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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第四章 祭りの残り香
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新将軍誕生

 ノルディアが支払いを完了する前日。

 つまり、八回に分けられておこなわれた人質返還作業の最終日。

 最後の捕虜となる王族の三人の代わりとして、妻と三人の子供、それから妻の両親とともにクアムートにやってきたノルディアの元将軍アーネスト・タルファは緊張の極致にあった。


 ……今すぐはともかく、明日か明後日には大勢の魔族の前で首を撥ねられる。

 ……何もわからずこうして楽しそうにしている何の罪もないこの子も道連れに。


 笑顔を振りまきながら自分にまとわりつく二歳の長男クリスティアンの頭を撫でながらタルファは心の中で呟く。


 ……それにしても。


 タルファは自分の隣を十五歳の長女アネッテと十歳のベネタというふたりの娘の手をつなぎ優雅に歩く妻アリシアに目をやる。


 ……それがわかっていながらどうして自分の両親まで刑場となるこの場所に同行させたのか。

 ……本当の理由はやはりわからない。だが、いずれにしても、原因はすべて私。


 ……申しわけない。


「あなた」


 暗い気持ちが心のすべてを埋め尽くし俯く男の耳に届いたのはその妻アリシアの声だった。


「城の方々が私たちを出迎えています」

「……ああ」


 気持ちの籠らない返事をしながらタルファは城門に並ぶ魔族たちをぼんやりと眺める。


 ……こいつらに殺されるのか。

 ……この手に剣があれば一太刀浴びせてやるものを。

 ……それにしても、これだけの者が出迎えるとは。

 ……しかも正装までして。

 ……ご苦労なことだ。


 様々な感情が入り混じった脈絡のない言葉を心の中で吐き散らかして、タルファは自らの置かれた立場に対して盛大な憂さ晴らしをおこなう。

 だが、改めて魔族の列を眺め直したタルファはあることに気づく。


 出迎えの列に並んでいるのは軍装から魔族の将軍や騎士たちで間違いない。

 だが、その中心にいるのは着替えはしているものの先ほどまで捕虜返還作業に立ち会っていた若い交渉人。


 先ほどまで小間使いのような仕事をしていたその男がこの中の最上位の地位にある者に見える。

 だが、あの年齢。

 そして、なによりも奴は魔族のなかでは劣等種とされる人間の血が入った者。


「……いったいどういうことだ?」


 そうは言うものの、もちろん考えられる可能性はひとつしかない。

 混乱するタルファの表情に気づき、しばらくの間それを楽しむように眺めていたその若者の口が開く。


「お待ちしていました。タルファ将軍」


「改めて自己紹介をします。私の名はアルディーシャ・グワラニー。今回捕らえた捕虜に関わることのすべてを決めることができる者であり、先日おこなわれたクアムートでの戦いで援軍としてやってきた部隊の指揮官でもあります」


 グワラニーの言葉に豪胆なタルファも言葉を失う。


「……偽名を使っていることくらいは想像できたが、あの部隊の最高指揮官だと……」


 兵たちはもちろん将軍たちも男に対して最大限の敬意を払っていることからその言葉は間違っていない。

 そもそもこの場に及んで自らの地位を偽る理由がない。


 つまり、事実。

 では、その最高司令官自ら単騎で敵の都に乗り込んできたというのか?

 わざわざ首を撥ねる男の顔を眺めるためだけに。


「最初にあなたの疑問を解いておきましょう」


 いよいよ収拾がつかなくなっているタルファの心の内を読み取った若者の口はそう言った。


「タルファ将軍の疑問のとおり、そもそも首を撥ねるだけの人物の本人確認をするために危険を冒してまで敵の王都まで出向く必要などない。本物のタルファ将軍かどうかなど捕虜に確認すれば済むことなのだから。つまり、私にはそれとは別に出向く別の理由があった」

「……」

「私がロフォーテンまで出向いた理由。それはあなたが我々の考えているような人物なのかを事前に確認するためです。つまり……」


「我々は最初からあなたの首を所望していたわけではなかったということです」


「……何を言う」


 どす黒い笑みを浮かべたノルディア王国の元将軍の口からその表情に相応しい言葉が漏れる。


「笑わせるな。ホルムの話によればおまえたちは陛下に対して私を引き渡せば受け取る身代金を要求の一割に減額すると持ち掛けたというではないか。私たちの首を城門に晒し籠城中に苦労した者たちの鬱憤を晴らす以外におまえたちが私と私の家族をそれだけの大金をかけるどのような理由があると言うのだ?」


