祭りの残り香 Ⅱ
そして、現在。
「実際のところ、客人たちには一刻も早くお帰りいただきたいというのが偽らざる心境だ。彼らが逗留を始めてからこれまでグワラニー殿の指示どおり好きなだけ飲み食いさせているわけだが、とにかくその費用が馬鹿にならない」
「その中でも三人の王族を含む賓客たちは酷い。ノルディア産の食材だっておこがましいというのに、フランベーニュ産の最高級葡萄酒だの、アリターナで流行している聞いたことがない名の菓子だのを躊躇いなく要求してくる。彼らは自分たちが捕虜ではなく、客としてここにいると本気で思っているのではないのかと疑いたくなる」
グワラニーの横を歩くクアムート城主プライーヤが口にしたその言葉は聞きようによっては冗談に思えるが、実際に起こっていることである。
捕虜に対する待遇の良さも降伏する者を増やし、また融和策としても有効であることはグワラニーの説明でプライーヤも十分に理解していた。
だが、城内に入れているわけではなかったものの、城を預かる者としては自らの配下にある兵とほぼ同じ数の捕虜を長期間抱えていることは好ましいことではない。
しかも、あの待遇だ。
当然経費も莫大となる。
その不安と不満は、その手の計算は武辺者のプライーヤの数万倍得意なグワラニーもそれは痛いほどわかる。
……さすがに五千という捕虜の数は我々が抱えるには多すぎる。プライーヤ将軍が心配するのも理解できる。
……そうかと言って、食費がかさむという理由で間引くわけにはいかない。
……まあ、あれだけ吹っ掛けたのだ。
……どのくらい値引かれてもこちらの損ということはないだろう。
……武辺の者たちの不満が爆発しないうちに早いとこ手打ちにすべきだな。これは。
心の中でそう呟いたグワラニーは城主の男から手渡された、「紙」といえば羊皮紙を指すこの世界には存在しないはずの、元の世界で慣れ親しんだサイズの真っ白い紙でつくられたリストに書かれた捕虜の詳細と自らが示したその身代金額を眺め直す。
その一枚目には三人の名しかない。
王弟エーシェン・エルベルム公爵と、ふたりの王子エーナルとフィーゲン。
その身代金はノルディア金貨三兆枚。
これは南の商人国家の交換レートではこの世界でもっとも純度の高い魔族金貨三千億枚に相当する。
そして、金の含有量から算出したグワラニーだけが使用する別の世界の通貨に直せば三京円。
もちろん大国ノルディアであっても払える金額ではない。
いや。
国中どころか世界中のノルディア金貨を掻き集めてもその枚数には遠く及ばない。
そうなれば、自国通貨と等価とされるブリターニャ金貨ややや価値の低いフランベーニュ金貨やアリターナ金貨も加えればいいわけなのだが、そのためには自国の最高の輸出品である高品質の貴石を大量に放出せねばならないうえに、そんなことをすれば足元を見られ買い叩かれるのが見えている。
そもそも、要求通りに金貨を支払えばこの世界の金貨の多くが魔族領に流れ込むことになる。
ノルディア金貨三兆枚とはそのような数字である。
続く一枚に載るのは二十四人の爵位持ちの貴族の名で、要求額は同じくノルディア金貨三兆枚。
最後はあまりの多さに嫌がらせのような小さな字でその名を書くことになった下級貴族と平民出身の兵士たちで約五千人の捕虜の大部分を占める。
彼らに対する要求額はノルディア金貨十億枚。
……ひとりあたりノルディア金貨二十万枚。
……王族の身代金から考えれば雀の涙だが、この世界では平民出身の兵士の身代金は銀貨十枚ほどが相場らしいから圧倒的に高い。
もちろんその心の声はどこにも漏れだすことはなく、グワラニーが実際に口にしたのはこの世界に関わるものだった。
「それで、我々が出したささやかな要求に対して、やってきたノルディアの使者はどれほどの額を提示したのですか?」
「……こちらの百万分の一」
「ということは、金貨約六百万枚か」
グワラニーの言葉にプライーヤが答える。
「まあ、彼らが普段おこなう身代金の相場、それから値引き交渉のやり方を考えれば、その千分の一くらいから始めたかったのでしょうが、交渉決裂は避けなければならないという彼らの事情があります。しかも、交渉相手は同じ人間ではなく我々。まあ、彼らにとっては不本意ではあるでしょうが、支払い可能な最高額を提示せざるを得ないというところでしょうか。ですが、その言葉には続きが……」
「続き?」
プライーヤは微妙な場所で言葉を切り、不審に思ったグワラニーがそう問うと、クアムート城主は表情を厳しいものに変え、再び口を開く。
「身代金は王族と爵位持ちの大貴族の分だけを支払うとのこと」
もちろん予想していなかったわけではない。
だが、実際にその言葉を聞くとやはりその衝撃は大きかった。
さすがのグワラニーもすぐには言葉が出ない。
ようやく口を開いたのはそれからしばらくしてからだった。
「……残りは?」
絞り出すように口にしたグワラニーのその問いにプライーヤは相手の返答を過不足のなく答える。
「そちらにお任せしますと」
「……つまり、捕虜の大部分を見捨てると……」
「言葉を飾っていましたが、端的にいえばそうなりますな」
