星屑の咆哮 2
迎えた長老会議の日の夜。あと十分もすれば、本格的に話し合いが始まる。
東西の長老を招待するように、星辰が頼み込んだ甲斐があって、会議は南の村で行われることとなった。
星辰は長老が集まっている小屋の戸を透かして、息を潜めて部屋の様子を見ていた。
「なぁお前、本気で魔物と戦うつもり?」
「うん、本気だよ!」
「言っとくが、おれは今も反対だぞ」
「でも桜夜は、おれが何かする時に困ってたらいつも助けてくれるでしょ!」
星辰は小声で、しかし元気よく桜夜に言いきる。
独りで山の神の許に出向き、魔物を討伐すると言い始めた星辰に、桜夜も律空と同様に猛反対していたが、結局星辰の勢いに負けて、長老たちに提案を承諾してもらえるように手伝うことになってしまった。
他の村の長老はともかく、この村の長老、織をどう言いくるめるかが、桜夜の課題だ。
桜夜の小さなため息が聞こえるが、星辰は構わずに戸の隙間から、部屋の様子を観察している。
部屋に居るのは、東西の長老と若い付き人がそれぞれふたりずつだ。
特に会話はなく、息が詰まってしまうような静けさが部屋を満たしているが、両者からはどことなく余裕を感じる。
長老が村を留守にして、よその村を訪れるというのは、それだけでこの会議に於いて大きなアドバンテージになる。
今回の供物が、この南の村から選出されることは、二人にとってほとんど確定しているようなものなのだろう。
「星辰、お主の言う〝良い案〟とやらはまだ聞いておらぬが、当てにしてよいのじゃろうな」
杖をつく音と共に現れた老爺が、飽きずに小屋の中を覗き込んでいる星辰に声をかける。
「もちろんだよ、織さま! おれと桜夜に任せて!」
こうも自信満々だと、逆に不安になると言った表情で、織は大きくため息を吐くと、その場で気だるげにしゃがんでいる桜夜を、手に持つ杖で軽く小突く。
「シャキッとせんかい。長老を招き入れるということが、どれだけこの話し合いで不利に働くか、再三説明したじゃろう」
「わかってるって。あんたはしっかり構えて、おれと星辰の話を聞いててくれよ」
揃いも揃ってお気楽で、呆れて言葉も出ないと言った様子の織は、もう一度大きなため息を吐くと、平屋の小屋の戸を開く。
「待たせたのう、天狼、鼓」
織は東の村の長老、天狼と、西の村の長老、鼓に挨拶をすると、空いている座布団であぐらをかく。
星辰と桜夜は、他の付き人と同様に、長老の少し後ろで正座をする。
「老い先短いおれを待たせよって」
「天狼、そう言わず再会を祝おうではありませんか」
この場では唯一の女性である鼓が、最年長の天狼をなだめる。
「何を祝うことがあるのだ。ついに魔物が現れたのだぞ。──織、おれたちを呼びつけたからには、わかっているのだろうな」
「まったく、相変わらずせっかちな人ですね。しかし天狼の言う通りです。覚悟は済ませているのでしょうね」
ふたりの長老からは、絶対に自領からは生贄は出さないという、ギラギラとした強い圧を感じる。
少しでも怯んだ瞬間に、そのまま押しつぶされてしまいそうな空気の中、桜夜は星辰の表情を横目で確認する。星辰の瞳は相変わらず自信に満ちている。
「任せるぞ、星辰、桜夜」
「はい! 天狼さまと鼓さま、それと織さまに、おれから提案があります!」
「織にもと言ったのは、わたくしの聞き間違えかしら」
「いいえ、この提案は、織さまに向けたものでもあります!」
鼓は少し意地悪そうな笑みを浮かべて、立ち上がった星辰に、話の続きを催促する。
これで織が星辰の案を知らないことがバレてしまったが、それは大した問題ではない。
星辰は鼓に促されるまでもなく、話を続ける。
「おれは、この村の誰かを山の神様に捧げるのは嫌です。もちろん東と西の村からもです。だから、おれは帰れずの山の神様に助けてもらって、魔物退治しようと思います!」
三人の長老だけでなく、今まで一言も発していなかった付き人たちの間で、どよめきが走る。
「馬鹿者、何を言うておるのじゃ、星辰!」
「小僧が何を言い始めるかと思えば……」
「織さま、天狼さま、おれは本気です。人間の力だけじゃ勝てないから、神様の力を借りるんです!」
「供物を捧げなければ動かないような神が、果たして人間に力を貸すような真似をするのでしょうか」
「おれは逆だと思ってます、鼓さま! あの山の神様は、おれたちが助けを求めれば、必ず助けてくれる神様です!」
