アッシュダウン平原会戦
グワラニー軍がサイレンセスト近郊に姿を現した一セパ後、陸軍総司令官兼予備軍司令官であるアルバート・カーマーゼンのもとに王都近郊に所属不明の敵が現れるという第一報が入る。
続いて、迎撃に出たブリターニャ軍が半壊してサイレンセストに逃げ込んだこと、さらにサイレンセストの包囲を開始したという情報も届く。
軍人としてはすぐさま危機にある王都救援に出かけたいところであるのだが、この時のカーマーゼンは簡単に決められぬ状況にあった。
実は予備軍にはガルベイン砦からのまもなく接敵という連絡が届いておりガルベイン砦を全力で救援するため準備を始めており、即応魔術師団に自軍に合流するようにという連絡を終えていたのだ。
まさにグワラニーの読み通り。
だが……。
「……援軍要請を寄こしたカービシュリーには申しわけないが、こちらは全軍で王都救援に向かいたいと思うのだが……」
「当然だな」
「我らも同じ意見。ここで軍を分けるなど愚の骨頂」
反対が続出するものと覚悟しながらカーマーゼンが口にした意見にまずクレイク・エトリックが賛意を示すと、即応魔術師団を指揮するふたりの上級魔術師のひとりアドラール・スカーレットもその意見に賛成の意を示す。
「前線にも兵がいる。しかも、守るのはあの『鉄壁アラン』だ。十万程度の敵なら凌ぎ切るだろう」
「まあ、数が不確定のうちにそう言い切ってしまうのは早計とも言えなくはないが、できればそう願いたいものだ。さて、相手は数万とのこと。本来であれば、敵を完全駆逐したうえで、サイレンセストに入場したいところだが、王都防衛を担う総司令官が指揮する軍と宮廷魔術師団を易々と打ち破ったということは相当な難敵と見るべき。そうなると、我々の使命は敵の殲滅ではなく、包囲下にある王都から陛下を救出することとなる。さて、何か策はあるか」
カーマーゼンの問いに右手を上げたのはエトリックだった。
「一部が敵軍に突っ込み、その隙にもう一隊が防御を破り、陛下たちを救出する。一応、遠くで気勢を上げ、我々を狩りに敵が動いた隙に別動隊が王都に向かうという案も考えたのだが、敵が王都を離れるわけがないと思い、そちらは却下した」
「なるほど。その後は?」
「王太子殿下を呼び戻せばよかろう」
「たった五人で魔族の王都を落とせる実力ならサイレンセストに包囲する者たちひとひねりであろう。問題は陛下が人質に取られているようなこの状況だ。我らとしては王太子殿下が戻る前にそこは改善しておかねばならない」
「もちろん言いだしたのは私だ。囮役の指揮はやらせてもらう。陛下救出の役は陸軍総司令官にお願いする」
むろんその囮役は全滅必至。
それを自ら進んで手を挙げたのだ。
感謝の気持ちを込めてカーマーゼンは小さく頷く。
「わかった。スカーレット、シェトランド両導師は援護を」
「承知」
「では、向かおう。ただし、転移直後に狩られるなどという間抜けなことはしたくない。アッシュダウン平原の北端に転移し、陣形を整えながら王都を目指すことにする」
「時間がない。ただちに行動開始」
アッシュダウン平原。
ブリターニャの王都サイレンセストから徒歩で半日ほどの距離となるここは軍が大規模な部隊の転移場所として使用しているので、転移先として格好の場所といえるだろう。
ただし、まだ夜が開けぬ。
そこにどこからともなく敵が来襲した。
神経過敏になっている味方守備隊が転移直後の無防備状態時に攻撃してくるということも考えられるため、三人ずつを五回に分けて先行させ味方への周知をおこなう。
緊急事態のなかでのこの辺の気配りはカーマーゼンの真骨頂といえるものである。
そして、そのカーマーゼンの悪い予感は的中し、最初に転移した者たちは直後に魔法攻撃を受け戦死。
もし、いきなり転移していたら全軍が戦わずに戦死するという悲惨なフレンドリーファイアが発生した可能性が高かったといえるだろう。
「彼らには申しわけないことをした」
カーマーゼンは弔いの言葉を口にする。
だが、時間がないブリターニャは三人を簡素な埋葬するとすぐに進撃の準備を始める。
前衛であり囮部隊、と言っても数的にはこれが本隊と思えるクレイク・エトリック率いる三集団あわせて六十五万。
