第14話 男の娘探偵、ミッション開始
真っ赤なフレームのシティーサイクルを颯爽と走らせるメイド服にお団子ヘアの女性、彼女がルナティック・インでハーブのブレンドを担当する眉月だ。有名百貨店のロゴが入った小さな紙袋をカゴに載せて朝の歌舞伎町を走り抜けるその姿に道行く人たちも思わず振り返る。
明治通りを渡って文化センターの手前を曲がり、そのまま味気ない雑居ビルばかりの道を進めば店まではもう間もなくだ。眉月は店の脇から裏庭へと続く通路に自転車を停めるとカゴの紙袋を手にして店の扉を開けた。
「眉月、戻りました」
「お疲れさま、眉月!」
開店準備に忙しい望月が元気よく応える。続いて月夜野も眉月に声をかける。
「ご苦労様です、眉月さん。今日のお客様は七名でしたよね」
「そうそう、ハーブもスパイスも七人分ね」
「それではブレンドの方はよろしくお願いします」
「承知したよ」
月夜野は眉月に微笑みながら会釈すると壁に偽装された回転扉を押しながらルームと称する隠し部屋に入って行った。準備のために出入りすることを考えたのだろう、彼女は扉を開け放したまま鼻歌交じりに拭き掃除を始めた。
開店前とは言えあまりにも迂闊だ。こんな小さな油断が大きなトラブルにつながることもあるのだ。眉月はルームに置かれた愛用の楽器スピネットを手入れする月夜野に一言注意しようと前に出る。するとすかさず望月がカウンターを指さして彼女を叱責した。
「眉月、また自転車のカギをかけ忘れてるだろ。これでもう何回目だと思ってるんだよ。ほんと、盗まれたら弁償だからね」
それでもなおルームの月夜野に意見しようとする眉月に向かって望月は念を押すように言った。
「今日はすぐにやってもらうよ。とにかくカギ!」
彼女の剣幕に押された眉月は望月には聞こえないよう、しかも彼女には理解できない中国語で「煩死了……」と小さくつぶやくと、わざと足音を大きく鳴らして苛立ちを示しながら扉に向かう。ところが眉月が取っ手に手を掛けようとしたその瞬間、それよりも先に目の前で扉が開いた。
「おはようございます、新月、入ります!」
元気よく声を上げながら扉を開けて入ってきたのは新月ことミエルだった。ミエルは呆然と自分を見つめる望月と眉月にもう一度挨拶する。
「望月さん、眉月さん、おはようございます」
かわいさを演じながらもしっかりと店の様子を見渡すミエルの視界に例の隠し扉が開いているが見えた。それとなく中に目を向けると月夜野が着るメイド服の裾がチラチラと見える。
「月夜野がいる。お人好しの彼女に気付いてもらえれば無下に追い返されることもないよね」
そう考えたミエルはここぞとばかりに声を上げた。
「婦長様もおはようございます!」
「新月、もういいから。ところで君、今日はシフトの日じゃないよね?」
「あ、えっ……あ――っ、私、やっちゃいましたぁ?」
ミエルは望月を相手にわざとらしいまでのオーバーリアクションを見せながらまたもや大きな声を上げた、それがルームの中にいる月夜野の耳にも届くように。すると彼の思惑通り月夜野が顔を見せた。
「あらあら新月さん、シフトを間違えてしまったのね」
これ見よがしに肩をすくめて見せるミエルにルームの中から月夜野が微笑みかけた。そんな二人の間に望月が厳しい顔で割って入る。
「新月、せっかく来てくれたのはいいけど、今日はこのまま帰ってくれないか?」
「望月さん、そんなことを言ってはいけません。間違えたとは言えせっかく来てくれたんですから。さあ、新月さんも急いで準備してくださいな。なにしろ今日は特別室に七人も招待してるんですから」
よし、ここまでは予定通りだ。ミエルは誰にも気付かれないよう、ひとりほくそ笑んだ。
片や慌てたのは眉月だった。これはまずいことになった、と彼女は手にしていた自転車のロックをカウンターの中へ無造作に放り込むと、新月に悟られぬよう倉庫から持ってきた紙袋もすぐさまカウンター内の物入れに押し込んだ。
今、店には望月と眉月が、隠し部屋には月夜野が、そしておそらくバックヤードには待宵もいるのだろう。そこに突然の外野が進入したのだ。さぞかしみんな面食らっていることだろう。しかしこれで作戦は成功だ。そんなことを考えながらミエルは上階のロッカールームに駆け上がって行った。
それは一昨日の夜、英国風パブでミエルが晶子と二人で会話をしたときのことだった。
「お兄ちゃんがおかしくなったのは絶対にあの店に関係があるって思ってる。とにかくあたしはそれが何かを確かめて……」
「それで、晶子はどうするの?」
「警察に話して……」
「そんなの、証拠もなしに言ったって相手になんてしてもらえないわ」
晶子はあの店が出すハーブティーに秘密があると考えていた。それを確かめるためには何としてでも出涸らしのゴミを手に入れたい。しかしそれは眉月にことごとく邪魔をされている、すなわち自分は既に監視されているのだ。でも絶対に突き止めたい。晶子はそれを涙ながらにミエルに語った。
やはりこのまま放っておくわけにいかない。晶子が暴走すれば自分のミッションにも影響が及ぶ。いや、今や自分も監視される身になっているのだ。こうなったら二人で共闘するのが得策かも知れない。
そう考えたミエルは晶子にそれを提案した。
「だから晶子と私であの店に忍び込んでそのハーブだかをゲットするのよ」
「そんなことできるわけないし」
「できる……ううん、やるのよ」
ミエルはあの隠し部屋を調べるために考えていた計画を晶子に説明した。
「まず私がシフトを間違えたふりをして店に出るわ。そうね、晶子も私も入ってなくて、でも月夜野が入ってるって日がいいわ。確か明後日がそうだったはず」
「ちょっと待ってよ。美絵留、あなたまさかあの表を暗記してるの?」
「ふふ、これでも受験生だもん、記憶力が勝負なのよ」
ミエルはそう言ってマスターがサービスしてくれたコーヒーを一口、それを晶子にも飲むように勧めながら話を続けた。
「きっとその日はルームとか言ってるあの部屋にお客が来るんだと思う。だからまずは私が乗り込むわ。きっとビンゴよ」
「美絵留の言うことはわかるんだけど、でもあいつら絶対にゴミを出さないし。きっと店のどこかに隠して、あとからこっそり運び出してるんだと思うし」
「それを探すのは簡単じゃないわ、危険も伴うし。だから無理にとは言わない。どうする、晶子」
「もちろんやるし、ううん、絶対やる」
「わかったわ。それならもっと具体的に手順と役割を決めましょう」
こうして二人の作戦会議はまだまだ続くのだった。




