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物語の始まり

「起きろ、起きろ、ほらほらほら!」


 目の前で指をパチパチと鳴らしやがるスーツ野郎共。

 頭んなかがボヤぁーっとしてる。遠くから微かにドラムやギターの演奏が聞こえてくるが、ここがどこなのか一切分からない。

 両腕を椅子の背もたれに縛られて身動きが取れない、かなり手荒いことをされたせいか、全身が痛い……鼻筋をつたう鉄分の臭い。

 湿っぽい、暗い、なんだってんだここは……あぁ、どうして、こうなったんだ……――。 





 俺は、身を粉にして家族のために働いてきた。

 趣味のギャンブルを捨てて、何十年と頑張ってきたっていうのに、


「もう少しは私達のことも考えて!」


 妻はまたヒステリックを起こして当たってくる。

 食器が割れてしまうんじゃないか、というぐらい強い音を鳴らし、朝食を並べる妻。

 ドレッシング抜きのサラダが皿からはみ出て、ヨーグルトは形が崩れるほど揺れ、スライスしたライ麦パンが列を乱す。

 どうしていつも俺に辛く当たる? 俺が生活費を稼いでるおかげで専業主婦としていられるのに、何が不満なんだ?


「いつだって考えてるさ」

「いいえ、いつもアナタは仕事のことしか考えてないわ」

「何が言いたい?」

「もっと父親らしく振舞ってよ、レオンをキャンプや釣りに連れて行ったり、エミリアと買い物に行ったりして、家族と過ごすべきだわ。アナタが家庭に目を向けないから、二人ともあんな風になったのよ」


 一気に怒りが血管を辿って頭にまで上り、テーブルを叩き立ち上がった。


「子供の世話はお前の役割だ。なんだ、エミリアが勉強せず毎晩クソ野郎共と乱交パーティーするのも、レオンが試験に落ちてハッパでハイになってゲームばかりしてるのも、全部俺の責任だってか!?」


 怒りにまかせてテーブルをひっくり返せば、皿や食べ物が乱暴な音を立てて倒れる。


「短気ばかり起こして、そうよ、アナタのせいよ! 少しも家庭に協力してくれなかったから!!」

「俺はお前らの生活を養ってんだ!!」


 娘のエミリアが何の騒ぎかと怪訝な顔でやってきた。


「ちょっと朝から超うるさいんだけど、パパまた怒ってんの?」


 レオンは、起きてさえいない。


「なんでもないわ、大丈夫よエミリア、部屋に戻っていて」


 俺を悪者扱いしたまま、終わらせるつもりか? ふざけるな!


「お前らはなんで自分の役割すら果たせない?! エミリア、お前は勉強して大学に行くことだろ!! 男とヤッてばかりいないでまともな成績をよこせ!! まだレオンは部屋にこもってんのか!?」

「子供を責めるのはやめて!」

「俺ならいいのかぁ?!」


 心臓がバクバクと揺れる、頭の中でずっと血が巡る。

 冷ややかなエミリアの目つき、顔すら見せないレオン、妻は目を合わせない。

 

「ああ、そうか、俺はこの家に、いらないみたいだな。そうだな、離婚だ! こんな指輪も、全部捨ててやる!!」





 ——……思い出した。頭に血が上ったまま、ギャンブルに駆け込んだんだ。久しぶりの快感に興奮し過ぎちまった。


「殺してないよな?」


 鋭く冷たい声が、暗闇の向こうから靴音を反響させて近づいてくる。

 グレースーツに、赤ワイン風の襟シャツを着こなした男。


「はい、ボス」


 野郎共がボスと呼ぶ。

 ニヤリと残酷性を秘めた笑みを浮かべてやがる。


「カジノで遊んだんだって? それはどうも感謝する。止め時が分からなくなって沼に嵌った。それで、多額の金を借りたわけか。借りた分ちゃんと利息込みで返さないとな、ニール印刷所勤務のフリト・ランゲ。借りた額ざっと6万イェーロ、低グレードの高級車ぐらいなら、少し買えるか」


