第23話 チャリで来た!
遠い闇の中に車内灯が点いたり消えたりしているのが見える。おそらくヤツらがミエルたちを車から運び出しているのだろう。ついに車内灯が消えてその後はヤツらの動きがなくなったと考えた晶子は恐る恐る建物に近づいた。
門柱の脇に自転車を停めると足音に注意しながら閉ざされたシャッターに身を寄せる。建物の隙間からは明かりが漏れていた。息を潜めて聞き耳を立ててみると微かに物音や話し声が聞こえる。しかしそれが何を言っているのかまでは聞き取ることができなかった。
やがて何かを叩くような乾いた音に続いて声が漏れてきた。
「あの声は美絵留、まさかあいつらに何かされてるの?」
自分は写真を撮るだけだが美絵留は身体を張って潜入している。そして今、あの子は危険な目にあっているのだ。
晶子は覚悟を決めた。肩から提げた小さなポーチを開けると中にはミエルから渡されたスマートフォンと自前で用意したガーターリング、それに小型のスタンガンが入っていた。晶子は一対のリングを手に取ってそれを二つとも右の太腿に着けると、続いてスタンガンを手にする。今となっては兄の形見であるそれをホルスターに見立てたガーターリングに挟むと晶子は祈るように目を閉じた。
「お兄ちゃん、あたしを守って」
準備万端、晶子は微かな音すらも立てぬように注意しながらゆっくりとドアを開けた。
入ってすぐ左手には積み上げられた大量の段ボール箱、晶子はひとまずその陰に身を隠した。箱の壁の向こうから聞こえて来るのは眉月の声、それと男の声も聞こえる。晶子が顔だけを出して様子をうかがうと数メートル先に待宵の不安そうな顔が見えた。
再びの打撃音、それに続く叫び声。晶子は意を決して身を乗り出してみた。するとそこにはクレーンに吊るされたミエルの姿、それは今まさに拷問にも近い尋問を受けている真っ最中だった。
冷笑とともに棒を振り下ろす眉月、そのたびに苦悶の声を上げるミエル、ひとつ間違えば自分があそこに吊るされていたかも知れないのだ。晶子は責められるミエルに自分の姿を投影した。
「あたしがなんとかするっきゃないし」
怒りと焦りとくやしさで晶子の全身は震えていた。だがそれは恐怖からではなくこれから戦いに臨むための武者震いだった。
まだ早い、もう少しだ。感情にまかせて突っ込んでもあの男に反撃されてしまうだろう。待つんだ、機会を。
下着姿のミエルに最初は驚いていた悠然の顔は羞恥で紅潮し、やがて怒りに震えてきた。
「新月、オ、オマエ、男だったのか」
しばしの傍観を決め込んでいた海斗と美緒も予想外の展開に目を丸くしていた。そして段ボール箱の壁から機会をうかがっていた晶子もまた声を上げまいと思わず両手を口に当てた。
放っておいたら悠然が怒りにまかせて暴走してしまうかも知れない。それはそれで厄介なことだ。瞬時にそう察した海斗が怒れる彼女の気を逸らさんと再び割って入った。
「それにしても悠然、俺たちみんなまんまとやられちまったな、ハハハ」
海斗の軽口を前にしても悠然は憮然とした顔でミエルを見つめて続けていた。淡いピンクのスポーツブラからは小さいながらも胸の膨らみを演出するためのパッドが顔を覗かせている。同じ色の小さなショーツもレディース用だったが、しかしそこには本来あるはずのない隆起があった。その姿を見た悠然の怒りが頂点に達する。
「別小看我!」
そう声を上げてミエルの股間を火搔き棒で小突いた。
「ア……アッ……」
小さな声を漏らすミエルの様子を見た海斗が手を叩きながら笑い声をあげた。
「おいおいおい、女装っ娘ってだけでお笑いなのに、なにも下着まで女物にするこたぁねぇだろ。挙句に喘ぎ声かよ。お前、ほんとに高校生か? 実はプロなんじゃねぇか、ベビーフェイスの」
「もうどうでもいい。ワカマツ、準備するね」
「なあ、マジでやんのかよ?」
「快点!」
海斗は床に置かれたバーナーの青い缶を手にするとバルブを開いてライターで点火した。オレンジ色の揺れる炎はやがて青白い炎に変わる。悠然がそれを受け取って火搔き棒の先端を炎にかざすと黒ずんだ鉄の棒は徐々に赤みを帯びてゆき、ついには十分に熱せられたオレンジ色へと変化した。
「海斗、そろそろね。さあ、そいつのパンツを脱がすよ」
海斗はその指示に従うようにミエルのショーツに手をかけた。ミエルは顔を引きつらせながら説得を試みた。
「あ、あの、お兄さん、その、ボクのはそんなに立派じゃないし、見ても面白くないと思うし、考え直してもらえませんか」
「うるせぇ、俺に言うなよ、このクソガギが」
「うっ、やっぱ、ピンチ……」
そんなミエルの目の前ではネズミをいたぶる猫のように目を輝かせる悠然の姿があった。
晶子はミエルの下着姿が晒されてからの一部始終を見ていた。それは突入の機会を見極めるためだったが、しかし目の前で起きているこの急展開に悠長なことは言ってられなかった。今すぐにでも止めなくてはならない。晶子は太腿に感じるスタンガンの存在を今一度指で触れて確かめると大きく息を吸い込んだ。
「怖くないから、怖くないからぁ――!」
心の中でそう叫ぶと晶子は吊るされたミエルの前に立つ二人目掛けて突進した。滑りやすいリノリュームの床を利用してのスライディングで海斗の足を引っかける。言葉を発する間もなく床に転げた海斗のことなど顧みることなくすぐに立ちあがると、すぐさま悠然が手にするガスバーナーを叩き落とす。そして床に転げたそれを力任せに蹴っ飛ばした。炎を吐き出したままの青い缶は音を立てて転がりながら積み上げられた段ボールの隙間に消えていった。
「こんのぉぉぉ、全部おまえのせいだぁ――!」
晶子は怒りの声を上げながら右足のスタンガンに手を伸ばすとすぐ目の前に立つ悠然の肩にそれを押し付けた。眩い火花と炸裂音、その衝撃に悠然の手から離れた火掻き棒が床に落ちる。思わず跪く悠然、間髪入れずにその脇腹にもう一発それを押し付けると小さなうめき声とともに彼女は背中を弓なりに反らせて倒れ込んだ。
「てめえ、この野郎……」
晶子を捕らえんと身構える海斗と床に転がったまだ熱が冷めやらぬ火搔き棒を拾い上げて構える晶子。このままでは迂闊に動けないと考えた海斗が晶子の気を引こうと問いかけた。
「こ、このガキ、どうしてここに……」
「追って来た!」
「追ってきたって、こっちは車だぞ」
「チャリで来た!」
まるで掛け合い漫才でもしているような二人だったが、そんな中で、はだけた下着姿で吊るされたミエルだけが背後から漂って来るキナ臭さに気付いていたのだった。
「ちょっと、ちょっと、こっちもこっちでピンチみたいなんだけど……」