第17話 午前零時の汚れ仕事
深夜零時にならんとする頃、ルナティック・インの前に白いミニバンが横付けされる。ルームでの「おもてなし」があった夜はこうして若松海斗が車で出向いて眉月特製の幻覚茶の残り滓を回収するのだ。仕事は簡単なもので店で使用した茶葉をトランクと呼んでいる作業場を兼ねた倉庫に運ぶだけである。しかし今夜の海斗はいつもと様子が違っていた。その理由は夕刻にかかってきた電話にあった。
眉月と二人でミエルを監禁した後、待宵はすぐさま海斗に報告の連絡を入れた。想定外のスパイ事件に電話の向こうでひたすら相槌を打つばかりの様子に、待宵は彼がかなり狼狽しているのを感じ取った。
「そんなに心配しないで、海斗。眉月、ううん、悠然がうまくやってくれたわ。ところがその新月って子、見た目は小柄なんだけど、いざ担いでみるとやっぱり男手が欲しいのよ。だから海斗、お願い……」
「わ、わかった、とりあえずそいつをトランクまで運べばいいんだな。ただし俺たちは運ぶだけだぞ、そのガキのバックが誰かを吐かせるのは悠然にまかせるんだ」
「うん、そうするわ。それでね海斗、もうひとつ相談なんだけど、念のために道具を使おうと思うの」
「おいおい、俺の話、聞いてたか?」
「それが……実はもう一人いるのよヤバそうなのが。有明って言うんだけど、この間死んだ例の客、あれの妹らしいのよ。そっちにはバックなんて付いてなさそうだから心配はしてないんだけど、新月とツルんでるかも知れないの。ただの女子高生に何ができるんだって話だけど、新月のこともあるし用心するに越したことはないわ。だから万一に備えてのこと、あくまでも脅しのためよ」
「しょうがねぇなぁ、事情はわかったよ。けど消音器は着けておけよ」
「うん、ちょっとかさばるけど、そうするわ」
店の前に横付けされた車のエンジン音を聞いた待宵が扉を開ける。そこに立っていたのは渋い顔をした若松海斗だった。
「まったく面倒なことになっちまったもんだ。とにかくさっさと片付けようぜ」
店に入るとバックヤードのドアの前に眉月が見張りでもしているかのように腕を組んで立っていた。よく見ると待宵も眉月もメイド服を着たままだった。海斗は訝し気に二人を見比べながら言う。
「どうでもいいけどお前ら、なんでメイドのままなんだ?」
「力仕事だし、汚れ仕事ね。だから仕事着のままね」
眉月こと悠然が不敵な笑みで答える。その顔は普段の彼女とは別人のような狡賢く冷たい顔だった。
海斗はいつものようにバックヤードから使用済の茶葉が詰まった箱を運び出すとそれを車に積み込んだ。続いて眉月の案内で二階のロッカールームに入る。彼女に言われるがまま彼が物入の扉を開けてみるとそこではメイド服のまま拘束されたミエルが眠っていた。
「おい、これって……」
「没問題、眠ってるだけ」
海斗は物入からミエルを引っ張り出すとその身体を肩に担ぎあげた。
「くそっ、意外と重いな、チビのくせに」
海斗がミエルを担いでぶつぶつ言いながら暗い階段を恐る恐る下りていく。下階では待宵がそんな彼を見守るように待っていた。
彼らが一階に下り立ったちょうどそのときのことだった、二階よりも上、三階にある部屋のドアが開く音が聞こえた。続いて階段を下りる足音、それは月夜野と望月だった。
今夜は二人が暮らす三階の部屋からいつものクラヴィコードの音色が聞こえてこなかった。だから早々に寝静まったのだろうと考えていた三人の顔はまさに意表を突かれた表情だった。
「みなさん、こんな夜更けにどうされたのですか。それに……」
月夜野は海斗に担がれたミエルの姿を見て絶句した。
「し、新月さん! ま、まさか、あなたたち新月さんを……」
すると待宵がエプロンのポケットから黒い鉄製の道具を手にして構える。それはポケットタイプの小さな自動拳銃だった。ご丁寧なことに二五口径の銃口には消音器まで装着されている。
「お願いだから静かにして」
彼女は震える手で月夜野に銃口を向けた。するとすかさず望月が彼女を護らんと真名を呼びながら腕を広げて前に出る。
「蓮花姉ぇ、下がって。やっぱりコイツら悪いヤツらだったんだよ。ボクは前から怪しいと思ってたんだ」
ブルーのトランクスタイプのショーツと同色のキャミソール姿の望月は月夜野の前で強がってはいるがその全身もまた微かに震えていた。
「蓮花姉ぇ、すぐに警察に連絡を……」
望月の言葉が終わる前に彼女の顔は冷たい霧に包まれた。それはミエルもその餌食になった眉月のスプレーガスだった。
「美月ちゃん!」
望月の真名である美月の名を叫んだ月夜野にもガスが噴射される。二人は揃って板張りの床に崩れ落ちた。
「美緒、すぐに撃たないのなら持ってる意味ない。それなら薬を使う方が早いし確実。覚えておくとよいね」
眉月は待宵を本名で呼んでそうたしなめると眠った二人を見下ろして吐き捨てるように言った。
「ほんとにバカね。二人だけで楽しんでればよかったのに」
そんな眉月と待宵の仕事ぶりを見ながら海斗は呆れたようにつぶやいた。
「まったく、余計な荷物を増やしやがって。とんだ汚れ仕事になっちまったぜ」




