第14話
「これは……」
ゴトーとエルスマンが目にしたのは、まさに死屍累々と言う他ない惨状だった。
「ぐ……うぅ……」
「み、みず……」
「ゲフッ! ゲホ、ゲホ……ぁ……」
兵隊たちの息抜きのために設けた社員食堂。普段は兵隊たちの憩いの場として賑わっているそこは今、さながら野戦病院のような有り様となっていた。身動きできなくなった兵隊たちが床や地面に転がされて呻き声を上げ、その合間を縫うように無事な者たちが駆けずり回り手当──というほどのことは出来ていないが──にあたっている。
「……何だこれは? 一体どうなっている!?」
秘書のエルスマンは動揺のまま、自分たちに報告してきた部下を怒鳴りつけた。
その部下は怒声に「ひぃっ」と身を竦め、泣きそうな表情で口を開く。
「わ、わからないんです……!」
「わからんということがあるかっ!? 何があったかと聞いて──」
「──落ち着け、エルスマン」
ゴトーがいきり立つ秘書の肩に手を置き、宥めるように言う。
エルスマンは反射的に睨みつけるが、その手の主がゴトーだと気づくとすぐに気まずそうな表情となり、口を噤んだ。
ゴトーも動揺が無いわけではなかったが、先にエルスマンが騒いでくれたおかげで少しだけ冷静でいられた。
「……怒鳴ってすまんな。だが一体何があった? 分かっていることだけで構わん。報告してくれ」
「は、はい……」
ゴトーの問いかけに部下も少しだけ平静を取り戻し、ポツリポツリと事情を語りだす。
「ですが本当に、よく分からないんです。いつも通り仕事上がりに仲間と飲もうと思ってここに来たら、先に飲んでた連中が突然苦しみだして……」
「ふむ……? 先に飲んでいたというと、お前は遅れて来たのか?」
「は、はい。指示書にミスがあったことが仕事が終わる直前に分かって、そのせいで三時間ぐらい残業してました」
三時間──飲み食いがひと段落するには十分な時間だ。
「それで? 苦しみだしたと言うが具体的にどんな様子だった? バラバラにそうなったのか、全員が一斉に苦しみだしたのか」
猫耳の部下は当時の状況を思い返すように宙に視線を彷徨わせながら答える。
「……最初は、豚の爺さんが腹を押さえて苦しみだして、吐いて。みんな飲みすぎだって笑ってたんですけど、あんまりにも苦しそうなんで医者か僧侶を呼んだ方がいいんじゃないかって話になって──そしたら今度は別の奴が同じように吐いて、次々広がっていって……」
その時の恐怖を思い出したのだろう。部下は自分の身体を抱きぶるりと震わせた。
部下の説明を聞いたゴトーは改めて食堂内を見回す──この場にいる者で自分たち以外に無事な者はほんの数名。九割以上の者が倒れて動けなくなっている。
「そうこうしてる内に俺以外全員が倒れちまって……それで──」
「? では今、あそこで世話をしている連中は?」
「あいつらは夜勤とかで飲み食いに参加してなかった奴らです。騒ぎを聞いて駆けつけてくれました。俺はとにかくボスに報告しなけりゃと思って──」
「ちょっと待て」
エルスマンは焦った表情で部下の言葉を遮る。
「まさかお前、原因の把握も出来ちゃいない危険な現場にボスをお連れしたのか?」
「へ……?」
「万一この場に毒でも蔓延してたらどうするつもりだ馬鹿野郎!?」
エルスマンは今の今まで自分も気づいていなかったことを棚に上げ部下を責め立てた。
「え、いや……そんな……」
「気づかなかったで済む問題か!! テメェは──」
「──エルスマン。落ち着け」
「ですがボス!?」
「落ち着けと言ってるんだ」
鋭く主に睨みつけられ、エルスマンは押し黙る。
「仮にお前の言うような毒があったとしても、コイツ等の様子を見る限り直ぐに死ぬようなものじゃあない。それに危険な毒を空気中に散布するなんて非効率でリスクの高いことをする奴がいると思うか? 万が一そんなことも考えられない馬鹿の仕業だとしても、これだけ時間が経っていればある程度毒も散っているだろうよ」
「は……それは、確かにそうですが……」
「それに毒でも病気でもすぐに呪文で治療すればどうにかなる──おい、僧侶の手配はしているな?」
「へ? あ、いえ俺はそれどころじゃ……」
ゴトーに訊ねられしどろもどろになる部下だったが、幸いにも応援に駆け付けた者の中に最低限考える頭を持った者がいたようだ。
ちょうどそのタイミングで僧侶と思しき僧衣の中年男性が、獣人の男に手を引っ張られ息を切らしながら食堂の中に飛び込んできた。
「ひぃ、はぁ、ひぃ…………はぁ? これは、いったい……?」
どうやらその僧侶は碌な事情も聞かされないままこの場に連れてこられたらしい。食堂内に倒れた人間が所狭しと転がされている光景に息を呑み目を白黒させていた。
