第12話
「……………は」
終わった。全て。
少年は血に染まる屋敷の床に背中から倒れ込み、短く吐息する。
長かったような短かったような。
実行する前は必死で、色んな感情が溢れていたけれど、今となっては何も感じない。
──どうでもいいか……
もう終わったのだ。何もかも全て。
「お~、随分派手にやったな~」
頭上から降ってきた声に、少年は仰向けのまま目を開け視線を向ける。
「坊主。これ、お前一人でやったのか?」
それは矛盾しているかもしれないが、平凡でどこにでもいそうな──死神のような男だった。
迎えが来たのかと、少年は半ば本気で考える。
「……うん」
「ほう? 部下も含めて二十三人。坊主の細腕じゃ不意をついても一人二人が精一杯だろ──どうやった?」
男の声には疑念も警戒も嫌悪もなく、純粋な興味と好奇心だけがあった。
だから少年は端的に、正直に答える。
「頑張った」
「────は」
男が意表を突かれたように目を丸くする。そしてすぐに、ツボにはまった様子で額に手を当て笑いだした。
「カハハハッ! そうか、頑張っちまったのか!」
「…………うん」
そう、頑張ったのだ。
両親が首を吊って──いや吊らされてからずっと、この連中を殺すために全てを捧げてきた。
時間にすればたった半年足らず。だがその時間の全てを目的を達成するためだけに費やした。
彼らの日常の行動ルーティン、人間関係、癖、好きなもの、嫌いなもの、屋敷の裏門の鍵が錆びて壊れそうになっていたこと、大きな仕事の後は男が屋敷に愛人を呼んでいること──役に立つかどうかも分からないことを必死に調べて、観察して、考えて、計画して、また考えて、道具を揃えて、練習して、そして実行。
その狂気染みた執念は、すっかり少年の心を摩耗させていた。
「だけど坊主。そんなとこで寝転がってるのは良くねぇぞ。血が付くと逃げる時に面倒だし、異常に気づいていつ誰が踏み込んでくるとも限らねぇ」
「…………あんたは?」
「ん? 俺か? 俺は単なる物見遊山で──っておい、寝るなこら! いくらガキでもこんだけやらかしゃ処刑台送りは免れねぇぞ!」
「──それでいいよ」
少年は目を閉じて、静かに答える。
「別にそれでいい。今更やることもやりたいこともない。こんだけ頑張ったんだ。地獄じゃきっと貴族待遇でもてなしてくれるだろうさ」
「────」
それは軽口ではあったが、紛れもない本心だった。だが──
「──カハッ。その歳でもう人生卒業か。悠々自適で羨ましいこった。だけどお前さん、地獄でもてなしてもらうにゃ、ちぃっと頑張りが足りねぇんじゃねぇか?」
馬鹿にするような──けれど嘲りとは違う声。
その声に思わず目を開くと、男が皮肉気な笑みを浮かべこちらを見下ろしていた。
「坊主。頑張ったつもりかもしれねぇが、お前さんはまだまだだ。地獄に行きたきゃ、もっと頑張れ」
「────」
それが、憎んでも憎み切れない、師との出会い。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「やあやあやあ、久しぶりだね皆の衆。元気してた~?」
『…………』
ミモザ商会店舗オープンを四日後に控えた朝。
場所は店舗兼ミモザの自宅で、会議室代わりに使われているダイニング。
オープンに向け忙しくしている一同の前に、この再建話の発起人であり、ここしばらく店に顔も出さず準備をジグたちに丸投げしていたサラが呑気な笑顔を浮かべて現れた。
「んん~? どうしたの皆? 顔が暗いよ?」
『誰のせいだ(と思ってるんですか)(ワフッ)!?』
サラのナチュラルに煽る様な態度に、ジグたちだけでなく、これまでサラを庇っていた筈のミモザまで立ち上がり怒りの声を上げた。
だがサラはまるで気にした様子もなく満面の笑みで満足そうに頷く。
「うんうん。元気そうじゃない。やっぱりそうじゃないとね~」
『…………はぁ~』
一同はそのふざけた態度に怒る気も失せ、溜め息を吐いて再び腰を下ろす。
サラはそんな彼を前に飄々とした態度を崩すことなくマイペースにキッチンでお茶を淹れ、「お茶請けが欲しいわね~」などと戯けた独り言をぬかした。
その場に追及するのも馬鹿馬鹿しいといった呆れの空気が流れるが、流石にこの大事な時期に理由も告げず発起人の彼女が長期間店を離れていたのはいただけない。こうして怒る気力さえ奪って行くのがサラのやり口の一つだと知っているジグは、代表して追及の口火を切った。
「……で、このクソ忙しい時期に、今まで何してやがった?」
「え? やだジグ君ったら、あたしのことが気になる、の……?」
「──サラ姉さん。真面目に」
「はい」
ジグの言葉にはいつも通りふざけていたサラも、妹分であるミモザの冷たい声音に思わず背筋を伸ばす。
「それでサラ姉さん。人に仕事を押し付けてサボっていたことへの言い訳を聞かせてもらえますか?」
「い、いや違うのよ? サボってた訳じゃなくて私もちゃんと仕事をしてて、ね?」
『…………』
