第8話 明日葉晶子の追及
「待って、待ってよ!」
街路灯の光だけが舗道を照らす寂れた飲食店街に少女の声が響く。しかしその声に足を止めることなくミエルは先を急いだ。すると今度は小走りの靴音、彼の視界の端に背後から近づく影が映る。
「シカトしないでよ、新月!」
店での名を呼びながら彼の前に回り込んで来たのは有明だった。ここまでミエルに追いつこうと急いだためだろう、彼の目の前では肩で息をする彼女のポニーテールが揺れていた。立ちふさがる有明に仕方なく歩を止めるミエルだったが彼がその声に応えることはなかった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
有明は強い語気でまくし立てる。
「あんたって何者? ウチの制服着てるってことは成文館の生徒でしょ。でもあたし、あんたのこと見たことない。もしかしたらって一年や三年のクラスも覗いてみたけどどこにもいなかったし」
これはやり過ごせる状況ではないな。そう考えたミエルは面倒臭そうなため息に続いて有明の問いに答えた。
「と言うことは有明さん、あなたは二年生なのね」
「そうよ、二年の明日葉晶子。さあ、あたしは名乗ったわ。だからあんた、新月もちゃんと答えなさいよ」
ミエルは母方の姓である「秋津」に夜のバイトでの源氏名であるミエルに漢字をあてた偽名を店に届け出ていた。彼はその名を有明こと晶子に明かした、ただしあくまでも女子高生を演じながら。
「私は秋津美絵留、三年生よ。でも事情があって今は休学してるの」
「学校、行ってないの? どうして」
「それは……」
「もしかして、イジメとか……?」
「う、うん、ちょっとね。でも心配いらないわ、親戚が勉強を教えてくれるし保健室で試験も受けてるし」
「ふ――ん、新月もいろいろあるんだね。あたしも今はひとりになっちゃってさ。それでルナティックでバイトすることにしたんだ」
明日葉、ミエルはその名に覚えがあった。それは相庵警部が言っていたあの店の前で事故に遭った被害者の名だ。そんなめずらしい苗字に加えて晶子の「ひとりになった」の言葉。間違いない、この娘はあの被害者の妹なのだ。ミエルの脳内で一本の糸がつながった気がした。
「有明さん、いえ、明日葉さん……」
「晶子でいいよ、店の外では。あたしもあんたを美絵留って呼ばせてもらうし」
「わかったわ。それで晶子はひとり暮らしなの? ご家族は……って、これは聞いたらいけなかったかしら?」
「美絵留とはいっしょに仕事してるし隠してもしょうがないから話すけど、親はとうの昔に離婚してる。でも養育費は振り込まれてるから生活費と学費はなんとかなってるし、それにお兄ちゃんも積み立てしてくれてたしね」
「お兄さんがいるの?」
「過去形よ。死んじゃったの、ついこの間、車にはねられて」
「あ……ご、ごめんなさい」
「別にいいわ。それに生活があるから落ち込んでるヒマなんてないしね。だから美絵留も気にしないでいいし」
やはり晶子は明日葉晃の妹だった。しかしそんな彼女がよりにもよって事故との関係が指摘されている店で働くとは、絶対に何かある。おそらく彼女はあの店を探っているのだろう。そしてなんとか証拠を見つけ出して刑事告発でもするつもりなのだ、それこそが兄の敵討ちと考えて。
なるほど、これで彼女が仕事中に時折見せる落ち着きのなさにも合点がいく。しかしミエルはこれ以上の探りを入れることはしなかった。長話がよい結果を生むことなんてないのだ、これ以上の会話は控えよう。
交差点に立つ二人の目の前で信号が赤から青に変わった。ミエルはこのタイミングを逃さなかった。
「青になったわ、急がなきゃ。晶子、また明日ね」
ミエルは晶子の言葉を待たずに手を振りながら靖国通りの向こうへと急ぐ。横断歩道を渡ったその先は新宿二丁目、そこでは明るく楽し気な電飾が訪れる人を待っていた。
ミエルがもう一度背後を振り返ると広い通りの向こうでは晶子があきらめたように肩を落として去っていくのが見えた。
「ボクだってまだ何も見つけてないんだ。なのに晶子が焦って暴走なんてことになったらそれこそ大ピンチだ。まったくもう、余計な気配りが増えちゃったよ」
新宿二丁目仲通りの街灯がミエルを照らす。ここまで来ればもう追って来る者はいないだろう、あとは自分の部屋に戻るだけだ。ミエルはようやっとひと息ついてバックルに仕込んだGPS発信機の電源を切るのだった。