バイナケール湾沖海戦
王都を敵に包囲されるという大失態に続き、侵攻してきたノルディアになすすべなく敗れ、肥沃な土地として有名なエクスムーア地方を奪われるという更なる失態を陸軍が演じていた頃、ブリターニャ海軍も生き残りを賭けて大敵と対峙していた。
大海賊ワイバーン。
その数二百隻あまり。
もちろん数だけではない。
船の大きさもすべて大型船。
だが、ブリターニャ海軍も負けてはいない。
ワイバーンが魔族側に付いたとわかった時点でこのような戦いが来ることを予期し入念な準備をしていた。
海上からやってくる敵から王都を守る海軍の拠点のひとつリコリック軍港に近いバイナケール湾にほぼすべての大型軍船を集めていた。
ワイバーンを上回る二百二十隻。
それ以外の中小の軍船を加えれば数の差はさらに広がる。
敵の狙いはこちらの軍船の殲滅。
さらに海から王都を狙うとなれば、この湾の前を通ることになるので素通りなどできない。
そうであれば、待っていれば必ずやってくる。
事前に必勝の陣形を整えておけば、勝ちは必然。
それが今回の戦いを指揮する軍総司令官であるアルバート・ベンフィールドの読み。
「……大海賊との戦いは常に奴らが設定した戦場で戦ってきたが、今回は違う」
「しかも、負け続きの陸軍と違い、指揮官も兵もすべて一線級。さらに数は大幅に減ったものの、魔術師たちも熟練者が揃っている。しかも、今回は必勝の策を用意してある」
「これまで同じようになると思うなよ。大海賊ワイバーン」
ベンフィールドは目の前に広がる海賊船団を見やりながらそう呟いた。
数は互角。
さらに、これまでの経験で魔術師の能力をほぼ互角とわかっている。
だが、このままでは勝てない。
この世界の海戦は、魔法による攻撃を除けば船上での白兵戦が主体なのだが、大海賊と各国海軍では白兵戦での力の差は歴然としていた。
なぜか?
これは主に武器の差にある。
海賊たちが小型の戦斧や錘を主武器にしているのに対して、海軍は伝統的な細身の剣。
一見すると、障害物の多い船上での戦いは戦斧や錘は使い勝手が悪そうなのだが、その結果は真逆。
ブリターニャ海軍も最近ようやく戦斧を導入し始めたが、相変わらず下品な武器である戦斧や錘を嫌う者は多く、なかなかその使用者が広がらないのが現状である。
つまり、従来通りの戦いをしていては今回も負ける可能性が高い。
では、どうするか?
ベンフィールドの策。
それは単純だが有効なもの。
ラムアタック。
すなわち、衝角と呼ばれる船首の底にある鋭い角状の突起を敵の船底に打ち込みすかさず離脱、その後敵船は開けられた大穴から浸水し沈没するというものである。
むろんこの攻撃方法は以前から存在していたのだが、侵入角度によっては自船も大きく損傷、下手をすれば離脱できないまま敵船もろとも沈没する危険がある。
大海原、しかも敵船が多数いるなかでの沈没は事実上その時点で死が決定されるため、これまでは自軍が圧倒的有利な場合を除けば好まれる戦い方ではなかった。
「……だが、ここは陸に近い。さらに救援用に船が多数用意されている。逆に海に落ちた海賊どもは助かる見込みが少ない。我が軍の船長も操舵手も皆熟練者。敵の急所に突っ込み、素早く敵船から離脱できる。そうすれば、白兵戦に持ち込まれることはない」
「しかも、風の向きは我々が有利。勢いに乗って敵船の横腹に大穴を開けてやる」
「自船の被害を恐れず、敵を仕留めることだけを考えろ」
「ブリターニャ海軍の強さをあの世にいくワイバーンに教えてやれ」
ベンフィールドが過激な檄を飛ばしている頃、「天空の大海賊」ワイバーンを率いるバレデラス・ワイバーンは笑っていた。
「数は多い。しかも、港に近い。風も自軍有利。全船に取り付けたという新型の衝角ですべて沈めてやるとでもほざいているのであろう」
「だが、残念だったな。今回も勝つのは我々だ」
「しかも、主力のすべてを集めてくれたおかげで手間が一回で済む」
「ブリターニャ海軍の司令官には感謝せねばならないな」
そう言って黒い笑みを浮かべたバレデラスは側近たちの顔を見回すともう一度口を開く。
「では、始めようか」
「ブリターニャ海軍と大海賊。そのどちらが海の覇者としてふさわしいのかを決める互いの滅亡を賭けた戦いを」
「信号旗。全船。一斉回頭。ただし、転舵方向は各船長に任せる。衝突に気をつけて回頭後、予定の場所まで撤退せよ」
バレデラスの言葉とともにワイバーンの船が回頭を始めるが、その向きはまちまち。
衝突こそないものの、右往左往の混乱ぶりはまさに醜態。
むろんその様子はベンフィールドの目には今回の戦いは不利と見て急遽決まった撤退と見えた。
「……一見すると沖へ誘引するように見える。だが、転舵方向が揃っていないということは突然の転進命令に混乱したものに違いない」
「あの混乱に乗じて一挙に距離を詰め、ラムアタックを仕掛ける」
「信号旗。全船追撃しそのままラムアタックをしかけろ。一隻も逃すな」
旗艦グリムスパウンド上がる信号旗が上がると、勝利を確信した各船は先を争うように逃走を始めた海賊船追撃が開始される。
だが、四十ドゥア後、ベンフィールドは呻く。
「……おかしいだろう。なぜこの時点で『大海賊の宴』なのだ」
ワイバーンの反転が沖への誘引の可能性も感じつつベンフィールドが追撃を命じたのには理由があった。
目の前にいるのはワイバーンが抱える船のほぼすべて。
つまり、何が起ころうがこの数での戦いであり、こちらの有利は動かない。
そのはずだった。
しかし、今、自分の前にはあるのは、八人の大海賊の旗を掲げた船が自分たちを取り囲み迫ってくる光景。
まさに、「大海賊の宴」。
だが、それはあくまで大海賊の誰かに手を出した場合の制裁であって、今回のブリターニャ海軍はやってきたワイバーンを迎撃しただけで好き好んで手を出したわけではない。
それなのになぜ「大海賊の宴」が開かれる?