 6万イェーロ……給料何年分だろうな、短期間で返せるわけもない額を借りちまったんだ。

 

「えぇ、もちろん。働いて、返します……」

「おいおい一体何年かかるってんだ、待てると思うか? 半年でも遅いな」

「……そんな、すぐには」

「すぐに返せない額を――」


 嘲笑気味に笑った後、素早く振り下ろされた――硬い金属の棒――。


「あぁぁああ!!」


 顔面に当たった。

 あまりにも突然で容赦がなく、痛みより先に悲鳴が出てしまう。

 イスが後ろに傾き、コンクリートの床へぶっ倒れ、じわりじわりと湧き出る痛みと熱に襲われた。

 クソ……クソ……なんでこう、うまくいかないんだ。


「借りたお前が悪い」


 無理やり起こされ、ぼやける視界に金属バットがちらつく。

 顎をバットの先でコンコンと叩き、一笑。


「チャンスをやろう。実は運良く、町のはずれにある教会に、いわくつきの宝石が眠ってるっていう情報を掴んだ。『呪いの宝石』と呼ばれるダイヤモンド。あれを売ればお前に貸した金なんざ紙屑だ。それで借金はチャラにしてやる。やるしかないよなぁ? フリト・ランゲ」

「は、はぃ、はい、もちろん、やります!」

「よしよしいい子だ。外へ出せ」


 両手と両足を縛られたうえ目隠しもされ、どこかも分からない場所から外へ放り出されてしまう。

 乱暴にどこかへ押し込まれる――エンジンの音が聞こえるってことは、車に乗せられたのか。トランクだろう――激しく揺れる度に、体が跳ねて痛い。

 やがて車が停まり、トランクを開く音が聞こえた。

 荷物みたく乱暴に掴んできたと思えば重力に従って地面に落とされてしまう。


「ぐぇっ」 


 全身が痛すぎる。

 冷えた空気が漂う、人の営みすら聞こえないほど静かな場所に連れてこられた。


「手に入れたらカジノに来い、もし逃げたら……分かってるな、マルセル・ファミリーに冗談なんぞ通じない」


 ようやく体の自由が利き、目隠しも外されてフラフラになりながら立ち上がる。

 あぁ、鼻や唇から血は出るし、体中は痣だらけで痛い。

 シルバーカラーの高級車が遠く走り去っていく。


「あぁクソ、治りが遅いってのに……フん、ペッ」


 血を飛ばす。


「呪いの宝石だと? おとぎ話かよ、はぁ」


 深夜、何時だ? 月と星の明かり以外暗く、車も通らない。

 目を凝らして辺りを見る。古びたバス停と、腐り崩れた木のベンチがあった。

 そこから例の教会まで続く湖沿いの歩道を進めばいいんだろうが、街灯は点滅を繰り返すやつと、既に電池切れのやつもあって不気味に映る。

 とにかく借金帳消しのためにやるしかねぇ。

 呼吸を整え、痛みに耐えながら足を動かした――。




 ――ここはイディスの町から少し外れた森林公園だったはず。

 無人の教会と、確か狩猟に使う小屋があるだけの寂れた場所で、早朝の散歩でもこの辺りを利用する奴はいない。

 この大きな湖が一応観光名所としてガイドブックに載ってるが、釣り禁止なうえキャンプもできないから観光客も寄り付かない。

 キャンプ場はもっと町に近い区画にあったはず。

 反対側は雑木林の群れで奥がどうなってるのか、深夜だと全然見えやしない。

 ひたすら歩道を進めば、教会が見えてきた。

 いったいどんな教会かと、看板を見ても文字は劣化で掠れてしまい、読めない。

 正面の扉は、取っ手にチェーンがぐちゃぐちゃに絡まってる。

 無人とはいえ勝手に入れないようしてあるんだろうな、億はくだらない呪いの宝石が眠ってるって話の割には警備員がいないし、防犯カメラとか警報を鳴らす装置も見当たらない。

