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12.民を守るのが兵士の務めじゃないんですか……!

 村の中心部に入り、エクトルは無言で重たい鍬を抱え、マーゴの店先をくぐった。帳簿に向けていた目を、ちらりとこちらに向けたマーゴが微笑を浮かべ、鍬に目をやる。


「ロイドの鍬かい。よくもったもんだね……新しいのを探してあげなきゃね」


 そう言うや否や、マーゴは奥の棚へと向かい、並んだ道具の間で代わりになるものを探し始めた。木のきしむ音とともに、奥でカタカタと探る音が響く。


 そのとき、視界の隅でふと影が動いた。


「エクトル」


 静かに振り返ると、そこにはミリーナが立っていた。まるでどこか得意げなような微笑を浮かべている。


「……君もいたのか」


 エクトルは軽く頷き、当たり障りのない言葉で返したが、ミリーナはその様子を興味深げに眺め、腕を組んだまま彼の目をじっと見つめる。


「ロイドさんの畑仕事を、何日も手伝ってるんでしょう? 田舎暮らしもだいぶ板についてきたんじゃない?」


 その言葉に、エクトルは微かに苦笑し、肩をすくめる。


「どうだろうな……鍬を振るうのは、王都での生活じゃまるで縁がなかったことだから」


 淡々と答えると、ミリーナは片眉を軽く上げて微笑を浮かべた。


「剣を振る方が、得意だったりして?」


 その一言に、エクトルの肩が微かに固くなる。けれど彼は、気づかれぬよう視線をそらし、静かに息を吐いた。


「いや……ご覧の通り、俺はただの物書きだ。兵士なんかじゃない」


 肩をすくめて軽く返答するが、ミリーナの瞳には探るような光が消えることなく残っている。その視線の奥には、なにかを知りたいという意志がはっきりと宿っているようだった。


 そのとき——




「そんな! ……そんな!」




 村の中心部に響き渡る悲痛な叫び声に、エクトルは眉をひそめ、音の方へと視線を向けた。


 ミリーナは無言のまますばやく店の外に飛び出し、その後をエクトルとマーゴも追う。


 外へ出ると、広場には一組の村人と兵士たちが向かい合い、緊張が張り詰めていた。叫び声の主は三十代半ばの村人——疲れ切った顔には焦りが色濃く浮かんでいる。


「……トルビンじゃないか……」


 と、マーゴが呟いた。


「……お願いします、どうか協力してください!」


 トルビンは必死に頭を下げたが、兵士は冷ややかに彼を見下ろし、無情にも首を振った。


「無理だ。我々は反乱分子を捕らえるために派遣されている。村の些事は村人同士で解決しろ」


 兵士の声には、機械のような冷たさが宿っていた。

 全く情けも温もりもなく、冷酷に突き放されたトルビンは、青ざめた顔で再び兵士の足元に縋りついた。


「妻と娘なんだ……! 村中探しても見つからなくて……どうか、少しでも人手を貸してくれませんか!」


 絞り出すような訴えだったが、兵士はまるで聞く耳を持たないかのように冷ややかに見下ろし、再び首を振った。


「民を守るのが兵士の務めじゃないんですか……!」

「違う。王の命が絶対だ。くだらぬ問題を持ち込むな」


 兵士は冷たく言い放ち、トルビンの腕を振り払った。彼はそのまま地面に崩れ落ち、周囲の村人たちはその光景に息を呑み、ざわめきが広がった。

 すると、兵士が剣に手をかけ、わざと音を立てる。


「皆の者、我々王国兵士の任務を妨げるような真似をすれば、容赦なく斬り捨てるぞ!」


 その一言で、ざわめきは一瞬で消え去り、村人たちは凍りついた。


 エクトルはただ、その場に立ち尽くしていた。目の前の兵士たちの粗暴ぶりが、自分の過去の姿とどれほど似通っているのか——そのことが鮮明に胸に突き刺さる。

 かつての自分も、こんな冷酷さで無数の声を踏みにじってきたのではないか。


(踏み出せば……すべてが終わる……)


 内心で呟く。彼には今、過去と現在のどちらかを選ぶ覚悟が求められていた。

 そして、そのどちらを選んでも、自らの責任は逃れられない——その冷徹な現実が、彼の胸を鋭く刺し続けていた。


 村人たちが息を呑み、恐れに震える中で、怯えたように声を絞り出す者がいた。




「……まさか、ナイトシェードの仕業じゃないか?」




 その言葉がエクトルの耳に届いた瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。


 ナイトシェード——かつて共に戦い、信じていたその名は、今や恐怖と疑念に満ちた影となっている。


 目の前の村人たちは、知らぬ間にその名前をただの脅威として受け入れ、怯え、目に見えぬ怪物に仕立て上げている。

 それが、エクトルの中でなにかを揺らし、足を縛りつけて動けなくしていた。


(……見過ごすのが賢明だ。下手に関われば、正体が露見するかもしれない……)


 そう自分に言い聞かせるが、必死に頼み続ける男の姿が、まるで焼き付いたかのように瞼の裏に残る。


 見て見ぬふりをすれば済む、それはこれまでも、ずっとナイトシェードの仲間たちから「甘さ」だとされてきたことだ。


 だが——その甘さが、彼の唯一の信念でもあった。


 エクトルは歯を噛みしめ、視線を逸らそうとする。しかし、心の中では葛藤が渦を巻き、思考がどこまでも揺れているばかりだった。


「こっちよ!」


 そのとき、隣に立っていたミリーナが鋭い声で言い切った。彼女はためらいもなく北を指差し、その瞳には不動の決意が宿っている。


「……え?」

「北の森よ。きっと、トルビンさんの家族はそこにいるわ」


 エクトルが言葉を発するよりも先に、ミリーナは彼の手をぐっと引き、駆け出した。


 その強い引きに引き寄せられ、エクトルは一瞬の迷いを吹き飛ばされるように、彼女に従い北の森へと向かって走り出した。


(……また当て推量なのか? いや、違う……)


 エクトルは無条件に、この少女の勘に賭けることを選んだ。

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