第24話
「あ~…………」
夜の街を独り歩きながら──呻く。
「うがぁ……あ゛あ゛っ!」
すれ違う周囲の人間が胡乱な視線を向けてくるが気にも留めない──その余裕がない。
「ぐそ、が………あぁ~~っ」
大声で叫びだしたくなる衝動──それだけは辛うじて残った理性で自重する。
「っ!」
目が曇ってる──その通りだ。
腑抜け──否定はしない。
負け犬──言われなくても分かっている。
「~~っ!」
だが、自分が足を引っ張っているという言葉だけは容認できなかった。
いや図星だった。その通りなのだ。手を抜いていたとまでは言わない。だが本気でもなかった。心のどこかで失敗しても構わないと──いや、失敗することを望んでいた。罪のない少女を下らない自傷行為に巻き込んだのだ。
なんて救いようのない愚かさと怠惰──認めてはならない。許してはならない。償わなくてはならない。
その為なら今この一時、愚かで卑劣な自分を忘れよう。
その為なら『これは自分の為ではなく他の誰かの為』と言い訳もしよう。
その結果、自分がどうなろうと──分不相応な幸せがどうだとか、そんなことはもうどうだっていい。
所詮は下らない自分事。
道理も拘りも非難も罪悪感も知ったことか。
「────」
そうして、少しだけ目を見開き、前を向く。
たったそれだけのことで、ジグを取り巻く世界は驚くほどクリアになった。
「──そういう、ことかぁ……」
ヒントは至る所に散りばめられていた。
それに気づかなかったのは、単にジグがこの結末を是として受け入れていたから──本当に自傷行為と言われても返す言葉がない。
先入観をもって全体を俯瞰してみれば、自分たちが置かれている状況──大まかなシナリオと配役はすぐに理解できた。
脚本家の意図も伏線も、分かる者には全て分かるように構成されている。
後はその落としどころだけ。
この舞台はオチが分かれば白けてしまう。恐らく脚本家はメインキャストにもシナリオを読ませていないのだろう。ほぼ全員がアドリブで、結末はマルチエンディング方式。ジグが話に乗らないケースも展開としては想定していた筈だ。
「そっちのプランは読みやすい、な。それはそれで無難な結末か知らんが──ああいや……」
敢えてこのまま何もしない、という選択肢を考える。
読みやすくて無難で、多少手間と時間はかかっても確実に彼女の願いは叶えられるだろう。ただし──
「……足りないな」
その結末は無難ではあっても不完全だ。完全無欠のハッピーエンドからは程遠いし、償いにはならない。
「とは言え向こうの手札を考えると──」
「何をブツブツ言っとるんだ貴様は」
「ワフ」
「!?」
顔を上げると、すぐ目の前に呆れた表情のヴェルムとキコがいた。
「……手遅れかもしれんがもう少し人の目というものを気にしたらどうだ? 貴様の気味の悪い百面相で周りの人間がドン引きしとるぞ」
「…………」
言われて周囲に視線をやると、ジグに視線を向けていた通行人がサッと目を逸らす。
「…………コホン」
ジグは恥ずかしさを誤魔化すように咳ばらいを一つ、平静を装って口を開いた。
「お前らこそどうしたんだ? 捕まったって聞いてたけど、まさか逃げ出してきたのか?」
「馬鹿を言うな。夜になったから普通に解放されただけだ──まぁ、明日には改めて出頭するように言われておるがな」
ヴェルムは肩を竦めて詰まらなそうに吐き捨てる。
「? 何だそりゃ?」
「貴様も弟子がゴトーのところに向かったという話は聞いておるのだろう? 近い内に監査は取り下げられる。こうなった以上、連中にすれば吾輩たちを拘束して食事やら寝床の世話をする手間も惜しいということらしい。逃げるならそれはそれで手間が省けると挑発されたわ」
「ワフゥ」
確かにその通りではあるのだが、だとしたら昼間二人への面会を拒否されたのは何だったのか? いや、■■の狙いは分かるがそれをどうやって納得させたのか──
そんなジグの疑念を見透かすようにヴェルムは薄く笑って続けた。
「どうやら連中──貴様の昔の仲間だが、貴様が何をしでかすか分からんと警戒して吾輩たちを隔離しておったらしい。しかしいざ貴様の様子を見に行ってみればすっかり腑抜けておるではないか。警戒するだけ馬鹿馬鹿しいという結論に至ったらしいぞ」
「…………さいですか」
ニヤニヤこちらの顔を覗き込むヴェルムとキコから顔をそむける。
「あの戦士が心底失望した様子だったのでな。吾輩たちも貴様がどんなショボクレ顔をしておるのか期待して見にきたのだが──」
ヴェルムは無遠慮にジグの顔を観察した後、腰に手を当て溜め息を吐いた。
「──詰まらん。全く面白みのないツラだ。期待外れにもほどがある」
「ワフッ」
「……ご期待に沿えなくてすいませんねー」
「全くだ。大いに反省しろ馬鹿者」
理不尽な軽口を繰り返し、ヴェルムとキコはニヤリと笑う。
「まあいい。もとより貴様の貧相なツラにはあまり期待しておらんかったからな。その分これから身体を張って笑わせてくれるのだろう?」
「……一丁前に観客気取りかよ」
ジグは頭を掻きながら大きく溜め息を吐き、ジロリと二人を睨んで言い返す。
「──ご希望ならとびっきりの舞台に招待してやるが、チケット代は払えるんだろうな?」
「吾輩たちから金を取る気か? ごうつくばりめ」
「ケチンボ!」
「文句があるならテメェらも舞台に参加しろ。丁度キャストに空きがあるんだ」