そんな僧侶にゴトーが近づき話しかける。
「先生。事情は後で。ともかくウチの連中を診てやって貰えませんか? 治療費はお支払いします」
「は、はぁ。それは勿論ですが……食中毒、ですか?」
食堂で、倒れている人間は皆一様に腹を押さえて嘔吐か下痢の症状が出ている。そのことから僧侶は食中毒の可能性に一番に思い至ったらしい。
「分かりません。ただ、ここで飲み食いしていた連中は全員同じ症状が出ているようです」
「……なるほど。いや、原因の特定は後ですな」
僧侶はここでようやく落ち着きを取り戻し、周囲を見回し治療や世話にあたっている者たちに呼びかけた。
「一番症状が重い方はどちらですか!?」
「こっちだ! こっちの爺さんが意識が無くてヤバイ!」
「直ぐに行きます!──私一人でこの人数を捌くのは不可能です。一先ず重症の患者から診ていきますので、その間に応援を手配してください」
「分かりました──エルスマン」
「はっ。すぐに」
僧侶の言葉を受けて、ゴトーがエルスマンに指示を下す。
そして僧侶はすぐに一番重傷だという老ハーフオークの元へと駆け寄った。この老人も即座に命の危険がある程ではなかったが、高齢で酒が入っていることもあり完全に意識を失っていた。
「む! いかんな、脱水症状を起こしかけている……」
「先生、爺さんを……!」
「安心したまえ」
僧侶は慌てる若い男を安心させるように笑みを浮かべ、すぐに【解毒】の奇跡を願った。
「? 効きが良くないな」
一般的な食中毒であれば【解毒】の奇跡で快癒する筈だが、老人は多少顔色が良くなったものの、未だに苦しそうな表情のままだ。念のため【病気治癒】、体力を回復させる【賦活】などを続けざまに使用してみるが、前者は効果がなく、後者で幾分顔色が良くなったものの快癒にまでは至らない。
奇跡が発動していないわけではなかった。実際に老人は危険な状態を脱している。ただ何故か普段より奇跡の効き目が薄い。
難しい顔になる僧侶に、様子を見ていたゴトーが話しかけた。
「先生? 何か問題でも?」
「……ああいえ。このご老人については重湯でも飲ませて脱水症状を起こさないように注意していれば問題はないでしょう。他の方も症状が重いようであれば奇跡を使って治療していきますが、診た限り十分な体力さえあれば命に関わるような症状ではありません。水分と栄養をとって安静にしておけば自然治癒するのではないかと思います……ただ少し、症状に対し奇跡の効きが良くないことが気になりますな。ひょっとしたら、快癒には時間がかかるかもしれません」
「…………」
その僧侶の言葉通り、この一件で命を落とした者はおらず、ほとんどの者は安静にしていれば数日で山を越えた。
ただし、彼らは全員、症状が治まった後もしばらく原因不明の吐き気や頭痛に悩まされることになり、全快には一月以上の時間を必要とした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「グハハハハハハッ! 見たか! 吾輩たちにかかればゴトーの雑兵なぞ一捻りよ!」
「ワフ……」
偵察から帰ってきたジグからゴトーが雇っている荒事向きの人材が壊滅状態──死んではいない──となったとの報告を受けたヴェルムは、悪の組織の幹部──ただし一番の小者──のごとく両手を広げ哄笑を上げた。
ヴェルムに吾輩たちと一括りにされたキコは迷惑そうな顔をしているが、今回に関して言えば彼女もちゃんと共犯だ。
二日前、サラからゴトーに対し積極的にうって出ようと言われ、その実行役に名乗りを上げたのがヴェルムだった。
ヴェルムがキコと組んで行ったことは言葉にすれば至極単純で、ヴェルムが調合した毒を、キコがゴトーの従業員たちの拠点に潜り込んで食事に混ぜた──ただそれだけ。
ゴトーたちもこちらにコボルトがいることは把握し警戒してはいただろうが、コボルトの個体識別などよほど親しくしている者でもなければ人間には難しい。毛色を少し変えるだけで変装としては十分な効果を発揮した。また、ほとんどの人間はコボルトをもっとも脆弱な亜人種として見下している。獅子搏兎なんて言葉もあるが、幼い子供の勇者ごっこに真剣を持ち出す馬鹿がいないのと同様に、弱者相手に本気になるというのはある意味で大人げなく非常識な行為。真っ当な感性を持つ者ほど実際には難しいのだ。
毒使いヴェルムと運搬人キコのコンビは、ジグが知る限りローグギルドでも最悪の戦術兵器だった。
「えっと……」
報告を横で聞いていたミモザは、流石にこれはやり過ぎなのではと冷や汗を流す。
