碧いスカラベオ
マナテアは、聖転生教会に戻ると、直ぐさまカナッサの様子を見た。少し顔色が悪くなっていたので、渋々ながら神聖魔法で治療を施す。
「マナテア様、ご理解頂けたようでなによりです」
まだ教会に残っていたナグマンに声をかけられた。教会内でも患者の居る礼拝堂がもっとも広い。その広い礼拝堂の中、一人で治療に当たっていれば、それだけで目立っていたはずだ。
「私は、自分にできることをするだけです」
アンデッドの浄化に回され、ショールが治療に当たるくらいならば、カナッサを優先せざるを得ないとは言え、治療を続けられた方が嬉しかった。
ナグマンは、笑顔で肯いていた。マナテアの返答を、どう理解したのか分からない。
「ところで、ヌール派の教会は如何でしたかな?」
アナバスから報告してもらった方が良いと思うものの、問われたならば答えなければならなかった。
「トムラ司祭が魔法で治療を行っていた他に、薬を併用していました。それが、どの程度影響したのか分かりませんが、予想以上に完治した者が多かった理由は薬だと思われます。詳しくは、アナバス教授からお聞き頂くのがよろしいかと思います」
マナテアは、彼と長話をしたくなかった。
「そうですか。それではアナバス教授に詳しく教えて頂くと致しましょう」
言外に込めた意図が通じたのかもしれない。ナグマンは、そう言って踵を返してくれた。
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明け方近く、マナテアは一人の患者の口元に手を近づけた。
「ごめんなさい……」
髪も皮膚も真っ白に変わった”元”患者に告げる。中年というには早い男性で、子供がいるとしてもまだ小さいであろう働き盛りに見えた。体力もあるはずだったが、教会への寄付は少なく、魔法による治療は施されていなかった。立ち上がり、周囲を見回して声をかける。
「ゴラル、この方を遺体が安置されている場所に」
近寄ってきたゴラルが、患者の顔を覗き込むと肯いた。
「分かりました。他の患者をこちらに運んでもよろしいですか?」
マナテアは、無言で肯いた。もう患者が長椅子からあぶれ、冷たい石の床に寝かせられている者もいた。
ゴラルは、礼拝堂から外の回廊に向かう。置かれている担架を取りに行くのだろう。片側に車輪の着いた一人で患者を運べる担架が置いてある。
後はゴラルに任せれば良い。マナテアは、最優先での治療を命じられているカナッサの元に向かった。
年は、先ほど亡くなった男性と同じくらいだ。蓄えているとは言い切れない密度の薄い口ひげが、着せられている寝衣に反して貧相に見えた。
カナッサは、今夜あたりが山場のはずだった。聖転生教会では、多くの白死病患者を治療してきた実績がある。今までも治療団に加わっていたマナテアは、治療に当たっていた聖職者を中心とした魔法の使い手から、話を聞く機会も多かった。
白死病患者は、発症から七日で山場を迎える。白死病に抗い、この七日目の山場を超えれば、回復に向かうのだ。神聖魔法による治療で、そこまで患者を保たせられるかどうかが治療の鍵と言って良かった。
カナッサの顔色は、また白死病特有の青白いものに変わっていた。マナテアは、片膝を突き、片手をかざす。ゆっくりと神聖魔法を唱えた。
「我、マナテアが祈りを捧げ、奇跡を請う。治癒」
魔力は効果的に使いたい。少しだけの魔力をゆっくりと注ぐ。青白い頬に、少しだけ血色が戻って来た。
その時、カナッサの耳元に光が見えた。強い光ではなかったが、薄暗い礼拝堂では十分に目立つものだった。マナテアが覗き込むと、その光はもそもそと動いていた。カナッサの耳から這い出して来ていた。
「スカラベオ?」
それは碧く輝くスカラベオだった。
『もしかすると、これがダリオの言っていたスカラベオかも!』
『捕まえた方がいい』
そう思ったものの、どうしたら良いのか分からない。マナテアは、虫を捕まえたことなどなかった。周囲を見回しても、ゴラルは回廊に出て行ったまま、礼拝堂内にはいなかった。
少し気味が悪かったが、スカラベオの下に手をかざして載せようとしてみた。しかし、碧いスカラベオは、彼女の手を避けるようにして、カナッサの首元の方に降りてしまう。寝衣をめくると、碧い光は、長椅子からぽとりと落ちた。
「あっ」
マナテアは、床に落ちたスカラベオに手を伸ばした。しかし、彼女の手が届く前に、スカラベオは意外な速さで動き始めた。マナテアの足下を走り去り、礼拝堂の前の方に向け、別の長椅子の下を走って行く。
マナテアは、慌てて立ち上がった。幸い、礼拝堂全体が暗いため、光るスカラベオは目立った。彼女が足早に追いかけると、スカラベオは回廊に近い礼拝堂の隅で壁に当たり、動きが止まる。手を伸ばして捕まえようとすると、今度は右、祭壇の裏に向けてスカラベオが動き出した。
「お嬢様、どうかされましたか?」
背後からゴラルの声が響く。
「スカラベオ、光るスカラベオが居ます。捕まえて下さい!」
ゴラルの重い足音が背後から近づいて来る。その間も、スカラベオは素早く動いていた。マナテアは、見失わないように追いかけたが、その碧いスカラベオは壁の隙間に吸い込まれてしまった。
「あっ」
「どれですか?」
マナテアとゴラルの声は同時だった。
「壁の隙間に!」
礼拝堂の周りは回廊が巡っている。壁を抜けたということは回廊に出たはずだった。
「回廊を探して下さい。碧く光る小さなスカラベオです。ゴラルは右から、私は左から行きます」
マナテアは、ゴラルの返答を待たずに駆け出した。喪服のスカートが足にまとわりつく。腿のあたりを掴んでたくし上げ、回廊に出る礼拝堂の左側にあるドアに向かう。回廊は礼拝堂以上に暗い。二十マグナほどの間隔で吊されているランプを目に入れないようにしながら、視線を落として回廊を探した。礼拝堂の祭壇横を過ぎた位置で回廊が右に折れ、祭壇の裏に回る。
それでも碧いスカラベオは見つからなかった。代わりに目に入ったのは、ゴラルの無骨なブーツだった。
「お嬢様、こちらには見当たりませんでした」
「そんな……」
もしかしたら、床ではなく壁を登ったのかもしれない。そう考えて視線を上にも向けながら回廊内を探した。礼拝堂に戻り、スカラベオが移動した周囲も探してみた。それでも、もうあの碧いスカラベオは見つからなかった。