「ふむぅ……いきなり主役と言われても吾輩にも心の準備というヤツがあってな?」
「鏡見ろ阿呆」
「……木の役は御免だぞ? エルフだから植物でいいだろなどとセンスがないにもほどがある」
「ワフ! キコ、オヒメサマ!」
好き勝手調子に乗る二人に、ジグは真面目に取り合うのも馬鹿馬鹿しくなり肩を竦める。
「あ~はいはい。役柄は任せるから好きにしろよアホ共。どうせ脚本書いたのは俺じゃねぇんだ。舞台がぶっ壊れようと知ったことか。勝手に上がって、勝手に踊ってろ」
ジグはそう吐き捨てると、踵を返してゴトー商会ともミモザ商会とも違う別方向へと歩き出す。
ヴェルムとキコは顔を見合わせ後に続いた。
「どこへ行くのだ? 他の役者が集まっている場所とは違うようだが」
「俺のやりたい役は版権があるからな。先に版元に許可取っとかねぇとマズいだろ」
「……貴様一体、どんな役をやるつもりなのだ?」
ジグはその問いに、ニヤリと笑って答えた。
「俺はローグだぜ。ローグの花形っていやぁ、黒幕かラスボスに決まってんだろ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当によかったんですか? まだ正式に依頼が完了したわけでもないのに……」
「勿論だとも。件の連中が証言を拒否したという時点で概ね形勢は固まった。そんな形だけの仕事のためだけに優秀な君たちを拘束するのは非効率だからね」
夜。ゴトーから屋敷での夕食に招かれたカイン一党は恐縮しながらも豪華な食事に舌鼓を打っていた。
食事の席でゴトーの口から飛び出したのは、監査依頼の事実上の完了と追加依頼について。
「私は数日中にミモザ譲との協議を終え、ミモザ商会をウチの傘下に組み入れる予定だ。そうなればローグ共の影響は排除できるし、彼らとこれ以上敵対する意味もなくなる。その段階で正式に監査依頼は取り下げることになるだろう。だがそれまでの間、君たちはもう一人のローグが行方知れずなこともあって依頼完了が宙に浮いた状態だろう? だから一旦、今の時点で監査依頼は成功したものと見做し報酬を支払わせてもらう。その代わりと言っては何だが、ミモザ嬢との協議が終わるまでの間、この屋敷に詰めて警備にあたって欲しいのだよ。無論、警備に関しては追加で報酬を支払おう」
『…………』
カイン一党は困惑気味に顔を見合わせる。
ゴトーの提案は彼らにとってあまりに有利で願ってもない内容だった。それ故に、何か裏があるのではと困惑する。
「我々としては願ってもないお話ですが、その……わざわざ我々を警備に雇う必要がありますか?」
代表して疑問を口にしたのはカイン。
「本来の依頼とは無関係な揉め事に巻き込まれているのではないか心配かね?」
「いえ、そんなことは。ただ我々以外にも警備の人間はいるようですし、そこまでする必要があるのかなと……」
「もっともな疑問だ」
ゴトーは鷹揚に頷き質問に答えた。
「まず、確かに君の言うように警備の人間は数こそ揃っているが、例の一件で子飼いの連中が倒れてしまい大半は急場しのぎで雇った傭兵どもだ。能力面でも忠誠心の面でも不安があると言うのが一つ」
「……私たちも別にあんたに忠誠を誓った覚えはないけどね」
「エリザさん!」
ボソリとエリザが口を挟み、慌ててセフィアが窘める。
ゴトーはそのやり取りに気を悪くした様子もなく続けた。
「もう一つは、件のローグ──いや、ローグギルドがこのタイミングでどんな妨害を仕掛けてこないとも限らないからね。念には念を入れておきたいのだよ」
『…………』
再び一党は顔を見合わせる。
「気にし過ぎではありませんかな? 連中も悪あがきをしたところで無駄だということは理解しておるでしょう。少なくとも儂らと組んでおったあの男は、それほど阿呆ではありませんでしたぞ」
「そうですね。例のエルフとコボルトにも鈴はつけてあります。一人行方が知れない者もいますが、この状況で姿を見せない以上、逃げたと考えて問題はないかと」
ドルトンとセフィアの言葉を否定することなく頷くゴトー。
「分かっている。だから念のためだよ。人間と言うのは常に合理的で意味のある行動をとるとは限らんからね。腹いせや八つ当たり、という可能性も否定はできんだろう?──いや、実を言うとここまで真っ向からローグ共と敵対した経験はなくてね。少しでも安心を買いたいというのが正直なところなのさ」
「なるほど……」
弱音をこぼすゴトーに、カイン一党は彼が戦う力を持たない一般人であることを思い出し、納得した。
ゴトーの説明は嘘ではないが、全てでもなかった。
確かにローグ共が悪あがきをしても、今さらミモザ商会が息を吹き返すことはないだろう。だが例えばローグがミモザを攫って、強引に彼女から東方群島との伝手を聞きだすといった可能性は普通にあり得る。東方群島との取引を確実なものとするまでミモザの身柄は確保しておく必要があった。
理想はノコノコやってきたローグを捕まえ、その身柄を材料にミモザやローグギルドと交渉を優位に進めること。
既にゴトーはこの一件が終結した後のことを見据えており、ローグギルドに対しいかに優位に立つか、あるいは関係を維持するかにその意識が向けられていた。
──そんなゴトーの思惑を見透かす目。
「ゴトーさん。私を雇うつもりはありませんか?」




