星屑の咆哮 11
休憩を切り上げた一行は、再び洞窟の奥を目指して歩き始めていた。通路は再び、薄暗く狭くなり、わずかながらに敵意も感じる。
巨大クモを下した星辰たち相手に、ネズミが襲い掛かって来ることはないが、星辰と桜夜は武器を構えながら先行している。しんがりにいる佳蓮もまた、念のために弓を構えていた。
「この体勢、逆にツラいんだけど」
列の真ん中にいる千春が、ぼそっと不満を口にする。
全身を強打した千春を気遣い、和楓と凛斗が肩を貸しているのだが、身長差のせいで千春の足は宙を浮いている。
和楓たち三人の武器を預かっている律空は、捕獲されているような姿の千春を見て微笑んでいる。
「だから背負ってやると言ったんだ」
「いらねーよ、自分で歩ける」
ジタバタともがいて、ようやく大男ふたりから逃れた千春は、ぎこちない動きで先頭にいる星辰たちに追いつく。
「もういいの、千春?」
「最初から平気だって言ってるだろ」
千春は星辰と桜夜の間をすり抜けて狼たちと並ぶと、荷物から干し肉を取り出して、それぞれに一枚ずつ与える。
千春は狼の頭を慣れない手つきで撫でると、来た道を振り返る。
「桜夜、失礼な態度をとって悪かったな。お前のせいで死なずに済んだ。……ありがとう」
すぐにそっぽ向いてしまった千春は、耳まで真っ赤になっている。
まさか千春から礼を言われるとは思っていなかった桜夜も、愕然としている。
「おれは!? おれには何かないの! ちーはーるー!」
「うるさい、静かにしろ」
期待の眼差しを向けながら、徐々に近づいてくる星辰とは目も合わさず、千春は星辰の顔を鷲掴みにする。
「和楓さん、その、こんなに気が抜けていて、だ、大丈夫なんでしょうか……」
じゃれあっている星辰と千春を見ている佳蓮は、和楓に耳打ちする。
千春はともかく、今や星辰は完全に気が抜けてしまっている。
洞窟に入った直後の険悪な雰囲気よりはずっとマシだが、いつ何が襲ってくるかわからない薄暗い閉所で、先頭が遊んでいるのを見ると、いささか不安になってしまう。
「険悪なほうがいいか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「済まない、冗談だ。すぐ後ろには桜夜もいる。そこまで心配しなくてもいいだろう」
和楓は顔色ひとつ変えずに、淡々と話し続けるせいで、冗談なのか本気なのかわかりづらい。
しかし和楓がそういうなら、佳蓮自身も、もう少し肩の力を抜いてもいいのかもしれない。
はぐれない程度に星辰たちと距離をとった佳蓮は、弓を壁にぶつけないように注意しながら伸びをする。
上機嫌で歩いている星辰たちに向かって、緑の毛先の狼は短く吠える。
薄暗い通路の突き当りには、灯篭の灯りに照らされた重厚感のある二枚扉が、星辰たちを待ち構えていた。
狼は早く扉を開けろと言わんばかりに、ガリガリと前足で扉を引っ搔いている。
「やっと神様に会えるのかな!」
「待て星辰、律空たちが追いついてから──」
桜夜と千春の警告も虚しく、星辰は重たい二枚扉をひとりで開けてしまう。
煌々《こうこう》とした光で満ちた部屋の奥には、星辰たちより少し大人の顔立ちの女が、丸い岩の上であぐらをかいていた。紙のように白い肌は、手足に近づくにつれて、灯篭の灯りと同じ色に染まっている。
慌てて追いついてきた律空たちは、異様な気配を放つ女を目の当たりにして、固唾を飲む。
「ようやく来たか小僧ども。待ちくたびれたぞ?」
「もしかして、あなたが神様?」
「ばか、星辰!」
「おい、やめてやらんか、苦しがっているぞ」
星辰たちは、ニヤリと笑いながら彼らを出迎えた女が、人間ではないことを、本能的に理解する。
協力を仰ぐためにも、慎重にいかねばならないため、桜夜と律空は、ためらいなく部屋に入ろうとする星辰の首根っこを掴んで、無理やり止める。
しかし女は、無遠慮に部屋に足を踏み入れようとした星辰ではなく、星辰の首を絞めるような状態の桜夜と律空を咎める。
「この五百年で、何度か人間を迎え入れたことはあるが、小僧のような希望に満ちた表情で、ワタシの前に現れた者は初めてだ。早く名を教えろ」
「星辰だよ!」
「そうか、お前が星辰か。ほかの者たちは?」
六人の名前も聞いた女は、満足げな表情を浮かべている。
ほんの少し目を離した隙に、狼たちは女が座ってる岩のそばで伏せていた。
「ワタシの名前はキサナ。神とは少し違うが、お前たち人間を見守る存在だ。ついでにこっちの青いのが凪沙で、緑のが一颯だ」
