三十後半になり、家庭に色々と問題を抱える主婦が遥か昔の異世界に行ってしまう物語です。
結婚して19年が経ち38歳になった広瀬あすなは、夫と子供二人の四人暮らし。
年月が経つにつれて夫は不倫をし、子供達は反抗期で全くあすなの言う事に耳を貸さない。
そんな生活に疲れを感じていたあすなは、自分の誕生日に体調不良により寝込む事に。
ただ、夫は不倫旅行で子供達はそれぞれの事情で家に帰らず一人きりの誕生日となった。
薬をのんで寝たあすなが目を覚ますと、そこは遥か昔の1017年の聞いた事もないドウシュリ王国という所にいた。
体調不良のあすなを、ドウシュリ王国第五王子のジンルが宮殿に連れて帰り看病した。
あすなは遥か昔のこの国で、ジンルの手助けをしていくうちにこの国が自分を必要としてくれる事に生き甲斐を感じて行く。
遥か昔の病や不可解な出来事に、ジンルと解決していく事であすなの事は他の国にも知られていく。
解決していく度に、自分は元の世界に帰りたいのかが分からなくなっていく。
1、今日という日。
早起きして家族分のご飯を準備している、広瀬あすな三十八歳はテーブルに並べた所で、夫の広瀬樹四十六歳を起こしに行くと、既に起きていてスーツを着て大きめの鞄を持っていた。
「あなた、土曜日は休みでしょ?」
「ああ、でも色々とあってな」
「朝ご飯が出来てるけど」
「悪い、急ぎだ」
樹はそのまま、いそいそと家を出た。
あすなは、樹の持っている大きな鞄を睨む。
一つ息を吐き、あすなは長男肇十九歳を起こしに行くと肇の姿はなかった。
「あれ? もしかして帰っていない?」
昨夜はバイトと聞いていだが、帰らないとは聞いていない。大学生になり、友人との時間が楽しいようで帰らない日が増えた。
注意しても母親の言葉には耳を貸さず、反抗期なのかあまり口も聞いてくれない。
仕方なく、部活と聞いていた長女泉十四歳を起こしに行くと、時間を見るなり泉は慌てて起きて用意を始めた。
「もっと早く起こしてよ!」
「え? 言われた通りの時間だけど」
「あ~。もういい!」
泉は、朝からとても不機嫌。
気にせずキッチンで洗い物をしていると、泉がバタバタとテーブルの上のジュースを飲み干した。
「泉、ご飯出来てるわよ」
「いらない」
「え? お弁当は?」
あすながお弁当を差し出すと、泉は嫌そうな顔をして「今日は友達の所に泊まる」と言い、お弁当も持たずにさっさと家を出てしまった。
一人、静かになった家に残されたあすな。
誰も食べなかった朝ご飯を見て、持って行かなかったお弁当を見て、何だかとても虚しくなって来た。
子供は成長し、自分の世界が出来て親が疎ましいのかもしれない。
「何だか、どうでもいいや」
全てにやる気を無くし、エプロンを取ってソファーに座ると樹からメッセージが届いた。
携帯画面に表示された、「出張になったから」みたいな文字にメッセージは開かない。
「何が出張よ。不倫してるくせに」
あすなは、大きくため息を付いた。
樹の不倫に気付いたのは、随分前になる。
子供の学費、生活費を考えると離婚は出来ない。ずっと、気付かないフリをしていた。
樹への気持ちは既にない。
「今日は、私の誕生日なのに……」
そう呟くと、頭が何となく痛い。
風邪を引いたかもしれないと、薬を飲んで少し横になる事にした。
どれくらい、眠っていたのだろうか?
あすなが起きると、窓の外は暗くなっていてテレビも付けっぱなしになっていた。
「ああ、寝ちゃったのね」
起き上がると、さっきより頭が痛い。
そして、熱っぽい。
怠い体を起こし、ソファーに置きっぱなしの小説本をテーブルに置くと、明日には子供が帰って来るのだからと、熱を下げる為にお風呂に入った。若い頃は、何故かお風呂に入ると体調が良くなったからだ。
湯船に浸かると、大きなため息が出る。
「私は、夫や子供に必要な存在?」
最近、一人だと思う事が多く、一生懸命やればやるほど子供達は離れていく。
「難しい年頃なのかな?」
お風呂から出ると、窓から大きな赤い月が見えた。
「ああ、綺麗ね」
ふと、テーブルを見ると、誰も食べなかった朝ご飯と置いていかれたお弁当がある。
「今日は、私の誕生日なのに」
片付ける気力もなく、今は何もかもどうでもよくなった。
あすなは、布団を大きな赤い月の見える所に敷くいて解熱剤を飲んで横になった。
大きな赤い月に手を翳すと、手が届きそうなくらいに近く感じる。
「本当に綺麗ね」
1017年、ドウシュリ王国
「あっちだ!」
街を逃げ回る、若い男が大木に追いやられると、何人もの兵士が剣を腰から抜いた。
「ルット王子、もう一度申します。お気持ちは変わらないのですか?」
兵士達は若い男を王子と呼び、丁寧に尋ねているし剣を持つ手も震えている。
「変わらない。あの日の事は忘れて欲しい」
ルットは兵士にそう伝えると、兵士の一人は大きくため息を付いて「では、命令通りに」と、ルットに剣を振りかざして襲いかかった。
あとの兵士達もルットに襲いかかり、ルットは何とか剣を避ける。
「兄さん!」
すると、背後から弟のジンルと側近のグワロが兵士達の剣を弾き返し、ルットを守った。
