黄金の夜明け Ⅵ
魔族軍にとって惨事以外のなにものでもないミュロンバの悪夢の翌日に開かれた王の前で開かれる魔族軍の戦況報告会はいつも以上に重苦しい雰囲気に包まれていた。
そして、その中心にいたのは将軍ブタレ。
前夜の惨憺たる結果を報告する者である。
もちろんグワラニーが先鞭をつけたこの小規模部隊による旧領土急襲作戦ではこの日同じくほぼ全滅したジャジュの部下たちのようにこれまでも壊滅的な近い損害を受けたことはあった。
だが、それはあくまで相手が圧倒的に有利な状況で戦端が開かれた場合に限られ、特別不利な条件とは思えぬ状況下、しかもわずか五人の冒険者チームに対して、相手に傷ひとつ付けられず五十名を超える戦士が一瞬で倒された今回ほどの完璧な敗北は初めてである。
当然ながら急襲を命じたブタレはこの失態を人知れず闇に葬り、王や同僚たちに隠したかったところなのだが、王命がそれを許さなかった。
「同じ過ちを繰り返さないために失敗があった場合でもすべてをあきらかにせよ。もし報告を怠ったり偽りの報告をおこなったことがわかったら誰であろうと厳罰に処す」
王のその命は絶対であり、これまで失敗した者たちと同じように、ブタレはどうにか逃げ帰ることができた魔術師とその護衛の兵たちの言葉をすべて王に報告したわけなのだが、当然その言葉は王だけではなくその場に居合わせた者たちも耳にする。
そう。
つまり、グワラニーが自らの追従者たちが失敗した話を驚くほど詳しく知っていたのには、末席ながら毎回その会議に出席し関係者が口にした公的な報告を聞いたというカラクリがあったのである。
「……それにしても勇者と出くわすとはついていない」
それを聞き終えたグワラニーは皮肉を込めてそう呟いた。
もちろん、ブタレの子分たちを殲滅した者が誰だったのかは、相手が名乗ったわけではなかったのでハッキリと確認できたわけでなかった。
だが、それにもかかわらず、それが勇者とその仲間であるとグワラニーは即座に断定した。
いや、グワラニーだけではなく、その場にいた者全員が即座にそう判断した。
その理由。
それは……。
まず、情報にあったその五人の容姿と使用した武器はこれまで見聞きした勇者たちと同じだったこと。
そして、なによりもその強さ。
防御魔法の恩恵を受けていなかったとはいえ、人間の兵士五人分の戦闘力はあると自称している魔族の戦士たちが手も足も出ずに一方的にやられるなど勇者が相手でなければ起こらない。
それがその場にいる全員の共通認識だった。
だが、その三日後から連続して起こる、似て非なる事件によって、その認識はあっさりと崩れ、魔族軍幹部たちは混乱の坩堝に叩き込まれることになる。
そして、その最初の事件。
それはミュロンバとは魔族領を挟んで反対側に位置するムカンギアという名の町で起きた。
「お、女騎士だと」
ムカンギアからやっとの思いで逃げ帰ってきた部下たちの報告に驚いたのは彼らを送り出した将軍アキリス・マモレーだった。
「間違いなく女だったのか?」
「間違いありません。真っ赤な甲冑を身に着けた聞いたことがない言葉を喋る黒髪を靡かせた胸の大きな女です」
「武器は?」
「刺突剣」
刺突剣。
魔族が戦闘で使用することはほとんどないその細身の剣は人間の世界でも非力な者が使うものとされている。
マモレーは胸の中で湧き上がるある不安を抑え込み、帰還した部下にさらに尋ねる。
「その女は三人の従者を従えていたそうだが、そちらの詳細は?」
「全員たくましい男で、錘を振り回しておりました」
「錘?剣や戦斧ではなく錘だったのか?」
「はい。しかも、とんでもなく大きな」
送り出した数は多くないとはいえ、自身の配下は魔族軍のなかでも精鋭。
それがわずか四人の相手にこうもあっさりとやられるということは、相手は相当の手練れ。
もちろん勇者であるのならこの結果もあり得る。
だが、不合しない部分もある。
マモレーは力がすべてという魔族軍にあって情報を重要視する知将として知られていた。
その彼が知る勇者とは、まさしくミュロンバに現れた大剣を振るう三人の戦士と男女ふたりの魔術師であり、刺突剣、いわゆるレイピアを持った女騎士に率いられた四人組などではない。
しかも、男たちが使っていた武器は力があれば技術はそれほど必要のないこの世界では下賤な武器とされる錘だという。
そして、決定的なのは女の髪色。
例の女はその髪色から「銀色の髪の魔女」とふたつ名が与えられていたのだから黒髪だというその女騎士とは別人。
自らの知識を総動員して思考したマモレーはある結論に達する。
これは勇者ではなく、あらたな勇者候補の出現。
