第30話 暗闇でこっそり
隠し通路を下りた先はルームと呼ばれるあの隠し部屋につながる狭い空間だった。そこでミエルと晶子は寄り添うようにして息を潜めていた。
三階では海斗と美緒がこの建物の権利書を手に入れんと家捜しの真っ最中である。ならばこの隙に乗じて脱出してしまうのが正解だろう。しかし敵はあの二人だけではない、眉月もいるのだ。いや、むしろ手練れの彼女の方が厄介だ。彼にとっては二度と会いたくない相手でもある。ましてや自分だけでも精一杯なのに晶子も守らなければならないこの状況である、挟み撃ちを喰らうことだけは絶対に避けたい。そう考えたミエルは少なくとも上階の二人が出ていくまではここに身を潜めて様子をうかがうことにした。
「ねえ、美絵留」
晶子が抑えた声で問いかける。
「あんた、高校生のくせにずっとこんな仕事をやってるの」
「そんなことないよ。いつもはパブのメイドさんとかお店のヘルプとか、そういう仕事だよ」
「ちょっと待つし。パブとかヘルプって、それって夜のお店でしょ。そんなところでコスプレまでしてるんだ」
「ち、違うってば、それはママの命令で……」
「フンッ、妙に様になってるとこなんて、仕事だけとは思えないし」
「でも、まあ、確かに嫌いじゃないけど……」
「ほら、やっぱり。マジ信じらんないし。それで学校では男子として何食わぬ顔で授業を受けてるなんて……そう言えば前にあんたが言ってた休学してるって話、きっとあれもウソだし」
「ご、ごめん」
「フンッだ、あんたはそういう人間なんだし。そうやってあっちこっちで出まかせを言ってる探偵気取りの男の娘、高校生のフリをしてるけど、やっぱ普通じゃないし」
ミエルは晶子の言葉を黙って聞いているしかなかったが、それでもこうして言いたいことを言って来るのは悪い兆候ではない。それはまだ晶子が興奮状態にあるからかも知れないが、それでもふさぎこまれるよりはずっとマシだと考えていた。
上階からは相変わらず物音が聞こえてくる。未だ家捜しは続いているようだ。晶子はこの機に乗じてミエルの素性を聞き出そうと矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
「まずは名前を教えなさいよ。美絵留ってのもどうせウソなんでしょ」
「秋津美絵留は履歴書に書くための仮の名前、普段はミエル、この街ではそれで通ってるんだ。それ以上は話せない」
「ふ――ん、美絵留じゃなくてミエルってわけだ。それじゃミエルに次の質問。こんな仕事をいつからやってるの? 誰の命令なの? なんか秘密兵器みたいなの持ってたりするし、こんな夜中にお迎えを呼ぶとか、やっぱ普通じゃないし」
今回の仕事では晶子に助けられていたことは確かである。それに学年は違えども同じ学校の生徒でもある。それならば下手に隠し事をして妙な詮索をされるよりも彼女を信頼してすべてを話してしまうのも手かも知れない。ミエルは瞬時にそんな計算をした。
「晶子、これから話すことは他言無用だよ。特に学校では絶対に秘密だ。君を信じて話すんだ、いいね」
暗闇の中で晶子はミエルの言葉に小さく頷いた。
「ボクの名前は小林大悟、君と同じ成文館高校に通う三年生だ。普段は学校が終わってから前に晶子と行ったあの英国風パブとかで働いてる」
「夜のお店でバイトなんて、学校にバレたら速攻退学だし……」
「うん、でも今のところはなぜかセーフなんだ。きっとママがうまくやってくれてるんだと思う。他にもたまに調査みたいな仕事もやってるんだ、ほんとにたまになんだけどね。今回もこの店のことを調べてたのも仕事のためで……ごめん、これ以上詳しいことは話せなくて」
「やっぱりね、なんかおかしいと思ったんだ。作戦とか道具とか、それにルナティックでのメイドが妙に似合ってたのも、これで納得だし」
「そう、だからメイドも女装も仕事のうち、ママの命令なんだ」
「うそつくなし、さっき自分で好きって言ってたし」
「あ、そ、それは……」
「それで、さっきからやたら出てくるママって誰だし」
「あっ、ママってのは遠い親戚の人で、ボクはその人のお世話になっていて……」
「ちょっと待つし。それじゃ大悟先輩……じゃなくってミエルはご両親とは離れて暮らしてるの? こんな仕事をしてることは知ってるの?」
ミエルはもう少し声を潜めるように晶子の口に指をあてると小さく首を振って続けた。
「ボクに両親はいないよ。中一のときに事故で死んじゃったんだ。それでママがボクを引き取ってくれて、それからママはボクにいろいろなことを教えてくれた。この街のことも仕事のことも、それに最低限の護身術も習わせてくれてるし学校にも通わせてくれてる。だからボクはママに感謝してるし、今の生活もそれなりに楽しいと思ってる。もちろん危ないことや怖いこともあるけど、でもこれはこれでいいと思ってるんだ」
思いもよらぬミエルの身の上話に驚かされるばかりの晶子は暗闇の中で小さなため息をついた。そしてミエルはルームの外の様子を気にしながらさらに話を続けるのだった。




