1. 佐藤 塩太郎という男
旧暦、元治元年7月19日。今の歴で言うと8月20日。場所は、蛤御門前。
むせ返るような血の匂いと、7月の京都特有の蒸し暑さ、それと市中全体に拡がった大火事のせいで、息苦しく、肺が焼けるように痛い。
体中に浴びた敵の返り血、そして、無数に受けた刀傷。
傷の痛みも麻痺し、何故、まだ、自分が立っていられるかも解らない。
辺り一体は、死体の山。転がってるのは、味方ばかり。完全なる負け戦。
相手は、会津藩を筆頭に、薩摩藩、福井藩、大垣藩、桑名藩。そして、幾千と死闘を繰り広げてきた新撰組。
味方は、自分が所属する長州藩、ただ一藩のみ。
最初から、負け戦になる事は解ってた。
しかし、国を変える為、天皇を中心にする世の中にする為には、絶対に江戸幕府を倒さなければならなかった。
それが、安政の大獄で死んだ師、吉田松蔭の教え。『かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂』松蔭先生の辞世の句。
絶対に失敗すると解ってても、それでも日本の為にやるのが、大和魂というもの。
そして、やって、失敗した。
しかし、この敗戦の悔しさが、残った長州の仲間達の胸に響き、最後には江戸幕府を倒してくれると信じるしかない。
この戦いで、既にリーダー格の来島又兵衛も、久坂玄瑞も自害した。
俺は、仲間の敗走を助ける為に、ここで一人でも多くの敵を斬るだけ。
それこそが、剣にしか才能が無かった俺の務め。
俺には、同じ松下村塾出身者の久坂玄瑞のような政治力。高杉晋作のような天才的な閃き。伊藤俊輔(後の伊藤博文)のような時代を読む要領の良さも無い。
ただ有るのは、人殺しの才能だけ……。
なので、俺は同じ志しを持つ仲間の為に、人殺しを一手に引き受けていた。
誰にも知られていない日陰者。
誰にも知られずに、秘密裏に、長州藩の政敵を斬り裂く。
そして、そんな日陰者の俺の最後の役目。
この場所を護り抜き、一人でも多くの仲間を長州に逃がす事。
1人でも多く逃がせば、次の戦いの戦力になる。
この戦いで、多くの才能有る仲間達が死んでしまったが、まだ、長州には、俺も認める本物の天才で、親友でもある高杉晋作が残っている。
高杉さえ生きていたら、長州藩は何度でも蘇る。
俺は、何度も近くで、高杉の天才的な策略を見てきたのだ。
ゲボッ。
灼熱の熱さで胸をやられて、血反吐が出てきた。
よく見ると、腹に弓矢が刺さってる。
必死に戦っていたので、致命傷を受けてた事に気付いていなかったようだ……。
もう既に、体の感覚は殆ど無い。
先程まで、体が燃えるように熱かったのだが、血を流し過ぎてしまったせいか、急激に体が冷えてきている。
俺は、もう死ぬのか?
いつの間にか、辺りには人っ子一人居ない。
火が回り過ぎて、人も近付けない状況になっていたようだ。
「俺は、長州の為、日本の為に頑張ったよな……。
教えてくれよ! 高杉!頭のいいお前なら分かるよな!
松蔭先生! 俺は、日本の為に頑張れましたよね……」
死の間際なのか、松下村塾時代の懐かしい思い出が、走馬灯のように思い出されてくる。
「チキショーー! まだ、死にたくねーよーー!」
武士は死に際が大切だと、散々、松蔭先生に教えられたのに、本当の死に際になって、百姓の性根が出てきやがる。
ーーー
佐藤 塩太郎。この甘いのか辛いのか解らない名前の男は、長州藩は萩の松下村塾がある村の、どこにでもいそうな百姓の次男坊だった。
まあ、腕っぷしだけは強く、近所の悪ガキどもを従えて、徒党を組んで悪さばかりして過ごしていた。
そんな塩太郎の転機が訪れたのは、13歳の時。近所の松下村塾に、噂に聞く天才、高杉晋作が通い始めたと、噂を聞いた時から始まる。
当時から有名人だった高杉晋作は、頭が良いのだが、ヤンチャな変わり者で、
武士の癖に、喧嘩はするは、昼間から酒を飲んで、城下でどんちゃん騒ぎするやら、手の付けられない悪ガキで有名だったのだ。
「やったるか!」
塩太郎は、城下で少しばかり有名でヤンチャな都会っ子に、上には上がいるという事を教えてやろうと、ちょっと小突いてやる程度の気持ちで、子分を引連れて、高杉晋作を待ち伏せしたのだ。
しかしながら、現れた高杉晋作は、塩太郎達の子分に囲まれても、ビビった様子を全く見せない。
しかも、ぞんざいな態度で、
「どけ! 百姓風情が、俺の道を塞ぐとは、片腹痛い。
俺を通したくなければ、仁王ぐらい連れて来やがれ!
