未来への扉
自分たちにとっての最大の天敵、しかも、数の上では最も魔族を殺したフィーネ・デ・フィラリオがグワラニーの妃の列に加わるという報は魔族の中では大きな衝撃とともに受け止められた。
だが、それは人間界でも同じこと。
特にともに戦っていた三人の剣士には驚き以外の何ものでもなかった。
突然の出来事に頭がついていかず、その場ではやり過ごすことになったのだが、ラフギールに戻ってきたところで当然のように三人はフィーネに問い質す。
いや。
詰め寄ると言った方が近い。
「フィーネ。一応聞く。あれは本気か?」
「もちろん」
ファーブからの問いにフィーネは軽やかにそう答える。
「これからは平和になります。そうなればこの世界で一番の権力者の近くにいれば好き勝手できるのです。当然の選択でしょう」
「見損なったぞ。フィーネ」
「では、あの男以上の待遇をあなたは私に与えてくれるのですか?ファーブ」
そう言ってファーブとその同類ふたりを黙らせたところで、フィーネは薄く笑う。
「まあ、実際にはあの男は恋愛感情や目に見える実利とは全く違う理由で妃の話が提案し、同様の理由で私もそれを承諾した。これがその真の姿なのですが」
「どういうことだ?」
「あの男にとって、アリストがいなくなった現在、一番の不安材料である私。それによってその私を取り込むことができるのです。これ以上望ましいことはないでしょう」
「一方の私は、あの男を身近で観察できる。そして、いざとなればすぐに行動できるということです」
「ということは、奴を騙したということか?」
「そうなりますね。もっとも、あの男もこちらの意図には気づいているでしょうし、向こうとしても、一番の危険人物を身近に置いて監視できる利点もあります。つまり、お互いに喉元に剣が触れた状態で笑みを浮かべているということです」
そう言ったところでフィーネはは少しだけ表情を硬くする。
「あの男の言葉ではありませんが、アリストを見捨てたのです。私もこれくらいの責任を負うべきでしょう」
そう言ってフィーネは訝しがる三人を納得させた。
むろん、グワラニーも同様で自身の行為を正当化させなければならなかったのだが、その相手は、もちろんデルフィン。
目の前で別の女性に妃になるよう誘いをかけたのだから、彼女の機嫌がいいはずがない。
しかも、それが見た目上、まだ子供である自分とは比較にならぬ魅了的な曲線の持ち主であるフィーネとなれば、それはなおさらである。
これから即位宣言をおこない、その際に后妃紹介するというのに肝心のデルフィンとの婚姻関係が破綻しかねない状況にグワラニーは頭を抱える。
……どちらにしても向こうに彼女は同行させるつもりでいたのだ。そして、そうなれば、真実を話さなければならない。
……誤解を解くためにもここで話すべきか。
グワラニーは腹を括る。
……むろん、説明しても理解されるとは思えぬ荒唐無稽な話。すぐに信じてもらえるとは思えないし、下手をすれば出来の悪い嘘と思われるかもしれないが、デルフィン嬢との関係が始まる前に無実の罪で崩壊するくらいなら百倍マシだろう。
「……私とフィーネ嬢の関係ですが、とりあえず真実を話します。とても、信じられない話なのですが、聞いていただけますか?」
デルフィンが頷くのを確認するとグワラニーは話し始める。
「実を言えば、この世界とは別の世界があり、私はそこから来ました」
当然のようにデルフィンはその意味を理解しがたいというような表情を浮かべる。
だが、話し始めた以上、もうやめるわけにはいかない。
グワラニーは構わず話し続ける。
「そして、フィーネ嬢も同じ立場の人間。ちなみに、その世界は言葉を話せる生物は人間だけでした。つまり、私もその世界では人間でした。ちなみに、その世界には魔法というものはありませんでした。いや……」
「ないと思われているというのが正しいでしょう」
「魔法など存在しないはずの世界。ですが、実は魔法を使える者がいた。そして、私はその魔法を使うことができる誰かが使用した転移魔法の巻き添えを食ってこの世界に転移してきました」
「敵対関係にある勇者一行のひとりであるフィーネ嬢が私と同じ立場ではないかと思ったのは、ペパス将軍を救出した時。もう少し言えば、戦いの後、フィーネ嬢が勇者たちを甚振っているのを見た時。あれはたしかにドゲザというものなのですが、あれはこちらにはなく私がいた世界にだけ存在する作法で、多くの場合、立場が上の者が下の者を甚振るときに使用するものです」
「そして、それが確実になったのは、私たちがマジャーラの民を救援に行き、勇者一行に遭遇した時です」
