新王都
最後の最後で逆転負けを喫し、理不尽きわまる都落ちを余儀なくされたはずのグワラニー。
だが、バイアとともにクアムート城東側の新市街に姿を現したグワラニーはそこで勝利者の笑みを浮かべていた。
なぜか?
いうまでもない。
これこそが彼の望んでいたことだから。
さらに言えば、コンシリアの理不尽かつ権限の逸脱ともいえる暴言を逆手に取ったグワラニーを宥めるため、王はクアムート周辺をグワラニーの領地とする妥協案を示した。
つまり、グワラニーは魔族の世界で初めて領地を持った者となった。
しかも、そこが自身が望む場所であったのだから、笑みも零れるというものである。
「王に疑われることなく消えゆくことになるイペトスートから、国土で最も安全な地となったこのクアムートに脱出するにはどうしたらよいかと思案していたのだが、こういう形でそれが実現するとは思わなかった」
「しかも、我々配下はもちろん、その家族まで含んでくれるとは。ありがたいことです。ですが……」
男はそこで言葉を切ると、もう一度目の前に広がる様子を眺める。
「話が決まった直後に工事が始まり、あっという間に道路が完成し区割りまで終わってはグワラニー様が以前から設計図を描いていたことが露見するのではないでしょうか?」
バイアはあえて省略した警戒すべきその相手。
もちろんそれはこの国の玉座に座る者である。
グワラニーもそれは承知している。
「それについては心配いらない。言い逃れなどいくらでもできる。それに……」
そう言って、右手に持っている工事の設計図となっているこの世界のものとは思えぬ精密な地図が書かれた紙切れをひらひらと見せびらかす。
「計画し線を引くことの大変さなど、この様子を見ればあっという間に吹き飛んでしまう。自分が当事者でなければ私だってそうなる。つまり、王も同じ」
「この派手な作業は真実を隠すには最高のものということですか。ところで……」
「最初に計画図を見てからずっと気になっていたことがあるのですが、尋ねてもよろしいですか?」
「もちろん」
側近の言葉にグワラニーは愛想よくそう答える。
だが、男がこれから何について尋ねるのかは想像がつく。
そして、グワラニーの想像した問いはすぐにやってくる。
「クアムートはもちろん王都でもこれほどの幅を持つ道はありません。言いにくいことではありますが、本当にこれだけの道が必要なのですか?」
実を言えば、グワラニー自身そう思わなくはなかった。
「さすがに裏道でさえ最低六ジェレト、主要道路にいたっては片道三車線プラス両側に三ジェレトの歩道までつくれる道幅がすぐに必要になるかといえば肯定する材料はない」
「ただし、将来は必要になるかもしれない。だが、そのときに広げようと思ってもできないのだ」
それは用地買収と反対運動が足かせになって遅々として進まぬままお蔵入りになって人知れず闇に消えた多くの国家プロジェクトの資料を目にした者の思わず口にしてしまった言葉だった。
……よく考えれば地域の顔役も金の匂いがする場所には必ず現れるハゲタカ政治家もいないうえに王の名を出せばすべてがまかり通るこの世界ならあのようなつまらぬトラブルなど起きるはずがない。
……だが、それをおこなうということは、その地に住む者たちに多大な負担をかけるのはまちがいない。となれば、最初の段階で将来を見越し準備をすべき。
心の中で自問自答の見本を演じたグワラニーが薄い笑みを浮かべる。
「それにしても……」
「本当に楽しいものだな。誰の掣肘も受けずに自分の好きなように何もないところから都市……大きな町の建設を始められるというのは」
「それはよろしゅうございました」
楽しそうにその言葉を口にしたグワラニーにそう言葉を返したバイアは少しだけ表情を厳しくする。
「とりあえず、こちらの作業について軍官たちに任せるとして……」
「グワラニー様自身は次に何をおこなうつもりなのですか?」
予想外に手に入った領地経営に現を抜かさず、次の一歩を踏み出せ。
バイアは言外にそう言っていた。
むろん、グワラニーもそれは承知している。