星辰の説明は明らかに言葉が足りておらず、悠然とした態度の鼓も眉をひそめている。
見かねた桜夜が立ち上がり、星辰の説明を補足する。
「あー、すみません、こいつが言いたいのは、山の神は、生贄を捧げられたことによって動いているのではなく、生贄を捧げる際に行う祈祷を見たことによって動いてるってことです」
「なら、その生贄や祈祷を行った者たちは、どうしてあの山から帰ってこないのでしょうか」
「これはおれの想像になりますが、今までの生贄と祈祷師は村のはみ出し者や、奇形の動物だったと、織さまの屋敷にある本で読みました。村に帰したところで馴染めないのなら帰さない、神なりの配慮なんじゃないでしょうか」
「なるほど、それは面白い考え方ですね。あなたたち、名は?」
鼓は星辰と桜夜に名乗るように促すと、そのまま値踏みするような目でふたりを見る。
「いいでしょう、魔物の討伐に失敗した場合の策は考えなければいけませんが、わたくしはこの者の意見に賛同します。あなたたちふたりは?」
「おれは第二の策次第だ。お前のように手放しで賛同などできんわ」
天狼は苛立った様子で鼓を睨みつけるが、鼓は悠然とした態度で嫌味を受け流す。
東の村は獣による被害が深刻らしく、天狼はかなり焦っている様子だ。それでもふたりの長老を招集しなかったのは、自領から生贄や祈祷師を選出したくなかったからだろう。
「あいにく、今のこの村は長老のおかげで、生贄と祈祷師にできるような人間はひとりもいません。星辰が失敗したときは、おれが生贄になります。いかがですか、天狼さま」
「ちょっと桜夜!」
「静かにしろ星辰」
第二の策を訊かれるのは端からわかっていたことだ。桜夜はあらかじめ用意していた案を口にする。
想定外の桜夜の発言に動揺してしまう星辰を制して、桜夜は天狼の目を見据える。
「そう言うわりに、素直に食われるつもりのない目をしておるが、それだけの覚悟があるのならいいだろう」
「ありがとうございます。ただ、これではこの村のメリットが少ない。そのバランスをとるために、天狼さまと鼓さまに頼みたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「構わん」
「いいでしょう、続けなさい」
湯呑に口をつける天狼と、いつの間にか取り出していた扇で涼んでいた鼓は、桜夜の真剣な顔を見て、不敵な笑みを浮かべる。
「おい、織。自領の小僧が待っておるぞ、何か言ってやってはどうだ」
「いいじゃろう、続けろ桜夜」
星辰と桜夜の位置からは、織の表情を見ることはできない。しかし、少し震えているその声は、普段の声音とは明らかに違う。
先ほどとは打って変わって、不安げな表情の星辰が、桜夜の視界の隅で、ソワソワと落ち着きなく動いている。気が散るため、桜夜は星辰の手の甲をつねり、強制的におとなしくさせる。
「いてっ」
「単刀直入に言わせてもらいます。食料や物資の援助、または狩人をふたりほど選出してください。後者は、場合によっては痛手を負うことになりますが、魔物の討伐に失敗したり、そもそも神から助力が得られなかったとしても、この戦いに参加したと言う事実は、後に大きく響いてくるはずです」
「桜夜と言ったな。貴様、おれの村が食料の援助などできんことを見越して言っておるな」
「そうです。東の村には腕っぷしの強い狩人が多いですからね」
桜夜の言葉を聞き終わるや否や、天狼は豪快に笑い声をあげる。
「いいぞ、気に入ったぞ小僧。この和楓と佳蓮を貸してやろう。ふたりとも腕の立つ狩人だ。それに加えて和楓の人間性は信頼できる。せいぜいうまく使え」
「ありがとうございます、天狼さま。鼓さまはどうされますか?」
「そうね、こちらからも千春と凛斗を貸しましょうか。必要なら食料の援助もしましょう」
鼓は扇で涼みながら、挑発するように天狼に微笑みを向ける。
対する天狼は、鼓に聞こえるように、大げさに舌打ちをする。
火花が散るような睨み合いが繰り広げられているなか、織は沈黙したままだ。
「織さまも、この条件なら納得してくれますか?」
「そうじゃの、桜夜……納得はできよう」
「ならば、満場一致ですね。こんなに短い長老会議は史上初なんじゃなくって」
「そうだろうな、短くても一晩かかると聞く」
先ほどまでの険悪なムードはどこへやら。東西の長老は、まるで何事もなかったかのように、今度は談笑を始めている。
「少し早いですがわたくしはそろそろ部屋に戻ります。千春と佳蓮はまた明日、挨拶に向かわせますから、仲良くしてやってください」