「フィーネ嬢が同胞ではないかと疑っていた私は良い機会だとフィーネ嬢に話しかけました。そこでこの世界には存在しない言葉を使ったところ、彼女はその言葉に反応したのです。そして、お互いが同胞であることを確認したところで、今後情報交換しながら、元の世界に帰る方策がないかを協力して探ることを約束しました」
「ちなみに、その時点において、私と同じ場所から来ていることが確実と思われる者がいました。魔族側では伝説の剣士アルベルト・ライムンドです。魔術師長が語った怪しげな魔法の数々は私たちの世界の冒険譚に登場するものばかり。彼が魔法を使えないにもかかわらず、それだけの知識があったのはおそらく彼が元の世界でそれに親しんでいたからでしょう」
「そして、人間の世界ではブリターニャの悪逆非道な王として有名なアルフレッド・ブリターニャとなります。ちなみに彼が弾圧したのは国を乗っ取ろうとした宗教関係者で、さらに言えば、甥に殺されてはおらず、生きていたそうです」
「甥に王位を譲ったアルフレッド・ブリターニャはその後南の島に渡り家族とともに余生を過ごしたそうですが、彼はライムンド以上に別の世界から来た痕跡が残されています。それが砂糖」
「この世界に砂糖を持ち込んだのはアルフレッド・ブリターニャであり、さらに南国の果実の多くは彼が別の世界から持ち込んだものが始まりです」
「フィーネ嬢からこの話を聞いたときに、私は気づきました。一度この世界に来た者は枷がないのだと、そして……」
「グ、グワラニー様。枷というのはなんでしょうか?」
自身にとっては常識であったために素通りしそうになったその言葉だったが、デルフィンにそう言われてようやく説明が必要であることに気づいたグワラニーは咳払いで仕切り直す。
それから、もう一度口を開く。
「枷というのは……」
「別の世界からやってきた者は赤子から始めることです。例を挙げれば、あちらで三十歳の者でも五十歳の者でもこちらでは赤子として生まれ直し、この世界の者として生を始めるということです。ですが、ありがたいことに元の世界での経験や知識はそのまま引き継ぐことができます。私は元の世界で文官でしたので、この世界でもその知識が生きたということなのでしょう」
「この枷は私だけではなくフィーネ嬢もそうですし、ライムンドやアルフレッド・ブリターニャもその出生について怪しげな噂がないことから間違いないと思います。ですが、元の世界の者であるアルフレッド・ブリターニャは退位してから元の世界に戻り、またこちらに帰ってきても年齢は変わらなかったようですから、この赤子から始める枷は一度だけだと考えています。さらに、その理由はわかりませんが、この世界でどれだけ時間を過ごそうが、元の世界に戻ってもその時間に影響されないようです。そして、そうであれば、たとえこの世界で六十年を過ごした私が元の世界に戻り、またこちらに帰ってきても私は今と変わらぬ姿でいられるという仮説が成り立ちます」
「そして、ここでもうひとり重要人物が登場します」
「バレデラス・ワイバーン。言うまでもなく、大海賊ワイバーンの長です」
「実を言えば、私は以前から彼を注目していました。それはなぜか?」
「それがこれです」
そう言って、グワラニーは手元にあった真っ白い紙を手にした。
「これがワイバーンに大金を払って手に入れていることは知っていますね」
「はい」
「実を言えば、これは私が元いた世界にあるものです。しかも、非常に安価。銀貨一枚で千枚ほど手に入るほどに」
「そして、この大きさ。私の世界で規格と決まっていたもの。向こうからこちらに来た者がこれを見れば、すぐにこれは向こうの世界から持ち込まれたものとわかります。当然これを手に入れるためには別の世界に戻り、戻って来なければなりません」
「安く手に入れ、とんでもない高い値で売る。バレデラス・ワイバーンは商人の国家の商人たちよりいい商売をしていたわけです。まあ、この紙はこの世界ではつくることができない以上、やむを得ないことなのですが」
「さらに、この世界では比較的簡単に手に入る金や銀、さらに加工の難しさから装飾品に使用できないため、あまり好まれない光石は向こうの世界では希少性が高く、高価で取引されています。おそらく、ワイバーンはこちらから向こうへそれらを持ちだして驚くほどのお金を稼ぎ出していると思われます」
「ワイバーンによって向こうからこちらに持ち込まれたものはまだあります。あなたも持っている目を覆う黒い装飾品ですが、あれはサングラスという名で向こうで売られているものです。そこに刻まれた奇妙な記号はその商品を売る店のものです」
「そして、ワイバーンから買い取り将軍たちに配った望遠鏡も向こうから持ち込んだものです」
「つまり、バレデラス・ワイバーンは現在も頻繁にこちらと向こうを行き来しているということです」
「そこで私とフィーネ嬢は協力してワイバーンからそのやり方を問い質そうということになったのです」