バイアと同じ表情をつくり直したグワラニーが口を開く。
「決まっている。マンジューク戦の準備。それを加速させることだ」
「まずは弓矢の調達」
「弓矢?それで、その数は?」
「一万人分。もちろんこれは最低でもそれだけは必要ということで、できればこの倍は欲しい」
「……つまり、二万ですか……」
その言葉を、いや、グワラニーがその言葉のなかで示した数を聞いた男はまず驚き、それからそれがどれほど困難なものなのかを表現しているかのように表情に歪みが加わる。
「……大惨敗を喫したルエナの戦い以降、我が国では狩猟以外に弓矢を使っていないのはご承知のとおり。短期間にそれだけの数の弓矢を揃えるのはさすがに至難の業と思われますが」
「まあ、そうだろうな」
腹心の口から即座に否定的な言葉がやってくることはグワラニーも予想していた。
そして、もちろんそれが事実であることも。
だが、それとともにグワラニーにはそれが揃えられる場所にも心当たりがあった。
ニヤリと笑ったグワラニーが口を開く。
「もちろん国内の武器庫にそのような数の弓矢がないことは私も知っている。だが、最近我が国の友人となった人間の国は高品質の弓矢の生産地として有名で、武人の嗜みとして弓矢が奨励されていたはずだが」
「まさか……」
「そのまさかだよ。奴らは喉から手出るほど金が欲しいのだ。いくらでも買うと言えば、喜んで提供するだろう」
もちろんその友人はノルディアのことであり、困窮状態にあるかの国ならそう動くことは十分にありえることである。
だが、彼らにはそれを否定するだけの大きな理由もある。
その直後、バイアが指摘したのはその理由だった。
「国中の金貨を我々に差し出した彼ら相手であれば、購入資金を心配することはないのはわかります。ですが、対外的には敵である我々に武器を流していることがわかればブリターニャがそれを口実に裏切り者への制裁と称して侵攻を開始するのではないでしょうか」
「的確な読みだ」
グワラニーは側近の言葉に頷く。
「……だが、おそらくそうはならないと思う」
「まず、かの国を除けばどこも弓矢を有効な武器と認識していない。だから、ブリターニャに気づかれても、巻き上げられた金を取り返すために役に立たない二束三文の品を高く売りつけたと言い逃れができる」
「ブリターニャがその程度の言い訳で納得しないように思えますが」
「万が一、ブリターニャがそれを口実にノルディアを攻め始めれば、我々がノルディアに加勢してやればよいだろう」
「加勢?」
「もちろん加勢と言ってもノルディア国内に侵入してきたブリターニャの大軍にデルフィン嬢の一撃をくれてやるだけだ。だが、そうであっても、それによって形勢は逆転するうえ、ノルディア王に我々の力も見せつけることもできる。そして、なによりも我々が助けに入ったことで旗色が鮮明になった彼らは王政を維持するためにブリターニャと必死で戦わなければならなくなる」
「まあ、ノルディアがブリターニャ相手にどれだけできるかはわからないが少なくてもブリターニャの予備軍を引き付ける役割くらいは果たしてくれることだろう。そう考えると、そうなることもあながち悪くはないな」
グワラニーの言葉が終わるとバイアは苦みのある笑みを浮かべる。
むろんその言葉はすでに理解している。
そうであっても、この世のすべてを陰謀の道具にしかねない目の前の男にはため息を禁じ得ない。
「……これだけ次から次へと悪事を思いつく」
「グワラニー様は勇者よりも希代の謀略家のほうが似合っていそうですね」
今更ながらに枯れることがない泉のように次々と策略を披露する主の言葉に感嘆したバイアは続けて自らが持つもうひとつの疑念を言葉にする。
「……ですが、二万人分という数はさすがに多すぎると思われます。なんといっても、それは我々の部隊の十倍近い数なのですから」
「そうかな」
男の言葉にグワラニーはそう言って首を傾げる。
「マンジュークで戦う相手の数は?」
「二か国あわせて最低でも十五万」
