星屑の咆哮 12
いつまで走っても追いかけてくる星辰から、必死になって逃げ続けるうちに、佳蓮のパニックは収まっていた。
かなりの距離を走ったはずだが、星辰の走る速度は一向に落ちず、ついに佳蓮は星辰に追いつかれてしまう。
「ひとりで行ったら危ないよー!」
「ひとりで神様の部屋の扉を開けた人に言われたくないですぅぅ!」
佳蓮は一度独りになりたかっただけなのだが、星辰から逃げているうちに、休憩に使っただだっ広い空間まで来てしまっていた。
「こんな所まで来たら、戻るの大変じゃないですかぁ」
「佳蓮がここまで走って来たんでしょー?」
「星辰さんがいつまで経っても追いかけてくるからですよぉ」
佳蓮は泣きべそをかきながら、灯篭のすぐそばに座り込むと、星辰も佳蓮の隣りであぐらをかく。
さすがに走りっぱなしで疲れてしまった。こんな所まで戻ってきてしまったし、ニコニコしながら追いかけてくる星辰は怖いし、これなら走らずに、向かいの部屋に逃げ込んだ方が良かったのかもしれない。
「いっぱい走って落ち着いた?」
「はい、落ち着きました……取り乱してすみません」
両膝を抱えて座る佳蓮は、いろんな物を踏んづけて、ドロドロに汚れてしまった靴のつま先を見つめながら、星辰に謝罪する。
「いいよいいよ~。おれも正直、神様にあんな条件出されるとは思ってなくて、びっくりしちゃったし」
「星辰さんは、魔獣士になるの、怖くないんですか?」
「うーん、どうだろ。でもこの旅を始めたのはおれだから、神様から力を貰う時は、一番危険なこととか、大変なことをするのがおれじゃないと、筋が通らないなって思った!」
「星辰さんはすごいですね……ぼくにはそんなこと、できないですよ……」
佳蓮は爪が掌に食い込むほど、強く拳を握りこんでいる。
口から零れ落ちるような佳蓮の言葉を、星辰は静かに聞いていた。
「星辰さん。ぼくはどうするべきだと思いますか? ぼくはどうしたらいいですか?」
「それはね~和楓の言ってた通り、佳蓮が決めることだよ。でもおれね、佳蓮がどっちを選んでも何も思はないよ! だって楔とか関係なく、おれ達もう友達じゃん!」
星辰は今にも泣きだしそうな佳蓮の顔を覗き込んで、そっと微笑みかける。
そもそも星辰がひとりで行こうと思っていた旅に、結局六人も友達がついてきてくれたのだ。
星辰はこれ以上のことは何も望んでいなかった。
「どうして……どうしてそんなこと言うんですか……いつもみたいに、皆さんで決めてくださいよ……なんでこんな時だけ、ぼくにっ……」
感情を言葉にして、星辰にぶつけてしまおうと思えば思うほど、喉の奥で言葉が詰まってしまい、涙になって溢れてくる。
友達なんて言われなければ、迷わず楔にならない選択をできたかもしれない。
いつものように、何をするべきか指示してくれれば、楔になることを、仕方ないと割り切って受け入れられたかもしれない。
いつも何をするか考えて、指示をしてくれる人たちは、こんな時にだけ自分で決めるようにと委ねてくる。
自分で判断することが怖い。自分で決めることが怖い。間違えてしまうのが怖い。
人の指示に従って動いていれば、自分の望む結果に繋がらなくとも、判断した人と、考えて動かなかった自分のせいにして、諦めて受け入れられる。
それなのに、今回ばかりは誰もその生き方を許してくれない。
「佳蓮は、自分で何かを決めるのが怖い?」
「……はい、怖いです。間違えちゃうかもって思えば思うほど、頭の中が真っ白になって、汗が止まらなくなるんです。怖くて、こんなに手も震えちゃう」
佳蓮は小刻みに震える手を、隣りで天井を見上げていた星辰に見せる。
「ほんとだ、佳蓮の手、すっごい震えてる!」
「──ぼく、小さい時は、東の村の近くの森で住んでたんです。大きな木をお家にして、二十人くらいで生活してました。年の近い子たちはみんな狩りに出れる年齢で、六歳だったぼくはいつも通り独りで木の実と山菜を集めてたんです」
抑揚のない声で思い出話を始める佳蓮の横顔を視界の端で眺めながら、星辰は相槌も打たずに、黙って聞いていた。
「その日は背負いかごから溢れちゃうくらい沢山採れて、木を伝って帰れば落としちゃうのはわかってたから、明るいうちは使わないように言われていた道を、まだ陽が出ている時間だったのに歩いて帰ったんです。そしたらクマが……ぼくのっ……」
