出撃命令 Ⅱ
クアムート城の一室。
もうすぐ新市街地に専用の執務室ができるのだが、それまでの間の執務室となるその部屋で、王都からの緊急連絡をもたらした伝令を丁重な言葉で送り返したグワラニーはニヤリと笑い、その思いを声に出して表現した。
「軍を率いてマンジューク防衛戦に参加しろということだ」
「ガスリンもいよいよ手札がなくなったようだな」
機嫌の良い声で話すグワラニーの言葉にバイアはこう応じる。
「それで、王からの手紙には具体的になんと書かれていたのですか?」
「マンジューク出陣にあたり打ち合わせをするから王都に来いと書いてある」
「なるほど。では……」
「すぐに王都に向かいますか?」
「いや。一日延ばす」
「じらすということですか?」
「言い方がよくない。出陣命令に喜んで飛んできたと思われたくないだけだ」
そう言ってグワラニーがテーブルに放り投げた上質の紙に書かれたそれを拾い上げたバイアは目を通す。
「子飼いではなく、我々を向かわせるからにはそれなりの戦果を期待しているということなのでしょうね」
「そうであれば、期待には応えなければならんな」
数瞬後に再びやってきた、ふたり分の黒い笑い声が部屋に響く。
だが、それはほんのわずかのこと。
グワラニーはすぐに表情を変え、冗談の要素がまったく消えた言葉を口にする。
「問題は……」
「それをおこなううえで要望があるかと聞かれた場合だが……」
「素直に指揮権を要求すべきかどうか」
そう。
ふたりにとっての難問がこれだった。
「こちらから指揮権を要求したら、それなりのものが条件に付加されるでしょうね」
「ちなみにガスリンはどのようなものを要求してくるとバイアは考える?」
「失敗したときの処分は確定でしょう。そこに加わるのは、策をおこなう場合に鉱山が使用停止にならないこと」
「そうだな。そうでなければギリギリまで引き込んだうえで渓谷全体を吹き飛ばせばいいわけだからな」
「そういうことです。まあ、それでは鉱山を守るという本来の目的から離れてしまいますから当然ですが」
「あとは、やはり味方を巻き込む話かな」
「今まで散々殺しておきながらグワラニー様が指揮官になったとたんに、味方を失うのは認めんというのはおかしなものではありますが、罪を問うのに最もふさわしいものとはいえます」
「だが、あまり縛りをつけると成功の可能性が低くなる。案外、何も言わずに指揮権を渡し、すべてが終わってから文句を言うつもりかもしれない」
「まあ、あの策を完璧におこなうためには指揮権は絶対に手に入れなければならない。さらに命令違反を防ぐために懲罰権があればいいが、さすがにそこまで寄こすはずはないな」
そして、ふたりの会話がおこなわれた翌々日、宣言どおり王都への出向いたグワラニーは即王宮へ姿を見せる。
王に会うためにやってきた広間にはすでにやってきたもうひとりの姿があった。
小さな会釈はしたものの、それ以上のものはなく、ふたりは無言のままその部屋にやってくるもうひとりを待つ。
そして、その男もふたりをそれほど待たせることはなく現れる。
そもそも魔族は人間の国に比べて王への謁見や王宮内の作法は圧倒的に緩い。
さらに、現在の王は多くの点で効率を優先するため、このようなところで王の威厳を見せようとはしない。
ガスリンがおこないかけたつまらぬ挨拶を右手で封じると、すぐに本題に入る。
「では、始める。見ての通り、この場には三人しかいない。そのつもりで話をするように」
つまり、本音で話せということである。
もちろん王の言葉の意味を理解したふたりは大きく頷くと、王の口が再び開く。
「グワラニーに命じる」
「マンジューク方面に旗下の部隊を展開させ、渓谷内に蠢くフランベーニュ、アリターナ両軍を駆逐せよ」
型どおりの言葉で応じながら、グワラニーは心の中で呟く。
ここまでは想定どおりであると。
グワラニーから言葉がないことを確認した王はさらに言葉を続ける。
「なお、詳細はガスリンに説明させる。ガスリン。グワラニーに必要事項を説明せよ」
「承知しました。陛下」