「ジンル、悪いがあとは頼む」
ルットはそう言い残して、そそくさと背後を気にしながら逃げて行く。
その姿に、グワロは呆れた様子。
「ジンル様、ルット様はどこぞの王国の姫に手を出したのでしょうか?」
「兵士のマークは、二つ先のユーテ王国の印だ」
「ユーテ王国となると、また大変ですね。グワロは、いつもいつもジンル様がルット様の後始末ばかりしている。本当に心が痛いです」
「そう言うな。兄さんは第一王子、俺は第五王子なのだから仕方ない。ドラッチェナ王からも、兄さんの警護を頼まれているしな」
「第一王子を守るのが第五王子の命なんて、王様も酷な事をなさいます」
「命の重みは、兄さんの方が上だ。それはそうとグワロ、今はここを乗り切る事を考えろ」
グワロが兵士を見ると、ガタいの大きな兵士の長であろう人物が前に出てきて、二人に向けた剣は二倍はある大きさのもの。
「そうでした。どう逃げましょう?」
背後は大木で逃げ場がない。自身の王国の姫をたぶらかしたとなれば、兵士達はこちらの話しなど聞かないだろう。
ガタイのいい兵士が、大きな剣でジンルに襲いかかってきた。
「マズイ」
とっさに避けるが、相手は大きな剣を何度も振りかざす。
力任せの攻撃だが、強すぎて腕が痺れる。
すると、木の枝が折れるような音がして、皆で上を見上げると、何やら大きな物体が大きな剣を持った兵士の上に落ちて来たのだ。
ドスッという鈍い音がして、兵士は白目を向いて気絶した。
全員が、その光景に驚きを隠せない。
「えっと」
ジンルが苦笑いしていると、兵士達の背後からユーテ王国のマークを付けた兵士がまた何人も走ってきた。
「兵士が増えたな」
ジンルがボソッと言っていると、来た兵士達はジンルに跪き、「我々は王に仕える者。姫に仕える達が無礼な事をしました。王が直々に王宮に参ります。剣を収めて下さいませ。ジンル王子」と言った。
王の兵士に言われてはと、ジンルが剣を収めてると、王の兵士達が気絶している兵士や姫の兵達を連れて、ジンルに深々と頭を下げてその場をあとにした。
ジンルからしてみれば、元々は思わせぶりな態度をしたルットが悪いのに、王が直々に王宮に行くとはこのあとが大変だ。
そんな事を考えていると、グワロが落ちて来た物体をひっくり返していた。
「ジンル様、人間のようですが」
「まあ、見ればそうだな」
「女にも見えますね」
「そうだな。だが、見た事のない格好だな」
女は目を瞑ったまま。
「ジンル様、この者は木から落ちて気を失っているのでしょうか?」
「え? だが、木登りする年齢には見えないが」
二人で覗き込む。
「ジンル様、どうしましょう?」
「まあ、助けてもらったから、置いていく非情は出来ない」
「そうですね」
グワロが女を持ち上げようとすると、女の体がかなり熱いのに気付いた。
「ジンル様、この者は熱があるようです」
「ん? 具合が悪いという事か?」
「そうかもしれません」
「そうか。では何故、木の上に?」
ジンルは女を気の毒に思い、ジンルが女を抱き上げた。
確かに、女の体は熱い。
「グワロ、俺の宮殿に連れて行く」
「な⁉ 何をおっしゃいます! 素性の知れぬ者を宮殿に連れて行くのですか? 仮にもあなた様は、この王国の第五王子なのですよ!」
「助けてもらったろ。 具合悪いなら治してやらないと」
「助けてって、落ちて来ただけですけどね」
グワロが突っ込むも、ジンルはこうと決めたら曲げない性格なので仕方なく従うしかない。
そのあと、ジンルは女を王宮の外にある第五王子の宮殿へと運んだ。
「お帰りなさいませ。ジンル様」
宮殿では、ジンルに仕える者達が宮殿の掃除をしたり忙しそうに動いている。
「ジンル様」
ジンルの側に、身の回りの世話をする年配の女性が二人、タイとイチュが来てお辞儀をすると、二人はジンルが抱えているものに驚愕。
「ジ、ジンル様、そ、それは何です?」
「ど、どう見ても女ではないですか?」
二人の声が、微かに震えている。
「ああ、助けてもらったから」
「助けて?」
「タイ、イチュ。この者はどうやら熱がある」
「熱が? 熱があるのに、助けて下さった?」
二人はかなり困惑。
「少し違う気もするが、まあそれでいいよ」
「はい?」
二人もジンルは一回言ったら、聞かない性格なのを知っている。
「そうですか。では、別邸の寝所に」
タイが宮殿の隅にある小さな別邸に他の者に運ばせようとすると、「タイ、この者は俺の寝所に寝かせる」とジンルは衝撃な事を言い出した。
「な、何を言います⁉ あなた様は、仮にもドウシュリ王国の第五王子なのですよ! 素性の知れぬ女を王子の寝所に入れるなどダメです」
「そうです! もしかしたら、その者はジンル様のお命を狙っているかもしれません」
グワロも、寝所に入れるのは大反対。
「ジンル様、そもそも寝所に女など入れた事はないじゃないですか」
三人の必死の反対に、ジンルは苦笑い。
「まあ、入れた事はないな」
「もしや、ルット様よりジンル様の方が、女性に人気があるから? この女をルット様のように」
グワロがルットの事を言いかけると、「兄さんとは違う!」と、ジンルが大声を出した。
