第5話 月の名を持つメイドたち
新月、それがミエルに与えられた店での呼び名だった。
この店では婦長を名乗る月夜野以外はみな月齢に相応する名が与えられていた。彼の前に加わった有明は二十六日目の月を意味しており、それならばミエルは彼女に続く月齢になるのが妥当だったが、それでは晦日になってしまいどうにも語呂がよろしくない。そう考えた月夜野がそれならばと新月の名に決めたのだった。
次の日からミエルは早速新月に扮して店での仕事や振る舞いについてのレクチャーを受けた。月夜野からの指示を受けて指導するのはショートカットが似合うボーイッシュな望月だ。テキパキと動くボクっ娘は月夜野よりも二つ年下の二二歳、この店を始めるずっと以前から月夜野を姉のように慕い続けている彼女はこの店のナンバー・ツーを自称していた。
眉月、フレンチスタイルのメイド服にミスマッチとも言えそうな黒髪のお団子ヘアが似合う二五歳の彼女はこの店がお客様に提供する茶葉とハーブ類のブレンドを一手に担っていた。
待宵は赤みがかった茶髪のショートボブが似合う彼女は見た目こそ小柄だがこの店では最年長の二六歳、キャッシュフローと経理の一切という重責を担っていた。そんな彼女はメイド服を着てはいたがフロアに立つことはほとんどなく、一日のほとんどをバックヤードのパソコンに座って過ごしていた。
四人目は有明、彼女こそがミエルが採用される直前に加わったメイドだった。男子としては小柄な一五六センチのミエルとほぼ変わらぬ彼女の背丈は一五四センチ、しかしそのプロポーションはほかの誰よりも素晴らしく、ストレートロングの黒髪をポニーテールにまとめた姿はすぐに人気ナンバーワンになれるだろうというのがミエルが感じた第一印象だった。しかしさすがに新人、その振る舞いにはまだまだぎこちなさが感じられた。
店での仕事はさほど難しいものではなかった。新人である新月ことミエルと有明はとにかく掃除、掃除の毎日だった。
「新月、もっとテキパキ動いてよ。早くしないとお客が来ちゃうし」
「ハ、ハイ」
「あたしはこっちをやるから新月はあっち、早くして」
「わかりました、有明さん」
店では先輩としての自負があるのだろう、有明は望月以上に新月に対してあれやこれやと小言混じりに命じていた。実年齢では新月がひとつ上ではあるが、有明のその姿はまるで手のかかる弟を叱る姉のようだった。
「なんなんだよ、有明のヤツ。先輩って言っても自分だって新人じゃないか」
ミエルはそんな思いを抱きつつもまずはこの店に溶け込むことを最優先にすべきだと自分にそう言い聞かせるのだった。
そもそも接客業、それもメイドだけでなく男の娘役の経験まであるミエルにとってこの店の仕事はたやすいものだった。先輩風を吹かせる有明をうまくあしらいながらもすぐに周囲を観察するだけの余裕ができた。
この店の経営者である月夜野はお世辞にもヤリ手とは言えないおっとりタイプで、望月はそんな彼女に心酔していた。よって店の実務はほぼ待宵と眉月の二人が仕切っているようなものだった。
しかし有明だけは様子が違っていた。確かに命じられた仕事をこなしてはいるが、どこか落ち着かない様子なのだ。それは仕事に慣れていないのとは明らかに異なる、隙あらば何かを探ろうとしている様に見てとれた。同じ新人であるミエルへの過剰な干渉はそんな自分をカムフラージュするためなのかも知れない。そんなことを考えながらミエルも彼女を観察していた。
それは店での仕事の流れもすっかり身についたある日のことだった。店の奥にあるバックヤードへと続く通路の壁に僅かな隙間が開いていることに有明が気付いた。掃除の手を止めた彼女は珍しく潜めた声でミエルを呼びつける。
「ねえ新月、ちょっとこれを見て。この壁なんだけどおかしいと思わない? ほら、なんか動くみたいだし」
すると二人の様子に気付いた月夜野がすぐさま駆け寄って来ていつもの柔和な笑顔とともにその壁を押して見せた。
「あら、いけませんわ。建て付けが緩んできてるのかしら。あとで望月さんに見てもらいましょう。でもこれもよい機会ですわ、せっかくなのであなた方にもお見せしましょう」
やはりそれは回転扉だった。壁に模した扉が開いたそこは思いのほか広い部屋だった。しっとりと落ち着いた雰囲気だったがしかしそこに窓がないことにミエルは違和感を覚えた。
すると訝しい目をしながら望月がやってきて月夜野に進言する。
「婦長様、よろしいんですか? まだ新人ですよ彼女たちは」
「今はお客様もおられないですし、それにいずれこの子たちにもここの手入れをしていただくことになるのでしょうから」
「そうですか、婦長様がそう言うのならボクもお手伝いします」
望月は月夜野に代わってリーダー然とした口調でこの部屋の簡単な説明を済ませると、その最後に指示がない限りは絶対に立ち入らぬようにと釘を刺した。そして月夜野と望月のエスコートでいよいよ二人は隠し部屋の中に足を踏み入れた。
「ここは選ばれたお客様のために用意された特別な部屋なんだ。ボクたちはルームって呼んでる。ここでは婦長様がお茶とともに素晴らしい演奏を聴かせてくれる、本当に最高のおもてなしを提供しているんだ」
月夜野に代わって望月がそう説明すると、続いて月夜野が壁際に置かれたライティングデスクにも似た調度品の前に立って被せられたビロードのカバーをめくって見せる。するとそこに現れたのは白黒が反転した鍵盤を持つ楽器だった。
「これは私のおじいさまが残してくれたスピネットという楽器です。チェンバロに似たとても美しい音色ですのよ」
そう言って月夜野はゆったりとしたバロック調の曲を弾き始める。彼女の傍らでは望月がメロディーに合わせてゆっくりと身体を揺らせながら聞き入っていた。
月夜野が奏でる音色が流れる中、ルームの外では待宵が持ち場を離れて上階に向かった眉月を今や遅しと待っていた。
ようやっと眉月が靴を両手に持って素足で足音を忍ばせながら階段を下りてくると、二人はカウンターの奥にあるバックヤードに入っていった。
「待宵、首尾は上々ね。足音にも気付かれなかったし仕込みは万全よ」
「ご苦労様、眉月。あとはあの新人たちがどう出るかを見守るだけ。ただのバイトだとは思うけど、用心はしておくべきだわ」
この日眉月はわざとルームの隠し扉を開けておいたのだった。上階の倉庫にはルームに通じる隠し通路があった。彼女は茶葉を取りに行くついでにその通路を使って壁に偽装された回転扉が発見されるよう細工したのだ。
案の定それに食いついたのは有明だった。そしてこの機会にお人好しの月夜野がルームを案内して自慢の演奏を聴かせるであろうことも計算づくだった。
あとはこの隠し部屋の存在を知った有明と新月がどう動くかを注視しておけばよい。そしてもしどちらかが自分たちの計画に不利益をもたらす存在であったならば速やかに排除する。それが彼女たちのやり方だった。