キサナの紹介に反応するように、凪沙と一颯と呼ばれた狼は、勇ましく吠える。
「ほら、さっさと部屋に入れ。ワタシに用があるんだろ」
「お邪魔しまーす!」
手招きするキサナに誘われるがまま、星辰たち七人は、灯りで満ちた部屋に足を踏み入れる。
キサナがイスにしている巨大な岩のせいで窮屈な部屋に見えていたが、いざ入ってみると、それなりに大きい部屋だ。七人で入っても問題なく両腕を伸ばせる。
岩を囲むように、四つの小さな石が並んでおり、その小石の前には、灯篭の灯りと同じ色の花が、まるで供えられるように、一輪ずつ置かれている。
村の長老たちとは比べ物にならないほどの、圧倒的な威厳のあるキサナを前にしても、星辰は臆することなく、自分のペースで話を切り出す。
「おれたち、神様の力を借りたくてここまで来たんだ!」
「ほう、ワタシの力を? 何に使うつもりだ?」
「百年に一度の魔物と戦うため。──魔物の影響で森の動物が賢くなってから、沢山の人がケガをするようになって、一生懸命育てた野菜もだめにされて、村のチビたちも森を怖がるようになってる。それに、こんな事が起きる度に、みんなの為に、誰かが犠牲になって、ここに来るんだよね。おれはこんな悲しいことから、みんなを護れるようになりたい」
「だが人間の力だけでは、お前たちの生活を脅かす魔物には太刀打ちできないから、ワタシの力を求めて来た、か?」
星辰の足りない言葉を桜夜が補う前に、キサナは星辰の考えを正確に読み取る。
「そう! なんでわかったの!?」
「ずっと聞いてたからだよ」
百点満点の反応を示す星辰を見て、岩の上でキサナは得意げな顔をしている。
「村の近くにいくつか祠があるだろ。あそこから聞いてたんだ」
「じゃあ何でわざわざ訊いたんです?」
「真意を見るためさ。口では何とでもいえるが、瞳は嘘を吐けない。こんなに純粋な感情で、人のために何かをしたいと思っている人間は初めてだ、気に入った」
桜夜の素朴な疑問に答えつつ、キサナは星辰から目を離さない。
「ワタシも、追い返そうとしても、帰りたがらない人間を保護するのウンザリしてたんだ。いくつか条件はあるが、それを込めるなら力を授けてやっていい」
「聞かせて、おれ何でもする!」
「ほかの奴らもそう思ってるんなら、簡単な条件さ」
桜夜たち六人の頭の先からつま先まで、キサナは値踏みするような目で見ている。星辰に向けていた眼差しとはまるで別物だ。
部屋中に緊張感が走り、それぞれが固唾を飲む音が聞こえてくる。
「ワタシが人間に与えてやれるのは〝従える力〟だ。ワタシの肉を喰らい、ワタシの魔力を得ることで、魔獣を使役する──そうだな、魔獣士になれる。残りの者たちは、魔獣士がワタシの魔力に飲み込まれないように、楔になる必要がある」
「〝従える力〟を得られるのは、ひとりだけですか?」
キサナは和楓の質問を肯定する。
力の頂点に立てる人間は、いつの世にもひとりだけだ。
例え世界そのもののルールが変わったとしても、これだけは覆すことはできない。
キサナの力を得るためには、まずは人間同士でキサナの魔力を分かつ必要がある。
キサナの魔力を分かつことで、それぞれの魂に強い縁を与え、決して解けぬ強固な繋がりを結ぶのだ。
キサナの肉を喰らい、魔獣士となる者は、キサナからの多大な恩恵を得ることとなる。それと同時に、膨大な魔力を得ることによって、少なからず魂や人間性が変質してしまう。
そのため、魔獣士のことを知る者が、キサナの血を飲んで楔となり、魔獣士の魂の変質を食い止める必要がある。
縁をより強固なものにするために、生活を共にする必要はあるが、魂の繋がりによってキサナの恩恵を得られることから、魔獣士と違って、楔が負うリスクは圧倒的に少ない。
「神様、恩恵って例えばどんなの? 神様の魔力を取り込めば、おれたちは人間じゃなくなる?」
「そうだな、純粋な人間ではなくなるな。かと言って、完全に人間じゃなくなるわけでもない。ワタシの魔力の恩恵によって、身体の強度が飛躍的に上がる。他の者よりも、生物としての格が上がると言えばわかりやすいか?」
「それならおれでもわかるよ!」
説明のし甲斐のある星辰の反応を見て、キサナはケタケタと笑っている。
楔になる人間は最低でもふたりは必要だ。
肉を喰らう者、血を飲む者が三人揃わないと、そもそもこの儀式は成立しない。