グワラニーはガスリンからやってくる言葉を待った。
そして、それほど時を開けることなくそれはやってくるわけだが、それを聞いた瞬間、グワラニーは驚く。
もちろん表面上は、眉を少しだけ動かしただけだったが、その裏側ではそれを隠すことはできない。
……まさか。
……だが、ガスリンはたしかに方面軍の指揮権を与えると言った。
もちろん余計な手間が省ける。
だが、それとともに、罠の存在を疑う。
いや。
確信する。
……まあ、いい。
……とにかく、聞こうではないか。
……続きを。
だが、やってきたのは、グワラニーの予想からは程遠いものだった。
「言っておくが、これだけの厚遇を用意したのだ。失敗は許されない。もし、できないのであれば、この場で……」
「もちろん謹んでお受けいたします。それと、陛下及び総司令官の格別のご高配を賜り感謝いたします」
引き込まれるようにその言葉を口にした瞬間、一方は相手を罠に貶めたと喜び、もう一方も結果だけを噛みしめ、喜んだ。
形だけでいえば、ウインウインとなる。
「グワラニーは可能な限り早く現地に部隊を展開し、人間どもを渓谷から追い出す算段を始めるように」
「なお、グワラニーがマンジューク方面の指揮官に就くにあたり、現指揮官アドリアン・ポリティラは王都に戻り、ガスリンの補佐をおこなうこととする」
「また、ガスリンは今後グワラニーの指揮下となる残留部隊の司令官にグラワニーの指示に従うように指示をおこなうように。もうひとつ。グワラニーには直属部隊に加えて、あたらしく配下となる者たちに対する懲罰権を与える。もちろんこれには将軍たちも含まれる。ガスリンはこの件についても現地の将軍たちに伝えるように」
「は、はい」
……どうやら、懲罰権はガスリンの予定にはなかったことのようだな。
王の言葉の直後、顔色を一気に悪くしたガスリンをチラリと眺めながら、グワラニーは呟いた。
それから、まもなく散会する。
そして……。
同じ日の夜。
王都の遥かに北にあるクアムート城の一室。
先ほど王都から戻ってきたこの周辺を領する若い男はどちらかといえば苦笑いといえる種類の笑みを浮かべていた。
「……指揮権はもちろん懲罰権まで手に入れてきた」
「それはすばらしいです。完璧ではないですか」
自らが口にした戦果報告に対して側近から返ってきたその言葉に頷くと、笑みの種類を変えたその男が言葉を続ける。
「懲罰権は将軍まで裁ける完全なものだ。これは打ち合わせになかったものらしく、王が懲罰権を与えると言ったときのガスリンの表情はなかなかの見ものだった。だが……」
「すべてこちらから要求する前の先渡し。さすがに気前が良すぎると思わないか」
その言葉が言外に何を示しているかをよく知る男は、表情を少しだけ改める。
「たしかに。渋さは並ぶ者なしと思われた王とガスリンがその差し出した相手となると……」
「まあ、そういうことだな。間違いなく」
仕事を完遂させたうえで、何らかの罪を問う。
だが、そのような罠が用意されていることを知りながら、そのふたりは動じない。
いや、
笑っていた。
「まあ、過程はどうであれ、結論はそこにいくものと思っていたのだから、予想の範疇ではあるし、欲しかったものはすべて手に入れたのだから問題は何もない」
「そういうことです。それに……」
「奴らの期待に応えてやる必要はない。まあ、途中までは乗ってやるが」
「そうですね。ですが、こうなると、やはり策が始まる前にガスリンの息がかかった者たちはすべて下がらせたほうがよさそうですね」
「そうだな。まあ、そうなれば妨害が入らなくなるだけではなく手柄も独占できる。だが、用意していた策に少々手を加えないとだめかもしれない」
「そうですね」
「それで、出陣は……」
「できるだけ早くと言われている。まあ、こちらが事前に準備をしていたと思われるわけにはいかないので少し間開ける。そのつもり準備してくれ」
「では。明日、将軍たちを集めて打ち合わせをするように手配します」
「ああ」
「……バイア」
「いよいよだな」
「はい。楽しみです」