第25話
──こいつ、嫌いだ。
ジグと初めて会った時、そう思ったことを今でも鮮明に覚えている。
それは後から振り返れば、ただの嫉妬で八つ当たりだった。
自分と違いその気になれば何でもできて何にでもなれるくせに、ウジウジと言い訳している姿が鼻について、馬鹿にしてると思った。
彼はギルド長のお気に入りで、そのままギルドで成り上がることも、冒険者や王国に仕える密偵として栄達することも思うがままだった。またウチのギルドは去る者は追わずという方針で、ジグは頭の回転も悪くなかったし、足を洗って別の道に進むことだってできただろう。
だが彼は上に言われるがまま汚れ仕事をこなすだけ。金も地位も名声も、権力も女も安定も、彼は何も求めなかった。
その姿は罪を償うため敢えて苦しみに身を投じる殉教者のようにも見えたが、すぐに違うと気づく。
結局のところ償いとは許されるために行うものだ──こんなことを言うと『相手に許されることを期待するのは不純だ』と反論する人がいるかもしれないが、許されなくてもいいなんてのはただの言い訳で開き直りだ。例え許されなくても、許されたいと願うことには意味がある。そう思って行動するからこそ、償いには意味が生まれる。
償いとは自分で自分を許すための作業だ。
消えない罪はある。どれだけ償い続けても、例え誰かに許されても、その心が晴れるとは限らない。
だがそれでも、人は生きている限り、自分で自分を許し、幸せにすることを諦めてはならない。
例え自分が幸福であることが望まれなかったとしても、未来永劫苦しみ続けること願われていたとしても、それでも自分で自分を見捨てることだけはしてはならないのだ。
その為に人は罪を背負い、罰を受け、償おうとする。
だがジグはその努力を放棄していた。
自分は人殺しだからと言い訳して、ただ苦しく望まない道を進む。それは償いではなく逃避だ。幸福になる努力を放棄して、ただ楽な道に逃げているだけだった。
サラは四分の一魔族の血を引くクォーターだ。魔族は全人類の敵であり、人類が魔族に向ける恐怖や憎悪は、オーガなど単なる敵性亜人種に対するそれとは比較にならない。
魔族の血を引く者に人権はない。周囲の者たちに嬲られ苦しみ続けた半魔族の母の姿を知るサラは、その正体を知られぬよう細心の注意を払いながら生きてきた。
だが正体を隠したまま真っ当な暮らしを送ることは難しい。
サラは生きるために何でもやり、ローグとなって裏社会にどっぷり頭までつかって生きてきた。
それでも彼女は自分が幸福に生きることを諦めたことはなかった。
生まれに恵まれずとも、罪に手を染めようとも、絶対に幸せになってやると、自分と母に誓ったのだ。
だから──自分がどれほど願っても手に入らない当たり前の幸福を、容易く諦めてしまえるジグのことが彼女は心底嫌いだった
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『ゴトーさん。私を雇うつもりはありませんか?』
カイン一党との夕食の席の後、仲間たちに隠れてそう持ち掛けてきたフラーラを、ゴトーは執務室に招き入れて話を聞くことにした。
ローグであるフラーラのことは全く信用しておらず、その場には秘書のエルスマンを同席させる。エルスマンはオーガとの混血でゴトーの私兵の中では実質最強の戦力。生命力も強く生半可な毒は通用しない。仮にフラーラが何か企んでいたとしても簡単に叩き潰してくれるだろう。
「……それで? 君は私に自分を売り込みたいようだが、君を雇って私にどんなメリットがあるのかな? 私もあまり暇ではないのでね。自己アピールは簡潔かつ具体的に頼むよ」
外部に仕事を頼むと、冒険者に限らず自分“が”求められていると勘違いして売り込みをかけてくる者は珍しくない。ゴトーは敢えて冷淡な態度をとり、軽くフラーラを牽制した。
しかしフラーラは動じた様子もなく、おっとり首を傾げる。
「あら? てっきりゴトーさんは、今私のような者をお求めかと思ったのですが……違いましたか?」
違う──と答えればそのまま何事もなく引き下がってしまいそうなフワリとした態度。
さりげなく会話の主導権を握ろうとするその姿勢に、ゴトーは少しだけ唇の端を吊り上げた。
「はて? 全く心当たりがないが、何のことかな?」
「ローグギルドとの関係について、です」
「──なるほど」
はぐらかすのかと思えば今度はズバリと踏み込まれ、思わず頷く。
「今回の一件、少なくとも表向きローグギルドは関与していない、ということになっていますが、ギルド長を始めとした幹部たち個々の思惑がどうかは分かりません。特に、今回あの商会に関わっていたローグの一人はギルド長のお気に入りですからね。組織としてはともかく、ゴトーさんが厄介な人たちの恨みを買ってしまった可能性は十二分にあり得ます。ミモザちゃんとの話し合いを敢えて長引かせているのも、ワザと隙を見せて彼らを罠にかけようと考えておいでなのでしょう? ローグギルドと折衝が必要になった時、その交渉材料とするために。後から怖い人たちが首を突っ込んでくる可能性はできる限り排除したいでしょうしねぇ?」
「…………」
フラーラの言葉はゴトーの意図を九割方正確に見抜いていた。
