そぞろな心
入口のドアを押し開ける。そこは死の匂いに満ちた礼拝堂だ。
建物の奥から響いてくる微かな物音がするだけで、まるで誰もいないかのように静かだった。白死病に罹ると地平線に消える秋の落日のように、体力がつるべ落としに消えて行く。うめき声を上げる者さえなく、静かに人が人でなくなって行く。ダリオが見ている目の前で、祭壇に近い前方の長椅子から魂が浮き上がっていった。それは、死霊術師だけが見ることのできる死の瞬間だった。
封鎖団事務所から戻ってきたダリオは、唇を噛んでトムラの下に向かう。回廊を巡り、彼の部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
アンデッドの浄化を行っているトムラは、もう起きていたようだ。粗末なドアを引き、背負っていたズタ袋を降ろした。
「戻って来ました」
彼には、市外に出る許可がもらえたので薬草を採ってくると伝えてあった。
「ずいぶんありますね。これはいい」
「買い取ってもらえますか?」
「もちろんです。ただ、支払いは待ってもらっても良いですか? 封鎖されたままでは、教会も厳しいのです。これほどあると教会のお金がなくなってしまいます。」
それはダリオも分かっている。それに、口には出せないものの、薬草を採ってきたことはついでだった。肯いて答える。
「ネグルスに計ってもらいます」
重量単価で買い取ってもらうのだ。ヌール派の教会では、寄付が現物のことも多いらしい。帳簿には穀物三ソルの寄付といった具合に書き込むと聞いた。当然、そのための秤も準備されている。
ネグルスに採ってきたトロコロとロモトールを計量してもらい、薬の準備に使っている倉庫に向かった。ドアの向こうから、ゴリゴリという薬研で薬草をすり潰す音が聞こえる。
「ただいま」
ドアを引き開けて声をかける。薬研の上にかがみ込んでいたミシュラが飛び上がる。
「良かった。帰ってきたんだね」
「ちゃんと帰ってくるって言ったじゃん」
ミシュラは、半分泣きそうな顔をしていた。
「でも……行ったんじゃないの?」
ミシュラの問いは、遺跡に行ったかどうかだ。彼女のことは信頼している。それでも話さない方が良かった。
「採ってきたよ。トロコロが一杯だ」
話をはぐらかし、降ろしたズタ袋を開けてみせる。それ以上、彼女は追及してこなかった。直ぐに使う分のトロコロを取り出し、机の上に置いた。
「手伝って。これを干さなきゃ」
教会の裏手に出て、トロコロの干し場として使っていた場所に向かう。最初に採ってきた分は乾燥を終えているので、ただ板が斜めに並べられているだけだ。
「ミシュラは、向こうから並べてくれる?」
彼女は要領も分かっている。簡単な指示だけで作業を始められた。日が落ちる前に並べてしまいたかった。
手を動かしながら遺跡でのことを思い出す。サナザーラと十分に話す時間がなかった。分かったことも多いが、分からなかったこともまた多い。
伯爵夫人とあだ名されている彼女は、死霊術師ではなかった。吟遊詩では剣士サルザルと呼ばれていたアンデッドの剣士だった。不死戦争の後、アンデッドとなり、ずっとあの遺跡を守ってきたのだ。紅い偽りの魂を持ったアンデッドは居たが、一人であの場所を守ってきたと言ってよいのだろう。
彼女が大聖堂と呼んでいたあの場所は、ダリオを含む死霊術師や彼女のような、不死王の配下のための場所らしい。もっと詳しい話は、次に行った時に聞けばいい。
問題は、彼女が今はまだ会わせられないと言っていた相手だ。他の場所にいるのかもしれないが、帰る間際、地下に見えた魂に違いなかった。
スカラベオのことを話し、白死病の謎に迫るなら、あの地下に行くべきかもしれない。ただ「今は会わせられぬ」と言っていた。彼女が許してくれるとは思えない。行くなら、こっそりと行くしかなかった。
大聖堂への立入は許可してもらえた。彼女は、本を持ったスケルトンに告げただけだったが、どうやらあれで全てのスケルトンに伝わるようだ。地下にいる紅い偽りの魂を持つアンデッドも、通してくれるだろう。証を示せと書いてあったが、魂を見せれば良いはずだ。
地下に入ることはできそうだ。残る問題は、エイトに教えてもらった地下通路だ。入口が聖転生教会にあるらしい。白犬亭に帰ったら、エイト、そしてクラウドに話を聞きたかった。
「……ねえ、ダリオ!」
手を掴まれ引かれていた。ミシュラだった。
「ごめん。何?」
「どうしたの、ボーとして……」
「考えごとしてたんだ」
「やっぱり遺跡のこと?」
「いろいろだよ。遺跡も見えたしね」
やはり、彼女に大聖堂に入ったことは話せない。
「で、何?」
「トロコロは並べたよ。ロモトールも干すの?」
少し考えた。今は、ロモトールを使うべき患者がいなかった。
「うん。ロモトールも干しとこう」
ダリオは、慌てて手を動かした。ミシュラが不安なそうな目で見ていたことに気付いていなかった。