驚いて止まる三人。
「い、いや、この者をどうにかしようとかはないよ。不思議な雰囲気がある女だからな。それに俺は、大勢の女に好かれるより一人でいいさ」
「そ、そうですか。しかし、第五王子たる者はそうはいかないのは御存じでしょ? 正室と側室を迎えて、王国の為に子孫を残さないと。まさかとは思いますが、この女に産んでもらう?」
「な、何を言っている⁉ この者は俺よりどう見ても年上だろうが」
何故かジンルはムキになり、顔を赤らめて自身の寝所に向かって女を寝かせると、タイとイチュに女を勝手に移さないように言ってから王宮に急いで向かった。
「側室にすると約束を?」
王宮では、ドウシュリ王国の王であるドラッチェナ王がユーテ国王から話しを聞いていた。
「姫が、ルット第一王子が愛の場で囁いたと」
「愛の場」
またかという顔のドラッチェナ王は、もうため息しか出ない。
ルットのこういう問題は、しょっちゅうだからだ。注意した所で、ルットは聞かない。
ドラッチェナ王は、ユーテ王国との密な交友を約束して長時間かけて何とか帰って貰えた。
ドッと疲れ果てたドラッチェナ王。
隠れて聞いていたジンルも疲れた。
すると、帰ったのを見計らってルットが姿を現した。
「帰った?」
あっけらかんとした態度に、ドラッチェナ王も無性に腹が立つ。
「ルット、やり過ぎるなと言ったはずだ!」
ドラッチェナ王がルットを叱る。
「父さん、ユーテ王国は閉ざされた国だった。姫に関わったお陰で、沢山のいい品がこの国にも入るようになった。俺は責められるわけ?」
ルットは、全く悪く思っていない。
「ルット、そこは分かっている。だがせめて、側室の約束は守るべきだろ。側室は何人いてもいいと思うぞ。国の為にも子孫を残さねば。お前も二十五歳だろ」
「正室も側室もいらない。ドウシュリ王国はもっと色々な国と交流して発展していくと俺は思っている。そんなのいたら愛は囁けない」
ルットはクスッと笑って、逃げるようにいなくなってしまった。
「我が息子ながら、意味が分からない」
ドラッチェナ王は「まったく」と、言って深いため息を付いて頭を抱える。
ドラッチェナ王はルットを責められない。
ドウシュリ王国がここまで栄えたのは、ルットとジンルの知識と二人の美貌にあるからだ。
この二人のお陰で、今のドウシュリ王国がある。二人がどの女性の心をも捉える。
「ルットは、本当の愛を知らないのよ」
ドラッチェナ王の隣に座って、ずっと黙って座っていたカーイ王妃がドラッチェナ王の背後にいる側室達を睨みながら言った。
「カーイ、何が言いたい?」
「別に。ドラッチェナ王、ルットとジンルは私が産んだ子供。今やドウシュリ王国はルットとジンルで持っていると言っても過言ではない。王もそれは良く御存じなはず。だからジンルに第二王子よりも大きな宮殿を与えてる。私は、後ろにいる女達の子供達にはルットとジンルのような才能があるのかしら? と思っただけ」
嫌味のように笑うカーイ王妃に、背後の側室達は悔しくて睨み返す。
勝ち誇った顔で、カーイ王妃は自身の部屋と帰って行った。
日曜日の夜八時。
樹が家の門を開けようとすると、子供達が玄関の前にいるのに気付いた。
「お前達、入らないのか?」
「あ、お父さん。お母さんがいると思って、俺等は鍵を持っていかなかったんだ」
肇はそう言って、何度押したか分からない家のチャイムを押す。
「お母さん、家にいないのか?」
「いないみたい」
「仕方ないな」
樹は面倒臭そうに、鞄から家の鍵を取り出して鍵を開けて中に入った。
玄関の電気を付けると、家の中はとても静かで人の気配は感じられなかった。
子供達は母親を探しに奥に行き、樹は荷物を置きに寝室に向かった。
寝室で荷物を降ろすと、あすなの布団が窓際まで動かされていて、側には解熱剤と風邪薬の箱が置いてある。布団を触ると冷たい。
「あいつ、熱があったのか?」
すると、リビングの方から樹を呼ぶ泉の声で仕方なくリビングに行くと、泉がテーブルに置いてある誰も手を付けていない食事を指した。
「これって、土曜日の朝ご飯じゃない?」
泉の声は少し震えている。
「土曜日の朝ご飯?」
「私、部活で急いでて食べなかったけど、土曜日にこの朝ご飯を見たもん」
樹は考えて、肇と泉に土曜日は帰らなかったのか聞くと、二人とも帰っていないと言う。
「お父さんこそ、土曜日は帰らなかったの?」
肇が、少し怪訝な顔で聞き返す。
「あ、いや、父さんは急な出張だったんだ」
慌てた様子で言う樹を、肇は怪しんだ顔で「そうなんだ」と意味ありげに言った。
「ねえ、お母さんのバックがここにある。スマホも財布も家の鍵も全部入ってるよ」
「え⁉」
樹が泉の持ってきた鞄を見ると、確かに中に全部入っている。
あすなのスマホには、樹が出張で帰れないと送ったメッセージが未読のまま。
「お父さん、お母さんは何処に行ったの?」
泉の問いを無視して、樹は寝室に急いで向かって箪笥やら、あすなの荷物を全て確認する。
全部見るが、無くなっているものはない。
「どういう事だ?」
ここで、樹もタダ事ではないと気付いた。
何も持たずに何処へ?