まあ、仁王が来ても、俺様は通るんだけどな!」
どこまでも、ぞんさい。どこまでも、我が道を突き進む。
これが、噂に聞く高杉晋作……。
だけど、アホだ……。
だって、帯刀さえしてないし、気ままな着流しで歩いているのだ。
「やったれ!」
塩太郎は、子分に指示して、高杉晋作をボコボコにしてやる。
「フン! 思ったより、やるな!」
高杉晋作は、ボロ雑巾のように、地面に這いつくばってるのに、余裕綽々で軽口を叩く。
変人だと聞いてたか、本当にヤバい奴だ。塩太郎は、今更ながらに気付く。
「おい! そこのお前、お前がこの軍団の大将だろ! だったら、大将同士で、サシで勝負しやがれ!」
どう考えても、決着が付いてるのに、高杉晋作は、塩太郎に向かってサシの勝負を挑もうとする。
「大将同士って、お前、一人だろうが!」
「はっ? さては、お前、俺の強さにビビって、勝負を避けようとしてるな!」
「ビビってねーー!」
塩太郎は、少し頭にきて、血だらけで地面に転がっていた高杉晋作の胸ぐらを掴んで、持ち上げ、思いっ切りグーで殴ってやる。
「お前やるな! 誰のパンチより、お前の拳が一番痛い!
しかし、俺のパンチは、お前の何倍も強烈だ!」
高杉晋作は、塩太郎に胸ぐらを捕まれたまま、ヘナチョコパンチを、塩太郎の頬に当てる。
「どうだ! 俺のパンチは根性入ってるだろ!」
なんで、こんなにボロボロされて、勝てそうもない相手に向かっていけるんだ?
信念? いや、違う。こいつはただの負けず嫌いなのだ。
「止めじゃ! 止めじゃ!」
塩太郎は、高杉晋作を地面に突き放す。
負けを認めない相手ほど、面倒臭い奴は居ない。
「おい! 逃げるな! 逃げたら、お前の負けだぞ!」
「ああ。勝手に言ってろ!」
「お前、俺の子分に決定!」
「ハイハイ!」
こうして、この時の佐藤塩太郎は、高杉晋作との関係は、全て終わったと思ってた。
しかしながら、次の日、顔をボコボコに腫らした高杉晋作が、塩太郎の元に訪れる。
「おい! お前! 今日なんで、俺の家まで迎えに来なかった!」
「はっ?」
「お前、昨日、泣いて俺様の子分になると言っただろ!」
「何、言ってるんだ!」
塩太郎は、余りの面倒くささに、その場を逃げ出す。
しかし、次の日も、
「おい! お前! 子分の癖に挨拶はどうした!」
「挨拶って、なんで、俺ん家知ってるんだ!」
「そんなの、人に聞いたに決まってるだろ!」
そして、また、次の日、
「おい! お前! 今から松蔭先生の所に行くぞ!」
「だから、なんで俺が、松蔭先生の所に行かなくちゃならねーんだよ!
というか、お前じゃなくて、俺には、立派な佐藤塩太郎て、名前があるんだよ!」
「何だお前、百姓の癖に苗字持ちかよ!」
「俺の家は、関ヶ原まで武士の家系だったんだよ!
だけど、関ヶ原で、中国全土を治めてた毛利が負けて、長州に押し込められた時、領地を捨てて毛利に付いてきた家柄なんだよ!
だけれども、小さい長州藩じゃ、全ての藩士を養えないてんで、うちは、百姓になったの!」
「そうか、だったら話が早い! 塩太郎! お前、もう一度、武士になれ!
俺の用心棒にしてやる! 帯刀も、殿様に頼んで、許可を貰ってやる!」
「えっ!? 本当かよ! 武士になれるなら、お前の用心棒でも何でもやってやるよ!
というか、殿様が、お前の言うこと聞いてくれるんか?」
「塩太郎! お前、俺の長州藩の家格を知らないのか?
俺が直接、殿様に頼めば、必ず、『そうせい!』て、言ってくれるんだよ!
お前も聞いた事あるだろ?長州の殿様のあだ名、そうせい公!」
「お前、殿様に向かって言っていい事と、悪い事があるだろうがよ!」
「ははははは! 使える殿様は、使ってなんぼってな!」
こうして、佐藤塩太郎は、高杉晋作の援助を受け、武士になったのだった。
ーーー
「クッ! 昔の思い出が、鮮明に思い出されてくる。もう死ぬな……。
後は、高杉が、全て上手くやってくれる筈。
だってアイツ、いつも不可能を可能にしてしまう男だもん。
俺も、アイツに会ってなかったら、絶対に武士なんかになれなかったもんな……。
ん? とうとう、お迎えがきやがったか……」
塩太郎が膝を着き、朦朧として昔の思い出にひたっていると、いつの間にか目の前に、三匹の人と思えぬ者達が立っていた。
「どう考えても、あの目が真っ赤な、白い幼女なんて、この世の者じゃねーもんな。
そして、お付の二人の男なんて、どう考えても伴天連の悪魔だろ?
耳が、とんがってるし、顔色悪いもん。
俺って、そんなに悪い事したか?
