第23話
「────え?」
男の顔は、最後まで何が起きたか理解できていない様子だった。
──プシャァァッ
噴き出る血しぶきを避けることもせず全身に浴びながら、男の身体が床に崩れ落ちる様をジッと眺める。
人は簡単に死ぬが、楽に死ぬことは難しい。
その身体は全身急所の塊で、どこを切っても血が出るし、ほとんどの人間は少し深く肉を切るだけで痛みでまともに動けなくなる。
だから相手が油断して無防備でいるところをナイフで少し切りつけてやれば、大抵の場合それで終わり。強いも弱いも人である以上は意味がない。
「う……が……っ?」
倒れ伏した男は出血で意識が混濁する中、それでも生きようと足掻き呻いている。
もう助からない──が、楽にも死ねない。
結局、その男が意識を失い息絶えるまでの四十七秒間、少年は無表情でジッと、その苦悶の様を見下ろしていた。
「…………」
ローグギルドに拾われた少年の仕事は『蛇』──所謂、暗殺者だった。
組織内でもその存在は秘匿され、少年がそうであることを知っている者はほとんどいない。
暗殺の対象はギルドの裏切り者や、悪党と呼ぶのも烏滸がましい外道──と聞かされてはいたが、実際はどうだったのか。
上の言い分を信じていたわけではないが、どうせ誰かがやることだからと、言われるがままに仕事を続けていた。
殺しは少年にとって天職だったのだろう。師であるギルド長には未熟者と罵倒され続けたが、実戦で困ったことはほとんどない。
同時に、慣れることもついぞなかった訳だが。
暗殺者としての仕事は強制されたものではなく、恐らく断ればギルド長はそれを認めてくれただろうが、少年はそうしなかった。
理由は本人にもよく分かっていない。
最初は自分の両親を死に追いやった外道どもをこの世から消し去りたいのだと思っていたが、それが欺瞞であることにはすぐに気付いた。
だって、殺してもちっとも心は晴れない。それがどんな外道でも、苦しんでいる様を見ていると吐き気がする。これで世界は綺麗になると自分に言い聞かせても、汚れた自分の手を見てはそれも空々しいばかりだ。
仕事は苦痛だったけれど、辞めようと思ったことは一度もない。本当に、その発想がなかった。
どうせ自分は人殺しで──こんなクソみたいな生活が似合いだと、本気で思っていたから。
そんな日々が数年続き、ギルド内の粛清もひと段落した折。
『蛇』の長からギルド長に、少年を自分の後継として引き取りたいとの申し出があった。
ローグとしては大出世。『蛇』の長はゆくゆくは少年をギルドのトップに、とも考えていたらしい。
ギルド長は反対せず、少年に決断を委ねた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………」
夕闇迫る街をジグは目的もなくただ歩いていた。
本来なら明日が薬舗のオープン日だが、店に戻っても誰もいないし、何もすることがない。
ミモザがゴトーのもとに向かったと聞いた直後は彼女に会いに行かなけりゃなんてことも考えたが、フラーラの言葉に冷や水を浴びせられ、すぐに意味がないと気づいた。
会ってどうするつもりだったのか。
この状況からの逆転はほぼ不可能。妥協してでも店を残そうとミモザが決断したのなら、もう自分たちが口を出せることは何もない。下手に首を突っ込んでも余計ミモザの立場を悪くするだけだ。
仕事としては大失敗。助けを請われた立場としては情けない限りだが、今更出来ることと言えば精々ミモザの身に危険が迫った時、物理的に救出するくらいのものだろう。そして一応は表の商人であるゴトーが、そこまで無茶をするとは考えにくい。
ヴェルムとキコについても同様だ。二人の居場所を見つけ出し解放することはできるかもしれないが、それをすればやはりミモザの立場が悪くなる。