「お父さん」
肇と泉が寝室に来た。
「お母さんは何も持たずに何処に行ったの?」
「あ、いや」
「そもそも、鍵も持たずに何で家の鍵は閉まっていたの? 誰が鍵を閉めたの? だから俺等は入れなかったし」
肇の顔が強張っていた。
樹が確認してみると、全部の鍵がある事が分かった。
「お父さん、警察を呼んだ方がいいよ。鍵を家の外で持っていたのはお父さんだけ。お母さんは何かに巻き込まれたのかもしれない」
「え? あ、でも警察はダメだ」
肇が異常事態に警察を呼ぶ提案をするが、樹は土曜日から何処にいたかを聞かれた時、仕事でない事がバレるのを恐れて、子供達にはお母さんはちょっと買い物してるだけかもしれないし、ちょっとした家出かもしれない。
子供達だって、最近あすなに冷たく当たっていたろ。それを警察に話せるのか?
樹が二人に言うと、二人は反発しかしていない自身の事を思い出し警察に届けなかった。
でも樹には、具合が悪いから薬を飲んだあすなが、家にいないのは疑問だらけだった。
ジンルが宮殿に帰ると、タイとイチュが夕食の用意をしていた。
「ジンル様、お帰りなさいませ。王宮の用は早かったのですね」
「ああ、父がユーテ王国との交友を約束して、向こうの話しをずっと聞いていたから大丈夫だ」
「それは良かったですね。ユーテの物は、いい物が多いですからね」
「そうだね。それはそうと、タイ」
ジンルが何かを気にしている。
「ジンル様、あの娘はまだ起きません。それにジンル様の寝所から動かしていませんよ」
呆れたように答えるタイ。
「そ、そうか」
ジンルは、恥ずかしそうな顔。
「ジンル様、あの娘が気になるのですか?」
「え? あ、いや。着ている物など、不思議な感じがしないか? 普通は気になる」
「まあ、そうですね。では、お食事を」
夕食を済ませたあと、ジンルは寝所に向かうのをグワロが止めた。
「ジンル様、まさかあの女の隣で?」
グワロには、王族が素性の知れぬ女の側で一夜を過ごすなど信じられない。
「え? ダメか?」
「素性の知れぬ女ですよ。ジンル様は、ドウシュリ王国の第五王子です。少しはこ自分の立場をお考え下さいませ」
「わ、分かってるよ。別に何もしないよ」
「当たり前です! もしも、その女がジンル様のお命を狙っていたら? 腹黒く、ジンル様の正室か側室を狙っていたら?」
「グワロ考え過ぎだ。普通、第五王子より第一王子を狙うだろうが。大丈夫、何もないって」
「そうですか」
渋々グワロも承諾し、ジンルは寝所にいる女の隣に横になった。
おでこに手を当てると、熱くはない。
「良かった」
あすなが目を開けると薬のお陰か、だいぶ体が楽になっていた。
起きなくては。と思った時、あすなは周りの異変に気付いたのだ。いつも見る景色と違う。
体に掛けてある毛布らしき物も、いつもと触り心地が違う。目をキョロキョロさせると、自身の腰辺りに人の手らしき物が見える。
「え、何?」
綺麗な手で、明らかに樹とは違う。
あすなが恐る恐る後ろを見ると、見た事のない美形の若い男の顔が近くにあった。
「嘘⁉」
慌てて布団を飛び出し、あすなは隅に身をかがめて、今の状況を把握しようとする。
しかし、全く思い当たらず、だいぶ混乱して自身が何もされていないかを確認する。
「大丈夫? きっと、大丈夫だよね」
何度も自分に言い聞かせ、まだ寝ている美形の若い男の方をチラリと見る。
「どういう事?」
すると、美形の若い男がムクッと起き上がってきて、「何か、とてつもなく失礼な事をしてないか? 俺は何もしてない。熱があったから看病しただけだ」と、不服そうな声で言った。
「熱」
熱があった事は確か。でも、どうして?