全員の冷たい視線に晒され、流石にこれは分が悪いと判断したのか──あるいはこれすら茶番で最初からこのタイミングで説明するつもりだったのか──サラはコホンと咳払いしてここ数日間自分が何をしていたのかを語りだした。
「一言で言うと、ゴトーの動向を関係者経由で探って、ギルドとちょっと調整をしてたの」
「ギルドって言うとローグギルド?」
「まぁ、色々ね」
ミモザの質問に、サラは曖昧に言葉を濁した。
その説明に眉を顰め追及を続けるヴェルム。
「今更ゴトーの何を探る必要があるというのだ? 情報は小僧が一通り集めてきたばかりだろう」
「あれはあくまで過去のデータでしょ? 勿論、今後の動向を予測する材料としては十分だけど、もう少し直接的な動向を知りたくてね」
「貴様がか? それこそ小僧に任せればいいだろう」
「ジグにばっかり任せてたんじゃ悪いじゃない」
「…………」
「や~ね~ヴェルム。そんな胡散臭そうな顔しないでよ」
フレーメン反応を起こした猫のような表情で『信じられない』と意思表示するヴェルムに代わり、ジグが追及を引き継ぐ。
「その今後の動きを誘導するために、この間俺とお前で小細工をしたわけだけど?」
彼が言っている小細工とは、ゴトーの部下に東方群島からの仕入れルートを誤認させ、そちらに注意を向けさせるために行ったアレだ。
「そんなのオープン日発表した時点で偽装工作だってバレてるわよ。連中、早速ギルド関係者からあたしらの情報を聞き回ってるみたいだし」
「……遅くね?」
呆れた表情のジグに、サラは苦笑して続けた。
「そこは小細工が上手く嵌まったみたいね。そっちの調査に意識が向いてて、どこの馬の骨とも分からないゴロツキ風情の素性なんてどうでもいいと思ってたみたいよ?──あ、一応あたしら四人がローグギルド所属で、最近まで冒険者やってたっていう最低限の情報は把握してたみたいだけどね」
「ふむ。要は吾輩たちはいざとなれば金でどうとでも出来る小者だと舐められていたわけだ」
「ワフゥ……」
特に不快そうでもなく、納得した様子でヴェルムとキコが頷く。
「まぁその辺はどうでもいいけど。結局ゴトーは今後どう動くつもりなんだ? 俺らの買収? それとも恫喝か武力行使? 仕事してたって言うなら、当然その辺は調べがついてるんだよな?」
ジグの疑問にサラは困ったように頬をかいて口を開く。
「う~ん……それがまだ」
「はぁ!?」
「いや、調べがついてないって言うか、ゴトー自身が方針について決めかねてるっぽいんだよね」
『…………』
サラの言葉にジグ、ヴェルム、キコは疑わし気に顔を見合わせる。ちなみにミモザは真剣に話を聞いてはいるが、内容についていけていない。
「このタイミングでまだ? 冗談だろ?」
「連中からすれば、今回の一件ではあまり世間の耳目を集めたくない筈だ。吾輩たちが表立った動きを見せる前に潰したかったというのが本音だろう。オープンが告知された今の時点で大分後手に回っているというのに、まだ方針が決まっていないなどあり得ん話だ」
「──でも実際、まだ何も動きを見せてないでしょう?」
『む……』
サラの切り返しに、ジグとヴェルムは揃って顔を顰め口ごもった。
「裏をかかれて時間を稼がれたと分かった以上、すぐ次の手を打つべき。なのに武力行使はともかく、買収提案も無いっていうのはおかしな話じゃない? 提案だけなら上手くいかなくても損はないわけだし」
「まぁ……それは確かに」
「どういうこと──いや、まさか貴様、裏でゴトーに買収されて──!?」
「ならとっくにトンズラしてるっての」
ヴェルムの疑惑にサラは嘆息して続けた。
「……気になって調べてみたんだけど、どうも連中、この話がローグギルドの肝いりなんじゃないかって勘違いしてるっぽいのよね~」
「って言うと、俺らがギルドの指示で動いてると思ってる?」
「そう」
「何でそんな勘違いを……」
ローグギルドは所詮ならず者の集まりであり、組織としての統制はほとんどとれておらず、構成員はその掟に触れない範囲で好き勝手しているというのが実態だ。
組織のメンツが関わるものか、国家からの依頼など余程特殊なケースでもない限りギルドの指示で人が動くことはない。
「ローグ四人がまとまって動いてるってんで勝手に深読みしちゃったのかもね。組織の内情とか外からじゃ分かんないだろうし──あ。一応言っとくけど、あたしが誘導したわけじゃないからね、これは」
「……まぁ、誘導するメリットもないしな」
疑念は残るが、サラの説明に一先ず理解を示す。
実際、サラは珍しく本気で困っている顔だ。
「結局、どう動くが分かりにくくなっただけか?」
「追い詰められた愚者は厄介だぞ? 何せ考える頭も余裕もないから何をしでかすが読めん」
「ワフゥ……」
ジグ、ヴェルム、キコも面倒くさそうに顔を顰める。
「──そこで提案なんだけど」
そんな三人に、ニンマリと笑みを浮かべて口を開くサラ。
「戦力で劣るあたしたちが受け身に回るのは上手くないし、この際少し乱暴してみない?」
ジグの目は、その頭に悪魔のごとき二本のツノを幻視した。




