消えゆく王都 Ⅴ
こうして同じ日に魔族の国の王都イペトスートとブリターニャ王国の王都サイレンセストが完全破壊されることになったわけなのだが、実をいえば、同じ王都の崩壊でもその損害は全く違う。
魔族側は王とガスリン、さらに王都攻撃に続くアリストによる広範囲の掃討を含めても死者は千人にも満たなかったのに対し、ブリターニャの損害は百万を大きく超える。
さらに、中核を完全に失ったブリターニャは国としての機能は完全に停止したのに対し、魔族側は体制機能がほぼ完全に残っていた。
そういうことから、この後アリストが魔族殲滅を実施しこの戦いが最終的にブリターニャの勝利となってもブリターニャには苦難の道しか残されていなかったといえるだろう。
そのため、この日の戦いにおける国王カーセル・ブリターニャと王太子アリスト・ブリターニャの判断については後世の歴史家により多くの意見が出されることになる。
フランベーニュの大歴史家ショボニー・プラティエの言葉。
「たとえば、魔族との刺し違えを目的としているのであれば素晴らしい働きと偉業と讃えることはできるかもしれない」
「なにしろ、その代償を支払って魔族の国の王都イペトスートを落とすことと魔族の王を討ち取るという『対魔族協定』の目標を達成したのだから」
「だが、そうではないのであれば話はだいぶ変わってくる」