日本の、神にも仏にも見捨てられて、代わりに、伴天連の悪魔が迎えに来たって訳か。
どうやら俺は、この世で人を殺しすぎちまったみていだな」
「ですね! 貴方は、人を殺し過ぎました!
だから、合格です!
しかも、ただ人殺しを楽しむだけのサイコ野郎でもないです!
己の信念を信じて、人殺しを生業にしてきたんですよね!」
なんか、紫の奇抜な服装を着た悪魔が、テンション高めに話し掛けてきた。
「お前は、俺を迎えに来た悪魔か?」
塩太郎は、話が通じそうだったので、なんとなくだが質問してみる。
「よく分かりましたね! 正解!
僕は、貴方をスカウトしに来た、悪魔で違いないです!」
紫の悪魔は、妙に明るい。
「スカウトって……俺を、伴天連の悪魔の下僕にでもするつもりなのかよ ……ゴホッ!ゴホッ! ゴホッ!」
調子に乗って喋ってたら、喉から血が逆流してきた。
「ちょっと、急いだ方が良さそうですね! 貴方、もう一度、人生をやり直したくないですか?」
紫の悪魔が、塩太郎の顔を覗き込み聞いてくる。
やはり、こいつはこの世の者じゃない。
こいつの金色の目を見てると、今にも魂を吸い取られそうな錯覚に陥ってくる。
「やり直したいに決まってる……俺の今の状況、人生やり直したい感に満ち溢れてるだろうが……」
塩太郎は、意識が飛ばないように踏ん張って、人生やり直したいと、紫の悪魔に伝える。
「だったら、僕が貴方の願いを叶えましょう!
佐藤 塩太郎さん。甘いか辛いかわかんない名前の人よ!」
「その例え、今、必要か? それ言われると、結構、カチンと来るんだけど……」
「何を言ってるんですか? 佐藤 塩太郎さん!
とっても、甘い名前の僕からした、佐藤 塩太郎さんの名前。羨ましいです!
あっ。因みに、僕の名前は、アマイモンですけど!」
「グフッ……アマイモンって! ……死にそうな奴を、笑わせるなって……ゲフッ! ゲフッ! ゲフッ!」
塩太郎は、よく分からない掛け合いのせいで、少し寿命が縮む。
「ちょっと、死ぬのは待って下さいね!すぐ、説明終わらせますから!」
「ああ。出来るだけ早くしてくれると助かる……もう、笑い死にというか、瞼が閉じそうなんだ……」
塩太郎は、いよいよ朦朧としてきた。
完全に、三途の川に、片足突っ込んでいるようだ。
「端折って説明すると、貴方は、この世界とは違う世界でやり直せます!」
「すまぬが、この世界で、やり直せなくては、困るんだが……」
塩太郎は、今更ながら素直な気持ちを、紫の悪魔に告げる。
「ええ? 嘘! 人気の異世界転移ですよ!」
「俺は、この世界でやり直したいんだ……」
「お前、アホか! この時代の日本人は、異世界転生のラノベとか見てねーんだよ!」
もう一人の、お付の悪魔?が、アマイモンを突っ込む。
「ええーー! そしたら、どうしましょう!
一応、人として、異世界転移の了承を取っておきたかったんですけど!」
「お前、そもそも人間じゃなくて、悪魔だろうが!」
悪魔同士の掛け合い。
なんか面白いが話が長い……完全に眠くなってきた……
瞼が閉じる……どうやら俺の命は、ここまでのようだ……
「塩太郎さん! 起きて下さいよ~!」
死んだ筈なのに、紫の悪魔の声が聞こえてくる。
「ゲホッ! えっ? 何で……俺、今、死んだような……」
塩太郎は、死んだと思ったのに、イキナリ目を覚ます。
というか、体の傷も、完全に治っている。
「勝手に、生き返させました! もう、貴方の気持ちとか、どうでもいいですから!
兎に角、貴方には、異世界に行って、悪魔をやっつけてもらいます!」
紫の悪魔 アマイモンが、勝手に話を進め出す。
「悪魔って、お前が悪魔じゃないのか?」
「僕は、甘ちゃんの良い悪魔ですよ! やっつけるのは、悪い悪魔です!
もういい加減、ここ暑いので、とっと行きますよ!」
「嫌だ! 折角、生き返ったんだ! 俺は、ここに残りたい!」
「無理ですから!」
プチッ!
何かを、首筋に刺された。
「すみませんね! 塩太郎さんに毒を刺しちゃいました!
目を覚ましたら、異世界ですからね!
アッ、そうだ! 異世界転移モノは、何かギフトを上げるのがお約束でしたね!
しかし、どうでしょう。僕、悪魔ですから、神様みたいに優しくないんですよね!
まあ、1ヶ月分くらいの水と食料ぐらいは、サービスしときますね!」
紫の悪魔は、楽しそうに塩田郎に言う。
「勝手にしやがれ……」
塩太郎は、捨て台詞を吐いて、そしてそのまま意識を失った。
こんな感じで、幕末伝説の人斬り 佐藤 塩太郎の、異世界生活が始まったのだった。