後衛は海軍所属である魔術師アルチュール・グレンメイ率いる魔術師団五万三千人と護衛兵士三万。
そして、そこから離れた場所に隠れるように進むのはカーマーゼン率いる三千人の別働部隊。
もちろんこれが国王救出部隊であり、部下の大部分をグレンメイに預けたアドラール・スカーレットとデニス・シェトランドが僅かな部下とともに加わる。
そして、目標はサイレンセストと外部を繋ぐ門の中で一番小さい東側にある門。
「前衛の三集団が別の門を目指して突撃すれば、その裏手の守備は多少なりとも緩くなるだろう。とにかく陛下だけは必ず救出する。それ以外は無視しても構わない。そして、私を含めて誰が倒れても構うな。とにかく陛下は連れ出すことを考えろ」
カーマーゼンが自隊に向けての命令となる。
「……北方より接近する敵の大軍発見 約七十万」
「いよいよ来ましたね」
夜が明け視界が開けたところで敵を発見した上級魔術師を含む斥候団からの報告を読み上げるコリチーバの言葉にグワラニーは薄い笑みで応える。
「迎撃部隊を出さなくていいのか?」
「はい」
隣に立つ副司令官ペパスの問いにグワラニーはそう答える。
「彼らの目的は王都から国王を脱出させること。黙っていてもここにやってきます」
「迎撃はその時にしましょう。出来れば王都の者たちの目の前で援軍を叩き、自分たちには救いの手は来ないことを思い知らしめたいので」
「ですが、やってくるブリターニャ軍だって我々が王都に駐屯していた軍を粉砕したことは知っているでしょう。その包囲下にある王都からどうやって国王を救出するつもりなのでしょうか?」
その場にいるもうひとり将軍タルファの問いにグワラニーは薄い笑みで応じる。
そして、口を開く。
「方法は三つほどあります」
「ひとつは王が秘密の通路からの脱出し、救援にやってきた部隊はその場所へ向かう。英雄譚においてはよく登場する方法ですが、どうやらブリターニャはそれを用意していなかったようです」
「ホリー王女に確認しましたが、ないとのこと。むろん、国王だけが知っている抜け道もあるかもしれないと思ったのですが、こうして、国王を救出するために大軍でやってくるということはやはりないようですね。そもそも多くの将にそれを知らせていたら抜け道になりません。ということで、この案は却下」
「続いて、包囲する敵をすべて粉砕して王都を開放する。ですが、さすがにこちらの実力を知ったうえでそれをおこなうことはないでしょうから却下。そういうことで、彼らがこれからおこなおうとしているのは、囮を使う策」
「まあ、囮と言っても、主力のような部隊が多数の門に殺到する。当然こちらはそれを阻止するために全力で迎撃する。その隙を突いて少数部隊が手薄になった門から中に入り王を連れ出す、または門以外の場所から王を脱出させるというもの」
「それに対するこちらの対応は?」
「いつも通り」
「特に少数で動く部隊は必ず魔術師を連れています。彼らとしては当然のことではありますが、残念ながらそれが命取りとなります」
「城塞都市サイレンセストは大小五つの門によって外部と繋がっている。そして。東から南に三つ。北と西にひとつずつ。それ以外は水堀があり侵入者を防いでいる」
「狙い目は北門か西門と思えるわけですが、それ以外の可能性も考えておく必要はあります」
「付近の敵を排除するという前提はありますが、堀の水を魔法で凍らせたうえで城壁から国王が堀に降り、城を抜け出すというものです」
「脱出は門から行うと考えていたら、敵襲時それ以外の場所に対する警戒が緩む。それを狙うという可能性も考慮すべきということです」
「ところで魔術師長は?」
「すでに敵がやってきたという前線へ」
「さすがです。では、私たちも移動しましょうか」
そして、その五ドゥア後。
数度の転移をおこなってサイレンセストの正門にあたる「王者の門」を正面に見る本陣から王都を挟んだ反対側に移動してきたグワラニー、デルフィン、伝令と移動役を務める五人の魔術師、さらにコリチーバ率いる護衛隊だけではなくタルファ、アライランジア、フェヘイラが、二十人ほどの魔術師とともに前線を睨みつけていた老魔術師が出迎える。
