第15話
「……兵隊どもはほとんど全滅です。無事だったのは宴会に参加していなかった一割弱。表の従業員は無事とは言え、これでは通常業務にも制限をかけざるを得ません」
食堂で起きた惨状から一夜明けて。ゴトーの執務室でエルスマンが昨夜の顛末について報告を行っていた。
徹夜で対処に追われていたエルスマンの顔には疲労が色濃く出ており、ゴトーへの報告もどこか投げやりな態度が見え隠れしている。
「対策は?」
「……多少金はかかりますが、警備などを外注で対応するしかありますまい」
「うむ。急な話だが人が集まるかな? それに外部の人間を近づけるわけにはいかぬ場所もあろう」
ゴトーに声音に責めるような色はなく、純粋に可能なのかを確認していた。
「……人は集めます。どんな手を使っても。後者に関しては比較的症状が軽い者に僧侶による治療を受けさせました。全快には程遠く荒事など到底不可能ですが、見張りに立たせるだけなら何とかなるでしょう。少なくとも案山子よりは幾分マシな働きができるかと」
「うむ。今回の一件、金に糸目は付けぬ。可能な限り普段通りの営業が出来るよう手配してくれ。それと、無理をさせた者へ手当も忘れぬようにな」
「……はっ。薬品を取り扱う我らが食中毒で営業不能など、笑い話にもなりませんからな」
エルスマンは自嘲交じりに吐き捨てた。
風評リスクを考えれば念のため関わった僧侶や医者に口止め料を握らせるべきかもしれない。エルスマンは疲労と眠気でこの突然の災難に対し上手く思考が働いていないことを自覚し溜め息を吐いた。
目の前の主人も一睡もしていない筈だが──と、そこでエルスマンはゴトーが顔を伏せ、何か考え事をしていることに気づく。
「……何か、気になることでも?」
「いや……」
ゴトーの顔色も決して良くはない。珍しく彼は自分の考えに今一つ自信を持てぬ様子だった。
「今回の一件、診察した僧侶は性質の悪い食中毒だろうと言っていた。──本当にそうだと思うか?」
頭が上手く働いていないエルスマンは、その言葉の意味を理解するのが一瞬遅れた。
「……妨害工作の可能性を疑っておいでですか?」
「…………」
ゴトーは自分でも判断がつきかねる様子で、一つ一つ確かめるように言葉を紡ぐ。
「アランの娘の店のオープンが明後日に迫り、対処に追われているこのタイミング。奴らの裏にはローグ共がいる。食堂に忍び込み、食中毒を引き起こすことも不可能ではない。──違うか?」
「…………」
エルスマンはゴトーの言葉を頭の中で吟味し、疑問を口にする。
「……確かに、奴らにとって都合が良すぎる状況ではあります。ですがウチの兵隊どもには警戒を促していましたし、忍び込むといってもそう簡単なことではないでしょう。仮にそれができたとしても、ローグの仕業だとすればどうにも中途半端な気がしますが……」
「…………」
エルスマンの意見にゴトーは反論することなく黙り込む。ここまでのことが出来るなら、兵隊ではなくゴトー本人を狙うなどより有効で疑われにくいやり方があったのでは?──ゴトー自身も同様の疑問を抱いており、これがローグの妨害だという確証が持てないでいた。
「一応、医者が食い物の残りを持ち帰って調べておりますが、あまり期待しないでくれとも申しておりました」
「……難しかろうな。もしローグの仕業だとすれば相当狡猾な手合いだ。調べて直ぐに自然発生した毒でないと分かるようなものは仕込むまいよ」
また仮に毒を盛られたと分かったとしても、それが連中の仕業という証拠はどこにもない。調査結果が判明した時にはアランの娘の店は取引を再開し、更に手を出しづらい状況になっているだろう。かつて奴らの店を妨害して潰した時とは状況が違う。アラン夫妻の死に自分たちが関わっているとの疑いの目が向けられている状況で、再びその娘にまで手を出したと噂されれば、風聞以前に痛くもない腹を探られることになりかねない。
──いや、待てよ……?