「ですが、それはバレデラス・ワイバーンにとって独占的におこなっていた、異世界交易に競争相手が現れるということ。当然簡単に口を割るとは思えません」
「しかも、私とフィーネ嬢は敵対関係にある立場。当然ことはそこで止まったままでした。ですが、こうして平和になった今、ようやくそれが始められるということになりました」
「そういうことで、これからは私とフィーネ嬢は頻繁に行動をともにすることになる。そのために彼女には近くにいてもらいたいということなのです」
グワラニーの説明が終わって、少しの間を置き、デルフィンが口を開く。
「その別の世界にはフィーネさんとふたりで行くのですか?できれば、私も行ってみたいのですが……」
「それについてはなんとも言えません。今は」
もちろん将来的にはデルフィンを連れて行きたい。
いや。
魔術師ではないグワラニーにとってデルフィンの同行は必須と言った方がいい。
だが、この時点でそれは約束できない事情があった。
言うまでもない。
こちらから向こうに渡った時、デルフィンにどのような枷が発動するのかがわからないのだ。
そして、自分たちと同じように赤子から始めるとなった場合、どうやって彼女を見つけ出せばいいのか想像もつかない。
いや。
見つけ出すことが困難と言っていいだろう。
それだけは避けなければいけない。
そもそも、この魔法についての知識が余りにも少ない。
そのような中で軽々しく承知し、デルフィンに期待させるわけにはいかないのだ。
「私としても一緒に行ってもらいたい。ですが、こちらから向こうに行く場合にも、先ほど言った枷が発動するかどうかを確認する必要がありますので安全が確認できるまでは確約できないということです」
「ですが、それまでにおこなうワイバーンとの交渉には常に来てもらいたいと考えています」
「どうでしょうか?」
「もちろんいいです」
「そして……」
「そういうことで、これからのフィーネ嬢は私としては仕事仲間のようなもの。ですが、これまで敵対関係にあった者が突然行動を共にするようになっては色々憶測を呼ぶことは避けられない」
「そうであれば、妃のひとりになったと言っておけば、多少なりともそれが和らぐでしょう。その意図を察したからフィーネ嬢もすぐに承諾したのでしょう」
「皇帝はお気に入りの妃を連れて歩いていると思われればこれ幸い。ですが、実際には恋愛感情はお互いに全くないです」
むろんデルフィンはその言葉に嬉しそうに頷いたわけなのだが、実を言えば、この言葉はことあるごとくグワラニーが口にしているデルフィンの不安や不満を取り除く魔法の言葉、その同類といえる。
ただし、これはデルフィンを落ち着かせるための上辺だけの言葉ではなく、グワラニーの心の声である。
……バイアは、「子供は多ければ多いほどいい」などと言っているが、それはそれで王位を巡る争いの火種になるのは、歴史が証明している。
……性別にかかわらず第一子が帝位を継ぐと決め、皇帝の才に関わらず安定して国政がおこなえる組織と規則をつくるから問題の大部分は消える。だから、そのような心配はないとバイアは言う。
……だが、そうであれば、子供の数も増やす必要はないはず。
……それどころか、継ぐ者がいなければ、それにふさわしい才の持ち主が皇位に得ればいいのであって、私の血統でなければならない理由などどこにもないのだ。
……そういうことであればデルフィン嬢ひとりで十分だろう。
とても初代皇帝になる者とは思えぬことを心の中で呟く。
……皇位継承権は性別を問わず第一子と決めれば、変な圧力がデルフィン嬢にかかることはないだろうが。
……まあ、それはそれとして、ここまで来てら義務は果たさねばならない。
……それは私だけではなく、デルフィン嬢も。
「后妃。そろそろ時間のようです」
グワラニーがそう言うと、緊張していることがハッキリとわかる表情でデルフィンは頷く。
「もう何度も練習したので式典の手順はわかっていると思いますが、多少の間違いなど気にしないでください」
「后妃と私がその場に立つ。本来はそれだけで十分なのですから」
「では、行きましょうか」
そう言ったグワラニーはデルフィンの手を取る。
「あの扉の向こうに待っているのは素晴らしい未来」
「もちろん、常に平坦な道というわけではないでしょう。ですが、このふたりであれば、どれだけ険しいものであっても絶対に乗り越えることはできます」
「……はい」
「そういうことで、これから皇帝と后妃として共に歩いていくことになりますが……」
「よろしくお願いします。それから……」
「デルフィン」
「愛しています」
「そして、死がふたりを分かつまであなたを愛し続けることを誓います」




