星屑の咆哮 9
ついに洞窟の探索を始めた星辰たちだが、七人は必要最低限の会話しかせずに、黙々と進んでいた。
短槍を握る星辰と、拳を構える千春は、お互いに相手の目を見ることもなく、狼たちに案内されながら、洞窟内を先行している。
洞窟の中は、鼻を刺すような異臭で充満している。
今のところ遭遇した動物は、規格外に成長したネズミだけで済んでいる。
しかしこのネズミもかなり好戦的で、足場の暗がりに潜んで接近してきては、噛みつこうとしてくる。
幸か不幸か、気配を殺すようなことはできないため、噛みつかれる前に対処はできてはいるが、例に漏れず頑丈で数も多いため、完全に息の根を止めるには、それなりに骨が折れる。
星辰と千春が大量のネズミを相手しているうちに、弱っていたり、動きが鈍くなった個体を、律空と凛斗が率先してトドメを刺す。
不思議なことに、ネズミたちは狼は避けて、星辰たちにだけ噛み付こうとしている。
挑めば食われてしまうことを、本能的に理解しているのだろうか。
ネズミを見ては情けない声を上げている佳蓮だが、不安な顔をしているものの、弱音は吐かずにしっかりと六人の足並みについて来ている。
長老会議のあの夜、桜夜が口にしたように、この旅は参加すること自体に意味がある。
仮に魔物の討伐に失敗したとしても、偉業を成すために命を賭し、帰れずの山の神に挑んだ戦士が過去にいたという事実は、百年後の供物の選出に大きな影響を与える。
逆に言えば、神と相対せずに戻ってきた戦士がいれば、偉業の達成に貢献しなかったとみなされて、長老会議の場で不利に働くだろう。
そのことは、佳蓮もしっかりと理解している。
南東の狩人の前で弱音を吐けば、付け入る隙を与えてしまい、帰れと連呼されてしまうかもしれない。そうなれば本当に帰りたくなってしまう。神にすら会わずにおめおめと帰れば、天狼にこっぴどく怒られるのは明白だ。それだけは絶対に避けたい。
だから今だけは弱音を吐かないと、佳蓮は洞窟に足を踏み入れた瞬間から決めていた。
佳蓮にとって、足元の見えない洞窟よりも、大きくて気持ちの悪いネズミよりも、得体の知れない神様よりも、天狼に怒られることのほうが、想像に易いせいで遥かに怖い。
「悪い、そっち行ったわ! 頼めるか?」
「ひぃぃぃ……や、やっつけました!」
息も絶え絶え、どうにか律空と凛斗の間合いから逃げ出したネズミに、佳蓮は弓を引く。
凛斗は灯りが照らす高さに、親指を立てた手を掲げる。
「済まないな、佳蓮」
「斧じゃ威力が高すぎて、攻撃したら洞窟が壊れちゃうかもしれませんもんね。しかたないですよ」
星辰と千春のさらに先を歩いていた狼たちは立ち止まり、威嚇するように唸り声をあげる。
「どうしたの!?」
「あれは……クモか」
千春が影に潜む敵の正体を口にしたことによって、洞窟内の緊張は一瞬で最高潮に達する。
ギラギラと灯篭の灯りを反射する八つの赤い目は、星辰たちを視界に捉えた瞬間に飛びかかってくる。
「でっか!」
頭胸部と腹部だけでも、一メートル半はあるであろう蜘蛛は、至る所に糸を撒き散らしながら、まるでなじるようにじわじわと迫ってくる。
「あの図体だ、打撃が入っても大したダメージにはならないはずだ。おれがクモの気を引くから、攻撃は星辰と佳蓮に任せるぞ」
「え、え!? ぼくですか!?」
「わかった、気を付けてね千春」
背負っていた弓と矢筒を凛斗に預けた千春は、数本の矢を握りしめて、ためらいなく巨大なクモの前に躍り出る。今まで見守っているだけだった狼たちも、千春の陽動に加勢する。
「来いよデカブツ!」
千春は音に反応するクモの性質を最大限利用し、声や音を使って挑発する。
ここ二日の経験上、明らかに通常の生態系から外れた生き物は、生命力や攻撃性が底上げされており、なおかつ五感も鋭くなっている。
ほとんど視力が機能しないとされているクモだが、目もそれなりに見えていると思った方がいいだろう。