しかし、何をどれだけ言おうが栓無き事。
事態は何も変わらない。
こうなれば、包囲を突破し港に戻るだけ。
「反転。前面の敵を突破しバイナケール湾に逃げ込む。そうなればこの数の差は生かせず再びこちらが有利になる」
「信号旗。右舷回頭。敵の包囲を突破し帰港する」
しかし、各船が転舵を開始した直後。
「右舷後方より『血色の旗』が迫ってきます。このままでは我が艦隊の半分が横腹に食いつかれます」
「左舷前方より敵。『三本の雷が描かれた黒旗』確認。ま、まもなく接触。早い……」
グリムスパウンドの見張り員が次々に金切り声を上げる。
「……『麗しき大海賊ユラ』と『神速の大海賊カラクルム』。こちらが転舵するのを待っていたのか」
ベンフィールドの呻き声に見張りの新たな声が届く。
「他の海賊船が急進。すでに多くの船が海賊どもに乗り込まれ、白兵戦が始まっています……」
「右真横より『鉄壁の大海賊ワシャクトゥン』の長レジェス・ワシャクトゥンの御座船デフシオン接近。まもなく乗り込まれます」
「白兵戦用意」
結局、新型の衝角は一隻の戦果を挙げることはなく、ブリターニャの船のすべてで白兵戦が始まる。
ベンフィールドが豪語していた通り、ブリターニャ海軍の兵士は練度が高く、不利とされる白兵戦でもよく戦ったのだが、数が違い過ぎた。
結果としてブリターニャ軍は二百二十隻の大型船をはじめとした戦いに参加した計四百五十一隻すべてが沈没。
二十六万三千五百二十二人が戦死。
これは陸軍に貸し出していた者や港の警備に残された者などを除くほぼすべてであり、事実上ブリターニャ海軍は陸軍に先だってその歴史を閉じることになる。
一方の大海賊側も沈没船こそなかったものの、四万四千六十五人が死亡した。
大海賊が一度の戦闘でこれほどの被害を出したのは初めてであり、むろん「大海賊の宴」における最大の損害となるだけではなく、第二位の記録の実に四十倍以上というものであり、数字の上からもブリターニャ軍の奮戦ぶりを証明されたことになる。
もっとも、大海賊側の被害はいつも通り彼らだけが知るものであり、ブリターニャ軍が知ることができたのは自軍の全滅という悲惨は事実だけである。
戦いに勝利した大海賊たちは続いて各地の港を襲う。
これは船と名のつくものをすべて破壊するという当初の目的に則ったものであったのだが、その中で「麗しの大海賊」ユラは船を燃やすだけではなく、港に上陸して暴れまわり、軍人、非軍人あわせて千人以上を殺害した。
むろんそれは長であるジェセリア・ユラの指示であり、彼女によれば「死んだ仲間の供物」にするためということであるのだが、今回の戦いで最も大きな損害を被ったことに対する苛立ちと報復であることは間違いないだろう。
「天空の大海賊」ワイバーン、「暴虐の大海賊」ウシュマル、「強欲の大海賊」トゥルムも同じく陸上に上がり破壊行為をおこなっていたのだが、こちらは造船施設へのピンポイント攻撃であった。
ただし、その攻撃は徹底的におこなわれ、施設の破壊はもちろん職人たちもその対象となったため、ブリターニャ人はここでも五桁に及ぶ死者を出すことになった。
バイナケール湾海戦が続いて始まったブリターニャ各地に 大きな損害を被ったものの、とりあえず戦いに勝利した大海賊たちは続いて各地の港を襲う。
バイナケール湾海戦が続いて始まったブリターニャ各地での掃討戦が終わり、海賊たちが引き上げたのは三日後。
文字通り、船と名のつくものは何も残されない徹底した破壊ぶりだった。