「子供は早く寝ろ。おい織、鼓。お前らの好きな酒を持ってきたぞ、早く準備をしろ」
「わたくし、休むと言ったばかりなのですが?」
「大声を出さずとも聞こえておるわ。──わしは少ししてから行く。先に始めておれ。律空、頼んだぞ」
「はい、長老」
いつの間にか天狼と鼓、それぞれの付き人を律空が迎えに来ていた。
小屋を出て、六人の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったあと、気が抜けてしまった桜夜はその場に座り込む。
「ああ~疲れた……さすがに緊張した……」
「桜夜すごかったよ! ちゃんと語尾に、です、ますってつけててかっこよかった!」
「そりゃどうも……その褒め方、他のやつにするなよ」
興奮している星辰は、桜夜の肩を掴み、激しく前後に揺する。
普段ならやめるように注意する桜夜だが、極度の緊張感からの解放で、制止する気力も湧かないため、されるがままになっている。
「星辰、桜夜、どういうつもりじゃ!」
「うわ、じぃちゃんめっちゃ怒ってんじゃん」
「神様に手伝ってもらって、おれが魔物を倒すんだよ!」
「馬鹿者が、そんなに早死にしたいのか!」
「大丈夫だよ、桜夜のおかげで、一緒に戦ってくれる人も見つかったんだし!」
「そういう問題ではない! そもそもあの山に立ち入ることがどれだけ危険なことなのか、わかっているのか!」
織と星辰の押し問答をしばらく眺めていた桜夜だが、会話の進展が一切ないのを見かねて、重い腰を上げて、ふたりの間に割って入る。
「桜夜、お前もどういうつもりじゃ! 魔物に挑んだ狩人が、みな死んでしまったというのは、お前なら知っておろう!」
「それもじぃちゃんの屋敷にあった本に書いてたから知ってるって。でも死んじまった狩人は、神サンの力を借りて魔物と戦ってたわけじゃないんだろ。なら、星辰の案に賭けてみるだけの価値はあるだろ」
「仲が良いのは構わんが、すべてを肯定するのが友というわけではないのじゃぞ! お前が星辰を助けたことで、星辰が死地に行ってしまうのじゃ!」
「じゃあじぃちゃんは、他にいい案あったわけ? それとも生贄にしたいやつがいるのか?」
「生贄にしたい人間なぞ、いる訳ないじゃろ!」
「知ってる~」
星辰も桜夜も、織がどれだけ優しい人間なのかはよく知っている。
周囲と馴染めない村人が、完全に世間から孤立してしまわないように気を配り、病や事故で親を亡くしてしまった子供を引き取ったりするような男が、誰かを生贄にできるはずがないのだ。
今こうして星辰と桜夜をキツく叱りつけているのも、ふたりの身が心配で仕方がないからだ。
だからこそ、織をどう言いくるめるかが桜夜の課題だったのだ。
「長老、この前、動物に畑荒らされっちゃったでしょ。あの時、おれすごく悲しかったんだ」
星辰は織の手を握り、織の目を真っすぐに見つめて話を始める。
「動物が人の目を盗んで村で暴れるようになるのは、魔物が現れてしばらく経ってから起こるって、昔桜夜が見せてくれた本に書いてたんだ。だからおれは、これ以上村がめちゃくちゃにされて悲しい思いをする前に、魔物を倒せるようになりたい。それに、村の誰かを犠牲にしないと平和にならないなんて、おれは絶対に嫌だ。だからお願い、山の神様のところに行かせて」
「おれも反対だったんだけどな、こんなこと言われたらほっとけなくてさ。助けちまった以上、ついて行けるところまでは一緒に行くつもりだし」
「桜夜ほんと!? 狩りも嫌いなのに一緒に戦ってくれるの!?」
「ついて行くだけだ。痛いのもしんどいのも嫌いだし、そもそもおれ戦えないし」
「え~!」
緊張感のない星辰と桜夜のやり取りを見ていた織は、大きくため息を吐き、星辰の手を握り返す。
「星辰、桜夜。生きて帰ってくると約束できるか?」
「うん、強くなって帰ってきて、神様に守ってもらわなくても生きていけるように、みんなを鍛えなきゃいけないからね!」
「おれは死ぬ前に逃げるからへーきー」
「まったく、仕方のないやつらだ。わかった、約束するのなら見送ろう」
ついに織からも旅に出る許可を得られ、星辰は全身で喜びを表現し、織に抱き着く。
反対に、桜夜は一番の難関をようやく突破した達成感で、再び地べたに座り込み、胸をなでおろす。
ついに派手髪を封印したのですが、顔周りの影の色が濃くて驚きます。