人間は多面性を持つ生き物だ。一方から見た性質だけを保護しても、それは魂や人間性の保護には繋がらない。むしろ、こうであってほしいという楔の願望が、相手の性質を歪めてしまう可能性がある。
逆に言えば、楔の数は多ければ多いほど、正確な形の魂の保護に繋がる。
楔が負うリスクは少ないものの、責任は重大だ。
「この縁は、楔の血が完全に途切れてしまうまで消えることない。例えば星辰が魔獣士に、律空が楔になったとしよう。何らかの理由で律空が命を落としても、律空に子孫がいる限り、その血に流れる魔力が、星辰の楔として機能し続ける」
「じゃ、じゃあもし、ぼくたちが魔力を取り込めば、一族が滅んでしまうまで関係が続くってことですか……?」
「そういうことだ、よくわかってるじゃないか」
キサナの言葉を聞いて、自分の顔が引きつっていくのを感じ、佳蓮は和楓の陰に隠れる。
「人智を超えた力を手に入れれば、危険なことも舞い込んでくるだろう。戦いは一度魔物を退治するだけでは終わらない。それを覚悟することだ。これからお前たちは、数多の危険と対峙することになるだろう。民がその危険から護ってもらって当然だと思うような環境は作らず、常に敬意を払われる生き方をするように心がけろ。そのためにも、魔獣士は三つの村を一つに束ねて、長になる必要がある」
これから下す決断は、人生を大きく変える決断だ。
魔物が暴れ始めるまで、まだ時間の猶予はある。納得できるまで話し合うようにキサナに言わた星辰たちは、凪沙と一颯に部屋に案内される。
突き当りにたどり着いた時は、眼前の扉に釘付けで、両脇にも小さな扉があることには気づかなかった。
部屋の中には埃がたまっており、ずいぶん長い間手入れがされていないことは一目でわかる。それでも人が暮らしていた痕跡は残っており、キサナは生贄として送り込まれた人間を、ここで保護していたのだろう。
桜夜の読みは当たっていたという事だ。
「話し合う前に、ちょっと掃除しようぜ……」
「ぼくも凛斗に賛成。これじゃ集中できないよ」
凛斗は部屋に入った直後から、しきりにくしゃみをしている。
ふたりの言う通り、このままでは話し合いどころか、休憩もできない。
七人は部屋の角に追いやられた掃除道具を引っ張り出して、埃を扉の外に掃き出していく。
目に見えるところだけを一旦綺麗にして、星辰たちはお互いの顔が見えるように、輪になって座る。
「魔獣士にはおれがなる。みんなはこれからどうする?」
星辰の楔になることを即決したのは、桜夜と律空だけだった。
和楓や千春たちも、ある程度の代償を払うことは覚悟していたが、その代償が後世にも続くものとは思ってもみなかった。
強くなる代わりに短命になってしまうといった、自分の命で支払いが済むものだと思っていたのだが、実際は死してなお清算の終わらない、呪いのような代償だ。
「得られる力はすごいんだろうが、自分たちの子供の人生にも関わってくるんだろ。正直すぐに答えは出ないな……」
「──おれはこの話、乗るぜ」
意外な人物が、四人の中で一番に名乗りを上げる。
ポリポリと頬をかいている凛斗の隣りに座っていた千春だ。
「お前が三つの村を束ねた時、誰かの大切な人を奪ったり、犠牲にしないと約束するならな」
「もちろんだよ、おれはそのために、ここに来たんだから!」
「誰かが泣かないと成り立たない世界を作ったら……そうだな、おれとおれのガキで全部ぶっ壊してやる」
千春にとって、これはいつまで経っても村の真ん中でふんぞり返っている鼓を、その席から引きずり下ろせる、またとない機会だ。
それに、楔としての役割が血を伝って機能し続けるのなら、いつか星辰の子孫の統治が失敗した時は、この気に入らない世界ごと全てぶっ壊させればいい。
差し出された星辰の手を、千春は今度こそ固く握り返す。
「代償や責任が後世にまで続くと思えば慎重になってしまうが、おれ達がいなくなった後もキサナさまの言う〝縁〟が続くと考えれば、さほど悪いことではないのかもしれないな」
「おれみんなの事大好きだから、和楓のことも、みんなのことも、誰も独りにさせないよ!」
責任や繋がりを伴わない人生は気楽だが、それだけでしかない。
悲しむことがなければ、喜びもない。ただ孤独に身を委ねるだけの生き方は、人間の生き方ではない。
そのことを和楓は知っていた。
大きな縁に守られて、孤独の落とす冷たい影の中で震えずに、明るい日差しの下で生きていけるのなら、それはきっと悪いことではない。