「つまり、タルファ将軍は私たちの考えがわからないということですか?」

「当然だ。私は人間だ。貴様ら魔族の考えていることなどわかるわけがないだろう」


 自らの問いに答えるタルファの言葉にその若い魔族は笑みを浮かべる。


「まあ、どうやらそのようですね。ですが、あなたの傍にいる方はとうの昔に私の意図を見抜いていたようですよ」


「な、なんだと」


 自らが口にした予想もしなかった言葉にうろたえるタルファからグワラニーと名乗った若い魔族が視線を移した先にはもちろん彼の妻がいる。


「おそらく奥様は我々があなたの屋敷にやってきた段階ですでにそれを察知していた」


 視線で尋ねるタルファに妻は小さく頷き、それに応える。


「では、なぜそれを言わなかったのだ?」


 タルファの問いにアリシアは微笑むだけでそれに答えず、その代わりに答えを口にしたのは魔族の男だった。


「それは将軍がそれを知ってしまえば、必ず顔や言葉に現れる。そうなれば、同行していたホルム氏に気づかれるからです。あの方は見かけ以上に気が利きますからね。奥様はそれを避けるためあえて将軍に伝えなかった。違いますか?」


「……そのとおりです。さすがです。グワラニー様」


 アリシアの一礼を快く受け取ったグワラニーが再び口を開く。


「とにかく、とりあえずは中に入りましょう。続きはその後で」


 それから少しだけ時間が進んだクアムート城内の大広間。


「大変ありがたい申し入れではあるがお断りする」


 タルファにとってはまったくの予想外だった盛大な歓迎式典の場でグワラニーは元ノルディア軍将軍にある提案をしていた。


 自らの配下になること。


 それがグワラニーの提案であり、そして、その言葉がタルファの答えとなる。


「理由をお伺いしましょうか?」


 グワラニーの問いにタルファが答える。


「聞くまでもない。我々は今でも敵同士だ。しかも、私は将軍という立場を陛下から与えられた者」

「……今は将軍ではなく、元将軍でしょう」


「……自らは将軍と呼びながら、堂々とその事実を口にする。言ってくれるな。魔族」


 タルファは目の前の男を罵る言葉を吐く。


「……それに……」


「私が多くの捕虜の代わりとしてここに来る条件に将軍の地位の復活と国葬、当然そこに理不尽に押しつけられた不名誉を晴らすことが陛下から約束されている」

「なるほど。それはすばらしいことです。ですが……」


「偽りの約束でしょうね。それは」


 グワラニーはあっさりと、だが、ハッキリとそう断言すると相手の顔に視線を向け、不満の塊と言わんばかりのその表情に薄い笑みで応じる。

 

「国王を侮辱するなと言いたそうですがその程度の男ですよ。ノルディア国王は。そうでなければ、多数の兵を母国に連れ帰り英雄と称えられるべきあなたをあれほど貶めることはない。違いますか?」


 短い言葉で核心を突きタルファを黙らせたグワラニーは少しだけ時間をおき、再び口を開く。


「では、こうしましょう。ノルディア国王の言葉が正しく、あなたの地位が復活されていれば、私は先ほどの提案を取り消しましょう。ですが、さすがにあなたのような優秀な将軍に大軍を率いられては不都合だ。帰国させるわけにはいかないので、今後あなたがたは私の賓客としてこの国で暮らしていただく。もちろん賓客と言ったからにはそれ相応の待遇を保証します。少なくてもパンひとつ購入するのに金貨を要求されるようなことはありません」


「賓客とは笑わせる。魔族の国ではどうか知らんが、文明国ノルディアでは軟禁する者を賓客とは呼ばない。だが……」


「とりあえず私はおまえたち魔族に大金で買われた身。すべてを承諾した。それで、万が一、そうでなかった場合は?」

「当然あなたには私の提案を受け入れていただく」

「つまり、配下になれと?」


 タルファの言葉にグワラニーは頷く。


「配下と言ってももちろん一兵卒として戦場で働けということではありません。残念ながら私には軍の地位を与える権限がないので非公式なものとなりますが、将軍格ということで私の部隊に入ってもらいます。私も、そしてここにいる将軍たちもクアムートからの撤退するときのノルディア軍には舌を巻き、それを指揮したあなたの力量を高く評価しています。あなたにはその才を我が軍で振るってもらいたいと思っています」


 グワラニーの言葉に同席しているふたりの将軍は同意するように頷く。

 だが、タルファ本人といえば、再び黒い笑みでそれに応じる。


「……将軍格?つまり、魔族兵を指揮するということか。この私が?」


「ありえん」


 実を言えば、タルファのこの言葉は正しい。


 この世界のどの歴史書を紐解いても裏切り者でもないかぎり、先日まで戦っていた敵を率いて味方だった軍と対峙した者などない。

 いや。

 裏切り者というその僅かな例外だってあくまで人間の世界での話であり、人間が魔族軍を率いるということになれば、この世界の歴史をどこまで遡ってもそのような事例は存在していない。