そう思っていると、美形の若い男はあすなのおでこに手を当てて「下がってる」と嬉しそうに微笑んだ。
ドキッとするあすな。
こんな美形の若い男に、そんな事をされた事がないので固まって動けない。
「俺はジンル。あなたは?」
「え?」
あすなは、戸惑いながらも名乗った。
「あすな。変わってるけど、いい名だと思うぞ」
あすなには、ジンルは凄い昔の日本ではない国の凄い金持ちの身分に見える。着ている物といい、異国のドラマで出てくるよいな格好だ。
そのあと、ジンルはあすなを連れて中庭のような所を歩き、沢山の周りの人はジンルを「様」付けで呼び、何度も頭を下げる。
あすなには、この建物も立派なお城というよりは、熱い国にある宮殿に見える。
「この人は王様か何か?」
少し歩くと、側近と呼ばれるグワロが迎えに来たり、朝食のような食べ物が並ぶ横で世話係のタイとイチュと呼ばれる年配の女性がジンルな身の回りを整え始めた。
遥か昔に行ってしまった感覚に囚われる。
「ここは何処?」
あすながそう思っていると、イチュがあすなをジンルの橫に座らせた。
「食べて早く元気になって下さい」
微笑むタイだが、所々にトゲがある。
「朝ご飯」
あすなは早く起きて作った、誰も食べなかった朝ご飯を思い出した。
「あすな、大丈夫か?」
ジンルがあすなの具合を心配する。
「あ、いえ、大丈夫です」
嫌な事は忘れようと、お粥のような物を一口食べてみると、病み上がりには優しい味。
「美味しい」
「それは良かったです」
イチュが微笑んで、お茶のような色の飲み物と煎じた粉のような物を出した。
「薬?」
「これを食べたあとに。良くなりますよ」
あすなが辺りを見ると、やはり最初に思った通り昔のように感じる。
テレビもないし、電話もなさそうだし、キッチンみたいな所も火起こしから始まっていた。
そもそも、電気という物がないようだ。
ここから見える外の風景は、車や自転車ではなく、牛だったり馬だったり。
あすなの頭の中で、ここが何処なのかを必死に探っていた。
それと同時に、意外にも自身が冷静な事にも驚く。普通は困惑するだろうが、全てがどうでもいいと思っていたので冷静に見れている。
ジンルは食べ終わり、あすなにはゆっくりと休んでいるように言い、グワロと王宮へと向かった。
「王宮? 王制度はいつから?」
一人でブツブツ言っていると、タイが薬を飲んで寝るように言った。
「あすな様、ジンル様の為にも治して下さい」
「ジンル様?」
「あすな様、片付けは致しますので、どうぞお休み下さい」
「あ、あの、様で呼ぶのは辞めて下さい。私は偉いわけではありません。タイさんとイチュさんの方が年上なのですから、私に気を使うのはおかしいです」
タイとイチュは驚いた。この国にいて、そんな事を言われた事がなかったからだ。
「あすな様。私達には様を外せというのは酷です。私達はジンル様に仕える者なのです。ジンル様の客人は自身より身分が上と判断致します」「身分って、ジンル様は何者ですか? そしてここは何処ですか?」
「はい?」
タイとイチュは、質問の意味が分からなくて目を丸くした。
「あ、あすな様は何も知らないのですか?」
「ええ、何も分からずにいます」
「ここは、ドウシュリ王国という国です。ジンル様はドウシュリ王国第五王子です」
「ドウシュリ王国? 第五王子?」
聞いたが、あすなには全く分からないまま。
過去に習った社会を思い出すが、ドウシュリ王国というのはあったのか?
社会全般は得意ではない。真面目に聞いておけば良かったと、今更になって後悔する。
王家支配の元に、成り立っている国なのか?
「タイさん、私はどうしてここにいる?」
「えっと、そうですね。グワロ様から聞いた事によると、あすな様がジンル様を助けたと」
「助けた?」
全く記憶がない。男を助けられるほど、自分は強かったのだろうか?
「あすな様、お着物を洗いましたが、あれはどういうお着物ですか?」
「お着物? ああ、あれはジャージです。パジャマは着ない派なので、上下ジャージが楽です」
「は⁉ ジャージ?」
二人の反応に、あすなもここの人は知らないのだと気付く。
「まあ、寝る時に着る物ですね」
「変わった物がお好きなのですね」
二人は苦笑いであすなを寝所に送り、そそくさと仕事に戻って行った。
「ここは、私が知っている時代とは違う」
あすながいなくなって五日、樹は肇に何度も言われて仕方なく警察に行った。
しかし、失踪届けの前に色々と聞かれるハメになった。
「奥様は、土曜日の何時頃にいなくなったのですか? お話しによると、全ての物を置いていなくなったとの事ですが」
「ああ、はい」
「何故、五日も届けを出さなかったと?」
「ああ、それはすぐに戻ると思ってました」
「正直に申し上げて、我々は全ての物を置いていなくなった事をおかしいと思っています。そしてあなたが五日も届けない事もおかしいです。急にいなくなった事がこれまでもあった?」
「あ、いえ。初めてです」
警察の樹に対する目が冷たい。樹をとても怪しんでいるというか、犯人扱いのよう。
「どういう事ですか? 本当にすぐに戻ると思っただけです。仕事が忙しくて」
樹が荒げた声で言うが、警察は仕事を理由に届けないのは事件だと考えると言ってきた。
「事件?」
唖然とする樹。
「全ての物が置いてあり、どうやって家を出たのか分からない。連れ去られた可能性。犯人は唯一、鍵を持っているあなたもしれない」
「え⁉」
「家の中は荒らされた形跡はなかったという事なので、考えれば分かるでしょ」