「……旦那様? いかがしましたか?」
突然真剣な表情で考え込むゴトーに、エルスマンが不審そうに問いかける。
ゴトーはそれに反応せず一分ほどジッと考え込み、そしておもむろに顔を上げて口を開いた。
「エルスマン。先ほど兵隊の穴埋めに一部仕事を外注すると言ったが、ついでに雇って欲しい連中がいる」
「は? それは構いませんが……いったい誰を?」
「ああ。────だ」
エルスマンはその指示を聞いて一瞬目を見開き、呆気にとられた声を出す。
「この状況で、仕掛けるおつもりですか……?」
「ああ。どうせ外注だ。多少金はかかるが本業には支障あるまい?」
「それはそうですが……」
納得していない様子のエルスマンに、ゴトーは自分自身の思考を整理するように説明した。
「今回の一件が連中の仕業であってもなくとも、こちらの状況を知れば当然向こうは油断する筈だ」
「まぁ……それはそうでしょうな」
「更に言うなら、今回の一件は向こうにとって都合が良すぎる。我らが怪しみ、仕掛ける大義名分になると思わぬか?」
「…………」
エルスマンの頭の中で、先ほどゴトーから雇うよう指示された人材と大義名分という言葉が結びつき、朧げにゴトーが何をしたいかを理解する。
更にゴトーは付け加える。
「それと、このタイミングで向こうにも何か動きがあるかもしれん。内通者にも改めて注意するよう伝えておけ」
「……はっ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………」
夜、店舗三階のルーフバルコニーから星空を見上げる。
周囲の視線を遮るように、ただ天を見上げる為だけに作られたその場所で、ミモザはかつて母がそうしていたように一人で時を待っていた。
月が天頂に差し掛かった時、耳の裏に隠れた羽毛が泡立つような感覚を覚え、ミモザは『来た』と立ち上がる。
夜闇に紛れて、フワフワと重力を感じさせない速度で、樹皮にくるまれた一抱え程の荷物がミモザの元へと降りてきた。夜目の利く者であれば、あるいはその包みの四方に刺さった不自然なこげ茶色の羽に気づいたかもしれない。
ミモザはその包みを捕まえると、飛んで行かないように左手で掴み、右手で素早く中身を抜き取って、代わりに用意していた手紙と商業手形を入れ落ちないようしっかり紐をしめる。そして手を離すと包みは重力に逆らって少しずつ上昇を始め、しばらくすると夜空に混じって見えなくなった。
鳥人と呼ばれる種族がいる。
獣人の一種で、その名の通り鳥の特徴を持ち、背中に生えた翼で空を飛ぶことができる亜人種だ。
空を飛ぶ鳥人間と言えばハーピーを思い浮かべる人が多いだろうが、あちらは知性の低い魔物で、手は翼と一体化していて下半身はほぼ鳥。一方で鳥人の外見はよりヒューマンに近く、背中に大きな翼が生えていることと、全身あちこちに羽毛があることを除けばほとんどヒューマンと違いはない。
だがそれは裏を返せば鳥人の肉体は鳥やハーピーのように空を飛ぶようにはできていない、ということでもある。鳥の肉体が空を飛ぶために最適化されているように、ただ翼があれば空を飛べるほど飛行とは簡単なものではない。人間の腕に羽の模型をつけてバタつかせたところで意味がないように、羽一つで簡単に空を飛べるほど人間の身体は軽いものではないのだ。
では何故、鳥人はその道理に反して空を飛べるのか? 答えは実に単純で身も蓋もない──魔法だ。
その羽に宿った天然の魔法。彼ら鳥人の羽は魔力を通すことで浮力を宿す性質を持っていた。
言うまでもないことだが、空を飛べるというのは途轍もないアドバンテージだ。
単純な移動の利は言うに及ばず、戦いとなれば上空から安全に敵陣を偵察し、魔力が尽きぬ限り上空から一方的に攻撃することもできる。
そして鳥人たちはその能力故に周囲から目を付けられ、危険視され、狙われた。
単純に目障りだと殺そうとする者もいれば、捕えて奴隷にしようとした者も、その羽の原理を解明するための研究材料にしようとする者もいた。鳥人たちは次々と狩られ、数を減らしていき、今ではごく少数が常人には到達困難な秘境に隠れ住み、下界ではほとんどお目にかかれない種族となってしまった。
外界から隔絶した場所で生活している鳥人たちだが、秘境での生活は物資が不足しがちで、不便なことが多い。また彼らは未来永劫その場所が安全だと楽観できるほど考えなしでもなかった。
鳥人たちはいずれ自分たちに迫る脅威に備えるため、正体を隠して密かに下界に紛れ込み、協力者たちを作って、物資や情報をやり取りする独自のネットワークを構築していた。
ミモザと両親はそんな鳥人の協力者だった。
ミモザの母方の祖母は鳥人。彼女は協力者だったヒューマンとの間にほとんどヒューマンと見分けのつかない混血の娘を産み、娘は父親のもと人間社会で育てられた。そしてその娘がまたヒューマンと結ばれ、生まれたのがミモザ。
彼女は母から四分の一の鳥人の血と、鳥人たちとのネットワークを受け継いでいた。
独自の仕入れルートというのもこの鳥人たちのネットワークによるものだ。周囲には東方群島からの伝手があると語っていたが、実のところこのネットワークに直接東方群島は関係していない。
閉鎖的で未開地の多い東方群島は鳥人たちの隠れ里が多く、鳥人たちがその文化や知識を模倣する機会に恵まれたというだけの話。
ミモザはこの秘密をサラやジグたちにも伝えておらず、知られれば取引相手が自分たちから手を引くかもしれないと言って、絶対に探らないようお願いしていた。
だから今ミモザがこうして取引を行っていることは、仲間にも秘密であり、彼女だけが把握していること──
『…………』
──その筈だった。