なら、星辰がクモの視界に入らないように、コントロールしながら陽動する必要がある。
異常なまでに長い足と、強靭な糸を使ったクモの攻撃を紙一重でかわしつつ、星辰が投げる短槍の範囲から外れてしまわないように、千春と二匹の狼は慎重に洞窟の奥へと進んでいく。
得体の知れない狼と共闘するなど、千春にとってはかなり不本意であるが、くだらない意地で使える手をムダにするほど、彼は愚かではない。
クモが灯篭の灯りに照らされるように工夫しながら、千春はクモの陽動を続け、狼もまた、千春の意図を汲むように動いている。
「星辰、佳蓮!」
星辰は短槍を振りかぶりると、天井に張り付いているクモの一番後ろの足に向かって槍を投げつける。
槍が直撃した足は、外骨格が砕ける音を立てながら、関節ごと破壊される。
星辰の馬鹿力を目の当たりにした千春は、短槍と共に地面に落下するクモの足を見て、口端を上げる。これなら殺れる。
短槍の衝撃でよろけたクモは、星辰に向かって口から──正確に言うと、アゴについている糸を射出する専用の器官から、糸を撃ちだす。
「口からもでるの?!」
「ひぃぃぃ!!」
すんでのところで糸をかわした佳蓮は、情けない奇声を発しながら、正面にある巨大な二つの目と、小さな六つの目を狙って、次々と矢を射る。
矢に射抜かれた目からは体液が噴出して、青みがかった透明の汁が壁を濡らす。鼓膜をつんざくような悲鳴が、洞窟内で反響する。
二つの巨大な目と、三つの小さな目に矢を食らったクモは、主に佳蓮の奇声によって、完全に千春から注意が逸れている。
千春は地を蹴って、天井に張り付いたまま、痛みに悶えるクモの腹部にある糸いぼを、拾い上げた星辰の短槍で穿つ。
「なに!」
糸いぼに穂先が突き刺さると同時に、クモは迫りくる千春に向かって大量の糸を噴出する。
千春の身体は糸の勢いに押されて、壁に背中や後頭部を強打する。
肺の中にある空気が一瞬で押し出され、衝撃は全身を駆け抜ける。
力の抜けた千春の手からは、矢が滑り落ち、あまりの痛みで声を出すことすら叶わない。
糸で壁に固定された千春の視界は、幾重にも重なっている。それでも巨大なクモがじわじわと近づいて来ているのがわかる。
五感の機能が鈍っていく中で、千春の名前を呼ぶ声や、狼が吠える声、矢が外骨格に刺さる音、次第に近づいてくる鎖の音が、耳に届く。
西の村の狩人として、約四年間、野生動物を相手に、何度も命の危険を感じてきた千春だが、今回ばかりはどうにもできないと、直感する。
五年前に感じた死を、再び味わう日が、こんなに早くくるとは思わなかった。
冷たくなっていく両親の身体を、抱きしめることすら叶わず、無力感に打ちひしがれていた時のことを思い出す。
まったく満足できなかった自分の人生の終わりを悟った千春は、嘲笑するような笑みを浮かべながら、静かにまぶたを下ろす。
「どけ!」
怒号と鎖同士が擦れる音が聞こえると同時に、またしてもクモの鳴き声が響き渡り、千春は目を開く。
柄尻に鎖が結ばれた小ぶりな刀が、千春に向かって振り上げていたクモの足の関節を貫いている。
「あ、当たった……?」
クモの殺意を千春から逸らすだけで充分だったのだが、奇跡的に足の無力化に成功した桜夜は戸惑っている。
「ばか、くる、ぞ……にげろ!」
千春はどうにか声を振り絞るが、桜夜の耳には届いていない。
桜夜は鎖を勢いよく手繰り寄せ、刀を引き抜く。星辰のように関節ごと粉砕することはできなかったが、関節から先は宙ぶらりんになっている。
一刻も早く星辰の短槍を回収してしまいたい桜夜だが、得物を手にして自由に動けるのは桜夜だけだ。慌てずに、慎重に動く必要がある。
身動きのとれない千春のそばにクモがいるため、彼からクモを引き離さない限り、佳蓮からの弓の援護は受けられない。
加えてこの巨大なクモのアゴには糸を射出する器官がある。このせいで下手に連携を取って戦おうとすれば、数人まとめて貼り付けになる可能性もある。
