第15話 隠し扉と秘密の通路
「どうして新月が来てるの?」
店の慌ただしさが気になってバックヤードから顔を出した待宵がカウンターの中にいる眉月に声をかける。すると眉月は即座に店の奥を指差す仕草とともに待宵が待つバックヤードへと引っ込んだ。
眉月が部屋のドアを閉めるとすぐに待宵はデスクに座って以前にミエルのGPS発信機が検出されたマップを表示する。
「今日はモニタリングされてないわね。もしかしてあの子、信号が傍受されてることに気付いたのかしら」
「不知道、ほんとに勘違いしただけなのかそれとも何か企んでるのか、今はまださっぱりね」
「今日は午後イチで『おもてなし』が入ってるわ。その前になんとかしないと……とりあえず私はチラシをプリントするからそれを配りに行かせましょう。そうね、一〇〇枚もあればいいかしら」
「ちょっと待つね、待宵。ウチがなんとかするよ」
「なんとかって……」
「別担心、これも仕事だから。とにかくウチに考えがある。尻尾を出さないなら引っ張り出すだけ」
パソコンモニターの前で不安そうな顔を見せる待宵に眉月が不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
一方、店では望月の困惑など意に介すことなく月夜野が新月にルームの掃除を命じていた。
「婦長様、まだ新月に任せるのは早いのでは……」
「大丈夫よ望月。新月さんだってもう仕事は覚えてくれてるし、遅かれ早かれやってもらうことなのだから」
「わかりました、婦長様がそうおっしゃるのなら。よし、それじゃ新月、粗相が無いようにしっかり頼んだよ」
あくまでも月夜野の意思を最優先にする望月は新月にそう命じると、定位置に戻って再び店の扉を見張り続けた。
ミエルは月夜野に言われるがまま床のモップ掛けや客席の拭き掃除をこなしていく。それが済んだら最後の仕上げだ。乾拭き用の化学雑巾を手にしてマホガニー製の羽目板が張られた腰壁とアンティーク調の壁紙とを分かつ見切縁を拭いていく。
部屋の奥から左回りに進んで行くと月夜野が愛用のスピネットを手入れしている少し手前のあたりでミエルは見切縁に切れ目があるのを見つけた。そこで手を止めて壁を見上げるとそこにも違和感がある。この壁はルームの入口と同じく回転する隠し扉になっているのだろう。しかしどこに通じているのだろうか。
「確かこの部屋の真上は……そうだ、倉庫だ。なるほど、倉庫とこの部屋は秘密の通路でつながっているんだ」
そう考えたミエルは月夜野に気付かれないようそっと壁を押してみた。確かに僅かに動く。しかし壁の向こう側から施錠されているのだろう、その遊びは一ミリメートルくらいのものでまるでびくともしないのと同然だった。
ミエルは何事もなかった風を装いながら月夜野に掃除を終えたことを告げる。
「ごくろうさま。それでは望月か眉月に次の指示を仰いでください」
ミエルは相変わらず楽器の手入れに没頭する月夜野に一礼するとルームと呼ばれる隠し部屋を後にした。
ミエルが部屋を出るとそこでは望月が相変わらず一人で入口の扉を見守っていた。カウンターに目を向けるといつもならばそこにいるはずの眉月の姿がない。どこに行ったのだろうか。バックヤードかそれとも二階の倉庫か。そこでミエルはイチかバチかの賭けに出ることにした。
「望月さん、私は二階の片付けをしてきます」
「それなら眉月からカギを受け取って……」
「いえ、倉庫ではなくロッカールームです。さっき見たら少し散らかってる気がしたので」
「わかった。とにかく今日のボクはここから目を離すわけにいかないんだ、よろしく頼んだよ」
ミエルは望月に小さく会釈すると上階に上がっていった、もちろんその目的はロッカールームなどではなく倉庫だった。
階段を上がりきったミエルは右ではなく左に進む。そこにあるのは倉庫のドア、彼はその前に立って耳を澄ませる。念のためにドアにも耳を近づけてみる。どうやら中には誰もいないようだ。続いて音を立てないようゆっくりとノブを回してみると、やはりドアにはカギがかかっていた。
ミエルは軽く深呼吸すると左の靴を脱いでその場にしゃがみ込んだ。脱いだ靴の踵を捻るとそれはきれいに外れ、その中には数本の小さな針金のようなものが収められていた。
彼はそこから先端が曲げられた一本と真っ直ぐな一本の合計二本を手に取ると、ドアのカギ穴にそれを差し込んで器用に内部を探る。すると間もなく軽い手応えが彼の指先に感じられた。ミエルはすぐに道具を片付けると靴の踵を元に戻して解錠されたドアノブを回した。
しかし倉庫の秘密に気を取られていたミエルは、自分の背後、ロッカールームのドアの隙間から自分を見つめる目があったことにまったく気づいていなかった。
倉庫の中は静まり返っていた。ミエルはすぐにルームの間取りを思い浮かべる。
「確かこのあたりだったよな」
ミエルは見当を付けたあたりの床に目を向けた。はたしてそこにあったのは床に入った正方形の切れ目だった。おそらく床下収納庫のフタであろう、彼はそれを開けようと試みるも、しかしカムフラージュされたそこには持ち手すらなかった。
ミエルは右足の靴を脱いでその踵を取り外す。中から出てきたのは小さなカッターナイフ、彼はその小さな刃を床とフタの間に差し込むとテコの原理を応用して力を入れてみた。するとフタは微かに持ち上がる。ミエルはすかさずそこに爪を立てて板張りのフタを持ち上げた。
収納庫は空っぽだった。ミエルは手にしたカッターナイフをひとまずエプロンのポケットにしまうと収納の内側にある引き手を掴んでゆっくりと持ち上げてみた。ポリ製のボックスは思いのほか軽く、あっさりと持ち上がった。埃っぽい匂いがミエルの顔を覆う。その向こうには六〇センチ四方の真っ暗な竪穴が口を開けていた。そしてそこには鉄製の梯子が真っ暗な下階へと延びていた。
やはり倉庫と隠し部屋はつながっていたのだった、あの壁を通じて。