ほとぼり
白犬亭に戻ったダリオをクラウドが呼んでいた。机の下、食堂にいた他の客からは見えない位置で手招きしている。ダリオは、クラウドの手元、小刀で木片を削っている作業を覗き込むようなそぶりで耳を寄せた。
「今朝、お前さんが出て行った後で、ウェルタが慌てて出て行った。つけている感じだったな。気をつけろ」
ダリオは、無言のまま軽く肯いた。周囲を見回すが、ウェルタの姿は見当たらない。隅でクラウドが楽器を磨いていた。
遺跡に行くためウェルタを撒いたので疑われたのだろう。遺跡には、今夜にでもまた行きたいところだった。遺跡の地下には、サナザーラ以外の誰かがいる。早めに白犬亭に戻ったのは、そのためだった。少しでも休み、夜に抜け出すつもりだったからだ。
森の中と同じように、例え尾けられたとしても彼を撒くのは簡単だ。しかし、しばらく様子を見た方が良いだろう。
それなら時間は有効に使いたい。せっかく早めに戻ったのだ。ダリオはタイトナに近寄って声をかけた。
「タイトナさん、よかったらまた話を聞かせてもらえませんんか」
「いいですよ。私も暇ですからね。いい加減、封鎖を解除して欲しいところですが、どうですか?」
「患者の数は減ってきましたが、まだしばらくは無理でしょう。最近になって発病している人もいます」
「そうですか。私がダリオに話せる話がなくならないことを祈りましょう。で、今日の希望は何でしょう?」
「やはり不死王の話ですね。それと戦士サルザルの話を聞きたいです」
「初代教皇ゲルナシオ聖下の話ではないのですね」
教皇の話よりも不死王の話を聞きたがることは、普通ではないのだろう。
「教皇聖下の話は、教会に行けば聞けますから」
今は白死病の対応で行っていないが、十日おきの休息日には教会で祈りと説法が行われる。それは聖転生教会でもヌール派の教会でも同じだ。ダリオは行っていないのだが、説法と言えば歴代教皇聖下の話に決まっていた。特に初代教皇ゲルナシオ聖下、それに彼の生まれ変わりである現教皇エルミオ・ゲルナシオ聖下の話は定番だった。
「教会の説法と私の話を同じに見て欲しくはないですが、まあ、いいでしょう。ダリオが信心深いかどうかは、どうでも良いことですからね」
「いえ、不信心という訳では……」
ダリオの言い訳を無視して、タイトナは不死王について話し始めた。
「不死王は、東方の辺境に生まれ、かの地にはびこっていた邪教の影響を受けたと言われています」
「東方の邪教?」
「ええ。神ではなく、人の魂こそが尊いのだと考える邪教で、東方の地域では、今も隠れて信仰する邪教徒が存在すると言われています。彼らは、死者の魂と会話すると言っているようです」
ダリオ自身も東部の出身だったし、ウルリスに連れられて回ったこともあったが、彼女が人との接触を避けていたこともあり、そんな邪教と呼ばれるものを見たことはなかった。ただ、呪い師と呼ばれる老人が居たことは覚えている。彼らが邪教徒と呼ばれているのかも知れなかった。それに、魂を尊いとする考え方は、確かに不死魔法に近いようにも感じる。
「不死王カスケードが、歴史の舞台に姿を現したのは、彼がアーケンの領主となった時です。その時、彼がどのような経緯でアーケンの領主になったのかは、はっきりしていません。一説では、領主に近づいたカスケードが、領主を暗殺することで地位を奪ったとも言われています」
「暗殺で地位を奪えるものなのですか?」
なんとなく違和感を感じて尋ねてみる。タイトナはゆっくりと首を振った。
「よくわかっていないのです。暗殺ではないかと言われるのは、彼がアーケンの領主となった以降、周辺の領主を打倒し、領地を広げる中で、暗殺という手法を使ったからです」
「アンデッドを使って戦争をしたと思っていましたが、それだけではないのですね」
「ええ。アンデッドを操ることから不死王と呼ばれますが、不死王は暗殺も得意としていました。特にこの周辺領地を征服する不死戦争の初期では、暗殺を多用したようです。暗殺の方が簡単な場合は、暗殺をしたのかもしれませんが、このおかげで、彼はアンデッドを大量に使い始める前から恐れられていました」
野山をうろつくアンデッドはもちろん、偽りの魂を持ったアンデッドも暗殺に向いているとは思えなかった。ウルリスの作り出したボーンケンタウロスは強かったが、戦い方は、強引になぎ倒す感じだ。遺跡にいたアンデッドにしても同じだろう。暗殺などできそうにない。そもそも、どう見ても目立つ。
「吟遊詩では、暗殺によってアーケンの領主となり、暗殺によって周囲の領地を手に入れたり、支配下に治めたと歌われています」
「支配下に納めるというのは、領地を手に入れるというのと違うのですか?」
「手に入れるというのは、不死王が直接治め領地とすること、支配下に治めるというのは、元の領主が不死王に忠誠を誓うことで、彼の配下になることです。彼は、対立する領主を暗殺によって排除し、暗殺の恐怖に慄く領主を配下としました。これによって、彼は急速に支配地を増やし、聖転生教会の教えを排除しようとしたのです」
本当に簡単に暗殺ができたのか、そして彼がなぜ支配地を増やそうとしたのかは分からないが、恐怖によって領主を支配下に置くという流れは理解できた。
今も各地の領主の中には、争いを続け、隙あらば領地を増やそうとしている領主も多い。彼らも不死王のようにできるなら、同じようにするだろう。
今、世界はアンデッドと白死病の危機に怯えている。昔も、理由は違っても安心できる世界ではなかったのかもしれない。
ダリオにとって、過去の自分かも知れない不死王が、なぜ周辺領地を支配しようとしたのか、そのことが一番気になったが、それは分かりそうになかった。