むろん、マモレーから彼の見解とともにもたらされたその情報は魔族軍幹部が驚愕するに十分なものであったが、この時点では口には出さなかったものの、彼らの多くはマモレーの報告は間違いであり、あくまで襲撃部隊を殲滅したのは勇者であると考えていた。
だが、彼らにとってよからぬニュースはさらに続く。
エザルアアで魔族軍を壊滅させたのはふたりの男性魔術師。
ウパリではアリターナ王国の甲冑を身に着けたふたりの騎士が魔王軍を打ち破る報告が連続してもたらされる。
そのどれも彼らの知る勇者とは一線を画していた。
将軍たちの胸に不安が募っていく。
そして、翌々日に将軍ジルベルト・ヴィエローゾが王に奇抜、いや、見ている自分たちが恥ずかしくなるくらいのキテレツな格好をした三人の槍遣いというあらたな勇者候補の活躍を報告した。
もうこうなると止まらない。
各地に勇者に匹敵する実力者が配置され我々がやってくるのを待ち構えている。
将の動揺は兵にも伝わり、さらに一般住民へと情報が広がる。
そして、その過程でさまざまなものが付加されていくのは魔族の世界も人間の世界と変わらない。
「……新旧勇者を先頭に王都イペトスートを目指して一斉攻撃を仕掛けることが決定された」
「……いや。もうすでに配置は完了し進撃は始まっている」
「……女子供にいたるまで全員徹底的に辱められたあとに切り刻まれることが諸王会議で決まったそうだ」
「……違う。決まったのは辱められた後にゆっくりと火あぶりにされる拷問刑ということだ」
「……いやいや、私が手に入れた情報では……」
その一方で上から下まで右往左往するその様子を冷ややかに眺める者もいる。
その様子を盛大に嘲笑した男は魔族の王都から少しだけ離れた場所に建つ自らの屋敷に帰ると、側近の男に今日手に入れたあらたな情報を伝える。
このように。
「……サマカイにも現れたそうだ。勇者候補とやらが」
そして、それを聞いた相手の言葉はこうである。
「なるほど」
いつもどおり、その言葉とともに主と同じ種類の笑みを浮かべたその男だったが、その日の男の言葉はそこで終わらなかった。
「それにしてもこのような事態になるとは驚きですね」
「……ん?」
やってきたその言葉はグワラニーにとって少々予想外かつ理解に苦しむ言葉だった。
顔を顰めたグワラニーが問う。
「もしかして、それは勇者候補とやらが突然涌きだしたことを言っているのか?」
男はグワラニーの言葉にまさかと言わんばかりに首を横に振ると、言葉を続ける。
「もし、我々の戦士を少数で一方的に打ち倒す輩が情報どおり多数現れたのなら、我々の命運はすでに尽きたと言っていいでしょう。グワラニー様は今すぐすべての官職を辞し、ワイバーンに金を払い海賊の一員にしてもらうよう頼むべきです。もちろんそのときは私も屋敷を売り払い家族共々お供します」
「だが、逃げ出す様子はないどころか、屋敷の増築を始めたということはそのようなこと欠片も思っていないわけか。では、何が驚きになのだ?」
「もちろん勇者が物好きだということです」
「そういうことか」
グワラニーは目の前の男の言葉が伝える言外の意味を瞬時に理解し、鼻で笑う。
「つまり、勇者が突如つまらん小細工を弄すようになったことを言っているのか」
「つまらないというよりも、非常に有効的にと言ったほうがよろしいでしょう」
自らの言葉を訂正する言葉を男が口にすると、グワラニーは笑いながら大きく頷く。
「たしかに将軍どもの慌てぶりを見れば有効といるな。だが、所詮小細工は小細工。それなりの者なら見破るのにそう時間はかかるまい。勇者が恥ずかしい道化を演じ自らの戦士としての名声を捨ててまでそれをおこなう理由とは何だと思う?」
自らが考えていることと同じものが返答されるとわかっていながら問うたグラワニーの言葉。
そして、バイアの口からは予想通りの言葉が吐き出される。
「我々の旧領土襲撃に対する各国の守備兵の配備がすぐにはできない。それまでの時間稼ぎ」
「……自称か他称かは知りませんが、とりあえず非公式な肩書とはいえ勇者などと名乗っている彼らには民を助ける義務がある。ですが、冒険者である以上軍に関わるわけにはいかない。その折半での援助だったのかもしれません」
グワラニーはもう一度頷く。
「この際だ。参考のために一度勇者の戦い方を見ておくことにしようか。もちろん全員が揃った本物の勇者のものを。そうなるとどこがいいと思う?」
「ミュロンバ近郊の町に出るのは正式な勇者ばかりです。勇者を見るのでしたら……」
「わかった。周辺を襲撃する者がいたら、遠くからこっそり見物させてもらおうか」