ミモザは今回の襲撃に関し事前に詳細を知らされず、『ゴトーの兵隊をしばらく動けないようにする』とだけ伝えられていた。
軽い嫌がらせか攪乱でも行うのかなと思っていたが、いざ蓋を開けてみるとやっていることは普通にテロ。いや勿論、嫌がらせの時点でよくはないのだが、今まで自分や両親がゴトーにされてきたことを思えば、多少痛い目をみさせるというか懲らしめるぐらいはいいじゃないか、と正直軽く考えていた。だが実際にゴトーの従業員に出た被害を聞くと……
一方でミモザ自身はジグたちに助けてもらっている立場。しかも彼らがならず者であることを理解していた上で協力を仰いでいた以上、今さら大きな声で非難もしづらい。
「安心するがいい、弟子よ」
そんなミモザの心境をどこまで理解できているのか、ヴェルムが気取った仕草で口を開く。
「今回、吾輩が調合した毒は成分分析されても食中毒と区別がつかぬように細工してある。怪しまれることはあるかもしれんが、足がつくことはあり得ん」
「いやその……そっちの心配もそうなんですけど、毒を盛ること自体が流石にやり過ぎなんじゃないかと……」
ミモザのおずおずとした指摘にヴェルムは問題ないと言い切る。
「毒といっても今回のヤツは毒性を抑えてあるからな。よほど体力が落ちていない限り放置していても命に危険はない。念のため、小僧が現場を見張って危なそうなら僧侶を手配するように段取りもしていた」
そうなんですか?──とミモザがジグに視線を向けると、彼は認めて頷きを返す。
「ああいや、言いたいことは分かるぞ弟子よ! そのような脆弱な毒では、連中が直ぐに回復してしまうのではないかというのだろう!?」
「…………」
そんなことは言ってないし思ってもいない──が、ヴェルムはミモザの困惑の視線を無視してノリノリで続けた。
「吾輩が僧侶の奇跡に何の対策も講じていないと思うか? 否! 僧侶の奇跡は一見万能に思えるがそうではない! 毒や病原菌を排除する、傷を癒す、体力を回復させる──奴らに出来るのはここまでだ! 無から有を作り出すことが出来ぬように、僧侶の奇跡では失われた栄養素を取り戻すことはできんのだ!!」
「栄養素……ですか?」
薬師見習いとして興味を惹かれる内容にミモザが少し食いつく。
「うむ! 今回の吾輩の毒は、嘔吐や下痢といった症状に合わせ、人間の体内で必要とされる栄養素の一部と結合し、強制的に体外に排出する効果を持たせてある。生命維持には問題ないよう調整してあるが、当面は頭痛や眩暈などの後遺症でまともに動けんだろう。回復には失われた栄養素を取り込むしかないが、人間が一度に吸収できる栄養素には限界がある。仮にこのことに気づく者がいたとしても食事療法以外に対処法はなく、回復には最低一月はかかるだろう! ゴトーはその穴埋めに手を取られこちらに手を出すどころではあるまいて! グハハハハハハッ!!」
「なる……ほど……?」
やり方は問題だが、相手の被害が大きくなりすぎないよう気は使っていたようだし、相手の動きを止める方法としては間違いなく有効だ。
ミモザは『そういうことなら、仕方ない、のかな……?』と自分を納得させようとする。
それでも更に何か良識を麻痺させる材料を探して周囲を見回すと、高笑いしているヴェルムの横でジグが難しい顔をしていた。
「どうしたんですか、ジグさん?」
「ああ、いや……」
ジグは周囲の視線が自分に集まっていることに気づき、少し迷うように口を開いた。
「確かにこれだけダメージを与えれば、ゴトーにゃこっちにちょっかいかける余力は残ってない。その間に店をオープンさせて、向こうが手を出しづらいようにしっかりとした取引実績を作る──その方針自体は間違ってないと思うんだ。ただ向こうが大人しく諦めてくれるか気になってな」
「…………」
ローグであるジグたちが裏にいる以上、相手も目立たないよう隠れて嫌がらせをするというのは難しい。
あまり目立った妨害をすればゴトー自身の商売に悪影響が出かねず、ゴトーたちにとってのベストはこちらが商売を再開する前に潰してしまうこと。だからオープンして取引が軌道に乗りさえすれば、一つ山を越えることが出来る筈──それがサラの意見だった。
「向こうが諦めてくれなけりゃ、この緩い対立関係がズルズル続くことになるだろう? 果たしてそれはどうなんだってのが一つ」
「一つ? 他にも何か?」
その場にいる三人の視線を浴びながら、ジグはずっと気になっていたことを口にした。
「……またあの女の姿が見えなくなってるのが気になってな」
『…………あ(ワフ)』
ヴェルムの提案を聞いて是非やろうと大賛成したあの女──サラの姿が昨夜からまた見えなくなり、連絡が取れなくなっていた。