ぐちゃぐちゃの毛糸玉のように絡まった言葉が、再び佳蓮の喉で詰まってしまう。
この話をすれば自分で決めなくてよくなるかもしれないと、縋るような気持ちで思い出話を始めたのに、結局それすらうまく話すこともできず、あまりの自分の情けなさに涙が止まらなくなる。
「ごめんなさい、やっぱりこの話──」
「ゆっくりでいいよ、佳蓮。おれに聞いてほしいと思ったから、話してくれたんでしょ? いつまでもは待てないけど、一週間くらい待てるよ!」
この人はどれだけお人好しなんだろう。
邪な気持ちで始めた思い出話ですら、こんなに優しく受け止めてくれる。
いつもオドオドして怒られてばかりの自分を煙たがることもなく、手を差し伸べてくれたこの人に、自分は報いることすらできないのだろうか。
星辰に背中をさすられ、とめどなく溢れる涙を袖で拭いながら、嗚咽交じりの言葉で、佳蓮は思い出話の続きを始める。
「ぼく、クマに尾行けられてたみたいで、その日の夜に、みんなクマに襲われて、ぼくだけが生き残って……」
「うん」
「それから、自分で考えることが怖くなって……また間違えちゃうかもしれないって、ぼくがこれでいいと思ったせいで、みんな死んじゃうかもしれないって、思えば思うほど、頭がクラクラしてきて、何も考えられなくなって……ぼく、最低だから、自分のせいで誰かが死んじゃうことよりも、間違えたことをしたって思う方が怖いんです……」
佳蓮は涙でぐちゃぐちゃの顔を膝にうずめ、しゃくりあげる。
そんな佳蓮の背中を、星辰は優しくさすり続けている。
「じゃあさ、佳蓮に時を巻き戻せる力があって、まだ誰も楔になるかどうか決められてなかったとしたら、佳蓮は先にどっちを選ぶ?」
「そんなこと、ぼくにはわからないです……」
「なら、わかるまで考えようよ!」
佳蓮はしばらく考え込んでから、楔になる決断をすると星辰に伝える。
「ぼく、いつも挙動不審だから、村のみんなから鬱陶しがられてて、優しく接してくれるのは和楓さんしかいなくて……だから、星辰さんたちが優しく接してくれるのがすごく嬉しくて……ぼくも、星辰さんのしたいことのお手伝いがしたい……なのに、自分じゃ決めきれなくてっ、でもみんな背中を押してくれないし……」
「そっか。佳蓮、こっち向いて!」
星辰に言われるがまま顔をあげた佳蓮は、眉間の皮膚をつままれ、そのままグリグリと強い力で押される。
「痛い、痛いです!」
「今は佳蓮の決断を後押しすることはできないけど、おまじないをかけることはできるから!」
「おまじない?」
「うん! 佳蓮が間違えなくなるおまじない! 楔になっても、ならなくても、もう一つの選択肢を選ばなくてよかったって思えることが、今からどんどん起こるよ!」
「でも、それじゃ、ぼくが楔にならなかったら、魔物の討伐が失敗したりしちゃうんじゃないですか……?」
「あれ、ほんとだ! じゃあ何か、別のおまじないにするからちょっと待って! 退治が失敗するんじゃなくて、ずっとおれ達と一緒に居なくて済むとかは!?」
慌てて別のおまじないを考えている星辰を見て、佳蓮は思わず笑ってしまう。
楔にならないことを選んだとして、星辰のかけてくれたおまじない通り、選ばなくてよかったと思うような事が、星辰たちの身に降りかかれば、それこそ選択を間違えたことになる。
独りでいることは相変わらず好きだが、優しさと温もりをくれた人たちが、世界からいなくなってしまうのは嫌だ。
そう考えてみれば、和楓の言った通り、確かに簡単なことだ。
「星辰さん、ぼくも連れて行ってください……星辰さんも、和楓さんも、桜夜さんも、律空さんも、凛斗さんも、千春さんも、いなくならないでほしいから、ぼくも星辰さんの楔になって、一緒に戦いたいです」
「ほんとに? 無理してない?」
「はい!」
勇気づけようと思ってかけた、おまじないのせいで、逆に佳蓮に楔になることを強いてしまったのではないかと不安になっていた星辰は、力強い佳蓮の声を聞いて、屈託のない笑顔を浮かべる。
「おれ、佳蓮の決断が間違いにならないように、いっぱい頑張るからね!」
「ぼくも頑張ります、だから、みんなで一緒に帰りましょうね」
佳蓮が星辰の顔を見ながら握手をするのは、今回が初めてだ。
星辰のまぶしい笑顔は、下ばかり見ていた佳蓮の目に染みて、また涙が出そうになる。