和楓もまた、星辰の手を握り返す。子供のように温かい星辰の手には、不思議な頼もしさを感じる。
「確かにそうかもな……深く考えるのはやめだ。星辰や桜夜たちと旅に出たから、おれは千春のことをちゃんと知れた。これはその礼だな」
「うん、きっとずっと仲良しだよ!」
「おれは何もしてない」
星辰と桜夜の手を握った凛斗は、ふたりの髪がぐちゃぐちゃになるまで頭を撫でる。
自分の未来をひとりの男に託す仲間たちの顔を見て、佳蓮の身体はどんどん強張っていく。
この決断は自分の人生だけではなく、この血を引いた人間がいる限り、延々と付きまとうものだ。
そんな決断を、まだ十九年しか生きていないのにできるはずがない。
佳蓮の動悸は激しくなり、どんどん視界が歪んでいく。全身には脂汗が出ており、手足が冷えていくのがわかる。
「こんなの、こんなこと、ぼくには決められません……そうだ、和楓さん、ぼく、ぼくどうすればいいですか? 律空さんでも誰でも、ぼくが今からどうするのか決めてください!」
「佳蓮、今回ばかりはだめだ。お前の意志で決めろ」
佳蓮は和楓の腕に縋りついて答えを求めるが、和楓は首を横に振る。
パニックを起こしかけている佳蓮に向かって、律空が優しく声をかける。
「佳蓮、まだ悩む時間はあるから落ち着いて。これは別に強制じゃないんだ。決めきれないなら、断ってもいいんだよ」
「そんな、そんなことしたら、ぼくだけ逃げるみたいじゃないですか……ぼくだけ、ぼくだけまた、生き残っちゃうことになるかもしれないじゃないですか! いろんな人の人生がかかってるのに、どうしてそんなにすぐに決めれるんですか? ぼくには……ぼくにはムリです!!」
「佳蓮!」
凛斗の制止も虚しく、完全にパニックを起こしている佳蓮は部屋を飛び出してしまう。星辰は佳蓮の後を追いかけて部屋を出る。
「佳蓮さん、どうしちまったんだ?」
「佳蓮がキサナさまと話した時から、だいぶ顔色は悪かったが……」
あまり大勢で追いかけては、余計にパニックを起こしてしまうだろうと思い、桜夜たちは部屋に留まっているが、やはり心配だ。開きっぱなしの扉の外から聞こえてくる足音は、どんどん遠のいていく。
影のかかる四人の表情を見た和楓が口を開く。
「凛斗、お前が山に登る前にしていた、この山から帰還した者の話は覚えているか?」
「ん? 確か無事に帰って来たけど、結局は居場所がなくて森で暮らしてたってやつだよな」
「そうだ。これはおれの話でもあるのだがな、佳蓮は唯一この山から下りることにした人間の子孫だ」
「……え? おい、待てよ。お前いま、さらっと、とんでもないこと言ったな! 和楓と佳蓮って、親戚ってこと!?」
部屋に残った全員が、驚きのあまり目が点になっている。
顔も体格も似つかない和楓と佳蓮に、血のつながりがあるとは到底思えない。しかし和楓は凛斗の質問を肯定した。和楓はこのような時に冗談を言う男ではないことは確かだ。
「血が繋がっているとは言っても、近い親戚というわけではない。出身を問わず、周囲と馴染めなかった者同士が集まってできた集団はそれなりに大きくなっていたからな。──おれは佳蓮が生まれてすぐに仲間とはぐれた。それから七年間、森の中を孤独にさ迷っていたところを、天狼さまに拾ってもらった」
東の村に着いてすぐ、当時十七歳だった和楓は、佳蓮と再会したそうだ。
しかし物心がつく前にはぐれてしまった和楓のことを、佳蓮は覚えていなかったため、和楓は自身が佳蓮の血縁者であることは伏せていた。
「赤ちゃんだった頃にはぐれたのに、なんでその人が佳蓮さんだってわかったんだ?」
「皆と揃いで作った耳飾りがあってな。佳蓮の耳にもそれがついていたんだ。おれの物はボロボロになってしまって、もう使えないが」
そういって和楓は、荷物から木の耳飾りを取り出す。
和楓の言う通り、佳蓮が耳に着けている物と同じデザインだ。しかし和楓の物は至るところが割れており、下手に着けれが顔の皮膚を切ってしまう状態だ。
「おれが帰還した人の話を佳蓮に訊いた時、何であいつは他人事だったんだ?」
「それは単純に、自分の祖先がその人だという事を、佳蓮が知らないうちに、仲間が全滅してしまったからだ。おれが話題に乗らなかったのも、血縁者であることを伝えていないのも、下手なことを思い出させて、パニックを起こさせないようにするためだ」
含みのある言い方をする和楓の言葉に場に居る全員が耳を傾ける。