彼女の言う通り、ミモザとの交渉など一瞬で終わらせられる。何せあちらにはまともな交渉力も交渉材料もないのだから、一方的に条件を突きつけて終わりだ。
それをしない理由の一つが、敢えて隙を見せ罠を張っているというのはその通り。
実際にはゴトーはミモザと交渉そのものをするつもりがないわけだが、フラーラの立場ではそこまで察することは不可能だろうし、そのことはこの話の本筋には直接影響しない。
「勝手にこちらの領分に首を突っ込んでおいて、失敗したら恨み節か。改めて言葉にされると逆恨みも甚だしい連中だな」
「ならず者相手に道理を説くおつもりですか?」
「いや、君の言う通りだ。今回、ローグギルドの構成員と揉めたことは事実だし、彼らが難癖をつけてくる可能性は十二分に警戒しておくべきだろう。その揉めた相手がギルドの中枢に近い人間だと言うのなら、多少理不尽ではあってもそのケアをすることに否やはないよ」
ゴトーはフラーラの言い分を認めた上で、不敵に笑って首を傾げた。
「だが、そのことと君を雇うことがどう関係すると言うのかな? まさか君が私とギルドの仲立ちに入るとでも?」
「はい。その通りです」
「──ククッ!」
ゴトーはフラーラの言い分に堪え切れず失笑を漏らした。
「おい、聞いたかエルスマン? 彼女は我が商会とギルドの仲介ができるほどの大物らしいぞ?」
「……随分と自信に満ちておられる。若いとは羨ましいことですな」
「いやいや、女性の年齢は見た目ではわからんからな。こう見えて実はエルフの血を引いた大年増かもしれんぞ?」
「旦那様。女性の年齢に触れるのは……」
「おっと、そうだったな。クハハハハッ」
「クククッ」
二人が馬鹿にしたように笑う間、フラーラは表情一つ変えずその様子を眺めていた。
ゴトーは一頻り笑ったのち、目元に浮かんだ涙を拭いながらフラーラに告げる。
「ククッ……いや、すまない。だが我々にもローグギルドに親しい友人の一人や二人はいてね。君に頼らずとも特に仲介役に不自由することはないのだよ。まぁ、君が私の友人たちよりギルド内で地位が上だと言うなら話は別だが──」
「そのご友人が、この一件でも変わらぬ友情を示してくださるとお思いですか?」
ゴトーの言葉を遮り、フラーラはニッコリ笑って言った。
「──どういう、意味かな?」
「件の四人の内一人は、ギルド長のお気に入りと言うだけでなく、かつて『蛇』──暗殺者として同胞の粛清を担当していた人間です。ギルド内でも、彼を恐れてこの一件に関わりたくないと考える人間は多いのですよ」
「…………」
ゴトーはローグギルドの人間がこの一件に関し非協力的だという話をエルスマンを通じて聞いていたことを思い出す。
「……しかしその彼は未だ若く、組織内の地位も高くはないと聞いている。一構成員を恐れてモノも言えないほどローグギルドが統制の取れていない組織とは思わんが……彼らにもメンツと言うものがあるだろう?」
「彼には以前、暗殺部門トップから自分の後継者に、という話があったそうです。暗殺部門のトップには、彼の影響力を利用して自分がギルド全体のトップに立とうという思惑もあったらしく、今もその話を諦めていないようですよ? つい先ごろ冒険者を引退し、商売も失敗したとなれば、再びその話が盛り上がる可能性は高いでしょう。そうなれば彼は暗殺部門のナンバー2、将来的にはギルド長も狙えるポジションです」
「…………」
ゴトーはフラーラの説明に眉を顰め、横に立つエルスマンに視線をやる。
エルスマンは困惑した表情を返すばかりで、少なくともフラーラの言葉を否定する材料は持っていないようだ。
ゴトーは表情を少し真剣なものへと変えフラーラに向き直る。
「……なるほど。君の言葉が事実なら、私は随分と厄介な人間を敵に回してしまったようだ。友人たちも私から離れていくかもしれん。だが、その彼を敵に回したくないのは君も同じことではないかね?」
「私は既にゴトーさんたちと同様、彼の邪魔をしてしまった側ですから」
「ふむ……」
フラーラは肩を竦めてあっさりと言うが、ゴトーは納得していない様子だ。ならばそもそも何故この依頼を引き受けたのか、と言いたいのだろう。
それを見て取ったフラーラはボソリと付け加える。
「……組織内で彼らが力を持つことを喜ぶ人間ばかりじゃないってことです」
「……なるほど」
ローグギルド内で彼の派閥と対立する側に属していることを匂わせる発言に、今度はゴトーも納得した様子を見せる。
「……つまり彼がここで大きな失態──例えばどこかの屋敷に忍び込んで捕まるようなことがあれば、嬉々として足を引っ張る人間もいる、ということかね?」
「…………」
ゴトーの言葉にフラーラは無言のまま真っ直ぐに視線を返す。
「…………」
「…………」
「……いいだろう。今後の展開次第ではあるが、その時は君に仲立ちをお願いしよう」
「それで結構です。私も今後の展開次第ではお手伝いできない可能性もありますし」
二人の間で合意が結ばれたその時。
──トントントン。
丁度見計らったかのように執務室のドアをノックする音。
「すいませんゴトーさん。あちらに少し不穏な動きがあるようなのですが──」