「そう。我々の部隊だけでそのすべてを受け持つのは難しい。当然現地にいる他の部隊にも手伝わせる必要が出てくるのだが、命令しても奴らが弓を用意するとは思えない。そうなれば手伝わせる側がそれを用意せざるを得ない」
「はあ……」
だが、曖昧な返事をする腹心の男の顔には困惑の表情が残ったままだ。
もちろんグワラニーはその根底にある理由を察していた。
……では、そちらについても少しだけヒントを。
心の中でそう呟いたグワラニーが口を開く。
「この世界の戦史にも記録される有名なルエナの戦い。ブリターニャは我が軍の弓矢を防具の代わりに何で防いだ?」
「それはもちろん風と炎を使った防御魔法です。それは瞬く間に各国に伝わりどこの国でもその戦術を取りいれたため、強弓を揃えて数の不利を帳消しにしてきた我が軍は勇者登場前最大の打撃を受けたとされています」
「そうだ。だが、肝心の魔法による防御がなくなったときはどうなる?それも突如」
バイアは自分たちがクアムートでどのような戦いをしたのかを思いだし、バイアはグワラニーの言わんとするところをすべて理解した。
「わかりました。では、早急に調達交渉に入ります」
「それから、その国から我が軍に加わった弓の名手の話では、かの国には我が国にはこれまで存在したことがない複数の矢を放つものや大きな矢を放つものなど特別な弓も存在するという。せっかくだ。それもあわせて手に入れてくれ」
「はい」
「もうひとつ。今回も鉱山労働者に助力を求める。実を言えば、今回の肝は弓矢よりも彼らがおこなう工事にある」
「……弓矢以上?それはどのようなものでしょうか?」
「まあ、それはいずれ話す。とにかく前回以上の人員が必要となるのでその手配もやってくれ」
「では、そちらの手配はビルキタスたちに任せることにしましょう。ところで……」
「……ここが完成したらクアムートとその周辺を合わせれば五万人以上の住人が住むことになります。もちろんイペトスートには遠く及びませんが、それでも十分に大きな町といえます。せっかくこれだけ手をかけたのですから、いっそのことこのクアムートを新王都に定めてはいかがですか?」
きな臭い話が終わったところで、ちょうど今回の視察の目的の場所でもある大通りに面して並んで建つ予定の自らと主の屋敷の予定地までやってくると、バイアはそれまでとまったく違うことを口にした。
「……新王都。それはバイアも気が早いことだ」
グワラニーは短い言葉でそれに応えた。
だが、いうまでなく王都をどこにするかを決めることができるのは王だけである。
だから、側近の男の言葉はもちろん、それを明確に否定しないグワラニー自身の言動も越権行為として咎められる類のものである。
誰もいないことをもう一度確認したグワラニーは、その言葉に続いてバイアの問いの答えとなるものを口にする。
「ここは北に寄り過ぎている」
「なるほど」
バイアが少しだけ笑みを含む。
「王となられる方本人がそう言うのなら仕方がありませんね。ということは、ここはあくまで仮王都であると?」
仮王都。
実に不思議な響きだとグワラニーは思った。
薄い笑みを浮かべたグワラニーがもう一度口を開く。
「すべてにケリがつき、そこに住む者たちとともに消え去ったイペトスートを新しく再建するまではここに住むことになるのだから、まあそうなるだろうな。だが、その前にやるべきことは山ほどある。一刻も早くここをそう呼べることができるよう今は精一杯の努力をしようではないか」
まだ基礎しか出来上がっていないその町の完成時の姿を想像しながら楽しそうに語るふたりの会話。
何気ないものにないように思えるそれだが、実はそこにはふたつの重要な要素が含まれていた。
もちろんひとつは男のひとりが王位に就くということ。
そして、もうひとつはその前に起こる現在の王都イペトスートの陥落と崩壊である。
そう。
簡単には口にできる類のものではなかったはずなのだが、男たちは王都陥落を既定の事実のように想定しているだけではなく、むしろそれを望んでいたのである。
「……それをおこなうのはやはり勇者ですか?」
「そうなるだろうな」
そう言い終えたグワラニーはバイアの表情に曇りがあることに気づく。