「来たか」
「ええ。それで、どうですか?」
「七集団に分かれている」
「そして、その位置を目視出来ないのはひとつ。おそらくこれが本命だろうな」
「残りは?」
「おそらく五つの門すべてに取りつくために剣士と魔術師の混成集団が五つ。それから最後方に魔術師の主力」
「そろそろ敵の魔術師の攻撃が始まる、その前に動きたいのだが、いいかな?」
「包囲を解くわけにはいかないうえ、予備戦力もないのですから、どちらにしても攻撃は魔術師団だけでおこなうことになります。よろしくお願いします」
「承知した」
「では、遠慮なくやらせてもらう」
「五つの集団については私が魔術師を排除し、その後、魔術団が火球攻撃をおこなう。そして、デルフィンは最後方の魔術師団を殲滅後、こそこそと隠れながら進む小さな集団を殲滅しろ」
「わかりました」
「では、始める」
その言葉とともに老人とその孫娘が杖を顕現させる。
そして、老人が東西二方向から城へ迫る五つの集団に向けて杖を振る。
一方、孫娘であるデルフィンはまず遥か遠方を杖で指し示して口を軽く動かし、続いて、杖を草原の一角へ向ける。
一呼吸後、デルフィンはこう呟く。
「カマイタチ」
これより九十ドゥアほど前。
「先行させた物見から報告が入った。魔族軍も広範囲に物見を放っているそうだ」
「そうなると少数で進む我々も発見される可能性は十分にある。そうなれば、敵にこちらの意図を察知され、門の警備が緩むことはない」
「そこで我々は門よりは警備が緩いであろう城壁から陛下をお救いする」
「そして、エトリック将軍は配下の部隊を三つから五つに分け、すべての門に挑んでもらいたい」
王都救援に向かうブリターニャ軍の指揮官アルバート・カーマーゼンの言葉にクレイク・エトリックは少しだけ考えたものの、こう問う。
「城壁から堀に飛び込むのか?陛下が」
それはあきらかに否定的な香りのする言葉だった。
それに対して、カーマーゼンはこう答える。
「スカーレット導師によれば、堀の氷を凍らせることは可能だそうだ。そこに飛び降りてもらう。むろん陛下は我々が受け止める」
「なるほど。そういうことであれば安全だな」
敵をよく観察し、より成功率の高い作戦を一瞬で考案し変更を指示したアルバート・カーマーゼン。
そして、三集団から五集団への分割と目標の変更というカーマーゼンからの要求を難なくやってのけるという運用の妙を見せたクレイク・エトリック。
だが、ブリターニャ軍最後の輝きでさえ、大魔術師をふたりも抱えるグワラニー軍の前で無力に等しかった。
「……五集団すべて魔術師を排除が終わった。狼煙を上げ、火球による掃討戦に入るようベメンテウに伝えろ。ひとりも逃がすなと」
「それで、そちらの状況はどうか?デルフィン」
「すでに完了しました」
「だそうだ。グワラニー殿」
「ありがとうございます」
いつもとは異なり、剣士たちによる掃討戦がおこなわれなかったことにより、「一兵も残すな」という指示は完遂できなかったものの、それでも戦いに参加したブリターニャ軍の九割以上が戦死及び行方不明という結果により、ブリターニャ軍のうち組織の形を保っているのはアリストたちの支援に回っているバイロン・グレナームが指揮する集団だけとなる。
むろん南部にも相応の数の兵は残っており、今回の戦いで生き残った者たちが周辺部隊を糾合すれば十分な数は形勢される。
だが、それは数がいるというだけの話であり、大軍を指揮する者がいない烏合の衆でしかない。
事実上ブリターニャ軍はこの時点で陸海軍とも解体されたと言っていいだろう。
もちろん城内からもその様子は見ることはできた。
そして、サイレンセストからの迎撃部隊に続き、現状でブリターニャ軍最強戦力ともいえるカーマーゼン率いる予備軍が消えたことにより、自分たちを救い出す力を持つ軍はいないことも理解した。
一方、ここまでは筋書き通りであるグワラニーであるのだが、その顔に笑みはなかった。
「ここまでは予定通り」
「ですが、ここからが今回の戦いの本番といえるものです」
そして、その言葉が形となって現れるのがその翌日の出来事となる。