アゴを破壊してから星辰と並んで戦うか、桜夜単独で短槍を回収するしかない。
恐怖で震える手で自分の頬を叩き、乱れる呼吸を整える。
鎖鎌の分銅を扱うように、右手で握った鎖で輪を描きながら、桜夜はじりじりとクモとの距離を縮める。
五つの目を失ったクモは、どこから攻撃されたのか把握できていないようだ。
二匹の狼は、糸の攻撃を食らわないように、常に移動しながら、クモに向かって吠え続けており、クモもその鳴き声に反応している。
通常のクモと比較すれば視覚は機能しているようだが、それでも桜夜たちが警戒しているほど目が良いわけではないようだ。
クモの目では捉えられず、なおかつ鎖が届くギリギリの範囲で、桜夜は輪を描く鎖を加速させる。
桜夜の指笛を合図に、足元に集った狼たちはその場で咆哮をあげる。
音源がひとつに絞られたことで、クモは天井を蹴り、桜夜と狼たちに飛び掛かる。
ただ刀を投げるだけでは、クモに命中させれたとしても、アゴを破壊することはまず不可能だ。武器がとられて不利な状況になるのは、火を見るよりも明らかである。
なら狼たちをうまく使って糸の〝弾切れ〟を誘い、クモ自身から飛来する刀に向かうように調整してやればいい。
まるで威嚇するような甲高い声をあげながら、迫り来るクモのアゴを狙い、桜夜は全身全霊で刀を投げる。
確かな手ごたえを感じた桜夜は、間髪入れずに刀を引き戻し、逆手に握った左手の刀を、割れたアゴに突き刺すと、力任せに顔面を引き裂く。
「桜夜!」
「任せろ!」
双刀を手放した桜夜は、クモの腹部の真下に滑り込み、そのままクモの背後をとる。
その直後、星辰が投げた凛斗の槍が、ほんの少し前まで桜夜の立っていた場所を通過して、クモの頭部を穿つ。
桜夜は糸いぼに刺さったままの短槍を引き抜くと、クモに駆け寄る星辰に得物を投げ渡す。
「いけ、星辰!」
「く、ら、え!!」
桜夜から得物を受け取った星辰は、痛みに悶える巨大クモの頭胸部に穂先を突き立て、力ずくで外骨格を穿ち、貫く。
しばらくは足をバタつかせていたクモだったが、次第に身体の動きが止まり、この異形の生物の生命活動が完全に停止したことを伝える。
「さくや、さくや、さくやー! 勝ったんだよ、おれたち勝てたんだよ!!」
「本当に……? おれ、ちゃんと生きてる……?」
「生きてるよ!」
「千春も無事みたいだよ」
星辰に肩を掴まれて前後に揺れている桜夜は、律空が指を差した方向に顔を向ける。
和楓と凛斗に回収された千春も、気は失っているものの、どうにか生きているようだ。
その証拠に、凛斗は腕で円を作り、こちらに合図を送ってきている。
緊張の糸が切れた瞬間に、全身の力が一気に抜けてしまい、桜夜はその場で崩れ落ちる。
かなりの興奮状態ですっかり忘れていたが、桜夜は朝から全身筋肉痛だったし、何よりあんな身体の動かし方をしたのは初めてだ。桜夜の身体はとうに限界を迎えていた。こうして一度座り込んでしまったからには、しばらくは動けそうにない。
そんな桜夜の姿を見て、何かを伝えたいのか、青い毛先の狼はしきりに吠えては、全身を器用に使って、星辰の足や、桜夜の肩を押している。
緑の狼も、和楓と凛斗の袖を口で咥えて軽く引っ張っている。
「狼さんたち、どうしたんでしょうね」
「ぼくたちを先に進ませようとしてるのかな。──こんな大きなクモがいたんだ、もう少し歩けば、広い場所に出られるかもしれないね」
槍や双刀を回収してから合流した佳蓮は、律空の背中に隠れながら、青と緑の狼の様子を交互に見ている。
今まで先導することはあっても、強引なことはしなかった狼たちだが、今すぐに進むようにと催促している。
それだけ星辰たちにとって価値のある場所が、目と鼻の先にあるのかもしれない。
激戦を制した直後の桜夜には悪いが、今は狼たちを信じてこの場を動くしかあるまい。
腰が抜けている桜夜を律空が背負い、気絶している千春を和楓が担ぐと、狼の後ろに続いて、一行は再び歩き始める。




