうせ懐になんぞ毒でも忍ばせとるんじゃろ。何も持って無ければすぐに解放してやるわい」
キコが毒使いヴェルムの相棒で、その可愛いらしくか弱い見た目で周囲を油断させ毒をまき散らす“運搬人”であることはドルトンも知っていた。それは裏を返せば、キコは毒さえなければ無害ということ。ドルトンは手早くキコの妨害能力を奪い、他の場所の応援に向かおうと考えていた──が。
「キャンッ!! ヤメテ! ハナシテ!!」
ドルトンがキコの衣服に手をかけると、キコはそれまで以上に激しく抵抗した。
ドルトンはそれを、キコが毒を隠し持っているからだと理解し、抵抗を無視して強引に持ち物を確認しようとする──が、これが罠だった。
「ヤメテ! エッチ! ゴウカンマ!! サワラナイデ!!」
『────!!?』
キコの悲鳴に、それまで所詮コボルトと騒ぎを無視していた歓楽街の住人たちの視線が一斉に二人に集中する。
コボルトごときがどうなろうと知ったことではない──確かにそれはその場にいたほとんどの者の共通認識だったが、こんな場所でドワーフがコボルト相手にいかがわしい行為に及ぼうとしているとなると話は違ってくる。
コボルトがどうなってもいいことと、公衆の面前で──いや、面前でなくとも──公序良俗に反する行為に及ぶことは全く別次元の問題だ。
「は……? ちょ、ちょっと待たんか──」
「キャゥンッ!? ヤダヤダ! エッチ!! ヘンタイ!!」
「黙らんかっ!!」
「ハナシテ! ヤメ──ムグッ!?」
ドルトンも一瞬遅れて周囲から向けられた嫌悪の視線に気づき、慌ててキコの口をふさぐが、それは致命傷に唐辛子を塗り込むような悪手だった。
『…………』
周囲からの冷たく嫌悪感に満ちた視線がドルトンに突き刺さる。
「い、いや、違うんじゃ。これは……」
『…………』
「だから、その──」
──ポン。
ドルトンの肩を叩いたのは、騒ぎを聞きつけてやってきた巡回中の衛兵。
「おじさん。ちょっと詰め所で話聞かせてもらえるかな?」
「違うんじゃ! 儂はただ──」
「あ~、はいはい。とにかく先にそのコボルトのお嬢さんから手を放そうか。あと話は詰め所で。あんまり公共の場所で卑猥な話とかして欲しくないから、ね?」
「違うんじゃぁぁぁぁぁっ!!?」
その後、ドルトンは衛兵相手に必死に弁解したが、キコの持ち物から毒などドルトンが主張するような怪しいものが全く見つからなかったこともあって信用されず、冷たい留置場の中で一夜を過ごすこととなる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──エリザもドルトンも振り回されてるなぁ……
ゴトーの執務室に待機し、対応に向かった仲間たちの概況を通信魔法で把握しながら、セフィアは表情には出さず胸中で慨嘆した。
エリザ班は生命に危険こそないようだがもはや動くことも救出することも不可能で、ドルトンはこちらに助けを求めることも忘れて──求められても無視するが──慌てふためいている。彼らは見事に敵の陽動に引っかかり、戦線から離脱してしまった。
にも拘らずセフィアは落ち着いていて、仲間たちの惨状をカインやフラーラ、ゴトーたちに伝えず黙している。
それはエリザやドルトンたちに関して今は“放置”することが最適解で、伝えてもゴトーたちを不安にさせるだけで意味がないというのが一つ。
──ま、何しでかすか分からない敵の駒を、あの二人の犠牲で足止めできたと思えば吊り合いはとれてるでしょ。
セフィアは普段の言動こそ頼りないものの、胸中では魔術師らしく冷淡な計算を巡らせる。
今彼女にとって重要なのは陽動に引っかかった仲間ではなく、ヴェルムとキコが陽動だと確定し、この屋敷への襲撃がより確実となったことだ。
──嫌だな~。ジグの狙いは読めないけど、これが単なるゴトーの暗殺とかなら陽動なんて必要ないし、つまり暴れるってことよね? となると一番最初に狙われるのは通信担当の私か索敵担当のフラーラ。フラーラの索敵能力がどの程度のものかまだ分からないけどジグの隠形を上回ってるとは思えないし、より狙われやすいのは私か……はぁ。今更だけど私がコボルトちゃんのとこに行きたかったなぁ……
そこまで予想していながら、セフィアは自分の考えを仲間たちに共有しようとはせず、何ならエリザやドルトンの派遣を止めようともしなかった。
理由はシンプル──勝ち目があると思っていないから。
カイン一党の中で、実は一番ジグの能力を高く評価し、恐れていたのがセフィアだ。
彼女から見て、なりふり構わぬゲリラ戦に徹したジグは本当に恐ろしい。いつ、どこから襲い掛かってくるかも分からないジグ相手に迎撃戦など正気の沙汰ではなく、むしろ下手に戦力を整え抵抗した方が被害が大きくなるとさえ考えていた。
本音を言えばこんな依頼からはとっとと手を引きたかったが、仲間たちは道義的にも感情的にもそれに同意することはないだろう。だから。
──出来るだけ穏便に、痛くしないで離脱させてよね~
「……おかしい」
ゴトーの傍らに最後の砦として控えていたエルスマンが、訝し気な声を上げる。
「何がおかしいというのだ、エルスマン」
「いえ、巡回班にはまず屋敷内に異常がないか確認し、報告を上げるよう指示してあるのですが……こんなに時間がかかるものかと思いまして」
『…………』
エルスマンの疑念に室内にいた面々は無言で顔を見合わせる。既にこの屋敷にも敵の手が及んでいるのかもしれない。
「……私が様子を見てきましょうか?」
「いや、単独行動はマズい。敵が屋敷に忍び込んでいるとしたら、各個撃破される恐れがある」
フラーラの提案を即座にカインが却下する。フラーラはではどうするのかと首を傾げた。
「言いたいことは分かりますけど、二人以上で動いてここの守りを疎かにするのは悪手でしょう? それに優先順位は下がるとは言え、ミモザちゃんのことも放っておけませんし。やっぱり、守りやすいように彼女もこの部屋に連れてきません?」
「駄目だ。旦那様の身の危険が高まる」
今度はエルスマンが却下。フラーラは腰に手を当て不満そうに溜め息を吐いた。
「ならどうします? このまま朝まで怯えながら部屋に閉じこもってるんですか?」
『…………』
それもまた集中力や体力を考えれば得策とは言えない。
しばしその場に沈黙が流れ──
──コンコンコン
『…………』
人が近づいてきた気配も何もなく、唐突にドアをノックする音が聞こえ、一同は顔を見合わせる。
「…………誰だ?」
エルスマンが代表して問いかけるが、返事は帰ってこない。
全員が警戒態勢に入り、カインとフラーラがドアに近づく──
──トン
その瞬間、セフィアの背後で何かが舞い降りたような軽い音が聞こえた。
セフィアが咄嗟に振り向くのとほぼ同時──足を払われ一瞬の浮遊感。
「は──?」
首根っこを掴まれたセフィアは、反射的に呪文を発動させてしまった己の失策を自覚──次の瞬間、彼女の身体は窓を突き破って勢いよく外へと投げ飛ばされていた。
──ガシャァァァン!!