「私が妻を?」
樹が慌てて否定するが、土曜日は何処にいたかを聞いて来た。
「だから、出張ですって」
「そうですか。我々は調べますので、すぐに分かりますよ。勿論、会社にも問い合わせます」
確信がある疑いの目で見られ、樹は会社に問い合わせられてはマズいと、「妻以外の女性と旅行に行っていた」と白状し、いなくなったあすなの事には関係していないと否定し続けた。
それと同時に、警察に知られたのだから、あすなや子供達にもいずれ知られる。
どう言い訳するか、必死に考えていた。
「分かりたした。届けは受理しますが、見付かったとしても本人の意志だった場合や、被害などを訴えた場合はあなたに知らせない事もあり得ます。保護対象となりますから」
「え? そんな事はしていません!」
樹は怒るが、「それを判断するのは、あなたではありません」と冷たく言われて帰された。
帰り道、樹は警察の言っている事は合っていると思っていた。
いなくなってニ、三日は探しもしなかった。
不倫相手とディナーや映画などを楽しみ、子供達にはお弁当を買って置いておいた。
自由な時間が嬉しかった。
自分勝手だが、今日は本当に疲れた。
家に帰ると、子供達に「大丈夫だ」と言ってソファーに横になった。
すると、泉が玄関にある家族の予定を書き込むカレンダーを樹に見せて、「土曜日は、お母さんの誕生日だったみたい」と言った。
樹が驚いてカレンダーを見ると、確かに土曜日はあすなの誕生日と書いてある。
皆して忘れていた。
「お父さん、お母さんは誕生日なのに誰も朝ご飯を食べなくて、誰も帰らないから誰にもお祝いして貰えなかったから悲しかったよね?」
泉は冷たく当たったり、お弁当を持って行かなかった事を凄く反省していた。
「そうか。それはお父さんも悪いと思うよ」
ニ、流行り病
あすなはここに来て、同じ建物が沢山並ぶ街で何度も迷子になり、ジンルから一人で外出する事を禁じられていた。
意外にも、あすなは方向音痴なのだ。
ただ、ジンルとグワロと歩いていると、王宮に限らず女達があすなを見る目が冷たい。
ジンルは王族で美形、グワロは美形というよりはワイルドなイケメンだろうか。
とにかく、二人は人気が高いようだ。
「あれは嫉妬か?」
少し歩くと、賑わう港に着いた。
そこでは第一王子のルットが、豪華な船を出迎えて何処かの綺麗に着飾った姫君に手を貸して、船から降りる手伝いをしている。
ルットの紳士な対応と、微笑みに姫君は頰を赤らめている。
「あれが、悪魔の微笑みか」
ルットについては、タイとイチュに散々聞かされた。あの微笑みは、女をたぶらかす悪い男の微笑みだ。
そして、ジンルはルットの姿を見ると何故かあすなをグワロの背後に隠す。
「何でだ? 私は身分も違うし、私をたぶらかした所でルット王子は何も得られない。私は年上だし、綺麗でもないのに」
ジンルが隠す理由は分からないが、ルットの女心の掴み方には感心する。
ドウシュリの事も、相手の国の事も考えた言い方をする。そして、女性がメロメロになりそうな甘い言葉を耳元で囁く。
「これが王の器って所か。これで国が栄えたとなれば、王様もルット王子の女好きを責められないって所ね」
グワロの背後であすながブツブツ言っていると、ルットが姫君から渡されたリストをジンルに渡した。
写す姿見と守り物とある。
「鏡と御守り?」
不思議な物に、あすなが首を傾げていると、ジンルはかなり驚いた顔であすなを見ている。
「あすな、字や漢字が読めるのか?」
「え?」
意外な言葉に、あすながリストにもう一度目をやると、やはり読める。
「ああ、読めますね」
「お前は、王族の血を引いているとか?」
「え? そんな大袈裟な事ですか?」
「字を習得出来るのは、特殊な才能の持ち主か王族と決まっている」
「特殊な才能?」
「側近や王族の世話係と、王宮に仕える一部の者、国の為に働く行商だよ」
「そ、そうなの。いつの時代だよ」
あすなは、ボソッと突っ込んだ。
「あすな、鏡と言ったのはどれだ?」
「ああ、写す姿見です。自分の姿を見る時に使います。鏡とは、ガラスの板に銀を薄く塗った物です。歴史は古く、方法さえ知っていればこの国でも作る事は出来ます」
「え⁉ これをこの国でも作れる?」
「そうですね。ジンル様、この守り物は?」
「あ、ああ。それは死の病にならない、強い術師が祈りを込めた物が入っている。実際に、これを握り締めた者が死の病から生還したそうだ」
「術師ですか。それで御守りが高いのですね」
「そうだな。どの国も今や、死の病に恐れをなしているだろ。第一王子のルットが、ドウシュリ王国の民達の為に買い占めたという所だ」
「死の病」
死の病が何なのか、あすなには分からない。
ただ、何処も最後は神頼みだと分かる。
「あすな、どうして女物を着ない?」
「え?」
あすなが着ている服は、ジンルが用意された物ではなく、男物の動きやすい服。
「あすな、俺が側にいる時は女物を着ていても守ると言ったろ」
「いえ、ジンル様に守って貰うなど、敵が増えるだけなので」
あすなはそう呟いて、周りで睨んでいる女達に目をやった。
「ん?」
「いえ、この方が動きやすいですし、顔や髪や体にジャラジャラ付けると失くしてしまうので」
「ジャラジャラ?」
グワロがルットと話している姫君を見ると、髪や体中に光物が沢山付いている。
「あれの事か?」
グワロには、あすなは付けない方がいいと思う。
「あすな、字を読める物はそう多くない。これからも連れて行くからな」
「ああ、はい」
