第21話 コイツを高く吊るせ
深夜の住宅街にまるで似つかわしくないその建物は、かつては町工場だったが今では彼らがトランクと呼ぶ倉庫と作業場を兼ねた拠点として使われていた。門柱だけが残る入口に白いミニバンがバックで駐車する。海斗がエンジンを止めるより早く後部座席から降り立ったのは眉月こと悠然だった。
平屋だが周囲の二階建て住宅に引けを取らない高さの建物には、大きなシャッターとそのすぐ右には出入りのためのアルミ製ドアがある。悠然は手にしたカギでそのドアを開けると照明のスイッチを手探りで押した。
明かりが点くと目の前に倉庫にしてはやけに広い空間が広がる。閉ざされたシャッター付近には大量の段ボール箱が整然と積まれており、奥にはフォークリフトまで用意されていた。天井に設置されたクレーンはここがかつて工場だったときの名残だろうが、彼らはその設備も有効利用しているのだった。
「悠然、これからどうすんだ?」
ミエルを担いだ海斗が面倒臭そうな声を上げる。その隣には出涸らし茶葉の箱を抱えた待宵こと美緒が立っていた。
「新月はここに寝かせて。月夜野と望月はあっちの方にでも転がしておけばよろしいね。朝まで夢の中で百合してればいいね」
悠然はそう言って段ボール箱が積まれたあたりを指差した。その言葉に従って海斗はミエルをその場に寝かせるとあとの二人を運ぶために再び車に戻る。美緒は手にした箱をドア付近に積まれた段ボール箱の隣に下ろすと彼の後を追うように出ていった。
「これから新月を吊るすよ。ワカマツ、もうひと仕事お願いね」
「ハイ、ハイ、仰せのままに」
海斗は慇懃な口調でそう言いながら倉庫の奥に向かうと床に置かれた天井クレーンの操作スイッチを拾い上げてスタートボタンを押した。海斗は天井を見上げてクレーンを追うように歩きながら悠然が立つ手前でその動作を止めた。
「ここいらでいいよな」
海斗は悠然に同意を求めながら操作スイッチの下矢印ボタンを押す。すると天井からフックがするすると下りてきた。悠然はポケットから再びカギの束を取り出すとその中から手錠のカギを選んだ。彼女はミエルが目を覚ましていないことを確認すると後ろ手にかけた手錠をはずす。そしてミエルの両腕を上げた状態で手錠をかけなおすとそれをクレーンのフックに引っ掛けた。
「よし、それじゃあ上げるぞ」
海斗は少しずつフックを上げていく。やがて吊るされたミエルの足は床から離れて自重で腕も伸びきる。
「どうだ、もっと高くするか? コイツを高く吊るせ、ってな」
彼のジョークに笑うものはいなかった。ウケるどころか悠然が呆れた声を上げる。
「そんなことしたら肩がはずれてしまうね。聞きたいことも聞き出せなくなるよ」
「お、おう、すまん」
海斗は少しばかりの動揺を見せながら下矢印のボタンを小刻みに押しては離しを繰り返す。そしてミエルの足が床につくかつかないかのあたりで動きを止めた。
「今度はどうよ」
「ちょうどいいね、謝謝、ワカマツ」
「不用謝、悠然」
海斗はカタコトの中国語でそう返すと美緒と揃ってその場から距離を置いた。一連の様子を傍で見ていた美緒が心配そうに問いかける。
「ねえ海斗、あの子をどうするの。まさか……」
「殺しはしねぇだろ。もしそうするならこんな面倒なことはしねぇよ。悠然はあのガキのバックを吐かせるって言ってたからな、ちょいとお仕置きするくらいじゃねぇか」
「ならいいけど……」
美緒はこれから始まるであろうことを見たくないと言うように海斗の背後に下がってしまった。
「さて、そろそろ起きる時間ね。快起来、新月!」
悠然はミエルの頬を軽く叩いてみたが、しかし彼が目を覚ます気配はなかった。彼女は軽いため息を吐くと倉庫の奥に引っ込んで、今度は作業台からゴミ焼却炉で使うための火搔き棒と青いガスバーナーの缶を手にして戻ってきた。そしてバーナーを床に置くとミエルの背後に回ってその尻に火搔き棒を力一杯振り下ろした。
倉庫に乾いた音が響く。その音に美緒がまるで自分が叩かれたかのように身を震わせた。
「新月、起きるね!」
床に接した足を支点にしてグルグルと揺れるミエルに向かって声を張り上げてもう一発。するとミエルの口から小さな声が漏れた。
悠然はミエルに近づくとその頬を金属製の棒の先で軽く小突いた。
「う……うん……えっ、え――っ!?」
ミエルが身を覚ましたときその視界にまず飛び込んで来たのは右手に握った棒で左手をトントンと叩きながら不敵な笑みを浮かべる眉月の姿だった。視線を右に向けるとそこには見知らぬ男と待宵がいた。
「ま、眉月さん……待宵さん、ここはどこですか? それにその人は誰なの?」
「お芝居はもう結構。それに質問するのはウチ、オマエは答えるだけね」
ミエルは自分が拘束されて吊るされていることに気付く。しかしできるだけ冷静を装って周囲を見渡してみた。目の前には眉月が、向かって右には待宵が、そして左側の少し離れたあたりには月夜野と望月が下着同然の姿で横たわっていた。
店の倉庫で眉月に一発喰らった自分はここまで運ばれてきたのだ。そしてあそこに立っている男がすべての黒幕なのだ。ミエルはようやっと自分が置かれた状況を理解した。彼にとってまさにこれ以上ないほどのピンチだった。
それにしてもここに晶子の姿がないということは彼女は無事なのだろうか。ミエルは自分のこともさることながら晶子の心配をするのだった。
「さて新月、夜が明ける前に全部話してもらうね」
そう言って眉月は笑みを浮かべながらミエルの尻を棒で打つ。
「アア――ッ」
思わず口から出る叫び声と痛みに歪む顔、二発、三発と棒は振り下ろされる。そのたびに苦痛の声を上げるミエルを前にして眉月こと悠然の瞳はサディスティックな輝きを見せた。
しかしそのとき、施錠されていない入口ドアがゆっくりと開いては閉じたことに、ここにいる誰もが気付くことはなかった。