二人もそれを望まないからこそカインたちの拘束を受け入れているのだろうし、ミモザとゴトーの交渉が成立すれば恐らく二人は解放される。ゴトーの傘下に入り、ジグたちローグの干渉が排除されることになれば監査を続ける必要がなくなるのだから、そうなる筈だ。
行方知れずのサラのことは、もう今更だ。
仮にサラがこちらを裏切りゴトーと繋がっていたとしても、いなくとも、結果は何も変わらない。小指の爪の先ほど心配していた『ゴトーに捕まっている』という可能性もなさそうだし、放置で構わないだろう。
彼女が何を企んでいたのか、そこだけ気にならないと言えば嘘になる。
だがそれも含めて今更だ。サラの真意が明らかになったところで、この状況を覆せるわけではないのだから──■■と■に?。
? いや、とにかくこれ以上は考えても仕方ない。
ケジメをつけるのはいつでもできる。
冒険者稼業は引退し、真っ当な商売も立ち行かないとなれば、どうせ『蛇』に戻るぐらいしか道はないのだから──
「────」
──通りの向かいから歩いてきた一人の青年を目に留めジグは思わず息をのむ。
互いに御尋ね者でも身を隠している訳でもないのだから、同じ街に住んでいればこうしてすれ違うこともあるだろう──が、彼は真っ直ぐにジグに向かって歩いてきた。
「やあ。今朝方ぶりだね、ジグ」
「カイン……」
二人は通りの端で足を止めて向かい合う。
ジグは彼と何を話していいのか分からなかったが、カインはそうではないようだ。
かつてパーティーを組んでいた時と同じ穏やかな表情、柔らかな声音で、ザクリとこちらの胸を抉る。
「──酷い顔だ」
そんなつもりはなかったが、どうやらカインにはそう見えているらしい。
「どうやら自分の置かれた状況ぐらいは理解できてるみたいだね」
うるせぇよ──ジグは胸中でそう反発しながら、口は別の言葉を紡いでいた。
「……何の用だ?」
「ハハッ。何の用? わざわざ僕が君に会いに来たって? 少し自意識過剰なんじゃないか?」
「…………」
馬鹿にしたような言葉にジグは無反応。それにカインはつまらなそうに鼻を鳴らし、肩を竦めた。
「……ツッコんでくれよ。これじゃ僕がただの厭味な奴じゃないか」
「知るか。用件は?」
「……フラーラから君に会ったと聞いてね。女の子一人守れず、全部無くした君が今、どんな顔をしてるのか気になって見に来たのさ。エリザたちも見たがってたけど、流石に今は彼女の罵倒はきついだろうと思ったから僕が代表して、ね」
感謝してくれよ?──そう、冗談めかして言うカインに、ジグは碌な反応を返すこともできず無言で彼を睨みつける。
「…………」
「まただんまりかい」
カインはつまらなそうに空を見上げ、ふぅと短く息を吐く。
「……ホントはね。君にパーティーに戻ってこないか誘おうと思って来たんだ。君は商売に失敗して無職。以前君が希望していたもう一人の斥候役も見つかった。僕らは君が戻ってくれれば確実に上を目指せる。皆にとっていいこと尽くめだ」
しかしカインはそこで言葉を区切って肩を竦める。
「──そう、思ってたんだけどね。君は僕が思うよりずっと腑抜けた人間だったみたいだ。これじゃ君が戻ったところで足を引っ張られるだけだ」
「…………」
反論の言葉は、思い浮かばない。
そんなジグをカインは蔑むような目で見つめ、更に続ける。
「……あの娘も可哀想に。君みたいな人間を信じて、裏切られて、結局両親の残した店を奪われることになった」
「…………」
「負け犬が。その気もないのに真面目に生きてる人間に関わるなよ。君の自傷に巻き込まれる人間が気の毒だ」
そう吐き捨て、カインはその場から去って行った。
「…………」
反論はない。出来る筈がない。
きつく噛みしめた唇から赤い血が一筋、震えながら地面に落ちた。