「あすながここに来る前の事を聞くつもりはないが、望むのであればずっとここにいていい」
ジンルが少し照れながら言っている姿に、あすなはドキッとした。
ここに来る前の事を聞かないでくれるのは、あすなにとってありがたかった。
色々な悩みがあり、誰かに聞いて貰いたいのだが、一夫多妻制のこの国ではあすなの悩みなど悩みではないはず。
「あすな、守り物をお前の分も貰う」
ジンルは、ルットの方に行った。
「え、そんな高価な物を?」
「あすな様、あなたはこの国の第五王子の側にいるのですから、守り物はお持ち下さい」
ジンルは戻って来て、グワロとあすなに守り物を渡した。
「二つ? ジンル様の分は?」
「ああ、俺は必要ない」
「え?」
あすながいなくなって二十日。
樹が遅くに帰ると、子供達の提出物用紙が沢山置いてあった。
意外に大変な事に、樹はあすながちゃんとやっていたのだと初めて気付く。
その時、あすなの携帯にメッセージが届き、樹がすぐに確認すると、肇の大学の学費前期分についてだった。
「学費?」
しっかり読むと、「六十九万」とあり期限も二週間しかない。
慌ててお金を確認するが、十万足りない。
この時、あすなが働き始めた理由や、節約を必死にやっていた理由が分かった。
夜、あすなが寝る前にジンルに一人で寝られると伝えた。
しかし、ジンルの機嫌が悪くなった。
「ジンル様はこの国に必要な方です。いずれ正妻や側室を迎え、子孫を残さねばなりません」
「ま、分かっているよ」
「私は正妻にも側室にも相応しくない。ここにいる間は恩を忘れずお役に立ちます。ですから」
あすながまだ話してるにも関わらず、ジンルは更に機嫌を悪くして横になってしまった。
「ジンル様?」
あすなは、この話しはするなと言われているのだと察し、仕方なくジンルの隣に寝た。
朝、あすなが起きるとジンルの姿がない。
タイとイチュの所に行くと、二人は朝ご飯を用意していてくれた。
「タイさん、ジンル様は?」
聞くと、タイは凄い暗い顔で「ジンル様は、夜明け前に兵からの知らせで王宮に行きました」と言った。
「王宮に?」
あすなは何故、タイがそんなに暗いのかと思っていると、イチュが「兵は第一王子に仕える兵ですよ」と付け加えた。
ここで、あすなにもルットに何かあったのだと気付いた。
「ルット様に何か?」
「あすな様、ジンル様からここに絶対にいるように言われています。王宮には行けませんから」
「どういう意味ですか?」
「そ、それは」
タイが言いづらそう。
「ルット様に何が?」
「ルット様が死の病になりました」
イチュが苦しそうに答えた。
「死の病⁉」
「死の病なのに、どうしてジンル様が?」
「ジンル様は幼き頃に、死の病にかかって生還したお方なのです。なのでジンル様が」
「死の病から生還」
あすなは考えた。
死の病から生還という事は、一度かかると二度とかからないとも言える。その病とは。
「イチュさん、死の病の症状は?」
「え? ああ、高熱が続いたあとに顔や手足にブツブツが出ます。ルット様は高熱が続いて、下がったかと思えば手足にブツブツが。これは死の病の特徴です。ある国では、死の病にかかった人を崖下や牢獄に閉じ込めてるとか」
「なるほど」
あすなには、思い当たる病がある。
「ルット様は昨夜、死の病と判断されました。それまでは、カーイ王妃が側室の誰かの呪いだと騒いでいたそうです。現在は王宮内の別邸に移されて、命を受けた薬師が看病しています」
「薬師」
「死の病にかかったのは第一王子ですから、王族の命は尊いのです」
昔はそうなのかもしれない。でも、もしもあすなの思っている病なら治せるかもしれない。
「イチュさん、その病なら私は平気だと」
「え?」
「恐らくですが、その死の病とは天然痘。ウイルスによって引き起こされる感染症です。この病気は大昔から何度も流行し、人間は次第にそれに立ち向かうすべを身に付けて行きます。それが予防接種です。ですが、この時代にはないでしょう。すると、ステロイド内服薬がいいてすし、発疹にもステロイド軟膏が良いかと」
あすながスラスラ話すが、タイとイチュには何一つ言っている事が分からない。
「あ、あすな様、何を言っておられます?」
「この時代だと、どうしたものか? ステロイド内服薬は元々、体内にある副臓という臓器で作られる物。ユルチゾールは確か早朝に数値が高いはず」
タイとイチュは、あすなが一人で謎の言葉を言っているのでどうして良いか困惑する。
「この時代には、病名というのが無いのか?」
「あすな様、えっと、どうされました?」
タイが急に止まったあすなの顔を覗くと、あすなは「王宮に連れて行って下さい」と言った。
「私なら、ルット様の死の病の看病に適任」
「でも、ジンル様からは出すなと」
「やり方を知らなければ、ルット様はこのままだと死んでしまいますよ。私なら知っています。私ならルット様を治せる可能性があります」
自信あり気に言うあすなに、タイとイチュはオロオロするが、この国の第一王子を救う為なら第五王子も許してくれるかもしれない。
「でも、あすな様は何故、死の病をご存知で?」
「ああ、私は医療事務一級を持っていますから」
「は? 医療事務一級?」
何の事か、全く分からないタイとイチュ。
すぐにあすなも気付き、笑って誤魔化す。
「そう言えば、ルット様とジンル様は兄弟でしたよね?」
「ああ、はい。お二人は正妻であるカーイ王妃が母親となりますので」
「母親……」
その言葉を聞くと心が痛い。
子供達はどうしているだろうか?
