第19話 たったひとりのジレンマ
人通りの少ないこの界隈では電柱に身を寄せて立ち続ける晶子のことなど気に留める者はいなかった。
時は経ちやがてあたりはすっかり暗くなる。それでもまだミエルが店から出てくることはなかった。四月も終わりに近づいているとは言えまだまだ夜の冷え込みは侮れない。時刻はすでに午後一〇時、肌寒さに耐えかねた晶子はパーカーのファスナーを首元まで閉めるとフードも目深に被りなおした。
「こんなことならショーパンだけじゃなくてレギンスも履いてくればよかったし」
晶子はそんな後悔とともに小さなため息をつきながら、なおもミエルの動きを待ち続けた。
界隈から人の気配がすっかり消えた深夜零時、晶子の小柄な身体を真っ白な光が照らす。それは靖国通りを曲がってこちらに向かってくる車のヘッドライトだった。慌てて建物の隙間に身を隠す彼女の目の前を白いミニバンが猛スピードで駆け抜けていった。
車が店の前に横付けされるとすぐに運転席のドアが開いて長身の男性が降り立つ。黒いスーツを着たその男は昼間の客と同じように木製の扉を三回ノックした。すると彼を出迎えたのはメイド姿の待宵だった。二人は親し気に二言三言の会話を交わすと揃って店の中へと入っていった。
晶子は中の様子を伺おうと店に近づく。裏庭に続く通路には朝から置きっぱなしの自転車、晶子はそれを倒すことのないよう注意しながら壁に寄り添って店の入口を覗き込めるポジションを確保した。
ものの五分も経たないうちに先ほどの男が小振りの段ボール箱を抱えて店から出て来た。その中身はさほど重くはないのだろう、男は箱を片腕で抱え直すと空いたもう一方の手で車の後部ハッチを開ける。そしてその箱をラゲッジスペースに放り込むと再び店に引き返していった。
「あの箱って……もしかしてあたしが探してたお茶? そうだ、きっとそうだ。やっぱあいつら隠してたんだ」
晶子の疑念が確信に変わった瞬間だった。
あれをどこかに運んでこっそり処分しているに違いない。あの男が店に雇われた運び屋なのだろう。しかしもしここで写真なんて撮ろうものならフラッシュで自分の存在が知られてしまう。これほどの証拠を前にしながらも手を出せないなんて。晶子はそんなジレンマを感じながらもその後の動きをひたすら待ち続けた。
やがて店の中からバタバタと響く靴音が聞こえてきた。それは階段を下りる音、それも一人二人ではない、四人、そうだ四人だ。晶子が耳を凝らすと靴音とそれに続く話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったが声は月夜野と望月のそれに間違いなかった。間もなくして声が静まり再びの静寂、するとようやっと扉が開く音が聞こえた。
晶子は店の影から恐る恐る覗き込む。そこで目にしたものは肩に何やら荷物を担いだ男の姿だった。なんとその肩にあったのは、その小柄な姿は、拘束されて身動きひとつしないミエルだった。
晶子は思わず息を呑む。そして声を上げてしまうことがないように、自分の口を塞ぐように手を当てた。まさか、作戦は失敗したのだろうか。そんなことよりミエルは無事なのだろうか。
店からは待宵も出て来て男を手伝う。ミエルは拘束されたまま三列シートの最後部に寝かされた。
次に男が担いできたのはブルーのキャミソールにトランクス姿の望月だった。そして最後に運び出されたのは望月と色違いの淡いピンク色のキャミソールとトランクスを着た月夜野だった。二人ともミエルと同じく意識がない。
続いて待宵と眉月が揃って店から出てくる。三人は後部座席に並んだ厄介な荷物たちの意識が戻っていないことを確認すると、眉月が二列目に、待宵が助手席に乗り込んだ。最後に男が用心深く周囲を確認しながら素早く運転席に乗り込むと、すぐさまアイドリング音に続いて発進合図の右ウインカーが点滅した。
なんとかしないと。このままではみんな殺されるかもしれない。混乱する頭の中で晶子の目に入ったのは目の前に停められた赤い自転車だった。
「ラッキー、カギがかかってない」
そのときの晶子には不思議と恐怖感はなかった。それよりも兄の敵討ちとミエルたちを助けなくてはという思いでいっぱいだった。
晶子は自転車に跨ると、明治通りを目指して十数メートル先の交差点で左ウインカーを点滅させているミニバンに追い付かんとペダルを踏むのだった。
「絶対逃がさないんだから!」