「なにか心配ごとがあるのか?」
そう言ったものの、側近の男の懸念が何かということをグワラニーは知っている。
彼我の戦力や状況を熟知していれば、そこに辿り着くのは必然なのだから。
だが、敢えてそれを問うグワラニーの言葉に促されるように男はそれを口にする。
「その勇者と我々はどこかでぶつかることになりませんか?」
もちろんそこには、彼らが王都にやってくる前に、という前置きの言葉がつく。
「……当然それはある」
グワラニーの心の声のとおり、それはあり得ることだ。
いや。
グワラニー率いる軍はまちがいなく魔族軍の切り札としてこれからさらに激戦地に赴くことになるのだから、むしろそれは避けられないことだと言ったほうがいいだろう。
そのことを噛みしめるように小さく頷いたグワラニーの口が開く。
「もちろん常に彼らの動静には気をつけておけば遭遇戦は避けられる。だが、王命であればやるしかない」
「それで、その場合の対処方法は?」
「私はガスリンやコンシリアのように他人のために勝ち目のない戦いで命を捨てるなどという酔狂に身を任せる気など毛頭ない。戦ったという証拠を示すくらいに軽くて手合わせをしたらひどい損害が出ないうちにさっさと逃げる。もっとも、相手が簡単に逃がしてくれるかどうかはわからないが」
勇者一行の一員である人間界最高の魔術師がそれを聞いたら「同感です」と口にしそうなその言葉を生真面目なその男は心の中でじっくり咀嚼する。
そして、主の意図を自分なりに完結させた側近の次の問いは、自分たちの未来にとって最も重要な人物がどう動くかということだった。
「それからもうひとつ。王都での最後の決戦に際して王がグワラニー様と同じような決断をすることはありませんか?」
つまり、王が王都を捨て、もっとも安全な場所、おそらく自国最強の軍の本拠地であるここクアムートに避難するのではないか。
それは十分ありえる話であり、冒険譚の類の多くにはこのような話が登場する。
だが……。
「それまでに自分と王都を守るために多くの臣下が死んでいる。それなのに最後の最後に自分だけが命惜しさに王都を捨てて逃げるわけにはいかないだろう。もちろん臣下のなかにはそう進言するものも出るだろうが、王の矜持がそれを許さない。断言する。王は王都とともに最期の時を迎える」
確かめるように尋ねようとしたバイアの言葉を右手で制したグワラニーはニヤリと笑う。
「今の言葉はあくまで現在の王の心情と心構えを代弁したものであり、現王の口癖風にいえば、『名誉ある死よりぶざまな生』を自身の道しるべとしている私はたとえ王になっても自分の生き方の指針を変えるつもりはない」
「もちろん負けぬため最大限の努力をすることは必要だ。だが、相手も必死なのだから百戦百勝などありえない。戦っていれば負けるときもある。そして、勝てないとわかれば、次の戦いのために傷が深くならないうちにさっさと逃げるべきだし、そもそも勝てない相手とは戦うべきではないのだ」
「だが、そんなときに足を引っ張るものがある。名声と神話だ。常勝、無敗、無敵。私に言わせればそれらはすべて敗者を戦場に縛りつける枷でしかない。そして、言うまでもないことだが、王の誇りや矜持もそのくだらない枷に含まれるものである」
バイアはその言葉に無言で応え、それから自分が仕える男の顔を眺める。
「では、逆にその戦いの中で勇者を討てる機会がやってきた場合はどうしますか?」
グワラニーが口を開くと、そこから流れ出てきたのは躊躇いなど微塵も感じさせない言葉だった。
「奴らは我が国に仇なす敵。そのような場面に出来わせば躊躇なく討つ。と言いたいところだが、彼らには我々の目的のために果たしてもらわなければならないことがある。もっとも重要な仕事をしてもらうためだ。当然助けてやる」
そう言い切ったところで、グワラニーは短い間を取り、それから自らに向けた薄い笑みとともにその言葉を口にした。
「もっとも、勇者を助けるべきか?それとも倒すべきなのか?などと悩む夢のような機会が我々のもとにやってくるとは思えぬが」