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52. 吉田稔麿という男

 

 幕末は、夜の京都。

 長州 脱藩浪人 佐藤 塩太郎は、池田屋で深手を負った吉田 稔麿を担いで、長州藩邸に、急ぎ向かっていた。


『こいつは、ちょっとヤバいな……』


 塩太郎の足が止まる。

 行く手を、会津藩兵が塞いでいたのだ。


 というか、どうやら、会津藩兵は、長州藩邸を囲むように警備してるようで、池田屋から逃げて来た長州藩士を捕まえる為に、網を張ってたようであった。


 深い傷を負っている吉田稔麿には、最早、一刻の猶予も無い。

 血を失いすぎたせいか、体温が急激に冷たくなってきているのだ。


 生きるか死ぬかの瀬戸際。


「クッ……どうする……」


 塩太郎一人なら、どうとでも長州藩邸に逃げこむ事ができる。しかし、吉田稔麿をおぶった状態となると、とても難しい。


 どこかの屋敷に逃げ込もうにも、外の騒がしさに警戒してか、どこの屋敷も、キッチリ門を閉ざしている。


 誰しも、わざわざ、厄介事に首を突っ込みたくないのだ。


 とか、考えてる内にも、違う持ち場で警備してた会津藩兵も、続々と、塩太郎と吉田稔麿を捕らえる為に集まってくる。


 カキン! カキン! カキン! カキン!


 それにしても、本当に、火縄銃の弾が鬱陶しい。


 カキン! カキン! 言ってるのは、塩太郎が刀で弾いてる音。


 というか、内心、塩太郎は、火縄銃の弾を、刀で全て弾いてる自分自身にも驚いていた。


 突然、会津藩兵が火縄銃を撃ってきたので、反射的に、弾を、刀で弾いたのだ。


 出来るとも思ってなかったのに出来た。

 しかも、自然に。


 逆に、身構えてたら出来なかったかもしれない。

 体に、余計な力が入り、弾を空振ってたかもしれない。


 まあ、今までも、出来たかもしれないが、火縄銃の弾を弾き返すシュチュエーションが、今まで無かったので、分からなかっただけかもしれないが……。


 しかしながら、塩太郎にも覚えがある。

 何かの拍子に、人程の大きさの岩を斬り裂いた事があったのだ。


 本当に、たまたま。


 敵を斬り裂いた時、勢いあまって、敵の後ろにあった岩まで、真っ二つに。


 その時は、俺の刀スゲーと思っただけ。

 塩太郎の刀、村正は、その辺の刀屋で売ってる普通の村正。


 倒幕を目標とする勤皇志士にとって、徳川に仇なす刀として有名だった村正は、とても人気だったのだ。


 ミーハーだった塩太郎も、他の勤皇志士に習って買っただけ。


 そのミーハー根性で買った村正が、たまたま当たりの村正であったのである。


 刀に、当たり外れがあるのは、普通の事だし。


 なので、今回、火縄銃の弾を弾き返せれたのも、


『俺の村正、スゲー!』


 と、思っただけ。


 本当は、村正の力じゃなく、塩太郎の闘気の力だと、この時の塩太郎は全く気付いていなかった。


 まあ、凄いスピードで飛んでくる火縄銃の弾を目で追えるだけで、凄い動体視力の持ち主なのだけど、この時代には、まだ、動体視力という概念が無かったので、仕方が無い事なのだけど。