ああ、今は病に集中しないと。
「タイさん、イチュさん。王宮へ」
「で、ですが、あすな様が死の病になったら」
「いえ、私はなりません。ジンル様と一緒」
「ジンル様と。では、ジンル様の為に動きます」
タイはあすなを連れて行くと決めた。
「そうですね。ルット様はどんな手であれ、ドウシュリ王国の為に動いています」
イチュも覚悟を決めた。
そのあと、あすなは王宮前まで来れた。
王宮の広い内庭にある、隅の建物まで兵に案内された。建物は王宮に比べて、こじんまりとしている。
窓から覗くと、ジンルが口を布切れのような物で塞ぎ、ルットの頭のタオルを交換する姿。
その側では、少し年配の男性が薬のような物を作っているようだ。
どんな薬を作っているのかと、あすながジッと窓に顔を付けていると、流石にジンルもあすなに気付いた。
「おい!」
驚いたジンルは、慌てて建物から出た。
「お前、ここで何をしている?」
ジンルの声が、明らかに怒っている。
「えっと、ルット様が死の病にかかったと」
「ま、そうだけど、タイとイチュだな」
「二人を責めないで。無理を言ったのは私です」
「まあ、いいよ。移ったら大変だから帰れ!」
「いえ、帰れません。ジンル様は幼き頃にこの死の病にかかった聞きました」
「あ、ああ。幼き頃なので記憶にはない。しかし、俺を救う為に薬師が命を落とした聞いた」
「なるほど。ルット様、死の病とは恐らく天然痘です。ウイルスによって引き起こされる感染症です。高熱のあとに顔や手足に発疹が出るのが特徴なので」
「天然痘? でも、あすなに移るかもしれない」
「いえ、私には移らない。ジンル様と一緒です」
「一緒って、あすなも死の病にかかったと?」
「まあ、そんな物です」
きっと、予防接種と言っても分からない。
「ジンル様、今の状況を見ると、高熱を下げなくていけません。出来たらステロイド内服薬を飲ませたい」
「え? ステロイド内服薬?」
「まあ、それよりあの薬師は何を作ってます?」
「熱に効くと言うが、薬草の種類は知らない」
「薬草って、ヨモギですか?」
「ヨモギ?」
「ヨモギは高熱に効きますし、湯船に入れるとアレルギーや皮膚炎などにも有効です。発疹にも」
「凄いな。色々と知ってるんだな」
「ああ、少しだけです。ジンル様、私も中に入れて頂きたい。そして中の薬師に移る可能性があるなら、遠ざけてあげて欲しい」
「しかし、それは王の命に背く事になるぞ。王が知れば、あの薬師の家族も生きてはいけない」
「王制度って、そういう所があるのよね」
「ん?」
「いえ、王様もルット様が治れば問題はないのでしょう? 私がルット様を治します。あの薬師の方にはヨモギを持って来て貰って下さい」
あすなの迫力に押され、仕方なくあすなを中に入れて薬師にはヨモギを取りに行かせた。
あすなが見たルットは、思った以上に容態は悪い。
「あすな、どうする?」
「リンパを冷やします。おでこを冷やすより、氷枕の方で。両脇のリンパも冷やします」
ジンルはよく分からないが、あすなの言われた通りに動いた。
「あすな、手早いな。慣れてるって感じ」
「え?」
あすなは子供が熱を出した時、何度も看病をしていた。
しかし、子供がいると言っていない。
「ジンル様、ずっと看病していたと聞きます。私が診ていますので、お休み下さい」
「あ、ああ」
ジンルは正直言って疲れていた。
あすなの言葉に甘えて、ジンルは近くのソファーに掛けて目を閉じた。
夜中、何度もあすなはルットの氷枕を交換して、いつの間にか朝になり、かなり疲れてウトウトとしていた。
すると、ジンルが目を覚まし、辺りが明るくなっているのに驚く。
「マズい。朝になってる。兄さんは?」
ルットに目を向けると、昨日とは違って苦しんでいる様子はない。穏やかな顔。
側の椅子で、あすなが寝ている。
「あすな」
ジンルはあすなの疲れた顔に、ルットの看病をしていてくれたのだと感謝し、自分が着ていた上を脱いであすなに掛けた。
「ジンル……」
ルットの掠れた声。
「兄さん」
ルットは、椅子のあすなを見ている。
「いや、これは、その」
実は、あすなをルットに会わせるの初めて。
「ジンル、それが変わった拾い物か?」
「え?」
「俺が知らないとでも? ジンルが変わった拾い物をしてから、毎日が幸せで楽しそうだと聞いて側近に調べさせた」
「幸せそうって」
苦笑いのジンル。
「ジンル、その女と一緒に寝ているそうだな。お前が寝所に女を入れたのは驚いたよ。ジンルは女に興味がないと思っていたから」
「兄さん、そういうのではないって」
「ジンル、あの女は年上だろ。でも、こうして死の病の俺の看病をしてくれている」
「兄さん、何が言いたいの?」
「見かけじゃないって事だ。普通、死の病だと知れば着飾った女達は俺に近寄らない。自身も命が惜しいだろうからな」
「兄さん、あすなだ。名前はあすな。あすなは死の病にならないらしい。そして、死の病の治し方を知っていると言っていた」
「え? 治せるのか?」
「今の兄さんは、昨日に比べていい方向に向かっていると思う」
「では、俺は死の病から生還した?」
「完全に治ったわけではないので、どうぞ兄さんは休んで下さい」
「あ、ああ」
ルットは椅子で寝ているあすなを見て、ずっと看病していてくれたのだと思った。
「ジンル、華やかではないが綺麗な女だな」
「え?」
ルットは、ジンルが不安になる事を言うと眠りに付いた。
そのあと、ジンルは少しずつ回復していき、移らないと分かってからは、あすなは宮殿に帰ったので側近や兵達がジンルの看病にあたり、王は治し方をジンルに残すように命じた。
ある日、まだ病状に伏せているルットがジンルを王宮に呼び出した。
王宮で何があったのかは分からないが、宮殿に帰って来たジンルはとても不機嫌だった。
「何?」
朝起きると、ジンルは泣いた跡のようなものが頬にあった。
「泣いたの?」
あすなが頬に触れようとると、ジンルが目を開けたので慌てて誤魔化す。
「あすな」
「あ、すみません。おはようございます」
苦笑いで挨拶すると、ジンルは「あすなを王宮に連れて行くように命令さらている」と、真面目だが少し悲しそうな顔で言った。
「私が王宮に呼び出し?」