「一般兵士五千人分の身代金金貨十億枚はたしかに馬鹿にできない額だが、ノルディアが提示した額はその百万分の一とすれば金貨千枚。つまり、ひとり当たりノルディア金貨一枚にも満たぬ。だが、王族三人にはひとり金貨三百万枚という大金が出せるのに、五千人分の命が救える金貨千枚は惜しいというのか?ノルディア国王は」
「……クズだ。もっともこの世界の人間の国を統べる者はどこも変わらないのだろうが」
「だが、為政者のやり方が気に入らないと言って、身代金を受け取ることなく五千人を解放するというのは、今後のこともあるので絶対におこなうわけにはいかない。さりとて、身代金の支払いを拒否されたからという理由で、その五千人を殺してしまえば、その後ノルディアは自分たちが金を出し渋った結果であることを隠し、我々を悪役に仕立て、戦意高揚に使うことは見えている」
「……それでは、当初の目的から外れる」
「どうしたものか」
むろん、その後に開かれた会議の席上で、ノルディアの使者がもたらした返答の概要を説明したグワラニーの言葉にその場にいる者全員が沈黙で応じたのは当然グワラニーの感情と同じものが反映していたからである。
戦場で出会えばもちろん殺し合いをおこなう。
感情のおもむくままに無辜の民衆も傷つけた。
だが、助けるつもりで世話をしていた者を相手の都合だけで殺すのはやはり気持ちのよいものではない。
その様子にグワラニーは小さく頷く。
「皆が考えていることは表情から察することができる。そこで、ここにいる全員が満足する策を実行することにする」
グワラニーはその言葉に続いて、秘策といえるものを口にした。
むろんグワラニーはその策に自信を持っていた。
だが、そうではない者もいる。
「……つまり、グワラニー殿の策とは、国王から見捨てられた者たちに交渉内容を話したうえにその一部をノルディアに逃がし、その情報を国中に流布するということ。それでよろしいか?」
「そのとおりです。ペパス将軍」
ペパスの問いに提案者であるグワラニーが答えると今度はクアムート城主が言葉を挟む。
「策の概要はわかりましたが、彼らだって誇りある軍人。たとえ解き放たれても、それを恩と感じ国王の決定に反する行為を喜んでおこなうとは思えません。しかも、解き放つということはその者はノルディア国内で自由の身となる。こちらの思惑どおりに動くとは限らないでしょう」
「もちろん」
その策の問題点を指摘したプライーヤのこの言葉は正しい。
ただし、それにはそのままではという条件がつく。
グワラニーはその対策も考えていた。
当然のようにやってきたその言葉に対し、まずそれを肯定した。
それから、もう一度口を開く。
用意されたその対策を披露するために。
「ですが、送り出すネズミをよく選別すればそうであってもこの策が成功する確率は格段に上がります」
「選別?それはどのような……」
「言うまでもない。捕虜のなかには親子や兄弟といった繋がりが特別に濃い関係の者も多数います。そのうちのひとりを今回のネズミ役として使います」
その言葉に多くの者が呻き声で応じる中、その中のひとりが口を開く。
「つまり、自分の働きによって親兄弟の命が救われると……」
「その通りです。ペパス将軍。そして、逆を言えば、失敗すれば残された者全員が死ぬ。そうなれば彼の胸に刺さった棘は一生に抜けないでしょうね」
「……そんなものを突きつけられたら自分がおこなうことが利敵行為になるのではないかという迷いなどどこかに吹き飛んでしまい、その者は必死に触れ回るだろうな」
「そして、その話が広まり、『王は王族だけに金を払って助け、多くの兵士を見殺しにしようとしている』と国中が大騒ぎになれば、王はその話をなかったことにするために平民たちの分の身代金もテーブルに載せなければならなくなる。もちろん金払いを拒否するために彼らを弾圧することもできるが、そうなれば、王や軍に対する平民や下級貴族の不満は募る。そこにこれ見よがしに王族の三人だけを返還してやればノルディアに修復不可能な亀裂を入れる。我々にとってはどちらに転んでも悪い話ではない。だが……」
グワラニーはふたりの将軍の顔を眺めると、再び口を開く。
「これは肉親に対する情を露骨に利用するものであり、誇り高き戦士である将軍方には好まれぬことは十分に理解していますし、ノルディア王が身代金を出し渋っているという話が我々の捏造ということであればどのような批判も甘んじて受けなければなりません」
「ですが、ノルディア王が下級貴族や平民の捕虜たちを見捨てようとしているのは紛れもない事実。しかも、このままこの主張を受け入れれば、我々は身代金を出し惜しむノルディアの為政者どもの尻拭いをさせられることになります。そして、そのあとに待っているのは、そこまでの過程が飛ばされた我々が多数の捕虜を殺したという結論だけを語る喧伝。我々にとってはいいことなどありません」
一度言葉を切り、その場にいる者たちを眺めまわしたグワラニーは言葉を続ける。
「そういうことで、これからノルディアの使者殿と交渉をおこなうことになるわけですが、それと同時にネズミを解き放つ」




