5. 闘気を操る男
「なんか、体が軽くなった気がする。
しかも、力が漲っている」
幕末出身の塩田郎は知らない。
レベルが一気に25も上がって、メチャクチャ強くなった事を。
まあ、レベルアップの音を、不快な音だと思ってたくらいだし。
そんな感じで、ピョンピョン跳ねたり、肩をグルグル回して、体の調子を確認してると、またピクピク、塩田郎のまつ毛が動く。
「また、来やがったか……しかも、2匹……。
これは、逃げるっきゃないだろ!」
塩田郎は、即決して、一目散に逃げ出した。
塩田郎は、勝てないと思った相手に対して、決して勝負を挑まない。
暗殺の失敗は、死を意味する。
少しでも、計画と違えば、暗殺するのを止める。
護衛の人数が、思ったより多かったり、暗殺対象が、なんかいつもと違う行動をしたりしたら、スパッ!と、暗殺を中止する。
それで、塩田郎は、今まで生き延びてきたのだ。
というか、つい最近死んどいて、どの口が言うのかって?
塩田郎が、蛤御門で死んでしまったのは、どうしても、やらなくてならない時だったから。
塩田郎が、犠牲になり、一人でも多くの仲間を生かす事こそ、日本の未来に繋がると信じたから。
松蔭先生の辞世の句、『かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂』
こうすれば、こうなると分かっていてもやるのが、大和魂。
長州男子は、やると決めた時には、必ずやり遂げるのだ!
まあ、師匠がこんなだから、松下村塾出身者は、死にたがりばかりなのだけど。
「て、どんだけいんだよ!」
また、塩田郎のまつ毛がピクピク動く。
タコ侍が、行くとこ行くとこ、どこにでも居るのだ。
1匹だけなら、居合切りで何とか切り抜ける事が出来るが、2匹以上だと、塩田郎は倒す自信がない。
ピクピク!
「またかよ!」
ピクピク!
「糞! ここ、どうなってんだ!?」
塩田郎は、知らない。
異世界のダンジョンは迷路のようになってるから、しっかりマッピングしなければ、一生ダンジョンから出られない事を。
ピクピク!
「また、いやがる! てか、さっき見た奴と、一緒じゃねえか……というか……ここ、さっき通った気が……」
塩田郎は、知らない。
ダンジョンあるある。片方の手を壁を触って歩き続ければ、必ず出口に到達するという事を。
何度も言うが、塩田郎は、幕末出身だから知らないのである。
「チッ! 埒があかねえ……殺るしかねーか。倒さなければ、前に進めそうもないしな」
塩田郎は、辛抱切れて、1匹でいるタコ侍に目星を付けて、勝負する事にする。
「もう、やけっぱちだ! 全員倒しちまえばいいんだろ!」
塩田郎は、この階層にいる全てのタコ侍を倒す事を決意する。
「よし! 掛かってきやがれ!」
塩田郎は、1匹だけで歩いてたタコ侍の前に躍り出る。
勢いよく飛びだしたのだが、塩田郎は、居合切り狙いなので、自分からは決して手を出せない。
「ほら、来いよ!」
しかし、タコ侍は、どんだけ挑発しても掛かってこようとしない。
「何してるんだよ! タコ野郎!」
塩田郎は、気付いていない。
レベルが25になって、自分が相当強くなっている事を。
タコ侍と、初対面の時は、完全なる格下だったが、Lv.25になった塩田郎は、タコ侍の方がまだまだ格上なのだが、侮れない相手となっている事を。
「ほらほら来いよ! ビビってんのか!」
ビビり過ぎてるのは、塩田郎の方である。
幕末出身で、レベルアップ概念が無い塩田郎は、自分が物凄く強くなってる事に、全く気付いていないのだ。
ただ、単に、体が異様に軽くなったとしか、思っていない。
「おいどーしたよ! さっき、戦った時は、ニヤリとか、ニヒルに笑ってたろ!
何、冷や汗かいてんだ!」
塩田郎は、気付いてない。
塩田郎の体から、溢れんばかりの魔力がダダ漏れしてるのを。
そして、異世界からの転移者は、極めて魔力が高いというお約束を、幕末出身の塩田郎は知らなかったのだ。
まあ、地球に魔力という概念がないので、気付けないのは、当然なんだけど。
「ん? てか、俺の体から発してる赤黒いモヤモヤなんだ……」
しかしながら、普通、気付けない筈の魔力を、塩田郎は視認できてしまった。
そう、幕末伝説の人斬り、佐藤 塩田郎は、異世界転移者の中でも、極めて、魔力が高かったのだ。
この世界でも、ごく稀に、魔力が高い者は色が付いて見える事がある。
塩田郎にも、その現象が起こっていたのだ。
「ん? これは殺気か? この世界では、殺気が目で見えてしまう世界なのか?」
まあ、確かに、塩田郎は殺気を発していた。
暗殺の時は、相手に気付かれないように、殺気を極限まで消すが、面と向かって殺らなきゃならない時は、殺気を解放するようにしてたのだ。
「こいつは、駄目だな……これじゃあ、誰も攻撃してこないわ……」
塩田郎は、自分でも認識していた。
幕末伝説の人斬り 塩田郎の殺気は、常人のそれではない。
何百、何千の修羅場を経験している塩田郎の殺気は、殺気だけで女、子供を失神させてしまうレベルなのである。
その殺気に色まで付いてしまったら、流石のタコ侍でも警戒するのも頷ける。
だって、タコ侍の殺気には、色付いてないもん。
塩田郎は、勝手に、そう認識した。
しかしながら、全く違う。
塩田郎が、ただ流しにしてたのは殺気ではなく、魔力だ。
まあ、扱い方は似たようなものなのだが、全く違う。
塩田郎は勘違いから、殺気を消す要領で、魔力を消そうとする。
「ありゃりゃ……ただ漏れだったのは小さくなったが、完全には消えねーな……。
体に、膜のように張ってやがる……」
塩田郎は、知らない。
魔力を体中に薄く張る技術を、闘気と言い、体を硬くしたり、速くしたり、魔法を弾き返したりできる事を。
そして、その闘気は、この世界でも僅かな人間にしか扱えない、高等技術だという事を。
幕末出身の塩田郎は、知らなかったのだ。
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