「そもそもつい先日まで敵だった者の指揮を受ける者などいるわけがない。まして、私はおまえたちが軽蔑している人間だぞ」


 その声に籠る感情が表情に滲み出ている男の顔を眺めながらグワラニーがもう一度口を開く。


「ありえないことだと言いたいようですね。たしかにあなたの戦歴を知れば兵のなかにはわだかまりを持つ者はいるでしょう。ですが、それはあなたが自らの実力を示し納得させればいいことです。我が国、特に軍においては実力と結果がすべてであり、コネや家柄はまったく価値を持ちません。そして、その証拠が私と私の部隊です。私はご覧のとおり我が国における最下層に位置する人間種の若造。だが、こうやって純魔族の将軍や騎士たちを差配している。さらにいえば、我が部隊の次席指揮官も人間種であり、それについて不平を言う者はいません。なぜか?それはすべて実力を示したからです」


「つまり、相応の実力があれば人間が魔族を指揮して戦うことも可能ということなのか」


「……よろしい。窮状を救ってもらった恩もある。そちらについても承知した」


「それで、いつ行く?」


 それから数日経ったノルディア王国の都ロフォーテンの夜。


 実はこの地には存在してはいけない者たちなのだが、それなりの身なりをしているため、そうだとは誰にも気づかれないふたりの男と少女という妙な組み合わせの三人組が町中を歩く。


 彼らの目的。

 それはある男の話を聞き出すこと。


 だが、返ってくるのは国民思いの国王が大金を払って捕虜になった兵士たちを連れ戻した話ばかりで、元将軍タルファが家族とともに身代わりとして魔族の国に向かったことなど誰の口の端に乗ることはない。

 まして、名誉が回復され国葬にされることなどその欠片ほども彼らの言葉には存在しなかった。

 たまらず年長の男は、実は自分であるその男について質すと、告げられたのはさらに悪い話だった。


「……その卑しい人柄にふさわしく一家でこそこそと夜逃げした」


 叫びたい感情をどうにか抑え込んだ男が小さく呟く。


「……そうなったか」


「やはり」


 そう。

 実を言えば男も薄々はわかっていた。


 こうなることを。


「納得していただけましたか?タルファ将軍」

「ああ」


「……それまですべてを捧げた国に見捨てられた私を、先日まで命のやり取りをしていた魔族が厚遇で迎えると手を差し伸べる。まったく理解できない事態だ。……だが……」


 その翌々日正式発表される。

 その男タルファがグワラニーの部隊に将軍格として加わることを。


「仕えると約束したからには私が持っているものすべてをグワラニー様に捧げることをお誓いしたします」


 男はそう宣言する。

 そして、ここからこの男の新しい人生が始まる。


 それから、もうひとつ。


 実は、タルファが将軍格待遇でグワラニーの部隊に加わった同じ日、彼とは別にもうひとりグワラニーの部隊に幕僚として加わった者がいた。

 そして、これからしばらく経ってから起こったある戦いの後、公式にそれが発表されたとき、周囲に広がる驚きの輪はノルディア軍の元将軍が魔族の部隊を率いるという以上の大きなものとなる。


 その人物。


 いうまでもない。

 のちに「この世界の歴史上魔族に最も尊敬された人間」と、どの歴史書でも紹介され、その死に際し多くの魔族が涙し、すでに非公式ながら彼女に対して使用されていた「国母」という称号を正式に与えられることになるあの女性である。


「……そうはおっしゃいますが、私は戦場に出たこともがないどころか、武器を取って戦ったことはございません」


 当然ながら、その女性アリシア・タルファはグワラニーの要請を断るものの、グワラニーも簡単には引き下がらない。


「もちろんそれは承知しています。ですが、それをおこなうのはあなたの夫であるタルファ将軍をはじめとした者たちの役目。私があなたにお願いしたいのは目の前にいる敵が何を考えているのか。それを教えてくださるということです」


「ですが、私の判断が誤りだった場合、多くの味方を死に追いやることになります」

「その責任を取るのは私であって、あなたではない」


 その言葉にアリシアは折れる。


「……そこまでおっしゃるのであれば拒む理由はございません。承知しました。では、非才の身ながらグワラニー様のお役に立てるよう最大限の努力させていただきます」


「よろしくお願いします。アリシアさん」


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