 本当にあるんだろうな……あのギャング共。

 裏に回ってみるが、砂利を踏んでも反応なし。

 スモークになってる小窓に、拾った大きめの石で叩き割った。

 かなりの音だ、反射的に身を屈んで様子を見てみたが、誰も出てこなかった。

 ゆっくり教会の中へ――初めての犯罪が不法侵入とは――入ってすぐ、月明かりが差し込んだ場所に壁掛け式の非常用懐中電灯があった。

 スイッチをオンにすると、か弱く光る。

 懐中電灯を使って教会の中を見回す。

 床を歩く靴音がハッキリと静かに響き渡り、不安と高揚が交じる心臓の音もうるさく聞こえた。

 女神やら天使やらが描かれたステンドグラスと、並ぶ礼拝用の長椅子。

 講壇の後ろには彫像が飾られている。

 美しい顔立ちの女神が動物達を従えている様子を表現した像だ。

 狼、兎、鹿、猪、熊、森林公園の奥地に生息している動物だろう。


「はぁ……美しいじゃねぇか」


 思わず感想を零してしまう。

 女神像の掌を照らすと、指輪やブローチじゃ収まりきらない大きな宝石があった。あれが、『呪いの宝石』と呼ばれているダイヤモンド? まだ加工されてない歪な状態だっていうのに、気味が悪いほど無色透明だ。

 本当に、あるなんて……一体どんな呪いか分からないが、借金帳消しできるんだ、躊躇ってる場合じゃない。

 ゆっくり、女神像の掌に近づいて手を伸ばした。


『触らない方がいいぜ』

「うぉっ!?」


 どこからか声が聞こえ、全身がビクッと飛び跳ねてしまう。


「だ、誰かいるのか?!」


 か弱い明かりを長椅子に当てると、白い何かシルエットが一瞬見えた。

 同時に懐中電灯は静かに光を失ってしまう。


「くそ、電池切れかっ」

『呪いの宝石に触れちまったら最後、お前は普通に生きられなくなるのさ』

「こっちは命かかってんだよ、一体誰だってんだ! どうやって入ってきた?!」

『そんなに怒んなよ。アンタより後に入ったさ、静かに音を殺して入るのは得意でね』

「チッ……宝石狙いか」

『おうとも、けど女神像から直接宝石を取ると呪いがかかるんだ。やめた方がいいぜぇ』


 カチャリ、という何か引っ掛ける音が、耳の後ろから聞こえた。

 硬く無機質な棒状の何かが後頭部に触れる。

 いつの間に……。


『素人を寄越したのはどこのギャングだ?』

「……マルセル・ファミリー……借金帳消しの取引だ」

『ハハッ! あんな小物ギャングに借金するなんてな、しかもエサに使われたわけだ』

「え、エサだと」

『さっき言ったろ、女神像から直接取れば呪いが発動する。借金帳消しにするどころか……んん?』


 静寂な空間を破るほどのアクセル音と路面を削るタイヤの音が近づいてきた。

 ステンドグラス越しに眩しいライトが反射する。


「な、なんだ? お前の仲間か!?」


 早口なうえ片言のような喋り声が外から聞こえたかと思えば、ライトがどんどんステンドグラス一面を真っ白に――亀裂の余韻もなく粉々に割れる――トラックが突っ込んできた。

 分厚い壁すら吹き飛ばして、礼拝用の長椅子が蹴散らされる。


「うおぉぉぉぉ?!」


 次から次になんだってんだ。どいつもこいつも宝石が狙いか? くそ、くそ、呪いがなんだ!

 急いで女神像から、呪いの宝石を掴み取った。

 ライトで一気に眩しくなったと思えば、今度は真っ暗闇が襲い掛かってくる。

 足がつかない、どっちが天井で床かも分からなくなるほどの闇の中に放り投げられた感覚。

 どうなってる、何が起きてる? 俺はひたすら手足をジタバタと動きまわすが、謎の空間を泳ぐだけ。


「う、うぉぁあ?!」


 大きな狼が迫ってきた。

 圧迫感に押され、逃げようにも、どこにも動けない。


「やめろ、やめろやめろ、喰うな、喰うなっ!!」


 鋭い牙を剥き出しに口を開き、一気に飲み込まれた――っ!!



 続く




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