「クッ! 埒があかねー!」


 塩太郎は、苦虫を噛み潰す。

 火縄銃の攻撃を打ち返すだけで、全く、前に進めないのである。


 長州藩邸は、もう目と鼻の先であるのに。


 会津藩兵も、仲間をおぶり、しかも、片手が塞がった状態で火縄銃の弾を打ち返してしまう、塩太郎の異様さに警戒して、全く塩太郎に近づこうとはしない。


 近づいたら、最後、真っ二つにされる事ぐらい、想像つくのだろう。


 塩太郎的には、逆に斬り掛かってくれたほうが、敵の数を減らせて楽なのだけど、

 流石は、この血生臭い時代に京都を護る、京都守護の会津藩。無駄に統率が取れているのである。


 というか、相手が抜刀して斬り掛かってきてくれたなら、吉田稔麿をおぶったままでも、2、30人ぐらいなら倒す自信が塩太郎にはあった。


 しかしながら、塩太郎が、たまたま撃たれた火縄銃の弾を、たまたま刀で弾いてしまった事により、会津兵が警戒し、逆に塩太郎の首を絞めてしまっていたのだ。



「塩太郎……私を置いて逃げろ……」


 塩太郎の背中で、吉田稔麿が、掠れた声で喋りだす。


「大丈夫ですよ! 俺が、必ず、稔麿さんを助けますから!」


 塩太郎は、吉田稔麿が諦めてしまわないように、無理に明るい口調で返してやる。


「しかし、私をおぶったままでは、お前もいずれ、殺られるぞ……」


 どうやら、稔麿は、自分の事より、塩太郎の心配をしているようである。


「俺は、殺られませんよ。何故、問題児で、ひ弱な高杉が、未だに死んでないか、理由が分かります?

 俺が、いつも、アイツが死なないように護ってやってたからですよ!

 アイツ、滅茶苦茶するから、本当に大変なんすよ!

 俺が居なかったら、きっと100回は死んでますね!」


 塩太郎は、努めて明るく、稔麿の気を逸らす為にも、問題児の高杉の話をしてやる。


「そうか……しかし、流石の高杉でも、こんな状況など、一度も無かっただろ……」


「さあ……どうだったでしょう。こんぐらいの絶体絶命、たくさん有ったような……。

 まあ、高杉の場合は、日常がトンデモないので、藩のみんなも知らないような事、たくさんやってますからね!

 高杉が、何かやる度に、伊藤(博文)や俺が、必死に揉み消すというか、尻拭いしてたから誰も知らない訳で、こんな状況、俺達にとったら、日常茶飯事ですよ!」


「そうか……」


「そうですよ! だから、稔麿さん! 泥舟に乗った気で居て下さいよ!

 俺が、必ず、長州藩邸まで連れていきますんで!」


「そこは、泥舟じゃなくて……大船だと思うぞ……」


「へ? そうでしたっけ?」


「ハハハハハ……面白いのう……」


「面白いのう……って、そんなに面白かったっすかね?」





「ん?」




「アレ!? 稔麿さん!」


 塩太郎の背中におぶさっていた、吉田稔麿が急に重くなる。


「エッ!?」


 塩太郎は、稔麿を急いで背中から降ろし、そして冷たくなってしまっている稔麿を、地面にゆっくりと横たわせる。


「稔麿さん?」


 塩太郎が、名前を呼び掛けても、稔麿はピクリともしない。


 ただ、口に、かすかに微笑みを浮かべて、目を閉じている。


「稔麿さんってば、からかわないで下さいよ!

 流石に、年上だからと言っても、していい冗談と、やってはいけない冗談って、あるんですからね!」


 塩太郎が、冗談だと信じ、どれだけ呼び掛けても、稔麿は返事をしない。

 ただ、ただ、幸せそうに、笑みを浮かべて目を閉じてるだけ。


「稔麿さん! もうスグですって! 目を覚まして下さいよ!」


 塩太郎と稔麿の異変に気付いた会津藩兵達も、既に鉄砲を撃つのを止めている。



「お願いですから、 目を覚まして下さいよ……。

 長州藩邸、もう、目と鼻の先なんですからね。

 また、高杉や、久坂達と、松蔭先生との昔話とかして、酒を飲み交わしましょうよ。ね! 稔麿さん!」


 何故だか分からないが、塩太郎の目から、ポロポロと涙が流れ落ちてくる。


「なんで、目を覚ましてくれないんすか!

 俺が守れば、誰も死なないっていうジンクス、知らないんすか!」


 塩太郎は、鼻水と涙で、顔をくちゃくちゃにしながら必死で稔麿の体を揺する。


「チキショー……稔麿さん…起きろよ……俺のジンクス、どうしてくれるんだよぉ……」


 塩太郎は、現実を直視する事が出来ない。

 本当は、分かってる。分かってるのだ。

 だけれども、吉田稔麿が死んでしまった事を、塩太郎は、どうしても受け入れられないのだ。


 稔麿は、塩太郎にとって優しい先輩だった。


 いつも、ヤンチャな高杉に対しても、寛容で、高杉のせいで、酷い目にあってる、塩太郎や伊藤、高杉派閥の者に対しては、特に目を掛け、可愛がってくれていた。


 松下村塾が誇る高杉晋作、久坂玄瑞と並ぶ三秀の一人。


 そして、松下村塾の優しい兄貴。それが、吉田稔麿という男だった。


 ーーー


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